マキペディア(発行人・牧野紀之)

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トルコ、エルドアン首相

2012年11月23日 | タ行
 イスタンブールの金角湾に面したホールで11月10日、オランダが誇る世界有数のオーケストラ、ロイヤル・コンセルトヘボウの演奏会が開かれた。トルコ共和国の初代大統領、ケマル・アタチュルクの没後74年の命日に、オランダとトルコとの国交400周年を祝う催しだった。

 「トルコの父」アタチュルクは、明治維新から約半世紀後の1923年、オスマン帝国に代わるトルコ共和国を建国。イスラム法を廃止し、憲法を制定して政教分離を進めた。トルコ語の表記はアラビア文字からラテン文字に変わった。近代化はアラブ、イスラム世界から脱し、西欧化を目指す「脱アラブ入欧」だった。ほぼ満員の演奏会場に、スカーフ姿の女性はほとんど見あたらない。ノーベル賞作家オルハン・パムクが描くような親西欧的なトルコ上流社会の雰囲気を感じた。

 そのイスタンブールの市長から中央政界に進出し、2003年の首相就任以来、めざましい経済発展と民主化を成し遂げたのがレジェプ・タイツプ・エルドアン首相(58)である。イスタンブールの中流家庭に生まれ、イスラム聖職者の養成校にも学んだ首相はアラビア語を話す。市長在任中にイスラムに関する詩を朗読したことが宗教的扇動の罪に問われ、服役した。2001年にイスラム主義者らで公正発展党(AKP)を結党した際には、被選挙権剥奪のまま党首に就任した。

 AKPは、既成の世俗中道政党が汚職と経済失政で国民の信を失うなか、いわば「第三極」として登場し、2002年の総選挙でいきなり第1党に。2011年の総選挙では議会の過半数を占めた。エルドアン氏のカリスマ的魅力に加え、イスラム色を控えた中道右派として高い経済成長率を維持し、世俗派にも支持を広げた。

 外交では、アラブ、イスラム諸国とも関係を強化し、リビアやシリアなど地域間題で主導権を握る。ポピュリスト的言動もあるが、アタチュルクが目指した西欧化、世俗化とは違う手法での近代化、民主化は、トルコ革命に続く「第2の維新」ともいえる。

 トルコ研究者の内藤正典・同志社大教授は「AKPは特定の支持母体を持たず、イスラム的な市民運動の上に浮いた形で広く支持を集めている点が強み。イスラム的な民主主義のモデルになりうる」と指摘する。「アラブの春」後の中東諸国で台頭するイスラム主義政党とも連携する。

 だがそのモデルにも転機が訪れている。AKPには公職4選禁止の内規がある。3期目の首相任期が15年に迫るなか、2014年の大統領選への転出説が浮上している。大統領権限を強化する憲法改正もささやかれ、「21世紀のアタチュルク」による独裁になると懸念する声も出ている。比較すべきは橋下徹・大阪市長ではなく、ロシアのプーチン大統領なのかもしれない。

 9月末、首都アンカラで開かれた政権奪取10周年の党大会でエルドアン氏は言った。「我々の最初の成果達成目標は(革命100周年の)2023年だが、本当の目標はマラズギルトの戦いから1000年後の2071年だ」。

 成長率を維持すれば、2050年にはトルコは英国に次ぐ欧州第2の経済大国になるとの予測(英貿易投資総省)もある。セルジュク・トルコが東ローマ帝国を撃破した11世紀の戦いにエルドアン氏はどんな思いを込めたのだろうか。

(朝日、2012年11月19日。石合 力・中東アフリカ総局長)

 感想

 今回のイスラエルとハマスとの停戦でもエジプトのムルシ大統領の力が大きかったと伝えられています。自分の主義を持つのは好いのですが、行政のトップになった場合には、その主義を現実の条件に合わせて行く懐の深さと実行力を併せ持つことが大切なのだと思います。
コメント
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