マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

脱原発デモ

2011年10月15日 | タ行
 10月10日の朝日新聞は「ネットでつなぐデモの波」と題して、最近の脱原発デモを報じています。「各地で続く脱原発デモに、これまで社会運動に参加してこなかった市民たちが次々と参加している。インターネットを通じたゆるやかな結びつきが、組織や動員に頼らない、新たな運動のスタイルを育んでいる」。

 私はこの動きを歓迎する者ですが、気に成る事もあります。それは、いつ頃からか知りませんが、デモに対する警察(機動隊)の警備とやらが極めて抑圧的になっているということです。そして、主催者側にそれに対する十分な対策がないようで、警察の乱暴狼藉によって怪我などをする人がかなり出ているということです。

 9月19日の大江健三郎氏たちの呼びかけによるデモの場合には12人の逮捕者が出たそうです。間もなく釈放されました。そしてこれを契機に何人かの有名な人が記者会見を開いて抗議声明を発表したと報じられています。

 しかし、これは抗議声明を出せば好いという程度の物ではないと思います。公務執行妨害容疑による逮捕ということは、それ以前に、あるいはそれに伴って、逮捕者やその周囲の人たちに対する暴力的攻撃があったと推定するのが常識でしょう。

 これは何年か前の北海道・洞爺湖サミットでもあったようです。当時の福田首相は「日本は自由な国ですから」と言って、サミットに反対する外国人の入国を許可しましたが、デモに対する弾圧は相当のものだったようです。

 私は、マスコミの報道もこの点では極めて不十分だと思います。

 しかし、何よりも、主催者が無責任すぎると思います。参加の呼び掛けの際、これに十分に注意を促しているとは思えません。警察に止めるように言うべきです。国会議員を通して国会で取り上げてもらうようにするべきでしょう。

 参加する人たちもこの辺の事を理解して気を付けないと、大変な事になりかねないと申し上げておきます。子ども連れで参加する人もいると聞きますが、現場の様子を見て、再考した方が好い場合もあることを頭に入れて置くべきです。

 率直に言って、私はデモという手段を余り高くは評価しません。学生だった頃には私自身デモに参加しましたが、今は参加しません。日本では自由民権運動でもコメ騒動でも大衆運動は弾圧されて終わり、その後に権力者の側が小さな譲歩をするというのが既定の成り行きのようです。

 では脱原発はどのようにして達せられるのでしょうか。池澤夏樹さんは朝日新聞でのコラム「終わりと始まり」でこう書いています。

 ──どうやって日本の電力を変えるか。/ 簡単なことだ。次の選挙で候補者1人1人に原発に対する姿勢を聞いて投票する。官僚や産業界がどう抵抗しようが、選挙結果は動かしようがないから。──(朝日、2011年10月04日)

 これには賛成できません。選挙結果は確かに動かしようがありませんが、官僚や産業界は議員の動きをけん制したり、無効にしたりするスベを心得ています。

 民主党は政権を握りましたが、そのマニフェストとやらはなかなか実行できていません。なぜでしょうか。官僚を使いこなせず、産業界の抵抗を押し切ることが出来ないからです。その理由は既に「改革派はなぜ挫折するのか」で考えましたが、要するに、政策だけが1人で実行されるのではないということです。政策を実行するのは人間(集団)なのです。その人間集団にその政策を実行する意欲と能力が無ければ、実行したくても実行できないのです。

 古い物は新しい物が出てこなければ、退場しないのです。いや、退場出来ないのです。顔は代わるかも知れませんが、内容は旧態依然のままです。分かりやすい例を出しましょう。最近は少し変わってきた所もありますが、多くの大学の授業は「つまらない」と決まっています。なぜでしょうか。かつて「つまらないな」と思って授業を受けていた学生が教員になっても「つまる」授業を開発する意欲がなく、「つまる」授業をする能力がないからです。

 さて、政治に戻って、打開策は自前のシンクタンクを作ることしかないと思います。これは鈴木崇弘さんが言っていることですが、賛成です。日本では選挙に出るのは相当のリスクがありますから、優秀な人はなかなか出ないのです。又、在野で行政について官僚に対抗できるほどの研究をするのも難しいのです。この2つの問題を解決するには、自前のシンクタンクを作って政治家を目指す研究員を養成するしかないでしょう。このシンクタンクは又、落選した議員を再度研究員として受け入れるべきです。

 先日のデモを呼び掛けた大江健三郎さんとか柄谷行人さんとかは皆、億単位の財産を持っているはずです。1人1000万円でも出しあって100億円の基金を作るのです(もちろん我々貧乏人も分に応じた協力をします)。それで配当率5%の株を買えば毎年5億円の収入が得られます。これくらいあれば、最低の人数のシンクタンクは運営できると思います。

 政権交替で分かった事は、いくら政権交代しても意欲と能力のない人では官僚主導からの転換はできない、という当たり前の真理だったのです。日本の政治の現状では、能力の養成、特に行政能力の養成から始めなければならないと思います。

 しかし、上のシンクタンクの提案には大難問があります。日本人の態度保留癖です。選挙の話では「どの政党が勝つか」「誰が勝つか」を論ずるだけで、自分はいかなる理由によって誰を支持するか、どの政党を支持するかを言わないという、日本だけの特異現象があります。ですから、先のようなシンクタンクを作るとなると、デモを呼び掛けた「有名人」たちも躊躇するでしょう。日本には希望がない訳です。
 
 なお、脱原発だけは、今止まっているものの再開は難しいでしょうし、今稼働しているものもいずれ「定期点検」を迎えますから、そしてその後の再稼働は難しいでしょうから、事実上、稼働原発ゼロになるかもしれません。ですから、脱原発だけなら、実現の可能性はあると思います。

    関連項目

改革派はなぜ挫折するのか

シンクタンクの必要性