マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

カール・マルクス

2011年10月04日 | マ行
                    歴史研究家・渡辺修司

 「共産党宣言」で「万国の労働者よ、団結せよ」と叫び、「資本論」を著したカール・マルクス(1818~83)。階級闘争の思想と、資本主義の後に必然的に共産主義が到来するという歴史の発展段階論は、世界の労働者革命の支柱となった。

 ドイツ生まれのユダヤ人。2つの大学を出て博士号を得たが、保守的なプロイセン政府のもとでは教授になれず新聞の編集長に。発禁処分を受け半年で退社した後、パリなどを経てロンドンに移り住み、後半生の約40年を無国籍で過ごした。

 支えたのは妻と親友だ。幼なじみで4歳年上の妻イェニーは「(生まれ故郷)トリール1の美女」で「舞踏会の女王」。上流階級の男性との結婚話を拒み、才能を高く評価したマルクスと結ばれた。「死んだ子の棺桶を買う金もない」極貧のロンドンでは、伯爵家の紋章入りの銀食器を質入れして盗品と疑われ、警察に留置された。

 親友エンゲルスも援助を続けた。マンチェスターの紡績工場主の息子で、与えた経済的援助は優に一財産を超える。マルクス存命中に出た「資本論」は第1巻だけ。残りは悪筆で暗号のような草稿をエンゲルスがまとめた。

 ロンドンに住み続けたのは、思想的・政治的弾圧を受けなくて済んだから。プロイセン政府が彼を追放するよう求めた時も、自由主義の英国は「たとえ王殺しでも、議論の段階にとどまる限り大英帝国のいかなる法律にも抵触しない」と拒んだ。膨大な蔵書を誇る大英博物館を無料で使えたのも大きい。毎日10時間以上の研究を続けて「資本論」を完成させた。その意味で、共産主義思想は自由主義社会の恩恵のしずくともいえる。

 (朝日、2011年09月15日)

    感想

 自分が独自に調査・研究をしていない人について他人から教えられると「ふーん、そうなのか」と思うだけで終わってしまいますが、或る程度以上自分でも調べている人について他人の説明を聞くと、教わる事ももちろんありますが、「こういう面は知らないのかな」と思う事とがあります。誰でもそうでしょうし、そうでしかあり得ないでしょう。

 マルクスについて「普通の歴史家」が記述するとこうなるのだな、と思いました。

 最後の「共産主義思想は自由主義社会の恩恵のしずく」という言葉を少し考えて見ましょう。この批評は、社会主義運動などをしている人に向かって、資本主義を肯定している人が、「資本主義社会に生きている事をおかしいと思わないか?」と言うことがありますが、それと同じでしょう。

 はっきり何が問題なのかを言わない点が狡いと思いますが、言いたい事は「君の言動は矛盾しているのではないか」ということでしょう。

 小さくは、会社の中で会社の不正を批判している人に、「それなら会社を辞めたら」と言うのも同じでしょう。大きくなると、国の在り方を批判する人に「非国民」などと言って軽蔑し迫害する人もいます。

 いずれも間違っていると思います。言論の自由を理解していないからです。又、考え方としても、現象面への批判を本質面への批判とすり替えています。本質を尊重するからこそ、その本質と一致しない現象を批判しているのです。もちろん、人間のする事ですから、客観的には批判者の方が間違っている場合もあります。だから、そういう事は議論で解決するべきであって、「排除」で解決してはならないのです。

 渡辺さんの言っている「自由主義(資本主義)」と「共産主義」の関係について言うならば、「弁証法とは、現存するものの肯定的理解の中にそれの没落の必然性を見抜くもの」だということを知らないから出て来た誤解です。

 まあ、社会主義や共産主義が必然的に出てくるという考えは間違っていましたが、それはともかく、どんな新しい社会も思想も古い社会の中から生まれてくるもので、資本主義社会も封建社会の中から出て来たのです。歴史家ならこれくらいの事は知っていてもいいと思いますが。
コメント
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