マキペディア(発行人・牧野紀之)

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トロツキー

2011年10月03日 | タ行
                 河合塾講師・青木裕司

 レーニンとともにロシア革命を主導したトロッキー(1879~1940)。投獄・流刑、逃亡、亡命を繰り返した後、労働者、兵士、農民が形成した協議会ソビエトに集う人々を指導して1917年10月の武装蜂起を決行、革命を成し遂げた。

 実は「トロツキー」は服役した監獄の看守の名で、偽造パスポートなどに使う変名が終生の通り名になった。レーニンもスターリンも変名だ。

 革命後のロシアは内戦と外国の干渉戦争、それに伴う飢餓で数百万人の犠牲者が出た。この状況の中でトロッキーは赤軍を創設した。カリスマ性と弁論の才に優れ、革命を指導した共産党の同士たちの大反対にあいながら、皇帝のもとにいた将校を採用。革命時、武装兵は1万人に満たなかったが、2年半後には500万人を超える軍隊を組織した。装甲列車に乗って戦線を回り、将兵を鼓舞して内戦を勝利に導いた。

 革命後の危機を乗り切るという口実で共産党は独裁体制を強めた。1924年のレーニン死後、スターリンが党書記長(日本の主要政党でいえば幹事長)として君臨、労働者・農民の意思を政治に反映する組織になるはずだったソビエトは党の命令伝達機関と化した。官僚主義とスターリンヘの権力集中を批判したトロッキーは、党を掌握したスターリンに追放され、最後はメキシコに亡命した。

 批判を続けるトロッキーは、スターリンが放った秘密警察の要員に暗殺された。死を予期し、虐殺の半年前に口述筆記した遺書は、絶望的な状況を嘆きつつ、「人生は美しい」と結ばれた。これが1999年にアカデミー賞の主演男優賞を得たライフ・イズ・ビューティフル」の表題となった。

 (朝日、2011年09月29日)
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