マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

緑のふるさと協力隊

2011年04月26日 | マ行
01、浜松市広報、天竜区版(2011年01月20日号)から

 緑あふれる豊かな自然や、今もなお受け継がれる伝統文化、近所同士だけでなく地区の枠を超えて強く結ばれた人と人のつながり…。天竜区の中山間地域では、住民が代々守り続けてきた数多くのものが、人々の豊かな生活を支えています。

 しかし、時代の流れとともに、産業の中心は第一次産業から第二次産業、第三次産業へと移行。それに伴い、多くの住民が中山間地域から都市部へと転出しました。現在、中山間地域の集落では、著しい人口減少と高齢化が進み、活力の低下や身近な交通手段の不足、産業や伝統文化の担い手不足、森林の荒廃など、数々の重要な問題を抱えています。

 今後も、さらに高齢化が進むことにより、これらの問題が一層深刻化することが懸念されています。

 このような深刻な悩みを抱える地域への支援策のひとつとして「緑のふるさと協力隊」という制度があります。

 「緑のふるさと協力隊」とは、NPO法人地球緑化センター(東京都中央区)から派遣された農山村に興味のある若者が、地域活性化をめざす地方自治体に1年間居住し、農林業などさまざまな活動を通じて、地域全体のための協力活動や地域おこしを行うものです。

 平成6年にスタートし、今年17年目を迎えた「緑のふるさと協力隊」。今年は、54人の隊員(平均年齢24・7歳)が全国の45市町村に派遣されました。参加の動機はさまざまですが「豊かな自然環境の中で精一杯活動したい」とエネルギーに満ちあふれた「若い力」が全国の農山村で活動しています。

 また、これまでこの活動に参加した519人のうち、およそ4割の若者が活動終了後も山村に定住。定住はしなくても、活動終了後も派遣先へ通い、応援者や情報発信者として都市と農山村をつなぐ架け橋になっている若者も大勢います。

 浜松市天竜区にも、昨年(2010年)4月に2人の若者が「緑のふるさと協力隊」としてやってきました。

 2人の名前は前田博史さん(京都府出身、25歳)と三輪拓也さん(千葉県出身、23歳)です。4月の着任以降、前田さんは春野町、三輪さんは水窪町にそれぞれ居住。農林業に従事しながら、地域の観光施設の運営手伝い、地区体育祭や産業まつりといった各種イベントへの参加・企画などに携わり、神楽や田楽、祭典といった伝統文化にも地域の人たちとともに取り組んでいます。今では、2人とも地域の人たちから気軽に声を掛けられ、イベントなどではあちこちから引っ張りだこの存在となりました。

 緑のふるさと協力隊を受け入れることで期待されるのは、都市部の若者がこの天竜区で生活し、住民との接触やさまざまな活動に携わることで、地域や住民にとって新しい刺激となり、集洛の維持・活性化が図られること。また、外から来た人間だからこそ気付く地域の良さや改善すべき点を隊員が発見することで、地域の魅力や課題が再認識されることも期待されています。

 これまでの2人の活動を通じ、地域からは、「住民が行事などに積極的に参加するようになった」「伝統芸能の保存会が活性化し、今後の道筋について考える機会ができた」といった声が聞かれています。また、隊員にとっても、自分の出身地や都会にはない考え方や暮らしを学び、自分の生きるフィールドを見いだすきっかけとなっているようです。

02、静岡新聞ネット版(2011年02月21日)

 NPO法人「地球緑化センター」(東京都)から昨春、浜松市天竜区に派遣された「緑のふるさと協力隊」の前田博史さん(26)=春野町=、三輪拓也さん(23)=水窪町=の1年間にわたる活動が終盤を迎えている。2人は農作業や地域行事を手伝い、住民と交流を深めてきた。近く、感謝を込めて報告会を開く。

 前田さんは京都・舞鶴出身。ジネンジョや茶、チンゲンサイ、ワサビなどの生産現場で働き、小学校の運動会や勝坂神楽にも参加した。当初は戸惑いもあったが、「作業には必ず休憩があり、お茶を飲みながらたくさん話ができた。この時間が大切だった。夏以降はあっという間」。今では「前田君」と声を掛けてくれる住民ばかり。「つながりが広がり、本当にありがたい」と話す。

 協力隊の任期終了後、農業の道に進むことを決めた三輪さん。地元農家の下で農業のイロハを学ぶ傍ら、高齢者への給食配達サービスのほか、八幡神楽や峠の国盗とり綱引き合戦なども経験した。積極的に地域と関わった1年を「水窪の魅力や課題など多くの気付きがあった」と振り返る。「恩返しの気持ちを込めて、協力隊だからこそ得た気付きを還元したい」と報告会への抱負を語った。

 三輪さんは23日に水窪山村開発センターで、前田さんは27日に春野文化センターで、ともに午後7時から報告会を開く。

03、地球緑化センターのサイトから

 農山村に興味をもつ若者を、地域活性化をめざす地方自治体に一年間派遣するプログラムです。

 若者の生きる場所には農山村という魅力あふれるフィールドが存在することを知らせたい、都市と山村のゆがみという社会問題も捉えてもらいたい、という理念のもと始まりました。

 過疎・少子高齢化と厳しい状況にある農山村は、都市生活者には未知な世界といえるでしょう。隊員たちは、その地域にしかない風土・人柄・文化を、四季の移り変わりとともに体感していきます。

 多くの隊員が、「こんなに気持ちよく働いて、たくさんの人に出会い、感動した毎日はない」と言うように、そのままの貴方の生き方が、派遣先の人にとって新鮮な風となるのです。

 参加資格に、技術や経験はいりません。懸命に生きている人達と一緒になって働き、語り、生活すること。

 「こんな大人になりたいと思う人に初めて出会えた。ものすごいパワーある人たちが山奥にはたくさんいる」一年やり遂げた隊員がそう語るように、生きていく上で大切なことを、農山村の人たちは教えてくれることでしょう。

04、感想

 この取り組みにも意義はあると思いますが、全体としては、過疎化を止めることが出来ていないという現実を考える必要があると思います。つまり、過疎化を止めるのはこういう力だけでは無理なのです。はっきり言えば、行政が適切な対策を実行しない限り過疎化は止まらないのです。

 しかるに、過疎化を止める事業を成功裏に実行している所は日本国自体にも、県にも、市町村にもないと思います。私は知りません。我が浜松市長は「1億円の基金を作る」と言っています。この基金で何をするのでしょうか。分かりません。これでは「政策」とは言えません。

 個別には、と言うか、点的には成功している例はあるようです。例えば、「葉っぱビジネス」の徳島県上勝町とか、玉村豊男さんのヴィラ・デスト(長野県東御〔とうみ)市。上田市と小諸市の中間)とかです。

 これはなぜ成功したかを考えて見ると、後者は玉村豊男さんという稀有な能力を持った人がいたからだと思います。その意味で一般性がなく、他所で真似るのは難しいと思います。

 それに反して、前者は横石知二さんというマネジャーが有能だったために、地域に産業を興したのだと思います。ではなぜ彼は有能なマネジャーになれたのか。農協の指導員として生活を確保して(実際は自分の収入は家に入れずに仕事に使い、奥さんの実家に支えられたようですが)、様々な試みの結果として、葉っぱビジネスにたどり着いたのです。

 ですから、過疎化を止めるための前提は、その仕事に専念できるマネジャーを作ることだと思います。私の提案している「屯田公務員」がそれなのです。「緑のふるさと協力隊」のように「月5万円の手当で、たったの1年間」では無理だと思います。私案では、小学生以下の子どもが3人以上いる夫婦を最低でも10年間は続けられるような形で採用して、給与も家族1人月6万円くらいにするべきです。

 もちろんほかのやり方もあるでしょう。ドイツの或る村のように、太陽光発電で最低の生活が保障されるようにして、農業を続けられるようにするのも1つの方法でしょう。

 複数の方法の組み合わせでもいいと思います。とにかく、行政が先頭に立ってやらなければ無理だと思います。
コメント
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