マキペディア(発行人・牧野紀之)

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ドビュッシー

2011年04月25日 | タ行
                        歴史研究家・渡辺修司

 フランスの作曲家ドビュッシー(1862~1918)。音色と音のもたらす印象を重視し、和音を伴わない全音音階、ガムラン音楽から影響を受けた五音音階など多種多様な試みを実践して印象主義音楽を作り上げた。

 貧しい家の長男に生まれた。父は投獄され、母は4人の子供を抱えて極貧にあえいだ。自宅にピアノがあったとは思えない。後年、幼少期を一切回想していない。9歳で才能を発見され、10歳でパリ音楽院に入学。14歳でソルフェージュの、18歳でピアノの一等賞を獲得、音楽界に彗星の如く登場した。

 人格が高潔だったとはとてもいえない。女性関係は奔放で、身勝手。貧しい時代を支えてくれた恋人や妻を裏切り、2人とも自殺を図った。上流階級の女性を追いかけ回し、ついに裕福な銀行家の夫人と駆け落ちした。そこで生まれたのが、即興性と官能性に満ちたピアノ曲の名曲「喜びの島」だ。

 その天才性には常に二重性がつきまとう。柔らかく美しく、透明な光が浮かび上がる「月の光」などのピアノ曲を作る一方で、占星術や世紀末芸術に魅せられ、ボードレールら世紀末芸術家の詩を歌詞にした歌曲をつくった。エドガー・アラン・ポーの不気味さに惹かれ、近親相姦や少女愛、屍(し)愛好性の象徴だった「アッシャ一家の崩壊」を原作とするオペラの作曲を試みてもいる。

 聴く者を楽しませ快感を与える側面と、ぞっとするような側面の共存が彼の音楽の特徴だ。サロンの女主人サンマルソー夫人は「彼の中にはお互いに独立した二つの人格があるにちがいない」と日記に記している。

 (朝日、2011年04月21日)
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