マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

4氏の横顔

2009年06月21日 | タ行
     海野 徹(議員歴22年「都市経営」意欲)

 02月の出馬表明も、告示日当日の出陣式も、静岡市内の自宅近くの茶畑で迎えた。お茶農家に生まれ育ち、「茶畑が、私の人格を形成した。ここからスタートする」。

 政治家を志したのは高校2年の時。「最後は首長になり都市経営をやろう」と、大学では経営学を専攻した。卒業後、住友生命に7年半勤め、人間関係の大切さを学んだ。

 静岡市議2期、県議3期、参院議員1期を務め、通算約22年の議員経験を持つ。2007年の静岡市長選に立候補し、現職に小差まで迫ったが及ばなかった。

 「不遇な時にも応援し支えてくれた人がずっといてくれた」。恩返ししたいという気持ちが、知事選へと背中を押した。市長選の時は反対した妻も、賛成してくれた。体を気遣いながら励ますメールが携帯電話に日々届く。

 映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんと妹さくらの関係が大好きだ。「映画を見ると亡くした妹を思い出す。偉そうなことを言っては、妹に迷惑をかける寅さんと自分の姿が重なる」。

 「選挙戦は体温を感じながらするべきだ」が持論。「目を見つめて両手でぎゅっと握れば、相手の気持ちが分かる」。告示日だけで2000人と握手した。投票日までに10万人と握手するのが目標だ。


     川勝平太(「人材こそ宝」教育充実訴え)

 自他共に認める学究肌だ。早稲田大学政治経済学部を卒業し、英オックスフォード大学に留学。その後母校で教授を務め、2007年04月に静岡文化芸術大学の学長に就任した。

 同大学では週1回「都市文明論」の授業を持ち、学生たちと気さくに言葉を交わした。街頭演説に立つと、「先生、頑張って」と携帯電話でしきりに写真を撮る卒業生の姿も見られる。

 「日本文明と近代西洋」「『美の国』日本をつくる」などの著書がある。「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」や、ブラジルとの「日伯交流協会」の会長も務め、常に「世界の中の日本」を考えてきた。知事選出席を決めてからは、焦点を日本から静岡に絞った。

 「場の力を学ぶ『地域学』を教育に」「教師の国際化のために、青年海外協力隊派遣を支援する」「遊休農地を利用したサラリーマン小作」等々。マニフェストには、ユニークな政策が並ぶ。さらに、「一に勉強、二に勉強、三に勉強」。学校、現場、情操教育の必要性を説いて、「人材こそ宝」と教育の充実を訴える。

 確かに政治家としての経験はない。しかし、「政治屋」にはない清廉さと、理想を追求する一途さはだれにも負けない。そう自負している。


     平野 正義(継げぬ農業、思い入れ強く)

 党県委員会の候補者選びで、最終的に選挙対策部長だった自分に白羽の矢が立った。「おれがおれがという性格ではもともとない」と言うが、「断固として戦うという気概は誰にも負けない」。

 選挙を組み立てるのは好きだ。「これまで自分の思いを伝えるよう候補者に求めてきた。立場が変わり、その難しさを実感した」。

 農家に生まれた。ミカンや米、野菜をつくる父母の背中が幼心に焼き付いている。一生懸命働く人が報われなければいけないと思った。

 高校3年の時、授業で資本主義の発展を書いた本に出会った。政治を変えていこうと20歳で共産党に入党。父親は猛反対し、小学生のころから志してきた農業を継ぐことはできなくなった。それでも党の仕事は捨てなかった。

 農協に8年間勤務。農業への思い入れは強く、2人の息子の名前には、それぞれ「陽」と「耕」の字を入れた。

 趣味は登山で、県高山植物保護指導員の資格を持つ。山や高山植物の撮影が好きで、マニフェストには自ら撮影した写真を載せた。

 「息子が小さいころは毎年一緒に登ったが、最近は話す機会も少なくなった」。スキンシップを図ろうと、週2回は、自分の分と一緒に次男の弁当をつくっている。


     坂本 由紀子(喜び感じ生きられる社会を)

 経済力のない中、自分を大学に通わせるために母が必死で働いてくれた。そんな体験から「働く人が報われる社会を作りたい」と、1972年に労働省(当時)に入省した。

 大企業の幹部を片っ端から呼び出して障害者雇用の促進を訴え、違反している企業名は公表した。1996年からの約3年間は県副知事として多様性を大事にするユニバーサルデザインを浸透させた。喜ぶ声が何よりもうれしかった。

 一方で、縦割り行政の限界に歯がゆさを感じていたことが、政治家への転身を決意させた。役所での経験が生かされたことは多く、最近の「ステレオタイプの官僚批判」には強い違和感を感じる。

 ある重度の知的障害者が家出したが、翌朝「僕が来ないと社長が困るから」と、周囲の予想に反して出勤してきた。そんな話を聞いて、政治の役割を確信した。「人生の喜びは人に必要とされること。女性でも障害者でも働く事びを感じて生きられることが大事。それを社会が支えなければならない」。

 好きな言葉は「感謝」。ためらいなくチャレンジする若い女性への期待は大きい。「暮らしを大事にしようとするなら、それを担っている女性の視点が大事。男性にとっても暮らしやすくなる」。

 (朝日、2009年06月20日)
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