マキペディア(発行人・牧野紀之)

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「蟹工船」(小林多喜二著)

2008年05月20日 | カ行
     「蟹工船」(小林多喜二著)

   「蟹工船」の読み方(牧野 紀之)

 小林多喜二の小説「蟹工船」が読まれているそうです。2008年02月14日の朝日新聞に次の記事が載りました。

        

 今年は作家小林多喜二の没後75年にあたる。代表作『蟹工船』の地獄のような労働と、ワーキングプアと呼ばれるような現代の貧困労働者との類似性が、最近注目されている。

 実際の事件をモデルにした小説『蟹工船』は、海上でのカニの缶詰め作業のため、安い金で集められた貧しい男たちがひどい扱いに怒り、暴力で支配する監督に力をあわせて立ち向かう様子を描いている。

 若年の貧困労働者問題にとりくむ作家雨宮処凛さんと作家高橋源一郎さんは、先月、毎日新聞の対談で、『蟹工船』は現在のフリーターと状況が似ているし、学生たちも共感するという意見で一致していた。

 同じ感想を私も抱く機会があった。

 没後75周年の記念に、多喜二の母校の小樽商科大(旧・小樽高商)と千葉県我孫子市にある白樺文学館多喜二ライブラリーが共催して『蟹工船』感想エッセーを募集した。応募約 120件。14歳の中学生や、中国を中心に海外からもあった。

 小樽商科大の荻野富士夫教授、精神科医の香山リカさん、女子美術大の島村輝教授、シカゴ大学ノーマ・フィールド教授と一緒に先月、選考に加わったのだ。

 1昨年刊行の『マンガ蟹工船』の助けも借りながらじっくり読み込んだ若者たちは濃淡あっても現代との共通性を感じていた。

 大賞は、東京在住の25歳の女性の「2008年の『蟹工船』」。派遣・パートなど多様な働き方が奨励された結果、セクハラも加わって女性の友人たちが住まいを失ったり、休職に追いこまれたりしている姿を訴える。『蟹工船』の奴隷のような労働者が立ち上がれたのは共有する何かがあったからで、いまは「目に見えない誰かによって一人一人撃ち殺されている」。一人で労働組合に加入し、サービス残業代を支払わせた若者のニュースが、「ポスト蟹工船」の物語のような気がする、と結んでいた。

 連絡先不明でネットカフェから応募した1人は、派遣労働者は「生かさず殺さず」の扱いをうけ、「足場を組んだ高層ビルは冬の海と同じで、落ちたら助からない」と書きつけた。

 状況は中国でも似ている。ある中国人学生は「今すばやいスピードで発展している中国では、貧富の差が激しくなり」、父母の苦労をみてきた自分には多喜二の心境がわかる、と。

 フィールド教授は、ネットカフェからの応募作に、最近のニュ-ヨークの高層ビルでおきた窓洗い作業中の転落事放を連想した、と話していた。「窓を洗う方も、窓の内側で働く方も、いまは蟹工船に乗っているのではないか。ただ負わされているリスクがちがう」。

 多喜二が特高警察の拷問で死んだ02月20日を中心に小樽市や東京などで催しがある。今秋には、日米英などの研究者が協力してイギリスで国際シンポジウムもある。グローバル化によって経済格差や若年労働者の問題がどこでも共通する。

 ガラス1枚の隔たりをどう越えるのか。多喜二は、現代に問いかけている。
(引用終わり)  (朝日、2008年02月14日。由里幸子)

 この由里さんや他の審査員達は「80年前と同じ」奴隷労働に力点を置きたいようですが、本当にそうでしょうか。実際のフリーターたちは「80年前との同じ」に驚くと同時に、「80年前との違い」に一層驚き、絶望しているのではないでしょうか。大賞を得た作品の結論はそれを言っているのではないでしょうか。

 そもそも「蟹工船」は「奴隷労働」を描くことに力点を置いていたのでしょうか。それに耐えられず立ち上がったこと、そしてそれが船の中では成功したが、日本社会全体としては敗北したことを描いているのではないでしょうか。

 しかし、更に、その敗北にもかかわらず、最後の勝利を確信しつつ戦いつづけるであろう人々への信頼を表明しているのではないでしょうか。

 小説の最後の方に次の文があります。

 「いくら漁夫達でも、今度という今度は、「誰が敵」であるか、そしてそれ等が(全く意外にも!)どういう風に、お互いが繋がり合っているか、ということが身をもって知らされた」。

 そして、小説の「付記」の4番目では次のように書いています。

 「「組織」「闘争」-この初めて知った偉大な経験をになって、漁夫、年若い雑夫等が警察の門から色々な労働の層へ、それぞれ入り込んで行ったということ」。

 この小説は日本共産党の立場に立って、党員が書いたものなのです。この小説は、共産党の信仰告白なのです。

 しかし、今ではこのような希望すら持てなくなっているのではないでしょうか。フリーターもその代弁者として大賞を得た人も、まさにこの「違い」を指摘して絶望しているのではないでしょうか。

 これに対して「このガラス1枚の隔たりをどう越えるか」という問題を提起するのはピントがずれているのではないでしょうか。問題は、このガラス1枚もなかなか破れないし、破ったとしても、それでは労働者の解放なんて考えることができない、という現実なのではないでしょうか。

 つまり、実際は幻想だったかもしれませんが、多喜二の時代(1928年前後)の日本には希望があったのです。今は、その幻想すら持てなくなっているのです。この違いこそが問題なのだと思います。

 従って、これを解決しようと言うならば、問題は、なぜこうなったのか、これをどうするのか、なのだと思います。そうすると、マルクス主義、日本共産党、国際共済主義運動といった事を真正面から扱わなければならなくなると思います。

 しかし、こう問題を立てると、一体誰にそれが出来るだろうかという疑念が湧いてきます。私の知っている限りでは、適任者は1人もいません。

 社会主義(共産主義)の歴史を研究した人は何人かいますが、それはソ連のそれとか、中国のそれとかです。そういう人たちは、社会主義を研究するのですから、もちろん、日本の社会主義運動にも、いやそれにこそ、本当の関心を持っていただろうと思います。しかし、それらの人々はほとんど自国の社会主義運動や日本共産党に言及しませんでした。

 なぜでしょうか。言うまでもなく、日本の社会主義運動について発言すると、リアクションが激しくて、研究がしにくくなるからです。そもそも学問的な議論が成り立たないからです。

 実に、ここにこそ本当の問題があったのではないでしょうか。マルクス主義の運動は、その創始者たるマルクスもエンゲルスも極めて学問的な人でしたが、それを掲げる政治運動が大きくなるにつれて、特にレーニンの定義した前衛党が生まれてからは、最も非学問的な運動と組織に変質しました(この小説が書かれた1928年頃は、ソ連でスターリン体制が確立された時期です。日本の社会主義者たちはその真相を知らなかっただけです)。

 私の見るところでは、この変質の「理論的」根拠は、理論と実践の統一であり、民主集中制であり、批判と自己批判でした。この3点セットこそ解明するべき問題だと思います。しかし、これを解明した人がいないのです。

 そのために、文学や映画や歴史研究ではいくつかの成果があるにしても、認識論と哲学では何1つ成果のない状態が続いているのです。

 かつて岩波ホールで上映されました中国映画「芙蓉鎮」も、映画としては随分好評のようでしたが、私見ではその思想水準は極めて低いものだったと思います(拙稿「中国映画「芙蓉鎮」を評す」)。

 ですから、由里さんが上記のようなその場しのぎの言葉で記事を締めくくるのは仕方のない事だとは思います。しかし、真の問題はそのような言葉で締めくくることを許さない程深いものだという事、残念ながら自分にはそれは分からないという事くらいは付け加えてもよかったのではないでしょうか。

 新聞報道によりますと、国会でフリーターの惨状を指摘した志位和夫共産党委員長の質問の動画が大人気だそうです。共産党が見直されていると言われています。しかし、この80年間の歴史から学ばず、相も変わらず共産主義を信奉し、「全体主義の3点セット」を反省していない共産党では、どんなに人気が出たとしても一時的なものでしかなく、大した事にはならないでしょう。これくらいの人気なら、これまでにも何度もあった事です。

 同じ事は三浦綾子の小説を評する時にも言えるかもしれません。つまり、その場合、キリスト教について知らなくていいのか、ということです。

 たしかに、キリスト教信者でなくても、あるいはキリスト教を知らなくても、小説を小説として読むことは出来るかもしれません。しかし、そういう作家の思想的背景を自分は知らないという事は自覚しておくべきだと思います。

 しかし、この「蟹工船」の場合は、三浦綾子の小説の場合以上に、思想的背景が重要だと思います。この80年間の同一性に力点を置こうがその違いに力点を置こうが、とにかく「ガラス1枚の隔たりを越える」事を考えるなら、思想的背景とこの80年間の歴史を考慮することはぜひ必要な作業でしょう。