マキペディア(発行人・牧野紀之)

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綱領

2006年12月11日 | カ行
 綱領という日本語は「プログラム」の訳語として作られた言葉だと思います。

 プロというのは「前」を意味する接頭語であり、グラムは「素描」を意味するギリシャ語の「グランマ」に由来するようです。

 従って、プログラムとは「前以って素描されたもの」のことであり、活動方針大綱とか計画書の意となります。そこには「当面の活動方針」である「戦術」まで記される場合もありますが、それは起草者の自由であり、綱領の「戦略」としての性格を否定するものではありません。

 漢語の綱は「つな」、つまり要点の意を持ち、領は「えりくび」、つまり要点の意です。従って両語とも根本ということであり、プログラムの訳語として半分くらいの適訳と評すべきでしょう。

 共産党の評価では、「綱領があるから(綱領に賛成できないから)」と言って、協力を否定する政治家がいますが、政党の根本的性格は綱領ではなく規約に出ているから、規約で判断するべきだと思います。共産党の規約を理論的に検討したものは牧野紀之の「日本共産党規約評注」(「ヘーゲル的社会主義」に所収)だけではないでしょうか。

  参考

 01、私の信念によれば、党を堕落させるものであるがゆえに絶対に受け入れてはならないような綱領は、たとえ外交辞令としての沈黙によってでも承認するようなことはしない、というのが私の義務です。

 現実の運動の一歩一歩は1ダースの綱領よりも重要です。だから、もしアイゼナッハ綱領以上に出ることが出来なかったのなら、そして今の情勢では、それを出ることは許されなかったのですが、それならただ共同の敵に対する行動協定だけを結ぶべきでした。(マルクスからブラッケへの手紙、1875年05月05日)

 02、社会主義者の綱領は、その言葉を初めて意味あるものにする当の条件について何も語らないというような、ブルジョア的な言い方を許してはならない。(マルクス「ドイツ労働者党綱領評注」第1章)

 03、全体としてこの部分〔エルフルト綱領草案の趣意文の部分〕は、相容れない2つの事柄を結びつけようとしているのが拙い。即ち、綱領であると同時にその綱領の注解でもあろうとしているのが拙い。簡潔かつ的確に述べただけでは意味が十分には分らないだろうと気づかって、解説を入れているのだが、そのために文章が冗漫でだらけたものになってしまった。

 私の考えでは、綱領は出来るだけ短かくし、用語は厳密を期すべきである。たとえ外国語が出てきたり、一見しただけではその意義が完全にはつかめないような文が出てくるとしても、それで構わない。その場合は、集会での口頭の講義や新聞雑誌といった文書での説明で補えばよい。そして、その時、短くて含蓄のある文章は、ひとたび理解されるや、記憶の中にしっかりと根を下ろして合言葉になる。

 ところが、冗漫な叙述ではこうは行かない。大衆的であろうとするために、余りにも多くの事を犠牲にしてはならない。(エンゲルス「1891年の社会民主党綱領草案の批判」第1章)

 04、社会主義的綱領を掲げるのに必要な3つの条件、即ち終局目標についての明瞭な思想、この目標に導く道の正しい理解、現時点における真の事態とこの時点における当面の任務についての正確な考え(レーニン邦訳全集第6巻209頁)

 05、ともかくも、綱領は社会民主党の見解の公式の全党的な表明であるが、注解はすべて、必然的に、あれこれの個々の社会民主主義者の多少とも個人的な見解である。だから、この問題に関する我々の政策のより一般的な命題は綱領に持ち込み、注解の中では、例えば切り取り地のような部分的な方策や個々の要求を展開する方が、より合理的ではないだろうか。(レーニン『邦訳全集』第8巻、245頁)

 06、これに対して我々は、綱領と戦術との間に絶対的な境界線を引こうとする試みは、スコラ哲学とペダンティズムに導くだけだ、と答えよう。綱領は、他の諸階級に対する労働者階級の一般的な、基本的な関係を規定するものである。戦術は、部分的で一時的な関係を規定するものである。(レーニン『邦訳全集』第10巻、159頁)

 感想
 綱領は戦略的なものだ、ということでしょう。その通り。ということは、規約とは違うということでもあります。

 07、政党の戦術というのは、その政党の政治的態度、言い換えればその政治活動の性格と傾向と方法のことである。戦術上の決議は、新しい任務に関連して、あるいは新しい政治情勢に直面して、党の政治的態度を全体として厳密に規定するために、党大会によって採用されるものである。(レーニン「2つの戦術」国民文庫14頁)