マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

ルター

2006年12月10日 | ラ行
   参考

 01、1524年から25年にかけて、ヨーロッパのキリスト教世界を大きくゆるがせたドイツ農民戦争が勃発した。

 主として南ドイツ、スイス、ボヘミアなどである。もちろん、それ以前からすでに、百年以上前から、ドイツだけでなく、ヨーロッパのあちこちで、農奴的身分に甘んじさせられてきた農民が自立の権利を求めて立ち上がっている。

 その歴史の中で、ドイツ農民戦争が特に注目に価するのは、中世西欧の農民蜂起の長い歴史の、いわば最後の頂点を形づくるからであり、いわばこれを最後に、西欧社会は中世から近代へと社会構造を変えはじめていくからであるが、もう一つ重要なのは、これが宗教改革と結びついたからである。

 というよりも、ルターほかの宗教改革は、農民たちの自主自立を求める大きな社会的なうねりの上にのっかって、その成果を宗教的にかすめ取ろうとしたものにほかならないが、しかしまた確かに、宗教改革が農民の運動に与えた影響も大きかった。

 誤解のないように一言記しておくが、ふつう「農民戦争」と呼ばれているけれども、主体は農民だけではなかった。むしろ、都市市民が封建領主に対して市民の自主自立を求めて立ち上がった運動が主体で、それと農民の運動が合流したのである。

 また、運動を思想的に指導したのは、修道士や司祭出身の者が多かった。彼らは、これまでのカトリック教会による封建的な社会の支配に疑間をいだき、都市市民や農民の自立の運動に自分も参加したのである。

 しかしその中で彼らの役割は大きかった。何故なら、何せこの時代ではまだ、何かを考えるということは、即、キリスト教信仰として考える、ということであったからである。ほかの仕方でものを考える可能性には、そもそも思いが及ばなかった。

 そういう時代であるから、キリスト教のことをよく知っている修道士や司祭が、農民、都市市民の自立の要求をキリスト教の言葉を用いて表現する作業を担ったのである。その意味で、彼らが運動の理論的指導者となった。

 いや、彼らとて、今まではあまりよく知らなかった。そこに出現したのが、マルティン・ルターの新約聖書のドイツ語訳である。

 1513年。周知のように、ギリシャ語の原典から直接当時の現代語に新約聖書の全体を訳して発行したのは、ルターのこの聖書がはじめてである。それはもちろん、キリスト教世界における新約聖書の受容と研究の歴史に巨大な一歩を画した出来事であったが、同時に、この時代の社会思想、社会を変えようとする人々の心に、実に巨大な影響を及ぼした。

 聖書は正典であった。しかし、今や、知られざる正典となっていた。人々の生きている言語に訳されなければ、人々は理解できない。ラテン語の翻訳は、微妙なところで多少原典からずれているという点には目をつぶるとしても、もはやこの時代になると、修道士や司祭でもラテン語をすらすら読むことのできる者などごく少数だった。聖書は、ごく少数の者たちの、いわば研究室の中の事柄に閉じ込められていたのである。

 そこに、ルターがいきなりドイツ語の翻訳を出版してくれた。もちろん、どんなことにも数多くの先駆者がいる。聖書翻訳についても、ルター以前の先駆者たちの仕事も評価しないといけないが、ここはそれを詳論する場ではない。そしてまた、やはり、全体をちゃんと翻訳して出版したのはこれが最初であるから、その功績は群を抜いている。

 そしてまた、ルターは、単に学問的仕事としてこれをなしたのではなく(それだけでも大したものだが)、これが宗教改革の大きな流れを作り出すだろう、ということを知って、行なったのである。

 現に大きな流れを生み出した。聖書はキリスト教の正典である。ここに書いてあることがキリスト教だ、となれば、現在のカトリック教会が主張していること、やっていることの多くは、まるで聖書とは関係のないこと、従って根拠のないことになってしまう。

 多くの人々が聖書にとびつき、むさぼるようにして読んだ。あまりに売れたので、次々と版を重ね(当時のことだから海賊版が多いが)、発行から一年間で85版を数えたという。一つ一つの版が何部ずつであったかはわからないが(有名な1513年九月の初版は三千部だっただろうと言われている)、どんなに少なく見つもっても、最初の一年で10万から20万部も売れたことになる。

 当時の人口、読書人口、当時の印刷技術(非常に発達しつつあったとはいえ)を考えれば、ものすごい売れ行きである。聖書がドイツ語世界を席巻した。そしてこのことが、ルターの思惑をはるかに超えた効果をもたらしたのである。

 つまり、聖書に書いてあることは、もちろんすべてがルターの思想に合致するわけではない。さまざまなことが書いてある。人々はこれを読んで、それぞれが、それぞれの個所から、それぞれ好きな結論を引き出す。

 今までのカトリシズムを中心とした封建社会の支配の間違っているところを、すべて、聖書の言葉にことよせて、批判しはじめる。ルターはカトリシズムを改革しようとしただけだが、人々は、カトリシズムに象徴される中世封建社会の支配秩序の全体を改革しようとした。それに聖書の翻訣が火をつけたのである。

 蛇足だが、一言つけ加えておくと、このようにルターの聖書翻訳が刺激して農民、都市市民の自立を求める運動がますます活発になったのだが、ルター自身は自分の仕事が自分の思惑を越えて広がっていくのにびっくりし、むきになって農民運動を武力的に弾圧し、押レつぶす側に加担した。

 かくして、その時点では、宗教の改革だけが生き残り、その宗教の改革を社会のもっと底から支えた人々はつぶされた、と歴史の教科書は教えてくれている。

 しかしそれは、近視眼的な解説である。この時に立ち上った農民、市民たちは殺され、つぶされたが、彼らが目指していたことは、以後の長い歴史の中で生き続け、大きく社会を作り変えていく。
 (田川健三『キリスト教思想への招待』、剄草書房、80~4頁)


 02、(ルター訳聖書のドイツ語)ルターは、思うにこれにはよほど神経を使ったのではあるまいか?

 聖書のどの個所をひろげてみてもすぐ目につくが、ルターは、原則として人名の原理を一定して、それをみだりに変ぜず、ただ2格にのみ -s を付する、という主義をとった。

 そして、格を明示するためには、べつに一定の方針は追っていないが、随時示格定冠詞をも用いている。(略)

 ルターの聖書訳は、時代からいうとずいぶん古いわけであるけれども、固有名詞の取り扱い方と、極く例外的に示格定冠詞を用いるという大局的な原則においては、大体そのままが現代のドイツ語の実態と見てよいと思う。

 400年以上も前のドイツ語でありながら、固有人名に関する限りほとんど時代によるズレが少しもないというのは不思議な事実であるように思われるかもしれないが、それにははっきりしたわけがある。

 というのは即ち、聖書の訳であるから人名はすべて外国語で、2格の -s 以外はやたらに語尾を付することができなかったという極く簡単な所に原因があるのである。

 けれども、たとえばエジプト王 Pharao (ファラオ)の如きは、ラテン語では自国の Cicero (キケロ)や Cato (カトー)と同じように2格を Pharaonis、3格を Pharaoni などと変化させる習慣があり、現にドイツ語でも代々の Pharao を Die Pharaonenと云う位であるから、聖書訳中にも Pharaonisや Pharaoni や Pharaonenを用いる可能性は十分あったのに、それらの可能性に抗して、聖書訳を完全に民衆用語の文法に拠って実施したルターの明は高く買われてよいと思う。(関口存男『冠詞』第1巻 670-680頁)

 03、ルターの訳マタイ伝12-34 の Otterngezüchte についての考証が関口氏の「定冠詞」の 382頁にあります。

 04、Und wenn die Welt voll Teufel wär', / Es soll uns doch gelingen!(世はたとえ悪魔に満ちてあらむとも、我が事成らで何とかはせむ)

 説明・ドイツという国はヨーロッパの一番真中にあって、思想醗酵の温床、思想沸騰の坩堝、思想化成のHexenkessel [魔女の鍋] をなしている。従って、いつの世にも乱れている。そして、何か腹に1物を孕んで呻吟している。

 その1物がやがてエイと気合をかけてひり出されると、そのために世界が真2つに割れる。まずマルチン・ルッテルという梃でも動かぬ大胆不敵の坊主が飛び出して、そのためにキリスト教世界が旧教と新教とに割れてしまったのが、今を去る500年前の話。それから、カール・マルクスという男が飛び出して、現在の世界が東と西に分かれる出立点を作ってしまったのが前世紀の話。それからヒトラーという男が飛び出して、我々を現在のような状態に陥れてしまったのは、あまりにも生々しい最近の事実故、改めて述べるまでもない。

 改めて述べる必要のあるのは、むしろルッテルであると思う。早速、語学的見地から断っておくが、Lutherの発音は「ルッテル」である。俗間、往々「ルーテル」と言われているのは、発音の誤り。

 いわゆるドイツ式な行き方という奴、即ち何か1つの重大な真理を発見したが最後、その真理がその人に乗り移って、その人をいわば「思想の鬼」と化し、1世を相手取っても初志を貫かねばおかぬという梃でも動かぬ意地っ張りにまで叩き上げてしまうという行き方 - この行き方の最初の例を開いたのがこのマルチン・ルッテル博士という人物である。

 性格はわが国の日蓮を2乗して進入を掛けたようなところがある。両方とも青筋たって湯気たった糞坊主であるが、その腹と、その学識、その智力の複雑さはもちろん比較にならない。

 天に挑み地に挑むその意地っ張り(der Trotzと言うが、この「何糞ッ!」「なにをッ?」という心構え、これがあらゆるドイツ式なるものの本質である)に対して、ドイツ人が如何に心から共鳴しているかということは、ルッテルの言の中で最も度々引用されるのが(その賛美歌"Eine feste Burg ist unser Gott" の中の)上の詩句であるのを見ても分かる。

 この dochに「なに糞ッ!」という意味と力とがこもっている。つまり、千万人といえども我行かん、というだけの事にすぎないのであるが、ドイツ人の心にはこの何でもない言葉が、非常にピッタリ来るのである。

 こういう有名な通り言葉というやつは1種微妙なものである。それ自体としては、具体的には別に何の意味もないと言える。ところが、何百年かの間何億、何百億という人間が、あらゆる機会に何度も口に唱えると、それらの無数の人間の気持ちが乗り移って内部に蓄積するというか、その電圧は呻りを発するほどの量に達し、これを口に唱える者の胸には、何か~ちょっとコウ理屈では説明できない異様な興奮が腹の底に動くのである(基礎ドイツ語昭和27年5月号)


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