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’24-2-20 ”パンダ会“

2024-02-19 20:17:57 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
・不穏な世界情勢...馬鹿みたいな国内政治...世界の中でどんどん落ち込んでいく日本の業績。
気候だけは、変化は不安定だが着実に変動して春に近ずいている。我が家にある2本の沈丁花も紅白2本とも蕾を持ち、いい香りを期待できそうだ。沈丁花がなぜこんなに好きなのかと言うと昔、慶応高校の時専有のグラウンドが出来、日吉のマムシ谷を下り通称嵐が丘球場に行く道に在った家の庭に沈丁花の花がありいつも良い匂いを発していた。これが、印象的であり我が家でも必ず植えている。大きな沈丁花があったのだが,家を改築する時に抜かざるを得ず始末をしてしまった。それ以降、紅白二本の沈丁花が欲しくて随分手塩に掛けるが、どうも紅の方が育てにくい様だ。それが、今年は紅白2本バランスよく育っている。

・僕が、入社した東京日産は高度成長時代のトップ・ランナー硬式野球部を作ろうと言う動きがあり、早稲田出の遠間君と六大学2軍の選手を集めた。その内に硬式野球部はメーカー、ディーラーは準硬式と言う様な事に成ってしまった。応援団も幹部が随分、入社して来た。

・皆、定年に成り、閑になり自然と神宮球場に集まる様になり「東京日産神宮ネット裏懇談会」と言う会を立ち上げた。その会場が、渋谷の中華レストラン「パンダ」なのである。個室があり値段もマアマア、コロナ前までは毎年やって居た。その案内文に「沈丁花の蕾が膨らんで...」とか書いたので、この時期になると「マッサン、沈丁花如何したのよ...」と電話が掛かって来る。色んな会合に使って居る店である。皆、「パンダ会」と言っている。今年の「パンダ会」又一味違う「パンダ会」だ。

・僕は、中学成蹊中学、高校で慶応に替わった。成蹊は小中一貫校旧制の高校時代は野球部も強かった。東大には、一時期成蹊出身者のレギュラーが3人位いた時期がある。今から20年位前に成蹊高校の野球部から慶応の野球部に入って来た子H君が居て、驚いた。「どうせ直ぐやめてしまうんだろうな。一度、会ってみよう...」と思い、連絡をどうせすぐ辞取って見た。「どうして慶応野球部に入ったの...」と聞いたら目を光らせて「成蹊の野球部から六大学お野球部に進んだ人は居ないので入ろうと思いました。」「そうか、それは立派だな...4年間頑張れよ...」ずっと新人戦から卒業まで見守って居たが立派に4年間勤めて、AJCに入り中国駐留を4年間勤めて今度帰国した訳だ。それで「パンダ会」をやりましょうと言う事に成った。「おい、君が中国へ行っている間に 成蹊出の女子マネ居たんだよ...」「ええ知っていますよ」「呼んで来いよ」「ハイ解りました」この子は入った時に一度、神宮で会った事がある。勤め先は、「三井物産」

・もう一人はS君、高校野球部中学を出た時に高校受験で7校受かったと言う子。大学では高校のコーチを暫くやって居たが、今はコンサルティングの会社に勤めているとの事。H君とS君も子供がいる。「何にするの?野球は遣りそうもないですね...」「元気なの?...」「うん、それじやいいじゃない...子供は親の思う様にはならないよ...自分たちを見て見ろ...」O嬢 「野球部面白かった?」「ええ、凄く視野が広がりました...」昔、僕らの時代は、女学生が日吉グランドに練習を見に来ると「当時のS監督は途端に機嫌が悪くなりノックがきつく成った。一体、女子が10人も部に居る時代、S監督だったら、どんな対応をするんだろうな?」

P、S
増田さん

夜分に失礼致します。
大学時代、慶應野球部マネージャーをしておりましたO,Sです。

改めまして昨日は素敵な会にご招待いただきありがとうございました。
初めて伺うお話に楽しませていただき、かつ美味しい中華までご馳走になり、大変充実した土曜日を過ごすことができました。
多少の違いはあれど、同じ環境下で学生時代を送った皆様とご一緒できとても光栄でした。
また成蹊-慶應会でお会いできますと幸いです。

もうすぐ春がやってまいりますが、まだまだ寒い日々が続きますので、どうかご自愛下さい。
お元気な姿でお会いできる日を心より楽しみにしております。
今後ともよろしくお願い致します。

From O

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