252『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(20世紀、尾上松之助)
尾上松之助(おのえまつのすけ、1875~1921)は、「日本映画最初のスター」とも言われる。岡山市中区中島町の生まれ。本名は、中村鶴三。
尋常小学校(現在の旭東小学校)を出て、上野町の呉服屋に働くが、たまたま子役で芝居の子役で出演、のめりこんでいく。1904年(明治37年)には、改名を果たす。最初は、歌舞伎俳優の頭であったらしい。
そんな彼は、1907年(明治40年)、京都の活動写真製作者の牧野省三監督に見出され、映画俳優を志す。1909年「碁盤忠信」で映画界入り。以来 、多くの剣劇映画に出演する。
1912年(大正元年)には、日本活動写真株式会社(日活)が設立され、それまで所属の横田商会が吸収され、そちらに俳優として移る。
その演じる姿が、どこか愛らしい。愛称「目玉の松ちゃん」でファンの人気を得ていく。日本映画初の「大スター」というには、諸説あろうが、一時代を築いた。
出演作品は「自来也」 (1916) 、「落花の舞」 (1925) 、「荒木又右衛門」 (1925) など、千本を下らないようだ。時代は、その間に大きくうつろいゆくのだが、尾上はその現代への橋渡し役を爽やかに演じきったのではあるまいか。
(続く)
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