♦️68『自然と人間の歴史・世界篇』ギリシア文化(神話・伝承)

2018-01-13 09:29:41 | Weblog

68『自然と人間の歴史・世界篇』ギリシア文化(神話・伝承)

 人類の発展において、大きな役割を果たしたものに、火の使用がある。これにちなんだ話が、古代にある。その一つ、古代ギリシアの神話に、プロメテウス(プロメーテウス)の逸話がある。この話を、プラトンの『プロタゴラス』中に紹介のあるプロメテウスに対する問答が伝えている。ここにプロメテウスというのは、自然神ティターンの一族なる巨人神のことであって、彼は行きがかり上、よかれと思って人類に火を与える。ところが、これを天上から見下ろしていたゼウスに咎められる。盗みを働いたというのが、その理由であった。これにより、カウカーソス山にはりつけにされて鷲に肝臓をついばまれるという、とてつもない罰を負う。それにしても、彼は死ぬことはないとされるのだが、本人としては「特段間違ったことはしていないのに、何で自分が」と、不満だったのではないか。
 これと似たような話に、もう一つ、「パンドラの箱」の挿話があって、プロメテウスの前述の所業に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらしかねないという意味あいでか、「女」というものをつくるよう手下の神々に命じる。そこで登場するのがパンドラという女性であって、彼女を人間界に遣わし、得体の知れない箱を開けさせる。実は、その箱の中には不幸というものが一杯詰まっていたのだが、一度開いてしまったものは拡散するのが世の常人の常。「是非に及ばず」というか、仕方がない、これがプロメテウスの後日談に組み入れられている。これらをみるに、唯一神でもないゼウスがなぜそこまでの力を奮えるのかは、よくわからないのだが。
 この作り話の解釈だが、一筋縄ではいかない。なかなかに難しいところがあるのではないか。例えば、20世紀、京都大学助教授の職を思うところあって降り、市井に身をおいて原子力問題を論じた自然科学者に、高木仁三郎(1938~2000)がいる。当時とすれば禁断の学問であったろう、原子物理学の安全神話を問い直すことに力を注ぐ。その彼は、自らの課題に近寄せて、いわゆる「プロメテウス讃歌」に異議を唱えている。
 「『プロタゴラス』から、苦しみに耐え、しかし妥協をしない高潔の英雄、しかも人類の英知の大恩人というプロメテウス像が生まれる。このような英雄像は神話時代にはなく、ずっと後代のもので、時代が下れば下るだけ、人間が技術的知を肯定し、自然に対する征服者たる人間を肯定するようになればなるだけ、讃美のトーンが高まる。
 ガリレオ、ニュートンが自然科学の成果を収めた時代、ゲーテやシェリー、バイロンは激烈なプロメテウス讃歌を歌い上げている。『プロタゴラス』では留保や弁明のニュアンスを多く含んで語られていたプロメテウス的知性が、西洋近代の詩人においては全面的に、一点の濁りもなく正しいものとされているのである。
 そして逆に、ギリシア世界にあっては宇宙の秩序を表し自然の営みを司る存在、自然の象徴でありプロメテウスを罰したゼウスが、一方的に批判されているのである。」(高木仁三郎『いま自然をどうみるか』白水社、2011増補新版)
 これらの話を総じては、ルネサンス期の画家ラファエロの作品に「アテナイの学堂」があって、バチカン教皇庁の中にあり、描かれたのは、ローマ教皇ユリウス2世に仕えた1509年と1510年の間だといわれるのだが。これには、ギリシア時代の哲学者などおよそ20名が描かれている。その中で隣人に指さし何やら話しているのはユークリッドであり、床面に置いた書き物には幾何学が記されていのであろう。2つ目には、中央に立つプラトンが指を天に向けているのに対し、その隣のアリストテレスは掌で地を示している。これは、真逆(まぎゃく)を言いたいのだろう、前者は「哲人政治」に象徴される観念論の代表格であり、後者は当時の知の最高権威ながら、それに安住することなく「万能の根元は何か」に大いなる興味を抱いていた。
 そして3つ目、これだけの人数が昼間から一堂に会している目的と、これを可能にしている社会的条件とは何であったのかが、忘れられてはならない。むろん、ここに数えられる以外の知恵者も大勢あったのであり、例えば、物質観を究極的な原子論にまで高め、後の物理学にも影響を与えたデモクリトス(紀元前460頃~370頃)のような自然科学(自然哲学)者も含まれよう。要は、古代ギリシアにおいては、公開された場での討論があり、かつまた、この絵には明確には描かれていないながら、一般聴衆がいる前で隠すことなく持論を述べ合っていたことをも、示唆するものとなっているのではないか。

(続く)

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