気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

臨死体験とは何か

2023-06-29 08:49:51 | 臨死体験

臨死体験の特徴をまとめると大体以下のようになる。

(もう一度、本シリーズの臨死体験(1)~(12)を参照のこと。)

●臨死体験とは、体外離脱である

臨死体験者の視点(見ている元)は、いつものような肉体の中、あるいは目の奥ではなく肉体の外側の空間にあり、その視点の移動は・・意識することで自在に変えられる。

つまり、意識が肉体の外に離脱し、自分の肉体をも見て観察しているのだ。

下の絵で行くと、あなたはどちら側に・・あなたの本体があると思うだろうか?

ある人は、それはベッドで寝ている人間の方に本体があり、空中に浮いている方は、脳内の幻影にすぎない・・というかもしれない。

臨死体験者は通常の目の視覚機能は働いていないので、こういう状況の視野状況は「脳内幻影」とするしかない。

あくまでも、自分本体は・・ベッドの上に寝ている肉体の中にあって、浮いて見ている方は、ベッドの自分の肉体のなんらかの”脳内幻影”であるというものだ。

人間の本質・わたしとは肉体であると考えている欧米流の機械還元論者、唯物論者などはそういう風に考えるだろう。

だって、物質・肉体以外は存在しない・・と断定している人たちだから。

 

しかしながら、臨死体験は脳死状態と判定されている状態で起きるのであるから、脳の活動による幻影を見ているということは‥実際あり得ないのである。

脳死状態で・・どうして脳内幻影を見ることが出来るのだろうか。

 

●この場合本体はどちら側?

ベッドで寝ているあなたの肉体は(浮いている)<あなた>の知覚している対象物である

そして自分の肉体やベッド、部屋の配置や人の動き等は、脳内の勝手気ままな幻影ということではなく、事後にその物理的状況にはハッキリした客観性があるケースがほとんどである。

それは視覚などの知覚機能がまるで空間に配置されているかのようだ。

・・・

●知覚主体と知覚される客体、どっちが本体?

真実は、・・存在とは意識が在るところにある。

空中だろうと・・そこに意識があることも起きるのだ。

つまり、臨死体験中は、意識による直接知覚が起きているといって良い。通常は五感を経由して知覚される環境・事物は、

臨死体験中・・意識が肉体を離脱した場合は、意識による直接知覚に切り替わる・・といって良いだろう。

というか、意識とは・・知ること・気づくこと・・そのものであるため、肉体の五感での経由が外れた場合、直接知る・気づくという働きが起きると言ってもいい。

●意識とは・・気づくこと・知ること、その宇宙の働きそのもの

もう1度言うが、意識とは・・気づくこと・知ること・・その働きそのものである。

肉体を経由しようがしまいが・・気づくこと・知ることは起きる!ということだ。もちろん肉体レベル以外の水準での気づくこと・知ることである。

私たちの普通の存在形態、個人的な肉体を経由した気付き・知ること、その働きは個人としてのそれぞれの特性・個性を持っている。

これとは異なり、個人的な肉体を経由しない・・気付き・知ること・・その働きは、肉体個人としての特性ではなく、

肉体個人ではない、より高次の自我・自己、あるいは宇宙意識によるものと言えよう。

今のあなたの意識は、肉体に固定された状態であるが、それから解放されると、より高次のあなたの意識に切り替わるともいえる。

人間、死んだら終わりどころか、一旦は高次レベルに切り替わり、さらに同じような体験世界に入って行くか、全くちがう体験世界を選択していくことになる。

●ただひとつの意識・気づき

あるのは意識であり、気づくこと・知ることであり、それが肉体経由かそうでないか?何の肉体かなど含めて多種多様にあるわけだ。

ただ一つの意識があり、それが多次元に展開しているのが多次元宇宙である、

従って意識には、宇宙意識・・高次意識・・個人意識・・というレベル・階層があるのだ。

人間は、普段は肉体個人の五感機能を経由して、その次元の経験をしている存在のことだ。

臨死体験者は、

肉体死を迎えると、気づくこと・知ることがより高次の意識レベルに切り替わり、

その高次レベルの自我での意識・気づき・知ること・経験がが起きるようになるのである。

臨時体験とは、そうして何らかの働きで肉体機能に修復が起き、その肉体に引き戻された人たちの体験報告であるといえよう。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

 

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臨死体験(12)次元の境界

2023-06-21 05:55:31 | 臨死体験

臨死体験者の多くが次元の境界のようなものに遭遇している。

日本では三途の川とか言われてきた、あちらとこちらの境界。

あるいは、魂が違った体験世界へと行き来する出口と入口のようなもの。

意識による知覚対象として、魂に次元の境界が明示されるともいえよう。

そこでどうするのか?・・誰かが勝手に決めるわけではない。

すべて・・それぞれの「わたし」の選択なのである。

何度も何度も言うけれど、わたしたち・・真我は・・

”神”から派生している魂であり、また神そのものである。

・・・

臨死体験 9つの証拠(ブックマン社)26ページ

 

「境界線があり、その手前側では時間がゆっくり進んでいるようだった。向こう側ではもっと早く進んでいた。」

「目の前のドアの向こうから音楽が聞こえ、心からの喜びのこもった祝福の声が届いた。そこが我が家なのだと私にはわかった。そのドアを一旦通り抜けたら、もう二度と戻れないことも。」

「生へと引き返すか、そのまま死へと向かうのか、選択しなければならない地点に到達したのだと悟った。そこには2年前にがんで死んだ親友がいて、これ以上進んだら戻れなくなると教えてくれた。

『境界線まで来たのよ、あなたが来ていいのはここまでなの』と彼女は言った。『さあ、ここから戻って人生を精一杯恐れずにいきなさい』と・・・」

・・・

このように、、「境界線、あるいは物理的に限界点を示すようなもの構造物に到達しましたか?」という質問に、31.0%が「はい」と答えている。

以上、抜粋。

・・・

この世界の常識のように、死を忌避しそれを恐れている限り、生そのものが歪んだものになる。

怖いがゆえに保身ばかりに走り、やがてやってくる死に対して無駄に逃避を繰り返すことにもなる。

 

死とは何か?を知らなければ・・まともな生が送れないという「パラドクス」「矛盾」に気付く必要があるのだ。

また、死とは何か?を知るという事は・・わたしとは何か?を探求する過程で悟れるものである。

ただただ怖い怖いで、それが安全と勘違いして集団の中に埋没してしまえば、何百回人生を経たとしても、それすら覚えていない意識レベルに落ち込んでしまうのである。

その意識レベルでは、無意識的に何度も輪廻転生を繰り返すことになる。

多くの人(魂)たちはそうやって"今回も"生まれて来たのだが、例えばあなたはこの人類ヒストリーにおける大団円の時代に目覚められるのだろうか?

それとも、今までと同じだろうか?

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

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臨死体験(11)知識・英知の習得

2023-06-15 07:29:58 | 臨死体験

臨死体験者は肉体自我を離れた段階で、一種の悟り、特別な知識・英知を習得・獲得する人が多い。

宇宙的な叡智が・・明らかにそれとわかる・気づく・悟る・・のである。

この世で良くある、物的証拠が云々とか、誰かが信頼できるとか、嘘か本当かわからないとか・・・そういうこの世の状況、どぶさらいのような状態ではなく、

明らかに何が真実か・・わかる、つまり悟る・・ことが起きる。

もちろん、1つの大いなる悟り・・それが起きたとしても、それですべてが終わる・・わけではないのだ。

そしてその「悟り」も、この次元世界に舞い戻ってから、次第に色あせてゆく状況にも陥るが、ただその体験インパクトの記憶だけは忘れるものではない。

・・・

臨死体験 9つの証拠(ブックマン社)25ページ

特別な知識に出会い、習得する

至高の存在の”目”を見つめると、宇宙のすべての秘密が明らかになった。彼の目を一瞬覗き見たおかげで今、私には万物の働きがわかる。

宇宙のすべての秘密。あらゆる時代のあらゆる知識、何でもわかるのだ。」

・・

「色のついた無数の雫(しずく)は、これまでに生きたすべての人間の経験なのだと分かった。(そう教えられたわけではないが)

それぞれの経験は独立して存在すると同時に、全体の一部でもあった。
全体とは、すべての知識の集合体である」

・・

「数分して自分が死んだことを悟ると、あたたかな愛が私を包み込んだ。その時のわたしに肉体はなかったのに、自分を抱きしめる両腕を感じた。まわりの色は、電気を帯びたように鮮やかで、芳しい香りがした・・・。

そして圧倒的な「生」の秘密を、本当にシンプルな形で理解した。

その感覚以外は、現実ではない確信もした!
死に際しての体験は人生の何にもまして現実的で、肉体的な感覚を伴ったものであり、戻ってしばらくは、この世界は冷たく、重苦しく、現実感を欠いていた。」

・・・ 

我々が唯一と思い込んでいる、この現実世界、地球を中心とした3次元的認識世界は、逆に・・・そういう意味で全くの体験幻想世界である。

幻想とは・・想いの創り上げる 幻(まぼろし)であるが、それが実に堅牢に出来たように感じられる・・まぼろしなのである。

 

この地球世界は、やって来て体験する魂たち、

大勢の人間たちが低次元に落ち込みつつ、

この世界が唯一としがみ付いているがゆえに、

それに呪縛されつつ、狭い意識領域に閉じこめられていたという事なのである。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

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臨死体験(10)「天国のような」世界との遭遇

2023-06-12 05:42:52 | 臨死体験

意識が肉体を外れていく先は、いわゆる天国のような世界だったという証言が多い。

この世の一般常識では、ほとんどの人が幸せでないこの世界だけが現実のすべてであり、そして悲しいかな人間は死んだら終わりだ・・・という観念が常識とされているが、

これなどは、まったくのウソ・妄想・虚言・騙しの想念であると言えよう。

れとも、そんな天国なんてあり得るわけないと思うだろうか?

不幸が常識で、幸福は容易ではないという信念、幸福は何かの間違い、勘違い、見違い、妄想と思い込むのが頭が良いのだろうか。

それとも、自らの魂の無限性の真実を思い出し、我々は本当に狭い3次元世界、局限極まりない世界に幽閉されていたことを実感できるだろうか。

あー、何というおバカな自己認識、そしてそれに沿った体験世界だったのか!・・

今はもう、この世界の・・自虐的、自己閉鎖的な物質的自己認識から自らを解き放ち、時空間を超えた魂としての本来の自由度を取り戻すべき時である。

わたしたちは、偶然の単なる肉体生命ではない。

わたしたちは・・もともと・・無限の意識・生命である。

あなたやわたしたちが、今こうしてこの世界で生きているように、

無限の意識であるからこそ、どんな個体・肉体自我にも自己表現可能なのである。

無限の意識であるからこそ、どんな人生・どんな世界への転生も可能なのである。

 

無限の幸福、調和、叡智、愛・・・それを・・各次元、世界で顕現・結実させる楽しさを・・想い出す時が来たのである。

天国も・・それこそ無数にあるということだ。

天国の様相は、言葉では表現しきれるものではないことが、以下の証言からわかるだろう。

その中に、言葉より深い、無限の意味合いを感じ取れればいいと思う。

・・

「臨死体験 9つの証拠」ブックマン社 23ページ

・・・

臨死体験者の見た「天国」の様相

「トンネルを抜けると、そこはこの上もなく平和な場所だった。想像したこともないような、清らかで静かで愛に満ちた場所だった」

「美しい風景、青い空、なだらかに広がる丘、咲き乱れる花、すべてが光で満ちていた。外側から光を浴びているだけでなく、内側から明るく発光しているようだった。」

「とても美しくて、言葉では言い表せないほどだった。遠くには輝く虹のようなものも見えた。すべての色や造形は美しく、・・畏敬の念を抱くほどだった。」

「あたりは素晴らしい安らぎと、愛と平和を感じさせる静けさで満ちていた・・・。左側には、見渡す限り、想像しうるあらゆる色のチューリップが咲き誇り、どこまでも続いた。右側には、空の色と調和する美しい青色の壁があった。」

「そこに流れる音楽は、言葉では表現できない。この世ではあれほど鮮明な響きは不可能だからだ。色はこの世界とは違った。より深く輝きを放ち、とても美しい!」

このように、「美しかったり、美とは違う意味で際立った場所や世界、次元を見たり、訪れたりしましたか?」

という質問に、40.6%が「はい」と答えている。

同じ内容をより広い意味で「この世とは違う、どこか別の場所へ行ったと思いますか?」と尋ねると、52.2%がこの世とは違う領域に遭遇したと答えている。

・・・

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

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臨死体験(9)人生回顧(ライフレビュー)

2023-06-06 08:27:32 | 臨死体験

臨死体験では、多くの人が「自分の人生がどうだったか?」という反省、ライフレビュー:人生回顧を行っている。

有意義だったか? 他者との関係は? 優しくしたか?人生の目的を達したか?・・・人生すべての詳細をあっという間に振り返ることになる。

すべての魂は成長・進化・神への帰還のルートにあるのであるから当然のライフレビューである。

魂から見てうまく行かなかった経験も、恥ずかしい経緯もすべて露わになるのだが、肉体煩悩を外れたレベルでの回顧であるがゆえに、

それによって落ち込むとか悩むとか、罰則を科すという事ではなく、その魂の仲間・指導者たちの愛に満ちたサポートによって、人生の全てを真摯に受け取りまた反省しつつ、次への進化の糧を得た気概が満ちると言っても良いだろう。

魂という意識の高次レベル、大所高所から見れば、人生も世界も何もかも無駄なものは一切無い!

・・・

「臨死体験 9つの証拠」(2014年刊:ブックマン社)22頁~

人生回顧(ライフレビューが起きる)

「肉体から抜けたばかりでまだ病室にいるときに、目の前で人生が走馬灯のようにめぐるのを見た。そして、これからあなたは大勢の人たちを教え導くようになると言われた気がしたが、まさに今そうなっている」

「私の人生で起こった重要な出来事をすべて見た。初めての誕生日からファーストキス、両親との諍いまで。自分がどんなに身勝手だったかを知り、戻ってやり直せるなら何でもしようと考えた。」

「それまでの人生を見せられた。生まれてから死ぬまでのすべての瞬間を目の当たりにすれば、自分だけでなくその時自分が傷つけた人の立場まで体験して、痛みや気持ちが共感できる。

このようにして、自分がどんな人間で、他人をどう扱ってきたかを、それまでと違った視点から知ることができ、今後自分を誰よりも厳しく評価するようになる。」

「他者が自分に何をしたのかはわからない。自分が他者に何をしたかがわかるだけだ。」

・・・

このように、臨死体験者は過去の出来事を再び追体験する。人生の断片が見える事もあれば、全体がパノラマのように展開することもある。

「人生の過去の出来事を再び目にしましたか?」という質問に、22.2%の人が「はい」と答えている。

以上抜粋。

 

人生が一時の偶然であり、そこには何も意味がなく、人間とは・・大勢の人々に合わせて集団で生きてそして、死んだら終わりの動物的集団であると・・?!

そういう、極めて愚かで、悪意のある嘘を・・一体誰が言っているのだろう?

この世の支配者か? マスコミか? 大学の偉い先生か? おバカ極まる政治屋か?・・・誰に従っている??

誰が言っているのだろうか?・・・・責任者は誰か?・・?

騒がしいこの世の中、3次元レベルの地球人人間社会において、

いざという時の「責任者」は、

それぞれのわたし以外・・誰もいないのだ。

 

もういい加減、真の意味で目覚めなければならないのだ!

・・・

究極では、ただ一者のみが存在する。

ただひとつのものがあらゆるすべてである。

したがって、多くの個別の人たち、赤の他人たちは、

向こうの次元から別人格として現れた・・あなた自身である。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

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