気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

目覚めの道程(2)意識的・・意識

2018-08-31 05:50:26 | 真我実現シリーズ
「わたしとは何か?」
「わたしは誰か?」という問いかけは、
単なる普通の、自問、質問、問いかけではない。

これを真剣に行えば、
時間の迷いが少なく、悟りに至る、とも言われている。
そういう問いかけだ。

信じられるだろうか?
あるいはその可能性は感じられるだろうか?
そんな馬鹿な事あるもんかと、忘れるだろうか?
いろいろあるだろう。

「真のわたしとは何か?」
「真のわたしは誰だろうか?」

いわば”真我”への問いである。


確かに、これらは”想念、思考、思い”ではあるが、
「この車の値段はおいくら?」・・とは本質的に違う。

なぜならば、
あなたの「意識」が・・何かの対象、概念、事物のことを問うのではなく、

意識を・・意識する・・とでもいうのか。
その・・問うている・・そのもの、・・意識・・
主、因、源・・のことを”自ら”問うているからだ。


自分で何かの疑問を出し、それについて自分であれこれ考える事・・、
それを「自問自答」というかもしれないが、
それとは違う。
ある概念を「覚えた」、・・そして「忘れた」
「思い出した」・・・・とは違う。
その「意識」の働き自体に・・”気づく”ともいえよう。


すべてを生じさせる意識が・・
それ自ら・・意識する・・ということなのである。
意識に気づく・・目覚め・・だ。


例えば、
目の前に展開する映画に見入っている状況から、
その映画を見ている・・わたし側・・に気づくこと。

また、
わたしは肉体である・・という想念、意識レベルから、
わたしは・・その肉体・想念を知覚対象としている
その・・「意識」そのものであるという、
後戻りしようもない「気づき」に至る道程。

存在諸形態は、
気づき⇒意識⇒想念⇒知覚される諸現象・・と展開する。
したがって、
「わたしとは何か?」という自己への問いかけは、
意識の元にある・・根源の自己・・
真我へと誘(いざな)う、いわば意識のベクトルを発するのだ。

内面への気づき・・だ。

外側ではなく、存在そのもの・意識へ気づきの連続だ。

どんな効果があるのとか、金回りはよくなるの?とか、
そういうレベルの話ではないことは理解可能だろう。
芸能人が、経済成長が、アメリカが、日本が・・
そういうはかなき枝葉の話ではない。

・・・
話はそれるけれど、
スピリチュアル系で言われる「次元上昇」は、
それぞれの・・主体意識である・・わたし意識(魂・意識)・・に関係なく、
身の回りの時空間・環境が、勝手に自己都合よく変化することではない。

あるいは、すべて崩壊して何も無くなってしまうことでもない。

意識は・・時空間、物質に先立つものであるからには、
意識は、時間・空間、環境、物質などを超えたレベルにある。
意識的存在である・・人が、
自らが一過性の肉体でなく意識であると悟れば、
そは、すなわちそのレベルにあることである。

I am THAT I am.
意識の自己創造原理。


私とは肉体である・・という意識のまま、
世界、環境の一大異変を察知した場合には、
豊富な資源を使って、物理的な生存、生き残り、サバイバルに取り組むだろう。
あくまでも、意識が・・肉体単体に自己同化したまま、その体験をするということだ。

例えば、プレッパーと呼ばれるサバイバリストは、
国家・経済の崩壊に備える(Prepare)人達のようである。
危惧、恐怖を感じて先に備えるというわけだが、

仮に例えば、噂される太陽異変、巨大なフレアーが起きた場合、
地球の生態・エネルギーシステムも急変し、
まったくそんな物的対策では済まないだろう。
いや、あるいは、こう言う噂話、
なんの根拠も、何の変化もあり得ず、
あるいは、たんに何かの組織の陰謀だろうか?(笑)

もし仮に事実となれば、
この地球の浄化を伴う、一大変化で、
大自然が復活・リニューアルされた後、
偶然生き残った人、つまりサバイバルできた人たちの子孫は、
再び洞穴生活から始めなければならないだろう。



物質は一過性の有用物、決して何十年、何百年も長く保つことはないし、
幸い、生き残った者たちが、文字通り生き延びることだけが主眼であるならば、
数千年の目覚めぬ意識のまま、再び同じプロセスを経ることになるだろうか。

なぜならば・・・魂・意識が変化・進化しない状況では、
その派生である様々な想念、およびその物質的具現化には、
本質的に変わりがないからだ。

物質栄華の摩天楼を築き上げ、その偽りの自重によって自壊する、
ラセンのように繰り返す「輪廻」の物語を再現するだろうか。

これらは、未来の予想の話ではなく、今・・起きていることなのだ。
アトランティス・ムー、様々な古代文明の逸話は、
遠い過去の架空の、夢のある話?のことではなく、今のことである。


真実あるのは、今という常に”奇跡”の創造、の瞬間だ。

過去の記憶も、今・・想起する。
未来の予想も、今・・想起すること。

この世界での出来事は、
自らで見始めた夢、制限の強固な3次元的な夢なのだが、
それが学ぶべき”悪夢”だと気づいた瞬間だけ、
魂は目覚めるのかもしれない。

人はだれでも、それをすでに経験している。
そう、悪夢からは、必ず・・目覚めるからである。
また、それこそが当たり前なのではないだろうか?

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目覚めの道程(1)貴方は誰か?

2018-08-27 05:58:29 | 真我実現シリーズ
人は皆生きている。
今、生きているからこそ、毎日毎日の繰り返しがあり、
例えばこのようなサイトの記事も・・今・・読んでいる。

毎日毎日の延々とした繰り返しだと、
辟易(へきえき)している人もいるかもしれないし、
人生のなぜだか実はわからない負債の返済という
頑張らなければならない義務を遂行していることに、
生きがいを感じているのかもしれない。

しかしながら、
それは極めて短い時間であると知っているだろう。
例えば、人生とは、平均的に言うならば、
そんな平均などあてにできないが、
地球が太陽の周りをたった80回ほど回る、そんな間だけなのである。

365日のカレンダーで言うならば、たった365日の80回程度の、
きわめて短い人生なのであると・・今・・感じているだろうか?

いいや、そんなことは普通は考えないもので、
わたしゃ若いから、そんなこと考えもしないし、
仕事も子育ても、ローンだってあるし、
またそんなことにかかずらわって”無駄な”時間を過ごすべきではない、
そう思っているかもしれない。

人生の意味などを深く感じることが、
無駄な時間だと、だれが言っているのだろうか?

いやいや、誰もそうは言ってはいないのだ。
あなたの人生の責任者などあなた以外に誰もいない。

ふと立ち止まることを禁止するような
お金を生み出す輪転機のような、
クルクル回るだけの世の中で、
・・人生がんばんなきゃ・・!、
そうやっていつか何十回の地球の軌道公転の間だけ、
この世にあらわれて、
いつか日没のようにこの世を去ってゆく・・・、
それが人生だと・・・思い込んではいないだろうか?

こんな話をしているが、
おこがましくも、決して誰の人生が良いとか悪いとかの話ではない。
ただ、
大勢の人々がそうであるように、
教え込まれた民主的多数決が正しいと、
人の振り見て同じように流れて行くことが正しいと、
爺さんやばあさん、あの人この人と同じようにして、
今・・自分自身を決めようとしていないか?



存在のすべての中心は・・わたし・意識・であることに気付いているのであれば、
頭の知識からではなく、一般人よりましなスピリチュアルな知識からではなく、
わたし・・存在の高次の中心点からの”気づき”を感じるとる意識的努力が必要だと、
おせっかいにも、そういっているだけである。


外の世界として物理的に映し出されるものは、
それがたとえ物理的であろうが、重く硬いものであろうが、
大勢の人の形をしていようが・・・
その人々が何をわめいていようが・・、
どういう人生を送っていようが・・、

あなたの外側の投影像であることを、真に理解しているならば、

わたしは・・わたしであると・・踏ん張ってみたらどうだろうか?
踏ん張るといっても、相変わらずの肉体安楽さに座りこむのでなく、
意識の無限の窓を大きく開くということだ。

肉体はその時々の意識の窓口でしかなく、
その窓から見た外の景色に同化することではない。

誰がそれを見ているのか?
世界を見ているのはだれか?
それが・・わたし・・という者であると気づいたならば・・、

その・・わたしとは・・誰なのか?
わたしとは何なのか?
さらに深く気づいてゆかねばならないのではないか?

そういう話をしているだけだ。

地球という惑星の時空含め、
時間と空間は、物語のステージのようなものであり、
広大無辺の意識の中に生じる時空内には始めと終わりがある。
当然ながら、人生にも始めと終わりがある。
そうではないか?

永遠に今日と同じ明日が来るという集合観念自体、
意識的宇宙の理(ことわり)には合致していない。

それが1つの物語であるとしても、
物語である以上、必ず、初めと終わりがある。
そして、気づき始めた時が・・・
その物語の・・終わりの始まりである。

それが・・今起きていることだ。

まったく余計なお世話だが、
毎日毎日、眠りと目覚めを繰り返していることの、
その意味に気づく時ではないのか?

あるのは・・今・・今しかない。
物語の初めも中も終わりも・・今の展開である。

1つの目覚めから2つ目の目覚めへと、
いつかは目覚めなければならないと、
繰り返し、繰り返し優しく促されているのだ。

それが毎日・・毎旬・・今・・このとき、
永遠に今・・在る・・・ことの、気づかぬ教訓である。


ふと立ち止まることを禁止するような
お金を生み出す輪転機のような、
クルクル回るだけの世の中で、
お金の帳尻あわせば一安心、
・・人生がんばんなきゃ・・!、

そうやっていつか何十回の地球の軌道公転の間だけ、
この世にあらわれて、
いつか日没のようにこの世を去ってゆく・・・、
それまで、
皆と同じく押し合いへし合いしながら過ごすだけ、、
それが人生だと・・・思い込んではいないだろうか?

そう思い込んでいるかもしれない・・、

その、

あなたは・・誰なのか?

既に自分を知っているとする人は、

まったく、全然知っているとは言えないのだ。


単に文字読みでなく、
つまり、想念を他人事のようになぞるだけでなく、

その気がある人ならば、
今・・自分の意識で・・問いかけようか。

わたしは・・誰か?





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晩夏のお知らせ

2018-08-11 07:10:20 | 日記
●盆祭りのお知らせ

記事を読んで頂き有難うございます。

勝手ながら、「コメント欄でのお祭り騒ぎ」をやろうかと思います。
前回は夏祭り・・と銘打って、いろいろな会話が出ましたが、
今回は「盆祭り」という(いい加減な?)お祭り騒ぎをしようかと・・(笑)。
・・・
できれば、あまり気重に考えず、会話・対話などできれば・・という趣向です。

サラサラ見て頂いているだけの人も多いかと思いますが(笑)、
時間とは有って無きがごとしもの、
この際、気になる事などのしゃべくり、問答なども良いのではないかと考えます。

いかがでしょうか。



コメント (44)
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時空を超えた物語(7)現実とは、魂の観る・・夢

2018-08-11 05:08:45 | 真我実現シリーズ
誰もみな1日のサイクルにある真実に気づかなければならない。
人は皆、<眠り、夢見、目覚めた後の現実世界>を繰り返している。

これらは何か?といえば、意識の遷移である。
意識の異なるフェーズ・相・層の移行であるといえよう。
これは毎日行われていることだが、
実に多くの人が、肝心な所を素通りしている。
・・・
「眠り」は、一般に”無意識”の状態であり、自我意識、自意識が無い。
「夢見」は、意識があるが、
現実とは異なった状況での何らかの経験をしているようなものだ。
「現実」とは、目覚めた後の日常生活、現実世界の経験への移行。

それらすべてに共通してあるのが”意識”である。

もうすこし言えば、
●睡眠・・(無意識状態)・・意識の基底、静寂状態、凪(なぎ)の意識状態。
いわば、どんな物語も起きていない原初・普遍的意識の状態。
これは「空」(くう)をそのもの・・経験している状態といえる。

●夢見・・いつもの現実とは違う意識で何かの「物語」を観ている意識状態。

●現実・・特定の、繰り返されるいつもの日常現実を観ている意識状態。

世間一般、この世界一般には、、
目が覚めて肉体が起きだし、活動している日常現実だけが「現実」とされ、
それが唯一、対処しなければならない重大事項とされており、
睡眠、夢見は。。単に眠り、夢・・であって、休息以外何の価値もなく、
どうこうすることもできない代物だとしてきたのだ。
いわゆる現実だけが大切で、それを改善すべく無数の人類の活動があった。

そうではないか?
さらに、あなたもそう思っているだろうか?

たった数十年という時間のなかに偶然生まれた肉体の経験世界、
この現実、肉体との反応世界、物理的現実こそが「現実」だと。

しかしながら、
今の時代は実に不可思議な時代であり、
スピリチュアル的に言えば、真実の光が差していると比喩的に言われる時代となり、
・・・
現実とは・・現実といわれる「幻想」あるいは「夢」であり、
たとえば、
TV画面が小さな色を伴った光の点滅であるがごとく、
現実という・・この世界、地球という時空間、およびその延長次元である宇宙も、

あなたの見ている、いや観ている・・夢物語であると言われるようになったのだ。

大勢の人々が創り上げている日常現実の集合体・・という「夢」である。
それに見入り、信じ込み、自己意識を投入している「夢」だ。

これが現実だ!
頑張って成り上がれ!
少なくとも生活を改善せよ、
そのために金を稼げ、人脈を広げよ、
金融で増殖せよ、獲得せよ!
生きるために他者の犠牲もやむを得ない・・
地球環境汚染も仕方がない、人類が生きるためには・・

などという、おバカ極まりない観念の袋小路に迷い込み、
結局「悪夢」を見ることになり、
そこから逃れる唯一の爆発して終わりという、
できそこないのハリウッド映画となるのも・・止むかたないわけであろうか。
そういうシナリオが「黙示録」的シナリオである。

3次元的現実という、夢世界の住人が、
その夢を作り出している物質を砕くことを始めるならば、
連鎖反応で爆発させてその威力をもてあそぶようになった段階で、
その世界はいずれにしても「終局」を迎えることは、
宇宙的な観点からは自然な流れなのである。

その終局は、爆発炎上して終わりか?夢から目覚めるか?
・・という
「明確な分岐点」が出現しているということなのである。

それぞれの、わたしは・・この1つの(悪)夢から目覚めるか?
それとも、
夢遊病のごとき有り様のまま、儚い肉体の集団のまま、
皆もろともに3次元現実夢のまま、流れてゆくのか?
・・・と、そういうことなのだ!

・・・

存在すること、在ることの異なった相である「眠り・夢見・目覚めた後」の、
背後にあるのが「意識」であることに気づくならば、
私は肉体である・・という観念が外れて行き、
すべてを通してある・・「わたしは・・意識」であることに行き着くだろう。


”意識”の観るものが・・夢・・
現実とされる意識の投影する世界も、
その夢のカテゴリーに違いないのである。

大勢の他者たちが相変わらず常識集団の中で、
生きることも死ぬことも理解せぬまま、
けなげに生きていますよ・・という、

繰り返される宣伝観念に巻き込まれ、
いつもながらの「現実」に舞い戻ることを繰り返しながら、
悪夢から脱するための意識の進化が行われてきた。

黙示録的ともいわれる、3次元現実の夢の最後の時にある今、
現代は特に支配や洗脳がきつくなり、
また夢から脱するパワーも強い。

さらに、自然環境は激しさを増し、人類の右往左往も激しさを増す。
これでも気づかなければ、悪夢がそれ、夢として認識されないわけであり、

夢をみている・・真のわたし・・への帰還は後回しかもしれない。


----
この肉体という、「この」次元経験のために特化された霊的衣服は、
臓器、細胞、分子等を含み、実に複雑巧妙、精妙にできているが、

それは我々が呼ぶところの、
原子、さらにはクオーク、超微細なエネルギー微粒子の
振動・点滅によってできているのであって、
それ自体、時空間に湧き出した立体的エネルギー映像といってもおかしくない。

現実生活の感覚ではそんな風には感じないし、
あなたも、この現実が重く、面倒で、「何とかしてくれ!」と、
いつも思っているかもしれないが、(笑)

少なくとも物理学においては、物質は究極では原子、クオークであり、
それは微細な振動・経験するエネルギーであるとされている。



さらに密集しているという感覚のある物質は、
中身がスカスカのスカスカ・・のあるような無いような・・
ものなのである。
あなたの体も、身の回りの全てもそうなのである。

科学者が、目の前の物質を小さく砕く方向で探求していった先には、
決して捕まえられない、有るような無いような「波」だけがあったわけだ。



「波」とは、
寄せては引くもの、
上がったり下がったりするもの、
現れたり消えたりするもの、・・である。

すべては波動であるといわれるのは、まったくその通りだ。



意識は・・超微細な波動として捉えるならば、
その波動が、クオーク、原子などという大きな波動の元にあり、

意識が世界を投影していることが解るだろう。
世界は意識の中にあることがわかるだろう。

世界や宇宙は・・真のわたしの・・中にあることがわかるだろう。



・・・・

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時空を超えた物語(6)(魂)意識

2018-08-01 08:56:57 | 真我実現シリーズ
意識・・がなければ、その認識対象は存在しない。

わたしは何かといえば、「意識」だ。

わたし・・意識は・・重さや形がないために、
そんなの”どこに”あるのか・・という感覚で、
随分と長い間、気づかず素通りしまうことをやっていたのだ。

意識は”どこに”、”どんな形”でと、つい考えるものだ。

ところが、
「意識」は、いつ(時間)、どこに?(空間)、どんな形で?(物体)
と、探し回っても発見できない。

当たり前だ。後ろの正面だからだ。(笑)

見る者は・・、見られる「対象」ではなく、
<見ること>・・そのもの。

意識とは知覚すること、気づくことそのもの・・だから、、
”時間・空間”内に物的な”もの”としてあるわけではない。
地球のどこか、銀河のどこか・・にあるわけではない。
場所・空間の中にあるのではない。


また、
過去あったのでもなく、未来にあるものでもない、
時間の中にあるわけではないからだ。

そうではなく、意識・・は、
時間・空間、物的事象を・・
対象として浮かび上がらせる・・働きそのものである。


だから、聖者や覚者は繰り返し言うのだ。

「あなたが在るから・・世界があるのだ」と。
あなたという「意識」があるから、
その「対象」としてのあなたの世界がある。

またその世界は、大勢が共同でシエアしているわけだが、
しかしながらそれは、
創造者たちが集まっているということなのだ。

支配されるべき知的肉片の単なる集合ではない。


あなたが在るから・・あなたの世界がある、
これは神・創造者のことではないのか?

別に誇大妄想でもなく、おべっか使いでもない。
世界は意識、神なる・・あなたの投影である・・、

そうはいっても、
あなたの小手先で世界を操作して作っているわけではない。

ちょっと思念して、その通り成ったとか、失敗したとかの、
意識の表層の小手先思念の働きなどではなく、

意識・・が在るからこそ、
肉体も環境も、宇宙も・・対象として出現しているのだ!

----
3次元的な物質対象だけが、
存在しているすべてだと信じ込んでいる限り、
それ以上の意識的自由度は得られない。

昨今、スピリチュアルで盛んに言われるように、
”意識”自体に気づくことは大きな進歩といえようが、

”意識”を、何か対象として”探して”いる間は、
決してその本質に”気づく”ことはない。

なぜならば・・それは”対象”ではなく、
それを観ている者・・、
それを有らしめている側・・本質・・だからだ。

それぞれの・・わたし・・だ。


あなたの肉体も、環境も、世界も宇宙さえも、
観察対象であるからこそ、そこにある。

あなたによって、
知覚・認識されないならば、どこに存在出来るだろう。

この単純な・・本質のわたしへの意識転換が・・なかなか難しい。
悟りが簡単ではない・・と言われる所以だ。
単に、古い信念がマインド内でブロックしているため、
元もとの本体である宇宙意識と繋がらないのだ。

そうだ、この”信念”こそが最も重いものであり、
これに比べれば、、
巨大な岩石や山さえも、ブルドーザで突き崩せるではないか。

人々は世界の具象化した事物の中を探し回り、
人類の蓄積した膨大な「概念」の中を泳いでいるが、
そのどこにも真実を見出すことは不可だろう。

ましてや、末法の世の習い、
主流メディアや政治屋や、世界的な有名人の吹聴する言説の中は、
誰でもすぐにでも清掃が必要と思うような、
ごみ溜めのような概念で溢れかえっている。

あなたも気づいているように、
今の時代は、洗脳・宣伝が大流行であり、
誤解や嘘も繰り返せば真実となる。
ましてや、より大勢の者たちが一同で信じていれば、
その支配的な頚木(くびき)から脱するのは容易ではなかったわけだ。



カゴメ歌もそうだが、
日本の古歌である「とおりゃんせ」も、
3次元的通路である肉体の子”宮”の役目、
この世に生まれては、去ることの意味を知ってるかのようである。

♬ こ~こは、どこの細道じゃ~?
天神様の細道じゃ~
ちーっと通してくだしゃんせ~、
御用のない者、とおしゃせぬ~、
・・・
行きはよいよい、帰りは強(こわ)い。
怖いながらも、とおりゃんせ~とおりゃんせ~♪。



千と千尋のアニメの中では、
千が”千尋”という名前、ハクが”ニギハヤミ”という名前を思い出すことで、
湯屋の奴隷から抜け出す・・としているが、

自分の真の名前とは・・?
あなたに問うが、それはなんだろうか?

わたしは肉体・・ではあるまいに。
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