「わたしとは何か?」
「わたしは誰か?」という問いかけは、
単なる普通の、自問、質問、問いかけではない。
これを真剣に行えば、
時間の迷いが少なく、悟りに至る、とも言われている。
そういう問いかけだ。
信じられるだろうか?
あるいはその可能性は感じられるだろうか?
そんな馬鹿な事あるもんかと、忘れるだろうか?
いろいろあるだろう。
「真のわたしとは何か?」
「真のわたしは誰だろうか?」
いわば”真我”への問いである。
確かに、これらは”想念、思考、思い”ではあるが、
「この車の値段はおいくら?」・・とは本質的に違う。
なぜならば、
あなたの「意識」が・・何かの対象、概念、事物のことを問うのではなく、
意識を・・意識する・・とでもいうのか。
その・・問うている・・そのもの、・・意識・・
主、因、源・・のことを”自ら”問うているからだ。
自分で何かの疑問を出し、それについて自分であれこれ考える事・・、
それを「自問自答」というかもしれないが、
それとは違う。
ある概念を「覚えた」、・・そして「忘れた」
「思い出した」・・・・とは違う。
その「意識」の働き自体に・・”気づく”ともいえよう。
すべてを生じさせる意識が・・
それ自ら・・意識する・・ということなのである。
意識に気づく・・目覚め・・だ。
例えば、
目の前に展開する映画に見入っている状況から、
その映画を見ている・・わたし側・・に気づくこと。
また、
わたしは肉体である・・という想念、意識レベルから、
わたしは・・その肉体・想念を知覚対象としている
その・・「意識」そのものであるという、
後戻りしようもない「気づき」に至る道程。
存在諸形態は、
気づき⇒意識⇒想念⇒知覚される諸現象・・と展開する。
したがって、
「わたしとは何か?」という自己への問いかけは、
意識の元にある・・根源の自己・・
真我へと誘(いざな)う、いわば意識のベクトルを発するのだ。
内面への気づき・・だ。
外側ではなく、存在そのもの・意識へ気づきの連続だ。
どんな効果があるのとか、金回りはよくなるの?とか、
そういうレベルの話ではないことは理解可能だろう。
芸能人が、経済成長が、アメリカが、日本が・・
そういうはかなき枝葉の話ではない。
・・・
話はそれるけれど、
スピリチュアル系で言われる「次元上昇」は、
それぞれの・・主体意識である・・わたし意識(魂・意識)・・に関係なく、
身の回りの時空間・環境が、勝手に自己都合よく変化することではない。
あるいは、すべて崩壊して何も無くなってしまうことでもない。
意識は・・時空間、物質に先立つものであるからには、
意識は、時間・空間、環境、物質などを超えたレベルにある。
意識的存在である・・人が、
自らが一過性の肉体でなく意識であると悟れば、
そは、すなわちそのレベルにあることである。
I am THAT I am.
意識の自己創造原理。
私とは肉体である・・という意識のまま、
世界、環境の一大異変を察知した場合には、
豊富な資源を使って、物理的な生存、生き残り、サバイバルに取り組むだろう。
あくまでも、意識が・・肉体単体に自己同化したまま、その体験をするということだ。
例えば、プレッパーと呼ばれるサバイバリストは、
国家・経済の崩壊に備える(Prepare)人達のようである。
危惧、恐怖を感じて先に備えるというわけだが、
仮に例えば、噂される太陽異変、巨大なフレアーが起きた場合、
地球の生態・エネルギーシステムも急変し、
まったくそんな物的対策では済まないだろう。
いや、あるいは、こう言う噂話、
なんの根拠も、何の変化もあり得ず、
あるいは、たんに何かの組織の陰謀だろうか?(笑)
もし仮に事実となれば、
この地球の浄化を伴う、一大変化で、
大自然が復活・リニューアルされた後、
偶然生き残った人、つまりサバイバルできた人たちの子孫は、
再び洞穴生活から始めなければならないだろう。
物質は一過性の有用物、決して何十年、何百年も長く保つことはないし、
幸い、生き残った者たちが、文字通り生き延びることだけが主眼であるならば、
数千年の目覚めぬ意識のまま、再び同じプロセスを経ることになるだろうか。
なぜならば・・・魂・意識が変化・進化しない状況では、
その派生である様々な想念、およびその物質的具現化には、
本質的に変わりがないからだ。
物質栄華の摩天楼を築き上げ、その偽りの自重によって自壊する、
ラセンのように繰り返す「輪廻」の物語を再現するだろうか。
これらは、未来の予想の話ではなく、今・・起きていることなのだ。
アトランティス・ムー、様々な古代文明の逸話は、
遠い過去の架空の、夢のある話?のことではなく、今のことである。
真実あるのは、今という常に”奇跡”の創造、の瞬間だ。
過去の記憶も、今・・想起する。
未来の予想も、今・・想起すること。
この世界での出来事は、
自らで見始めた夢、制限の強固な3次元的な夢なのだが、
それが学ぶべき”悪夢”だと気づいた瞬間だけ、
魂は目覚めるのかもしれない。
人はだれでも、それをすでに経験している。
そう、悪夢からは、必ず・・目覚めるからである。
また、それこそが当たり前なのではないだろうか?
「わたしは誰か?」という問いかけは、
単なる普通の、自問、質問、問いかけではない。
これを真剣に行えば、
時間の迷いが少なく、悟りに至る、とも言われている。
そういう問いかけだ。
信じられるだろうか?
あるいはその可能性は感じられるだろうか?
そんな馬鹿な事あるもんかと、忘れるだろうか?
いろいろあるだろう。
「真のわたしとは何か?」
「真のわたしは誰だろうか?」
いわば”真我”への問いである。
確かに、これらは”想念、思考、思い”ではあるが、
「この車の値段はおいくら?」・・とは本質的に違う。
なぜならば、
あなたの「意識」が・・何かの対象、概念、事物のことを問うのではなく、
意識を・・意識する・・とでもいうのか。
その・・問うている・・そのもの、・・意識・・
主、因、源・・のことを”自ら”問うているからだ。
自分で何かの疑問を出し、それについて自分であれこれ考える事・・、
それを「自問自答」というかもしれないが、
それとは違う。
ある概念を「覚えた」、・・そして「忘れた」
「思い出した」・・・・とは違う。
その「意識」の働き自体に・・”気づく”ともいえよう。
すべてを生じさせる意識が・・
それ自ら・・意識する・・ということなのである。
意識に気づく・・目覚め・・だ。
例えば、
目の前に展開する映画に見入っている状況から、
その映画を見ている・・わたし側・・に気づくこと。
また、
わたしは肉体である・・という想念、意識レベルから、
わたしは・・その肉体・想念を知覚対象としている
その・・「意識」そのものであるという、
後戻りしようもない「気づき」に至る道程。
存在諸形態は、
気づき⇒意識⇒想念⇒知覚される諸現象・・と展開する。
したがって、
「わたしとは何か?」という自己への問いかけは、
意識の元にある・・根源の自己・・
真我へと誘(いざな)う、いわば意識のベクトルを発するのだ。
内面への気づき・・だ。
外側ではなく、存在そのもの・意識へ気づきの連続だ。
どんな効果があるのとか、金回りはよくなるの?とか、
そういうレベルの話ではないことは理解可能だろう。
芸能人が、経済成長が、アメリカが、日本が・・
そういうはかなき枝葉の話ではない。
・・・
話はそれるけれど、
スピリチュアル系で言われる「次元上昇」は、
それぞれの・・主体意識である・・わたし意識(魂・意識)・・に関係なく、
身の回りの時空間・環境が、勝手に自己都合よく変化することではない。
あるいは、すべて崩壊して何も無くなってしまうことでもない。
意識は・・時空間、物質に先立つものであるからには、
意識は、時間・空間、環境、物質などを超えたレベルにある。
意識的存在である・・人が、
自らが一過性の肉体でなく意識であると悟れば、
そは、すなわちそのレベルにあることである。
I am THAT I am.
意識の自己創造原理。
私とは肉体である・・という意識のまま、
世界、環境の一大異変を察知した場合には、
豊富な資源を使って、物理的な生存、生き残り、サバイバルに取り組むだろう。
あくまでも、意識が・・肉体単体に自己同化したまま、その体験をするということだ。
例えば、プレッパーと呼ばれるサバイバリストは、
国家・経済の崩壊に備える(Prepare)人達のようである。
危惧、恐怖を感じて先に備えるというわけだが、
仮に例えば、噂される太陽異変、巨大なフレアーが起きた場合、
地球の生態・エネルギーシステムも急変し、
まったくそんな物的対策では済まないだろう。
いや、あるいは、こう言う噂話、
なんの根拠も、何の変化もあり得ず、
あるいは、たんに何かの組織の陰謀だろうか?(笑)
もし仮に事実となれば、
この地球の浄化を伴う、一大変化で、
大自然が復活・リニューアルされた後、
偶然生き残った人、つまりサバイバルできた人たちの子孫は、
再び洞穴生活から始めなければならないだろう。
物質は一過性の有用物、決して何十年、何百年も長く保つことはないし、
幸い、生き残った者たちが、文字通り生き延びることだけが主眼であるならば、
数千年の目覚めぬ意識のまま、再び同じプロセスを経ることになるだろうか。
なぜならば・・・魂・意識が変化・進化しない状況では、
その派生である様々な想念、およびその物質的具現化には、
本質的に変わりがないからだ。
物質栄華の摩天楼を築き上げ、その偽りの自重によって自壊する、
ラセンのように繰り返す「輪廻」の物語を再現するだろうか。
これらは、未来の予想の話ではなく、今・・起きていることなのだ。
アトランティス・ムー、様々な古代文明の逸話は、
遠い過去の架空の、夢のある話?のことではなく、今のことである。
真実あるのは、今という常に”奇跡”の創造、の瞬間だ。
過去の記憶も、今・・想起する。
未来の予想も、今・・想起すること。
この世界での出来事は、
自らで見始めた夢、制限の強固な3次元的な夢なのだが、
それが学ぶべき”悪夢”だと気づいた瞬間だけ、
魂は目覚めるのかもしれない。
人はだれでも、それをすでに経験している。
そう、悪夢からは、必ず・・目覚めるからである。
また、それこそが当たり前なのではないだろうか?