「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ著)p444~
「ヨガナンダ、わたしの生と死と復活に関する事実を語った。もうわたしの為に嘆くのはやめて、わたしが肉体人間の住むこの神の夢にすぎない地上界から、幽体をまとった魂たちの住む、同じ神の夢である幽界の星に復活したことを、広く人々に伝えなさい。そうすれば、夢の死におびえたり歎き悲しんでいる人たちの心に、新しい希望が湧くだろう」
「はい、先生!」
復活された先生に会えたこの喜びを人々に分かち与えられることは、私にとっても何とうれしいことであろう。
「わたしが地上でお前に要求した水準は無理なほど高く厳しかった。わたしはお前をしばしば必要以上に叱った。だがお前はよくわたしの試練に耐えてくれた。お前の愛は、わたしのいかなる叱責の雲にも光を失わなかった」
先生は優しく付け加えられた。
「わたしが今日来たのは、お前にもう一つ言う事があったからだ。
それは、これからはもうお前をきびしい目で見ることはしないということだ。わたしはもう二度とお前を叱らないだろう」
ああ、この偉大な師からもう叱責を受けることができないとは、なんと寂しいことであろう。先生の叱責は、いつも私を守ってくれた天使であったのに!
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スリ・ユクテスワは、なおこのほか、ここでは発表できないいろいろな問題についても解明してくれた。ボンベイのホテルの一室で私といっしょに過ごした二時間の間に、先生はわたしのあらゆる質問に答えてくれた。この一九三六年六月に日に先生が告げてくれた、世界の出来事に関する多くの予言は、すべて実現している。
「愛する息子よ、それではこれで別れよう」
この言葉と同時に、私は抱きかかえていた腕の中から先生が溶けてなくなってゆくのを感じた。
「わたしの子供よ」先生の声は魂の大空にひびき渡った。
「お前が、ニルビカルマ・サマディの門を通ってわたしを呼ぶときは、いつでもきょうのように血の通った肉体をもってお前の前に現われよう」
この天上からの約束とともに、スリ・ユクテスワは私の視界から完全に消えてしまった。そして雲にこだまする雷鳴のように、音楽的な声がひびいて来た。「ほかの人々に伝えなさい。ニルビカルバの悟りによって地上世界が神の夢(注釈1)であることを覚った者は、同じ神の夢でつくられたより霊妙なヒラニャローカの星に来ることが出来る。そして、そこに地上に居た時と全く同じ姿で復活しているわたしを見いだすであろう。ヨガナンダよ、このことを皆に伝えなさい。
(注釈1)世界・宇宙は神の夢。この世は意識の投影する仮想現実であると同じ意味。
現実が、現実がと騒いでいる・・「夢」であり、肉体五感による信ぴょう性が現実感を創り出している・・こころ・身体総動員の・・夢なのである。そう、夢は寝て見るものではなく・・観ること、観察すること・・・と言ったほうがいいかもしれない。でもそれは夢なのである。
別れの悲しみはもうなかった。長い間私の心の平和を奪っていた先生の死に対する悲嘆と哀惜は、今はかえって恥ずかしくさえ感じた。そして、至福が私の魂の新しく開かれた無数の気孔から泉のように噴き出して来た。
長い間使わずにふさがっていたこれらの気孔は、今至福の洪水に見舞われて清らかな口を開いた。私の過去世のいろいろな情景が、映画の画面のように次々と私の内なる目に映ってきた。そしてわたしの善と悪のカルマは、先生の聖なる訪れによって、私のまわりを取り巻いていた宇宙光の中に解消してしまった。
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私は今ここに、先生の御指示に従って、先生の語られた福音を述べたが、このようなことに無関心な年代の人々は、あるいは当惑を感じるかもしれない。これまで人は、とかく境遇に服従し、多くの人が自暴自棄の生涯を送って来た。
しかしこれは、人間に定められた洋々たる進化の道を進むべき正しい姿勢ではない。
人は確固たる意志さえあれば、完全な自由への道の出発点に立つことができるのである。人々は、あまりにも長い間、『人間はちりやあくたのようなものだ』という陰気な悲観論者の言葉に耳を傾けてきたため、何物にも侵されることのない自己の魂のことを忘れてしまったのである。
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抜粋以上
パラマハンサ・ヨガナンダ(1893~1952)は、現代における卓越した精神的・宗教的偉人の一人。欧米にヨガを普及させ、ヨガの父とも呼ばれている。
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ここまで、勝手ながら「あるヨギの自叙伝」の著の抜粋と解説をさせて頂いたが、ヨガナンダの師の「復活」が1936年であり、今から約84年前の出来事ということになる。
またここに書かれた内容が、美しい師弟愛の物語だとか、あるいは何かの例えか、教訓めいた作り話だと思う人もいるに違いない。
しかしながら、自らを「あるヨギ」と称する謙虚で高名な求道者が、いわば方便の「嘘」を言うわけもないだろう。
ここまで読んできた人ならば、
嘘にまみれてしまった世界の、その終わり時期だからこそ、ここに書かれた、一見信じられないような内容が、逆に真実であるということが理解できるはずである。
あなたは、
偶然生まれて死んだら終わりの、単なる思考する有機物質だろうか?
あるいは、
それぞれの・・わたしとは・・
想念・肉体・物体ではなく、それらを表現型とする意識・・「魂」であることを真に・・理解しているだろうか?