気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(47)想いの記憶 その6(歪の解消)

2020-11-25 06:05:35 | 意識の科学

過去生は過去に過ぎたものではなく、今のあなたのそのものとして既に形に現れている。

過去の時間軸上の・・どこかにあるのではなく、

性格、経験、知見、各人生で培った「想い」として、いま”そこに”現れている。

ある聖者は、人の魂を・・”想念の束”と呼んだ。

実はあなたも想念の束(集合体)である。

人は体の塊・・・ではなく、それを動かし、表現する原動力である「想念」の塊である。

その想念がどうなっているのか?

想いを見ることなく、その魂の表現を変えることはできない。

想いを変えることなく、その行き先が変わることは無い。

 

例えば輪廻転生も、想いの連続のストーリー化であり、

人にとって、不可思議と思える「夢」を見るのと変わりがない。

意識の無限性によって、実にリアルに、本当に実にリアルに現実世界を構成しているように見えるけれど、

それは神の見る「夢」なのである。

実に物質的で細かく、多くの人々のリアルな物言いや歴史があるこの世界が実際の「現実」と思っているかもしれないが、

嗚呼・・それは意識の観る『夢』なのだ。

あなたである、わたしである・・意識・創造の根源の無限性に気づかなければなるまい。

夢とは・・ぼんやりした意味不明の、意味のよくわからない物語、内的幻想だという考えは間違っている。

この世の現実とは、意識上に展開する物語・・神の夢だ。

あなたはそれを観ているのである。

あなた自身の・・想念という、”フィルター”を通して・・・・!

 

ちなみに、いまこの集合意識の見る夢の様相が変わってきた。

集合意識の・・想いの質が・・微妙ながら・・変化してきた。

肉体の維持や安楽さ、物質環境のことばかり気になる、物質環境中心の3次元的生活から卒業し、

創造の"元素"となる、意識内面に波打つ様々な想念に気を配るレベルに移行する時が来ている。

 

アセンションと何か?と言えば、

魂の表現過程上の一段の進化のことを意味している。

 

何をおいても大切なことは、

今ここ、常日頃の「想い」の重要性に気づくことである。

気付いて、想いに調和をもたらすことである。

人の・・でなく、あなた自身の・・想い・である。

 

これに引き換え、

誰が何をしたとか、お金がどうだとか、政治や世界経済がどうだとかは、

末端の枝葉の先の虫の動きのようなものである。

 

肝心なことは、

今ここ、常日頃の「想い」の重要性に気づくことである。

気付いて、想いに調和をもたらすことである。

人の・・でなく、あなた自身の・・想い・である。

 

人の想いがどのように重大なことなのか、・・・?

具体的な検証がすでに世界に出てきてる一例として、

人の想いが水の結晶にどのように影響を与えるかという研究がある。

水博士として有名な、江本勝さんという方がいたことは、知る人は知っているが?・・

ミクロンレベルでの水の結晶が、人の想いによって直ちに変化することを検証・提示したことでも有名な人である。

 

例えば『ばかやろう』・・という想いと、『ありがとう』という想いは、異なった具象化の原因となることの実証例である。

 

 

今までの世界は、物銭金、物的規模や物量を価値あるものと信じこみ、それを獲得し、あるいは奪うための戦争を行ってきた世界であった。

今まで人々は、生き抜くための資源の獲得への奔走に明け暮れたようなものだ。

こころ・マインド・想いをあまり価値のないものとして扱ってきた。

大手マスコミ、メジャーなメディア、公的機関のすべては・・そちら側に立場を置いているために、決してこれらを認めることは無かった。

逆に言えば、

物質3次元レベルを創ってきた側に期待をするほうが間違っているのだ。

それぞれのわたし・・あなた自身が・・変わらなければならない。

 

常日頃発する・・想いを・・感謝と調和に基づいたものに・・

はっきりと・変えること。

いつか・・ではなく、

そう・・今しかない・・その今・・の想いである。

 

1億倍と言われる解像度で撮られた雪の結晶の写真

これはつまり、宇宙意識(地球意識)の「想い」の具現化である。

宇宙は感謝と愛と調和以上の至高の意識の具現化である証拠だ。

 

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(46)過去生の記憶 その5(想起)

2020-11-22 04:50:44 | 意識の科学

●前世の記憶とは、直視すべき自己側面のこと

前回の記事で過去生を思い出す1つの方法を紹介したのだが、実際にやってみた人はどれだけいるだろうか。

パソコンやスマホの情報のファイル・情報アクセスは皆がやっているようにサラサラやっても、自分自身の魂の情報に関しては、なかなかアクセスしないかもしれない。

というのは多くの場合、

特にこの世での転生経験では、あまりにも非道で愚かしい出来事や、自らの利己的行為の激しい感情的記憶が詰まっているため、触らぬ神に祟りなしのような忌避意識が働く場合が多いからであろう。

つまり過去生等思い出したくない・・という強い潜在意識が働くのである。

嫌な記憶は・・そう・・思い出したくないものである。

そうではないか?

●逃げるからこそ追いかけられる

しかしながら、その記憶の中の感情的な歪が・・こころの傷となって今この人生にもあだ花を咲かせているのならば、その原因となる歪を・・嫌々せずに見て、観て・・知覚して・・解放してやる必要があるのである。

 

忌避して逃げていたからこそ・・いつまでも追いかけ回されてきた。

忌避ぜず・・対峙すること、勇気をもって内面で知覚対象に変化させて、

たまった歪みエネルギー開放することである。

 

●増えてきた過去生情報

過去生や来世などという概念は、多かれ少なかれ誰でも知っているはずなのだが、実地検証不可とされ、また現実生活と関係ないということで捨てられていた。

しかしながら、過去生の「記憶」とは・・記憶であって意識上の情報であるため、物的証拠が無いからという短絡的理由付けはまったく埒外なことである。

あるひとは、かつて自分はあの国のあの村にいて・・という記憶がいて、それを周囲の人に語ったのだが、たまたまその記憶通りの村や当時の人の実地検分がなされたこともある。

調べるとわかるが、生まれ変わりの記憶を持つ人は実は世界に大勢存在してきた。ほとんどは幼少期に思い出す場合が多いため、言葉もおぼつかない、子供のいい加減な妄想話として片付けられる場合が多いのである。

肉体が成熟していない・・未熟な者という偏見が強いのは、「人間は肉体である」という潜在的信念が強いためだ。

●人は魂であるという気付きの方向へ

人間は意識である・・ならば、相手が子供か大人か・・ではなく、魂・意識の発露・発信内容に注意すべきなのである。

気付かなければならないことは、普通にそのまま社会に適合した賢い?大人になってゆく過程で、

逆に・・どんどん愚かで小さな信念体系に組こまれてゆくということも言えるかもしれない。

 

「思い出した、僕の死体が埋まってる場所」 前世の記憶を持つ4歳の少年により殺人事件が明らかに:ゾクッ...|テレ東プラス

【配信終了:2020年11月20日(金)】動画はこちら人は死んだらどこへ行くのか。天国か、あるいは地獄か。実際のところ、それは死んでみるまで...

テレビ東京・BSテレ東の読んで見て感じるメディア テレ東プラス

 

 

ーーー

そもそも、そんな過去生なんかあるんものか・・という世間常識の実に小さな砦の中で安住している人が多い。

安住するどころか、いつも生活や感情に追い立てられているにもかかわらず不安定で不安な状況に慣れてしまい、その慣れに親しんでしまって、そこから動こうとしない人も多い。

それらの人々は、生まれてから仕込まれた<自己=肉体>という、集団”観念の鎖”でつながれた魂の姿であるという事もいえようか。

観念の鎖(くさり)、思考の轍(わだち)、感情の檻、これらは今現在の人々の・・生きざま、考え方、行為によって現れている。

 

●古い信念体系を逸脱すべし

背後に、多分こういう信念があるだろうか・・・、

人間は思考をする、他の動物より進化した肉体動物であって、それ以上でもそれ以下でもない。したがって人生は一度きりであり、偶然得られた一時の人生の後は消滅して終わりである。

学校教育やら、多くの人の中で生きてゆく経過で、漠然とこんな風に思い込んでいたのではないだろうか?

 

人間は死んだら終わりの一過性の動物であるという信念、

それゆえに、この世界では輪廻・転生という、無意識の生まれ変わりの繰り返しが行われてきた。

”輪廻”は繰り返し回ることであり、”転生”は生まれ変わるということだ。

死んだら終わりだ・・という信念がゆえに、そういう選択がゆえに・・・、

生まれ変わっても、これが初めてのような世界に生まれてくる。

死んだら終わりならばーー記憶もくそもなく、いつも初めてとなるわけだ。

そう、それが今までのこの世界であった。

・・・

●意識(魂)は自ら・創造そのもの

いったん魂・意識がこの世界に参入して、この世界で受肉して人生を送ると、当然ながら様々な経験をするわけなのだが、経験をする間に魂・意識がそこで行われている信念体系に慣れてしまう。

もちろん、郷においては郷に従え・・、肉体を維持するために、うまく生き抜くように自分をプログラムしてゆくことになるのだが、

その自分プログラムがあまりにもこの世的価値観念に染まってしまうことで、本来の魂・意識の発露・発信状況をブロック(閉鎖)してしまうことになる。

いわゆる・・観ている映画に魅入られる、見入る、自己投入・自己創造してしまう。

魂の自己忘我のため、何が何だかわからぬ状況に陥って、その状況に合わせているうちに、その状況の虜になるということである。

そうやって生まれて死ぬを繰り返すということだ。

輪廻転生とは・その繰り返し自体に気づかない・・状況であること。

 

あなたはどうだろうか?

 

●地球という魂の学習世界の役割

あなたやわたしたちは、無限の意識(魂)であるがゆえに・・

その意識の振り向ける先の世界を・・経験してゆく、知覚し創造していくということをやっている。

気付いているだろうか?

 

多次元宇宙に展開する様々な世界は、様々な集合意識(いわば神々)の創る世界であり、

その集合意識の世界の特徴に、「この世界に入ったら自分を忘れて一介の肉体人間に成り下がる(次元降下)」という・・そういうルールの世界もあるわけだ。

そう・・今までの地球、獄舎や地獄、流刑地、3次元世界等‥と言われたこの世界である。

 

想い・信念・が・そういう体験へ誘う・・またその体験から起きる想いや感情が、またそういう信念を形づくり、学習結果としての魂の精緻さ精妙さ、奥深さ・広さになってゆく。

 

これは意識を波動的に解釈した場合、魂・意識の波動が情報を多く含んでいわば醸造され、その”振動数”が上昇することになる。

ちなみに、振動数が高いということは、それだけ情報量も増えるというのが、この世界の情報工学での法則のようなものだ。

 

●気づきの連続で進化が起きる

しかしながら、輪廻転生における生死の繰り返しは決して無限ループではない。考えてみれば、肉体人生では、なかなか困難で嫌気がさすようではあっても、逆に魂にとっては・・地道で慈愛に満ちた学習の仕組みでもある。

信念→体験→気づき→信念→体験・・・

繰り返しサイクルの中にあっても、ふとした「気づき」があって意識変化があるからこそ、そこに少しづつ進化が起こり、やがて大いなるジャンプへとつながってゆく。

あるカテゴリー世界の一定レベルを超えるまでの意識進化、いわば学習結果の卒業がいわゆるアセンション・次元上昇と言われるものだ

あるいは、悟るとか覚醒するとか、目覚めるとか言われるものである。

 

この世界に次元降下する前に・・、

それぞれの・・わたしが・・課した・・ことである。

・・想起できるだろうか?

 

 

 

 

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(45)前世の記憶 その4(再生)

2020-11-14 05:25:14 | 意識の科学

普通、人に体験があればその「記憶」がある。

その記憶は普段は思い出さないが、何かのきっかけで思い出すことがある。

何かのきっかけとは何か?と言えば、

今の状況が、・・かつての(過去の)その時の状況に酷似した時が多いだろう。

 

●デジャビュー

「あ、この状態はどこかで経験したことがある・・!」という感覚である。

それを「デジャ・ビュー」(既視感)などと呼んでいる。

あなたも経験しているはずだ。

デジャビューは、ある状況になった時に、内面意識に出てくる感覚が同じ場合に起きるちょっと不可思議な経験である。

デジャビューは、すでに経験したことを知っている・・感覚であるため、過去において、今という未来を予知した結果だと解釈する場合もあるが、

いずれにしても・・突然出てきた・すでに知っている感覚・・既視感である。

既視感・既知感・・・既に(すでに)知っている・・のは「記憶」である。

 

●回顧

デジャビュー以外にも、ふつうに過去のことを思い出す場合がある。

それも何かの状況や想いのきっかけによって、あの時もこうだったなという連想・記憶の再現となって沸き起こる。

生まれてからの人生経験なので、これは「過去の記憶」であると知っている。

これも時々経験しているはずである。

これらすべて・・・あなたの ”意識内面に沸き起こる” ビジョン・感情という「意識的情報」と言えるのである。

 

●すべて潜在意識に記憶されている

そして、普段は全然思い出すことは無い。

だからと言って、それが無いとは言えないのである。

つまり表面意識に浮かばない情報でも、潜在意識に「記憶されている」ということだ。

人生の膨大な知覚経験情報は・・潜在意識に逐一記憶されているのである。

それ(記憶)を再生・再現することが珍しいだけのことである。

 

飛躍的な思考を入れなくても、ここまでは理解可能であると考えられる。

膨大な記憶(情報)を有する潜在する意識・・に気づくということだ。

 

●潜在意識へのアクセス

そうであれば、その潜在意識にアクセスすることで、

かつて経験した時の感情・感覚・想いの再現が可能であるということだ。

もちろん何事にも学びや実習が必要ではあるものの、

習熟すれば、それはまるでパソコンやスマホのファイルをクリックして、データや画像を再現するのと同じようなものである。

 

自分の内部にある膨大な情報源・・・、

ただ、多くの人はそれに気づいていないし、それをやろうともしていない。

 

勝った負けた、戦い・競争の明け暮れに疲れるばかりで、

人生という膨大な経験をなぜかしら軽んじていて、

日々の貴重な経験も次から次へ軽く捨てながら、

これはダメだ、今は不幸だ・・、でも、

もっと先には良いことがあると・・思っているのだろうか。

 

●顕在は潜在の反映でしかない

膨大な情報は・・あなた(意識)の中にあって、

それを有意義に使う術(すべ)を行使していないということだ。

覚者や聖者、まっとうな学者たちが言うように、

人生という外側の舞台演劇のシナリヲである意識のほう、

あなた自身の内面を観てゆくことが人生で最も大切なことなのである。

ーーー

 

さて、前世の記憶があるのか無いのか?

あなたはどう思うのだろうか?

 

あなたが「自分は肉体である・・」と信じていれば、

肉体(頭脳・組織)の記憶も、肉体の消滅で消え去るものと考える。

記憶も、一時の「キャッシュメモリー」のようなものと考える。

そして、多くの人が漠然とそう信じ込んでいる。

 

●魂レベルのネットワーク

しかしながら、例えるならば、

あなたもパソコンやスマホを使っているならば、

パソコンやスマホの本体・機械体が壊れても、

データや情報はバックアップを取っていれば、新しい本体・機械体でかつての状況の再現が可能だということを知っているはずである。

例えばそれらのコンピュータネットワークや記憶の体系を構築している、

そのシステムの創造者である人間が、それ以下の存在であるわけもないではないか?

 

あなたの人生の様々な経験や想いや感情の記憶は、

どんどん捨てられていくのではなく、逐一潜在意識に記憶され、

あなたの肉体がやがてこの有限世界から消え去ろうとも、

その記憶は保持されて持続発展してゆくという事に気づかないだろうか。

 

 

ここまで読んできた方は、まだ目で読んでいるだけかもしれないし、

今まで学校や社会で習ったように、サクサク知識を検索しつつ、

何か決定的な証拠を、外に探しているのかもしれない。

言い換えれば、

受動的な霊的知識は多々あるものの、意識的・能動的経験の「記憶」が少ないのかもしれない。

 

もしそうであれば、例えば・・・下記のような「自己想起のやり方」があるので推奨する次第である。

もちろん、こことは無関係の他人様のサイトであるが、

ある範囲で自己責任で自由に使えるようなので、

実際に自分自身で・・真摯に実践してみることをお勧めする。

 

少なくとも魂・意識の無限性に気づくこと、

今はもうそのための、いわゆる霊的・意識的実践努力へと・・

実際にシフトすべき時である。

意識的進化や飛躍も、決して外から与えられるものではなく、

自らが扉を開いてゆく意識的行為の、その先に開かれるものだ。

 

 

前世療法

(生まれた時点以前への退行催眠で過去生の記憶を再現することで、潜在意識に刻印されていた様々な想いや感情の歪・傷を癒すことを提唱した、ブライアン・ワイス博士のお弟子さんとのことである。曰く・・今はもう自分で過去生を思い出す時代。)

 

 

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(44)前世の記憶 その3(半信半疑)

2020-11-12 03:50:58 | 意識の科学

この世界では、「前世の記憶が無い」という人がほとんどであろうか。

 

ここを読んでいるほどの人ならば、

霊的リーディングを受けた経験や自己想起経験があって、

前世記憶のイメージを持っている人もいるだろうが、

確証がないので半信半疑である場合もあるだろうし、

また前世に関する書物や記事を読んだ経験があって、

前世・生まれ変わりの信憑性を感じている人もいるだろうが、

でもやはり半信半疑の状態かもしれない。

 

あなたはどうだろうか?

その理由は何かと言えば、前世の記憶と言われるもの、

それが単なる偶然の「想像」や「妄想」か?

体験事実の「記憶」なのか?がハッキリしないという事からくる。

 

もちろん「記憶」は・・物的形態ではなく、想念の形である。

五感で世界を見ていることから受ける感覚情報でなく、

意識内面で想起するイメージ情報ということ、

つまり3次元的物体形ではなく、見えない高次の想念のカテゴリーである。

あるいは言い換えれば、

五感で感じる粗い波動領域の情報ではなく、

意識で感じる、より細かな波動領域の情報ということである。

 

いわゆる霊能者・リーディング能力者に依頼する場合でも、

その人の意識内面・深部の情報を ”読んでもらう” という事であって、

能力者に読み取った情報として伝わるのは・・

やはりその時の情景や強い感情などのイメージ情報なのである。

 

依頼者の過去生の一部が、能力者側の意識に想起されるということだ。

以心伝心、意識と意識の感応・伝授・伝達ということで、

一種の遠隔感知、テレパシーと同じようなものである。

 

そして、その想起するイメージ、想い・ビジョンのその信憑性が問題だ。

事実とは異なる・・単なる妄想か

事実に即した・・経験、記憶の想起か?

どの程度真実で・・どの程度・・嘘・間違いなのか・・

これが極めて重要なところだ・・。

そうではないか?

 

エドガー・ケーシー(1877-1945):眠れる預言者等とも呼ばれ、半覚醒(眠り)の意識状態において様々な治療方法や予知、預言などを行った人。膨大なリーディングの中には依頼者の魂の幾世代の過去生の記憶や、アトランティス時代の記憶に関するものも多い。

 

 

相手が、本当に相手の意識内面・深部に同調し、その情報を読み取っているのか、

相手の意識への同調を行わず、自分の意識の中に勝手に湧き上がる想念を

相手の記憶だと称しているのか?

 

これが、

経験事実に即した・・再現イメージの想起か?

経験事実とは異なる・・単なる妄想か?

の違いとなって現れる。

 

妄想なのか、事実の記憶なのか?

判別ができないところに大きな問題があるため、

多分そうなんだろう?本当かもしれない・・?・・で終わるものだ。

当たるも八卦、当たらぬも八卦・・単なるスピリチュアルなお遊びである。

 

とはいえ、自分の前世の記憶なるものへの興味や知りたいという想いは、

前世などあるわけないと決めつけて捨てている状況、

自分は一過性の単なる肉体だという認識から、

それ以上の意識的(霊的)存在だという認識への移行を示すものであって、

実際には大きく前進していることは間違いがない。

 

そういう意味で、昨今増えてきて、知っている人は知っている、

前世や過去生のリーディングなどというスピリチュアル系の流れは、

当然、ピンからキリまであるものの、

この世界が真の意味で、高度な文明社会へと進化している部分を示している。

 

肝心なところは、

判別できる・・までは、妄想なのか?記憶なのか?わからないということ。

 

肝心な点は何かといえば、・・

まず、

自分自身のこと、意識の仕組み・中身を実際に深く知るまでは、

例え高名なリーディング能力者であっても、

それが事実記憶なのか、妄想なのかわからない・・半信半疑であるという事なのである。

 

・・・

人間は肉体的存在、社会的動物だから、

過去生や来世などあるわけもないと、たかをくくっている人は除いて、

 

ところで、一体全体・・どうして?

多くの人にとって前世の記憶が全く無いのか、

あなたは知っているだろうか?

 

絞れば結局、2つに1つだ。

 

もともと無いからだ・・というのが常識人の回答だろうし、

もう1つは、

あるけど思い出せないからだ・・ということがある。

 

さて、どちらだろうか?

 

 

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(43)前世の記憶 その2

2020-11-09 06:34:23 | 意識の科学

前世の記憶とは、

今生きていて様々な経験をしているように、かつて同じように人として生きてきた様々な人生の「記憶」のことである。

人生一回きりだと、正々堂々と言う人がいる。

なぜかと言えば、肉体人生はたった数十年で終わるからだ。

またこの世から消えていった多くの人を見てきたからである。

人生一回きりだ。

自分がこの肉体である・・という認識であれば当然である。

この世界が唯一の実在世界である・・という認識であれば当然である。

 

つまりこういうことである。

わたしとは、

ある時に偶然にも、

両親によって産み落とされた、

この肉体感覚を中心とした存在であり、

その「肉体」が無くなれば「わたし」は無くなる・・と”認識”しているのだ。

 

単純に、わたし=肉体 という等式を信じているのだが、

そのわたし・・とは、そう思っているわたし・・であり、

そう意識している・・わたしであり、

そう認識している・・わたしなのである。

わたしそのものが、一時の生の後、永遠に失われるものである・・と

曲解しているのである。

わたし=肉体である・・・とそう思っているだけのことなのである。

 

それは、わたし・・肉体・・であるという意識の段階であり、

わたし・・意識・・であるという気付きに至っていないだけなのである。

ただ、それだけなのだが、相当な意識レベルのギャップがある。

 

あなた自身、例えば死んだ経験があるか?と言えば(笑)、

あなた自身、生きているからそんな経験はかつてないはずだ。

そうだ、

わたしはこの肉体である・・ならば、この肉体が死んだら、

わたしも何もあったものじゃない・・経験も記憶もあったものじゃない。

全ては無に帰した後、どんな経験があるのか?・・ありはしない。

一回の人生だけ・・その後は永遠の無である・・・という思い込み。

 

ところが、

多くの人たちが、そういう常識とされる観念で生きてきたのである。

「だってそうでしょ?!」・・・と言いたいが、

いったい誰がそう言い切っているのか?

責任者は誰もいない、

親も社会の人も、先生も大学の教授も・・ただそう思っているだけだ。

どんな証拠もない。

 

・・・理解可能だろうか?

つまり、この3次元的認識世界では、

多くの人がそういう一過性の刹那的な生命としての、

泡沫的自己認識という、いわば恐怖のどん底で、何食わぬ顔を装いながら生きていたというわけだ。

 

なぜ恐怖かと言えば、

わたしは一過性の泡沫の後、永遠に消滅する・・という

”トンでも情報”を真に受けていたからだ。

 

自分は偶然に産み落とされ、ある一定の人生の間生きて、

肉体の故障や劣化でやがていつか「永遠に消え去ってゆく」のだ・・という、

トンデモ認識に集団で陥っていたということである。

 

とはいえ、

そういう一時の泡沫の輝きに似た人生に、

夏の夜空の花火のような華やかさと儚(はかな)さを感じる人はすでに、

この世の幻想の中の味わい・趣きを感じ取ってはいた。

 

儚い・・とは、・・人の・・・夢・・と書く、

あなたはそういう儚い世界の中にいて、・・今・・その夢から覚めたのだ。

 

中央アジアの砂漠を行く人たち・・。

例えばあなたの内面意識の中には、きっと似たような自分の姿の記憶もあるだろう。

 

 

わたしとは、

ある時に偶然にも、

両親によって産み落とされた、

この肉体感覚を中心とした存在であり、

その「肉体」が無くなれば「わたし」は無くなる・・という認識、

 

単純に、わたし=肉体 という等式を信じているのだが、

そのわたし・・とは、そう思っているわたし・・であり、

そう意識している・・わたしであり、

繰り返すが、そう認識している・・わたしなのである。

わたしそのものが、一時の生の後、永遠に失われるものである・・と

集団で曲解し、固定しているのである。

わたし=肉体である・・・とそう思っていることなのである。

固定された想念・信念に過ぎない。

 

あなた自身、例えば死んだ経験があるか?と言えば(笑)、

あなた自身、生きているからそんな経験はかつてないはずだ。

臨死体験者は、肉体が死んだ状況から復帰した人だが、

決まって、肉体以上の大いなる存在に戻ったことを報告している。

 

ここで知恵ある者は覚るべきではないだろうか?

何が真実か?・・ぼんやりと町中を歩いている多くの世間常識人の姿か、

普通では考えられないような、必死の体験報告をしている者か?・・

どこかの権力闘争なのか、世間常識を覆すような名もなき真摯な経験者か?

 

そうだ、

わたしはこの肉体である・・ならば、この肉体が死んだら、

わたしも何もあったものじゃない・・経験も記憶もあったものじゃない。

全ては無に帰した後、どんな経験があるのか?・・ありはしない。

 

多くの人たちが、そういう常識とされる観念で生きてきたのである。

その偶然の刹那の人生であれば、何をしたってかまわない・・、

死んだら終わりだから、あとはどうでもいい・・

嘘を言ったって、騙したってどうだというのか・・

 

今までのこの世界の人類の歴史を貫通する信念であったのだ。

ただ今の時期、

その嘘やだましの幻想世界のカルマの噴出騒ぎが沸き起こっているのである。

その騒ぎの先に・・今度はきっといい世界が来る・・のではない、

 

それを観ている、経験している、

あなたという意識・魂の目覚めの為にこそ・・・、

古い次元世界最終のどぎついフィナーレが、

すでに始まっているのである。

 

目覚めの時は過ぎて久しい、

知恵ある者たちは、

観ている対象、知覚の映像のほうに、はまり込んではならず、

観ている者は・・誰か?、真のわたしに戻ってゆかねばなるまい・・。

すべての体験の因である「真我」に戻ってゆくことを次元上昇という。

 

世界が勝手に次元上昇するのではなく、

魂・意識であるあなたが次元上昇するのだ。

わたし・・意識内面を観察し見出し続ける行為を通じて

その大いなる自己への流れに乗ることで、

前世の記憶を含む膨大な記憶を含む、

より壮大なわたしに気づいてゆくことが出来るのだ。

 

あなたは何に気づき、何を想い、どう行為するだろうか?

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