気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

今起きている事(4)始まっている地球の浄化プロセス

2015-05-27 06:25:40 | 地球の一大変容
●魂は、無数の「わたし」で構成され繋がっている
自意識があって、意図や想いで、肉体を含む自らの存在形を表現しているのが「魂」であって、それは物質・現象を現出・投影する原因体であるからこそ、物質次元レベルを超えている。

魂は、時間や空間という時空世界を越えている。

そう、魂は時間、歴史、空間、場所という次元を超えているのだ。

だから、色々な国、様々な時代、さらには地球の波動域でない別の時空、あるいは星で、生まれ変わりという形態等によって、異なる次元や時空への自己転移、転換しつつ、魂の経験を重ねることが出来るのである。

いまあなたは、その「魂・意識の一端」からこの世界を覗いているようなものだ。

また魂である自己は、単独「1つ」ということではなく、

それこそ様々な転生経験を経験する人格達と言うか、無数の自分履歴といおうか、別バージョンのわたしと言うか、そういうとんでもなく広範囲の<自己>で構成されているのである。

いわゆる前世の記憶といわれるものは、その広大な自己の断片情報だ。

「今・我あり・・」に気付いている顕在意識は、膨大な潜在意識の氷山の一角とも言われるように、まさに無限がその特質である「宇宙意識」の、1部の意識的現れが、今の「わたし」なのである。

●人の自意識は宇宙全体の自意識と等価
単独孤独、1個2個などという物量感覚で自己定義して、自分が肉体だ、個人だと思い込んでいることは、逆に霊的な事実にそぐわわない。

個人我とは、単に広大な「わたし」の1つの側面に過ぎないということだ。



・・・
これこそが「現実」であり、今までの社会常識やら通常観念とやらは、言わば全くのマヤカシと言って良いだろう。

ウソも繰り返せば事実になる、人の信じる事実とはそういう類のものである。

「それがそうだ・・・という思い込み」によって、それぞれ「魂」の知覚可能な世界が出来上がっているのである。

そういう1つの幻想のこの世界は、今のその興行を終えようとしている。

●思い込みという自己演技プログラム
今までの世界のような低いレベルの自己認識観念、自分が肉体でしかないという「思い込み」によって、自己がスタンドアローンの個人、宇宙で孤立無援の独立自己という観念で終始することになる。

これは自己規定、自己限定を経験するための自己閉鎖プログラムのようなものだが、

そういう集団での「思い込み」によって、自分が単に肉体的・物質的存在でしかないという、狭い信念範囲の「体験」をすることになるわけだ。

そういう言わば3次元的な観念世界に在って、魂達は、もともと生とか死を超えている自己を潜在的には知っているために、

自己が消滅してしまうと言われる「死」を怖れるわけだ。

そしてその怖れから、自分だと称される儚い肉体自我に、必要以上に執着することで、自我存続のサバイバルモードが突出し、他者との争いや奪い合いという、エゴ丸出しの姿態となる。

これが地球人類の歴史の特異性であろう。

そして、これは今でも行われているし、今ではその持てる武器の威力が、昔よりはるかに大きくなってしまった状態で、それを最後に使うのかどうかという、崖上の瀬戸際まで来ているわけである。

世界は今その状況にある。

魂達よ、いつまでも寝ていてはならないのだ。

●戦争と戦争の噂の時代
そしてその最終最後の締めくくりの争い、第3次世界大戦等という言葉が、人類意識の表面にちらちら出来てきているだろう。

聖書の黙示録に「戦争と戦争の噂を聞くだろうが、まだ終わりではない」というくだりがあるが、ちょうど今がその時である。

誰でもそれが「愚かな事」だと感じていることを、どうしてもせざるを得ないという者たちは、この3次元的世界でさえも落第するレベルの魂であることを意味している。

それをここでは「霊的幼児」と呼んでいる。

メディアで様々に紹介・報道されている、経済・政治等の指導的な地位にあるとされる者たちは、その多くが、これからの人達・・・幼児的な魂達である。

その幼児たちの、それで何かを得ようとする火遊び行為が次第に燃え広がろうとしている。

いま、ちょうどそこに差し掛かっていることに気付けるだろう。

●エゴは一時の幻想の自己、それが今までのこと
しかしながら、権力・利権・虚勢・物質的快楽等という、極めて儚いものにしがみ付き、それを守るために自分たち以外の全てを廃墟にしても良いという、極大化されたエゴイズムは達せられないだろう。

地球が汚染まみれの廃墟の星になって、悲しみとともに太陽系を周回することはない・・ということだ。

「最大多数の最大幸福」という言葉があるように、「最大多数の最大不幸」を現出しようとする無知なる行為は、宇宙において持続することはない。

いわゆる「悪は栄えたためしがない」というのは、悪というものが不調和でエゴイスティックな思考と行為であるが故に、またエゴはエゴであるがゆえに・・・、エゴ同士の相互破壊、自己爆縮現象に至るということだ。

●これから起きうる地球の自浄化
この世界最後の火遊びの、その意図が明確になり、現象化に移行した段階、火付け火災の連鎖の寸前に、

その大火事は、人類のすぐそばにある「大水」で跡形もなく消されてしまうだろう。

地球自身が水浴びをする、あるいはその身を傾けて、自らに水を注ぐという言い方も出来るだろう。

当然だが、合わせて、人類の築きあげた文明の姿・形も藻屑となってしまうだろう。

そうした場合は、地震や火山噴火のレベルどころの話ではない。

●警鐘はすでに鳴っている
現在増えている地震や異常気象、火山噴火や島嶼の出現は、その警告のようなもである。

だいたい、自分の家が大火事になるのをぼんやり見ている者がいようか?

自分の体に垢や汚れが着いてしまった場合に、我慢して汚いままでいると思うのか?

規模や程度の違いはあっても、やはりお風呂や行水で洗い流すはずではないか?

地球や星々が、単なる土やガスの塊でしかないと思っているのか?

人間達に意識があるように、地球にはさらに大きな「意識」があるのだし、また地球という名の自分の身体上に住まう者たちの、その全てを知っているのは当然ではないか。



全くもって、現代文明は本当におバカな唯物論の極地にあるようなもので、どんなものにも「意識」があるという事、全てにそれなりの「魂」が宿っているという言葉すら忘れ果てた人が多くなった感がある。

山・川・草・木・国・土・悉・皆・成仏 ・・・も迷信という事にしてしまい、

「物・銭・金」、あるいは 「人・物・金」に関するもの以外は、全て「とんでも」や「迷信」と信じ込んでいるようではないか。

もう騙され続けてはならない時期に来てしまっているのだ。

千載一遇の機会、泥のような世界で再び神意識として目覚める体験をするために来た魂達にとって、

迷妄観念に沈んだままの状態で、現象化の始まっている地球自身の一大浄化に遭遇する愚かさだけは、避けるべきではないのか。

そう、くどい様だが、自己自身のこころの浄化こそが今の喫緊のテーマなのである。




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今起きていること(3)今は魂の卒業期

2015-05-22 06:02:44 | 地球の一大変容
わたしとは何か。

あなたは十分に、自分という存在を理解しているだろうか。

ここは肝心なところであり、ちらちらと断片知識を拾い集めるばかりでなく、

既成概念を越えた大きな感覚で、

自分の内面を観察し、本質の自己とは何か、それを浮き上がらせ時期にきている。

つまり魂的な「目覚め」の時期にあるということだ。

本当に気づいているだろうか。

●地球の存在意義
デルフォイの神殿に書かれていたという言葉、「汝ら・・汝ら自身を知れ」のように、

地球にいる理由、人間の宿題は、「わたし」・・自分自身を解いてゆくことである。

自分を解いていって、強烈に有るように見えていた「エゴ」を氷解させること、それを昇華させることである。

これは今訪れている人類意識レベルのステップアップ、古いステージからの「卒業」のテーマに他ならない。

●今は地球の一大サイクルの終わり時期
これが、地球独自のサイクルの最も大きなサイクル、つまり約26000年の地軸の首ふり歳差周期の、その期間ステージでの「魂の最大の学習課題」であるという言い方が出来よう。

地球は、全天で25800年かけてその地軸の傾きを一周させ、全天の星座をひとめぐりするのである。これは地球独自のサイクルでの最大のサイクルだ。




一即多・・・・言わば創造主の転化した意識である、この時空にいるそれぞれの「魂」は、

つまり「あなた」もそうなのだが、

地球のその期間内に、全宇宙から学びに参入しては卒業つつ、様々な転生、人生経験をすることでその魂意識の拡大の学習をするということだ。

これが3次元的意識世界の惑星である地球、いやそうであった「地球」の存在意義の1つとも言えようか。

理解可能だろうか。

●地球という学び舎の次元的リニューアル
例えば学び舎を例にとれば、本来ならばその学び舎の目的は「成長」にほかならず、
様々なカリキュラムが組まれ、思考や体験をすることを通じて自然な人格の成長をうながすことにある。

学校には圧倒的多数の、平均的といわれるお友達もいれば、中には悪ガキ番長や、ご都合主義のお調子者や、やたら級長や生徒会長等になりたがる者もいるわけだ。

あるいはもうすでに十分な成績を上げていて、1学年上でも良さそうな利口なお友達もいる。あるいは生徒にはなかなか理解できないレベルの、少数の大人の先生たちもいるだろう。

身近なところで誰でも経験しているはずである。

そう、地球は「魂の学び舎」なのである。

偶然にポッと生まれて、意味なく死んでゆく生物たちの色褪せた物質世界ではないのだ。




●生と死、転生と幾多の生は登校と下校のようなもの
地球は相当に規模が大きいので、ほとんどの人がそういう風には見なかったかも知れないが、

実際のところ、人類として、生まれては死んでゆく形の・・・、言わば「登校と下校」を繰り返しては、魂の学びを行なえる学び舎、当然ながら全宇宙によって生み出され保護され育成される時空体、

これが地球生命惑星圏であり、非常に美しく、素晴らしくも、ある部分では過酷な学び舎であったわけだ。

そしてある意味での幼年期の世界は、既に終了を告げたということであり、新しい世界が現象として顕れる時が来たということである。







本日も拙い記事をご覧いただき、誠に有難うございました。
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今起きていること(2)地球の建て替えの槌音

2015-05-10 06:20:25 | 地球の一大変容
複雑怪奇な現象にあふれている時には、逆に物凄く簡単に考えたほうが何が何だかよく見えるものだ。
あるいは、現象の根底にある基本原則を探し当てることが本来科学的といわれるものである。
今起きている地球環境の異変は、人類のカルマティックな想いと行為のため、つまりオドロオドロシクも苦痛に満ちた「カルマ」の刈り取り現象というよりは、

既にそれを踏まえ、それを越えて、それを解消し、それらをすべてリセットした全く新しい存在ステージへの切り替えのフェーズに移行しているということだ。

●店舗「テラ」の建て替え

たとえて言えば、店舗のリニューアルのようなものかもしれない。

古くなった店舗、ずいぶんな歴史を刻み込んだお店も、周囲の環境や人の流れが変わり、利益も少なく、店舗の設備も老朽化し、十分な利益やサービスが出来なくなったらどうだろうか。

お店をたたむか、あるいは店舗を「時流に合わせた新しい装い」に変えてニューアルする、つまり<建て替え>を行うだろう。

それも根本的に立て替えるならば、建物を壊して一旦は更地に戻し、その次に新たな建物創り上げることになる。その際には専門の大工や建築技師その他の作業員がやってきて仕事をすることになる。

土台である土地だけを残し、その上の建物設備を思い切って更地に戻すわけだが、

その店に刻み込まれたオーナーや従業員、さらにそこを利用した大勢のお客の、歴史も想いも感動も、一旦は全て建物とともに消えてゆき、感慨深い想いを持つ人々の記憶にだけ残ることになる。

どこにでもある「建て替え」とはそんな感じのものであろう。

この例えのように、実際今、地球規模でのその建て替えの「槌音(つちおと)」が聞こえてきているのだ。

増加する異常気象、地殻変動、動物種の異変等は、その現象化を人間が観ていることを意味する。

●建て替え即ち地球の浄化と再生

地球という大きいシステムで、その建て替えが今行われ始めていると考えてよい。

建て替えは、浄化と再生、昇華としても同じ意味合いである。

何度も言うように、惑星地球は単なる土の塊(かたまり)ではなく、

物資顕現層や生態系や人間の想念フィールドを含む「意識生命体」とも呼べるものであり、

意識⇒意図⇒エネルギー⇒物質・現象という、自己存在顕現形態は、知的・意識的生命体といわれる人間と同質なのである。

人間知のスケールを遥かに越えてはいるが、意識と意思、そして想いがエネルギーとなってその自己表現形、姿形を変えてゆくことに変わりはない。


さらに地球という名の宇宙の1店舗だけではなく、言わば太陽系ストリート全体が今、宇宙規模の新しい都市計画?によってリニューアルされつつあるようだ。

地球や太陽系という、ある意味で閉じた系内だけの突然変異等ではなく、さらに大きな意識と意図の変化と深化、多分に銀河系全体に渡る大きなサイクルに関わっていると考えられる。

●建て替えの槌音と事前退避する常連客

地殻の動きが次第に激しくなり、灼熱のマグマが見えない下層で動いているといわれている昨今。

あちこちの火山噴火が増え、大気に微粒子が混在し、更に大気の変化を加速している。

アラビアのロレンスも、雪の降る砂漠を見たことがない筈だ。

加速する大気の動きによって、かつてない温度急変や集中豪雨も頻発している。

深海魚が浅瀬に頻繁に上がって来ては、これは珍しいと学識関係者は喜んでいる。

魚が不可思議な大量死をして、大漁もつかの間、周囲の人々は我慢できない程の腐臭で困っている。



さらに、なぜか空の鳥が一斉に飛ぶのをやめて急降下墜落している。
焼き鳥屋さんが喜んでいる話は聞かないが、、。



知性の高い何よりも泳ぎの達者なクジラやイルカやあるいは海亀が、ひと気のある浜に上がって、わざわざそのまま・・自己放置している。

それはあたかも、この地球経験のための身体をそこにおいて、主体たる魂が、種の単位で退避を開始していると思えないか?

要は地球の異変が、大気や地殻という物理層から、次第に動物層にまで及んできたということだ。

なるほど確かに、お店の建て替えが行われる最中に、常連客であっても悠長にコーヒーを飲んでいるわけにはいかないだろう。

・・・・
●人類が地球異変のトリガー役

科学者は自然界の「急激な変動」について、いつも原因不明だとしているが、それはあくまでも学術的な「物質化学反応的なメカニズム」が、今一不明だと言っているわけであって、だからといって、地球上の急速な変異現象が存在しないわけではない。

海流や大気、磁場や見えない音波領域等に関する異変とされるのだが、その化学式的解明がどうしたこうしたという、頭での理屈の説明づけ努力はさておいて、先ず・・・現在起きている現象をまともに直視しなくてはならないということなのだ。

それら増えてきた様々な異変を、全て人為的なもの、人工地震や気象改変実験やマイクロ波照射や、潜水艦の強力になったソナー音のせいにすることは出来そうもない。

何故ならば、生起しているエネルギー規模は人為を越えているからであえい、偉そうに言っても所詮人為的なものはトリガーではあり得ても、持続する異変は大自然の動きにほかならない。

そう、自然界に生きている人類も、当然ながら自然の中の大きな要素であるがゆえに、今起きている建て替え現象は、どこか人類の自業自得とも言えるかも知れない。

●今のうちに目覚め、そして直視すべし

権威筋が何も言わないと、民衆はそれらは大したことはないという風に勝手に信じ込んでしまう癖があるものだが、これからは「致命的なこころ構え」となるかもしれない。

たしか西洋には、「幸運の女神には後ろ髪がない」ということわざがあるように、起きてから気付いても、もう後の祭りということだ。

数十年来から、マクロな自然環境において、明らかな変異が起きていること、

それが次第に目に見える現象になってきている事に気付かなければならない。

さらに福島の原発事故の収束さえも終わっておらず、確実に放射能が気中に放出されていても、それが目に見えないということで、あたかもそんなもの無いものとする風潮があるだろう。

そもそも、もしあの原発事故が収束しているのなら、どのようにして終わったのかというシステマティックな説明報告が政府やメディアからあるはずだし、またさらに、この事故の影響を危惧している全世界に対して、その結果を詳細にアナウンスしているはずではないか。

子羊たちは、いつも騙されて毛を抜かれていることに、まだ気付かないのだろうか。

いずれにしても、とにもかくにも、誰かのせいにしているだけとか、権威の発言を待っているだけとか、政府は国民にとって良い事ばかりするはずだとか、何も聞いていないとか、そういうあなた任せの幼児的感性は卒業しなければならない時にある。
・・・

実際には、今までの人類の限度を超えた愚かしい所業を浄化するかのように、聞かぬ、知らぬ、存ぜぬ間に地球規模の「建て替え」が進んでいるのである。

今のうちに目覚め、まず今起きていることを直視すべき時なのだ。

そして、全ての生命にとって恩顧ある地球の、満を持した建て替えを、感動と感謝をもって見守ることが出来る「魂」であれば良いと思うのだ。



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