気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の法則(魂に形なし)

2023-01-29 06:58:26 | 意識の科学(実践編)

この世界で人間をやっているということは、

広大無辺な「意識」(宇宙意識・根源意識)が、この時空間において、

ある特定の意識的個人として集顕しているということ。

 

あらゆる事物も、広大無辺な意識が、時空間内部に個別化したものである。

人間もまたしかり、無限の意識の1つの表現形ということだ。

無限の意識が自身をデフォルメして、個別の人間になっているということだ。

わたしもあなたも、もとは無限の意識なのである。

 

何度も繰り返すが、物質とはそれ自体で勝手に存在出来るものではない。

物質とは、気付き、観察されて初めて、波動が素粒子化したもの。

簡単に言えば、観察を通して意識が物質化しているのである。

気付いている意識の働きが、様々な形となっている。

 

わたしたちの本質は、

広大無辺な宇宙をも生じせしめている「宇宙意識」根源意識でありながら、

わたし・・は在る・・という、個を示唆する意識によって、個別に波動集約している存在であるともいえよう。

 

この世界の科学的表現で言えば、

今まで何度も掲載した「二重スリット実験」での検証で明確だろう。

つまり、

あらゆるものは、観察するまでは位置や場所を特定できない「波動」であり、

観察した瞬間に、気づいた瞬間に物質形態を示現するのだ。

別の表現では、

無限の意識の波動内において、神の「我あり!」・・という自己への気付きによって、無数の”私個人”という人間形態として出現・存在しているのだ。

我あり・・わたしは在る・・自己を認識する働きが、人間という個別化した存在として集約・出現しているということだ。

あなたもわたしも・・それでいま、ここに存在している。

すべての存在の元・・根源意識・宇宙意識から派生・出現したものであるということだ。

 

人間は誰も皆・・自分自身に・・気づいているはずである。

その意味は、かように重大極まりない事実を内包しているのである。

 

わたしは・・在る・・という気付き、

この世界では、その感覚を随分忘れている人々が多いが、

それは生まれてから延々と肉体人間としての存在様式だけを教え込まれてきたからである。

肉体維持、保身、成長、獲得・・すべては家、家族、集団の肉体の生存保全のために注がれてきた。

刹那的な肉体存在としての一所懸命の生き方ではあったが、

そういう生き方、信念体系の世界では、

いつまでも繰り返し、輪廻、カルマの輪にはまり続けることになったのだ。

 

仮に、肉体人間の信念のままで人生を終えれば、

また肉体人間の信念のまま、そういう世界に生まれ変わる。

世界とは、魂・意識の・意識レベルに相応の・・「観察対象」世界なのだ。

 

そういう自己認識であれば、そういう自己を客体化・現象化する。

つまり、

I AM that ”I am”  である。

言わば、どこまで行っても、神の自己創造ということだ。

 

ところで、

あなたの肉体は、あなたの母親が造ったと思っているはずだが、

その母親の受胎・出産も、この地球という時空間の中で、一定の時系列プロセスで自動的に行われている。

その時系列上の出産プロセスは、母親の体内であろうと、自然界の仕組みによって自動的に行われるものである。

つまり肉体の生成も、宇宙(意識)の活動の中で行われているのだ。

 

そして、魂が肉体に宿る‥といわれるように、

その宇宙意識の創り出す肉体出産プロセスに「交差して」

あなたやわたしという、個別化した宇宙意識(魂・意識)が「宿る」のだ。

・・・

高次の自己認識においては、

「わたしはこの肉体である・・」は大間違いである。

わたしは・・わたしである・・者である、

自分に気付いている者である・・

気づく、観察することで対象物を無限にも創造する者である・・

わたしとは無限の意識の個別化・個性化したものである。

そういう事になるのだ。

 

魂・意識は「時間・空間」の制約などない。

意識が波動を物質化して、その動きに満ちた「時空間」を生み出すのであって、その逆ではない。

従来のように、

時空間の中に・その中の肉体に・・魂が宿る・・というのは3次元的世界観での言い方である。

従って、魂・意識の本質から言えば、こうなるはずである。

 

魂の本質は、個性化した・・宇宙意識・根源意識・太源・・である。

根源・ソース・大元・宇宙意識・・・には特定の形は無い。

ただ、無数の形を無限に現し続ける・・それ。

無数に現れた本源の個別化した者・・・それがあなたやわたしたちである。

 

この世界で人間をやっているということは、

広大無辺な「意識」(宇宙意識・根源意識)が、この時空間において、ある特定の意識的個人として集顕しているということなのである。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

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意識の法則(自己認識)

2023-01-21 05:54:25 | 意識の科学(実践編)

”自分自身に気付いていること”が、意識の始まりである。

そこから自己認識が生じる。

純粋に・・気付いている・・・ことから、

次に・・「何に」気付いている?・・が起きるのだ。

その「何?」の対象化が無数に起きることで、その何か・・様々なことが具象化されるのだ。

そのさまざまな「何?」は、様々な意識上の派生、波紋であり、

宇宙の意識に生じる想い、言わば神の思い巡らしよって、その思い巡らしがそのまま具象化しているのだ。

 

意識的存在である人間においては「想念」である。

その想念は、その質に応じて・・時空間に具象化されるのだが、

今までのような唯物論的信念であれば、その具象化に3次元的な制約、あるいは一定の時間経過を伴うことになる。

人が何かを希望しても、なかなかそれが実現しない、それはそういうわけである。

宇宙意識的な純粋さ、当たり前の信念、余計な疑いなどあり得ぬ状態の想念であればあるほど、容易にその何か・・が具象化するのだ。

次元が低いほど、信念体系が宇宙意識と離れればそれだけ、

創造の展開速度は遅くなる。

つまり長い時間を要することになるというわけだ。

・・

この宇宙は空間という広大なスペースの中に様々な天体があり、星々があるわけだが、

我々と無関係に、それは既にそこにあるもの・・ではなく、

それを知覚し、認識しているからこそ、我々が知覚する対象として「存在」しているのである。

・・

宇宙意識と言われるものが、宇宙を意識しているからかそ、「宇宙」があるのだということだ。

自分の人生を生きている・・ということは、

自分の意識があるからこそ・・人生があるという事だ。

同じく、

人生では人間関係や環境、見聞きする無数の事象で満ちているし、

周辺を拡大すれば、社会があり国家があり、世界があるわけだが、

圧倒的に見える・・それらは・・・

わたしの・・意識・・気づいている意識があるからこそ、

わたしを取り巻く環境として存在している。

 

この事実・真実に気づくことが「目覚め」である。

自分自身こそが・・自分を取り巻く人間関係・環境・世界・宇宙の中心なのだ。

これは「利己主義」という超絶愚かなことを言うのではない。

自分を取り巻く世界、宇宙の中心・根源は・・

それぞれ・・わたし・・だという意味である。

 

 

何度も何度もここでは言っているが、

あなたの世界はあなたによって”具象化”しているということ。

目覚めるとは、それを悟るという事だ。

 

他人が言うからではない、教育で教わるからではない。

自分自身で・・・気づくという事だ。

自らに気付いている・・意識・・、

宇宙大においては・・全宇宙を顕現している宇宙意識であり、

あるいは多次元世界、多次元宇宙を顕現している根源的意識であり、

同じく、あなたやわたしたちが顕現している人生の元にある意識である。

 

すべての元は・・空(くう)であり、

その空(くう)の中の無限の可能性から、

空たる自己自身の・・・自己認識が生じる。

その自己認識は、なにもない空(くう)であるからこそ、

なんにでもなることが可能であり、

その、「あれや、これや」という無限の自己認識作用によって、

あらゆるすべてが生まれて来るのである。

 

元は、自己自身に気付く・・意識・・によって生じる。

それは、あなたやわたしという意識でも同じである。

 

さらには、自らに気付くその無限の多彩さ、

自己認識は・・その根源から発する「想い」によって様々に色付けされている。

宇宙は・・宇宙意識(神)の「思い巡らし」によって多彩な宇宙を物理的にも展開しているのだ。

同じく、

人間においても「想い」「想念」「信念」が人生展開のベクトル、シナリヲなのである。

人はその「想い」に意識的になり、宇宙意識と同じように「思い巡らし」ながら、その時空間を創り上げてゆく定めにある。

今までは、意識によって生じる「想い」「信念」が無価値なものとされ、あるいは単なる抽象的な思考でしかないとされ、

その絶大なる創造の法則を知らされないようにされてきたのである。

 

すべては自業自得、自己認識によって、自分が自分を創り上げているのだ。

意識、そしてそこから生じる自己認識、それから方向づけられた「信念」・・の創造力に気付かなかったということだ。

まったく創造力=想像力とも言われる所以である。

 

一般に言われる「想像」は単なる一過性のイメージであるが、それが信念にまで繰り返され、方向づけられると・・創造力となって具象化の流れが起きるのである。

この世も、無数の物質で出来上がっているように見えているが、それは根本的には想念・信念によって具象化されているのだ。

嗚呼、もう、いい加減に目覚めなければなるまい。

 

あなたはいつも何を考えている?

何に信念を置いている?

どんな自己認識であるのか?

わたしたちにとって最も重要なことは、

他人でもない、社会でもない、常識でもない、世界等でもない、

・・・

最も大事なのは・・それなのだ。

あなたの主たる信念を造り替え、

自らの内面からほとばしり出る純なる想いを自らで掲げ、

あなたの人生の前面に押し出さねばならないのだ。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

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意識の法則(魂の不滅性)

2023-01-08 05:51:08 | 意識の科学(実践編)

ここでいう「意識の法則」を再度まとめることにする。

素粒子という物質世界の元にあるものと、我々の意識との関係性を解き明かしたこれらの実証実験と、それから帰結される法則に関しては、

何をさておいても決して忘れてはならない事柄である。

この実証された原則を元に、今までの唯物的世界とは異なる、新しい現実認識、生存世界が生じて来るのである。

 

法則1)二重スリット実験の帰結

素粒子は人間の観察行為によって、波から粒子(物質の元)に変わってしまうということ。人間の観察がなければ、波は波のままであるということ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実証2)ホイーラーの選択実験の帰結

観察以前には物質(粒子)は生じない、つまり世界は人間の観察以前には存在しない・・ということが実証された。

 

実証3)トレンブレイとラディンの実験

意識・集中した想いが、素粒子の挙動に影響を与えることがわかった。

・・・・

これらの実験は、意識によって素粒子の物質化が行われていることを示している。言い換えれば意識によって世界が現象化しているということだ。

観察とは・・意識の働きである。

意識とは何かに・・気づく、気づいていることだ。

 

かのラマナ・マハルシは「あなたが熟睡しているときには世界は存在していない」と言った。

確かに、それは科学によっても実証されたということである。

・・

我々の言う「物質」とは、素粒子(波動エネルギー)の集合した物に他ならない。そして観察によって波動エネルギーが局在化・集中して粒子形状になっているのだ。

身の回りにあるすべての物、人間、世界もすべてそうである。

事実は小説よりも奇なり・・である。

 

象徴的に示せば、下記の絵のように、観察すると粒子・原子になり、観察しないと波動のままということである。

  原子化した粒子  ⇔   空間に満ちる波動

・・

 

これは信じるか、信じないかではなく、

法則をまともに「知るか知らないか」である。

とはいえ、頭だけの情報収集のレベルではない。

真に知れば、それは想い・行為・表現に転換してゆくはずである。

・・・

これらのことに、あなたが今一ピンとこない場合は、未だに自分を肉体として自己認識している深い習慣があるからだ。さらには周囲の同調圧力、集団での認識の威圧に支配されているからである。

このような幾重にも張られた3次元的観念マトリクスに絡まれたままでは、すぐに3次元的、物質偏重の常識世界に引き戻されることになるのだ。

 

つまり、

表面知識は真実を理解しても、努力して自身で実体験しながら、それが深く信念にまでならなければ、この新たな次元認識の定着は容易ではないのも事実である。

しかしながら、成熟した意識人は誰でも、目的地への方向が見えた場合には、その道を確実に進むはずである。

人間の本性として、いつまでも不都合だらけの小さな窮屈な3次元的唯物世界にはいないであろうからだ。

唯物論よさらば!である。

 

たとえば、魂の不滅性も当たり前となる。

我々の観察している物質世界がまず現実として存在していて、我々はその中に生まれて、やがては死んでゆく肉体人間である・・という、いままでの当たり前の唯物的観念は、完全に間違っているということだ。

まず意識があり、それによって物質世界が生じているからには、物質世界がどう変わろうと、たとえ消滅しようとも、意識が影響を受けることはないことが理解できるだろう。

これは昔から「魂は不滅」などと言う概念で知られてきたことである。これは、嘘でも、願いでも、希望的観測でもなく・・事実あるいは法則なのである。

 

あなたの肉体人生が始まって、そして終わろうとも「意識」自体は影響がないことがわかるだろう。

意識は3次元世界的な時間の制約がない。

なぜならば、時間とは物質の連続した動きの流れのことであり、

その物質やその運動、その時系列・時間さえも・・

意識の・・観察対象に他ならないからである。

 

つまり、時間や空間も・・意識によって生じているのである。

どうして意識が客体である時間の制約を受けるのか?

じつに愚かしいではないか。

 

生まれて死ぬというのは「時間」の中での制約にほかならず、意識はその時間の制約などあるわけもない。

始まって、終わったら・・ハイ終了・・実に馬鹿な話である。

 

これらのことに、あなたが今一、ピンとこない場合は、未だに自分を肉体として自己認識している深い性癖があるからだ。

その中には・・肉体(物質)が意識を創っている。意識は頭脳でつくられている・・というもっともらしい常識観念もある。

 

素粒子・物質・もちろん肉体などの観察対象、

観察されたすべての客体は、意識によって・・

時空間内に客体化しているのである。

いや、

意識によって客体化・現象化した集合のことを「世界」と言っているのである。

個々の意識の周囲の世界も、人類の集合意識の世界も全く同じ法則上にあるのだ。

・・

これらの驚天動地の事実に関しても、結局は、

表面知識は真実を理解しても、それが深く信念にまでならなければ、この新たな次元認識の定着は容易ではないのも事実である。

・・

この世界という信念体系から、いまここですぐに「解脱する」ということは生易しいことでもない。

私は・・単なる肉体個人だ・・という今までのこの世界の常識観念を、

わたしは・・肉体や世界に先行する意識である・・という認識へとシフトするのはそう簡単でもない。

しかしながら、人は誰でも目的地への方向が見えた場合には、その道を確実に進むはずである。

より自由度が高く、幸福度が大きく、より叡智に満ちた存在としての魂・意識の在り方へと進化・進展するだろう。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

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意識の法則

2023-01-01 06:22:18 | 意識の科学(実践編)

20世紀から21世紀にかけて物理学的先端分野で発見・実証されたことをまとめてみよう。

これは極めて重要な意識における法則と考えてよい。

つまりこれは意識によって知覚世界が創造されることを意味しているのだ。

 

・・・

実証1)

物理学上の2重スリット実験でわかったことは、素粒子は人間の観察行為によって、波から粒子に変わってしまうということ。

人間の観察がなければ、波は波のままであるということだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実証2)

さらに、「ホイーラーの選択遅延実験」によって、観察以前には物質(粒子)は生じない、つまり世界は観察以前には存在しない・・ということが実証された。

 

実証3)

トレンブレイとラディンの実験によって、被験者の意識が二重スリット実験において、光(素粒子)の作る干渉縞に影響を与えることが実証された。

集中した想いが、波動から物資化への変化に作用するということ

つまりどのように物質化するのか、その集中した想いによって加工・変換されるということだ。

・・・・

我々は長い間唯物論的幻想(まやかし)の世界に没我していたために、この重大極まる実証事実に、いまだピンと来ていない人も多いだろうけれど、

意識的存在である人間は、気付かず知らず自らの知覚する世界を創造していることを実証するものである。

・・・・

今のそれぞれのわたし、あなたの現実が、ほとんど変わり映えしないと感じるために、

一体そんなことあるのかという想いによって、何度もかき消されるかもしれないが、

その強く惰性となった思考・想いの習慣によって、今の現実が変わり映えしない状況に陥っていることを知らねばならない。

 

あなたの現実は、つまりあなたの知覚世界のすべては、

意識による宇宙創造の法則の上に、あなた自身の想念によって創造・投影していることを是が非でも知るべきであろう。

・・・

私たちの世界は、わたしたち以外の他の人々が創るのではなく、

それぞれの<わたしたち自身>が創り出しているのである。

 

この記事をご覧の方は、既に3(4)次元認識レベルを脱した方であるといって良いだろう。

意識という、物質レベルを超えた認識に気付き、注目することで、今はもう、それゆえに、5次元認識レベルに到達したともいえよう。

これはスピリチュアル的な余計なお世話、気持ちの良い勝手な憶測ではなく、

上記の実証1)、2)、3)の科学的実証実験にもとづく帰結である。

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

新年御目出とうございます。

 

2023年 元旦

 

 

 

 

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