この世界で人間をやっているということは、
広大無辺な「意識」(宇宙意識・根源意識)が、この時空間において、
ある特定の意識的個人として集顕しているということ。
あらゆる事物も、広大無辺な意識が、時空間内部に個別化したものである。
人間もまたしかり、無限の意識の1つの表現形ということだ。
無限の意識が自身をデフォルメして、個別の人間になっているということだ。
わたしもあなたも、もとは無限の意識なのである。
何度も繰り返すが、物質とはそれ自体で勝手に存在出来るものではない。
物質とは、気付き、観察されて初めて、波動が素粒子化したもの。
簡単に言えば、観察を通して意識が物質化しているのである。
気付いている意識の働きが、様々な形となっている。
わたしたちの本質は、
広大無辺な宇宙をも生じせしめている「宇宙意識」根源意識でありながら、
わたし・・は在る・・という、個を示唆する意識によって、個別に波動集約している存在であるともいえよう。
この世界の科学的表現で言えば、
今まで何度も掲載した「二重スリット実験」での検証で明確だろう。
つまり、
あらゆるものは、観察するまでは位置や場所を特定できない「波動」であり、
観察した瞬間に、気づいた瞬間に物質形態を示現するのだ。
別の表現では、
無限の意識の波動内において、神の「我あり!」・・という自己への気付きによって、無数の”私個人”という人間形態として出現・存在しているのだ。
我あり・・わたしは在る・・自己を認識する働きが、人間という個別化した存在として集約・出現しているということだ。
あなたもわたしも・・それでいま、ここに存在している。
すべての存在の元・・根源意識・宇宙意識から派生・出現したものであるということだ。
人間は誰も皆・・自分自身に・・気づいているはずである。
その意味は、かように重大極まりない事実を内包しているのである。
わたしは・・在る・・という気付き、
この世界では、その感覚を随分忘れている人々が多いが、
それは生まれてから延々と肉体人間としての存在様式だけを教え込まれてきたからである。
肉体維持、保身、成長、獲得・・すべては家、家族、集団の肉体の生存保全のために注がれてきた。
刹那的な肉体存在としての一所懸命の生き方ではあったが、
そういう生き方、信念体系の世界では、
いつまでも繰り返し、輪廻、カルマの輪にはまり続けることになったのだ。
仮に、肉体人間の信念のままで人生を終えれば、
また肉体人間の信念のまま、そういう世界に生まれ変わる。
世界とは、魂・意識の・意識レベルに相応の・・「観察対象」世界なのだ。
そういう自己認識であれば、そういう自己を客体化・現象化する。
つまり、
I AM that ”I am” である。
言わば、どこまで行っても、神の自己創造ということだ。
ところで、
あなたの肉体は、あなたの母親が造ったと思っているはずだが、
その母親の受胎・出産も、この地球という時空間の中で、一定の時系列プロセスで自動的に行われている。
その時系列上の出産プロセスは、母親の体内であろうと、自然界の仕組みによって自動的に行われるものである。
つまり肉体の生成も、宇宙(意識)の活動の中で行われているのだ。
そして、魂が肉体に宿る‥といわれるように、
その宇宙意識の創り出す肉体出産プロセスに「交差して」
あなたやわたしという、個別化した宇宙意識(魂・意識)が「宿る」のだ。
・・・
高次の自己認識においては、
「わたしはこの肉体である・・」は大間違いである。
わたしは・・わたしである・・者である、
自分に気付いている者である・・
気づく、観察することで対象物を無限にも創造する者である・・
わたしとは無限の意識の個別化・個性化したものである。
そういう事になるのだ。
魂・意識は「時間・空間」の制約などない。
意識が波動を物質化して、その動きに満ちた「時空間」を生み出すのであって、その逆ではない。
従来のように、
時空間の中に・その中の肉体に・・魂が宿る・・というのは3次元的世界観での言い方である。
従って、魂・意識の本質から言えば、こうなるはずである。
魂の本質は、個性化した・・宇宙意識・根源意識・太源・・である。
根源・ソース・大元・宇宙意識・・・には特定の形は無い。
ただ、無数の形を無限に現し続ける・・それ。
無数に現れた本源の個別化した者・・・それがあなたやわたしたちである。
この世界で人間をやっているということは、
広大無辺な「意識」(宇宙意識・根源意識)が、この時空間において、ある特定の意識的個人として集顕しているということなのである。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。