人類に起きている危機は何かといえば、汚染された地球のまま、いまのままでは様々な種の生存を保つことはできない時期が来ているということだ。
人工的な世界的疫病騒動は、とうとうやってきたその限度の合図である。
とうとう、胸突き八丁の・・峠越えがやってきたのだ。
何事も、限度を越えれば、事態は急変することが多いように、
このフェーズでは、全ての出来事が短時間で一気に生じる傾向がある。
つまりカタストロフィー的事象が起きやすいという事だ。
じりじり引き延ばされるゴムは、その弾性の限界を超えた瞬間に一気にはじけ飛ぶように、
暖められた水が、100度を超えたあたりから一気に蒸気へと変化するように、
人が作り笑顔で我慢していた状況から、いきなり怒り出すように、
ある限度、あるいはしきい値を越えた瞬間から「相変化」を起すことになる。
それまでの悠長で緩慢な変化から、カタストロフ的変化に移行するのである。
あるタイミング、トリガー・・が起きれば、
以降・・当然ながら・・事態はその様相が異なってくるのである。
・・・
今回のパンデミックは、そのトリガーの1つ、
人間の創り上げてきた支配的愚行の最たるものともいえよう。
なぜならば、
自分たちを自滅させようとするプロセスに・・全然気づかない・・、
そんなことが起きているはずも、起きるはずもない・・
・・と思っている人が未だに多くいるからである。
世界のあらゆる組織が大なり小なり巻き込まれていることを見るならば、
今まで一体どういう世界であったのか明らかにわかるはずである。
この世界は良い人たちが、法的秩序に則って世界を運営している・・、
まさかそんなことを信じているのだろうか・・・。
ならば、人類削減なんかあり得ない・・と思うだろう。
しかしながら、
そういう人は、逆に・・・未だに・・
自分のこころの中に潜む利己主義的想念を暴けていないということだ。
この世界は・・3次元的物質世界、こころや魂への気づきが少ない世界、
とりあえず死にたくはない・・まず自分さえ良ければ・・・という、
肉体自我の生存競争の世界であったことに気付いていないということだ。
この今までの人類意識の闇の部分が理解されれば、
なぜ疫病騒ぎが世界的に起こされているのかも、
よくわかるようになるだろう。
浄化の前の最後のサバイバル時代が・・今来ているのである。
残念ながら、これからはカルマの放出現象であり、
利己的人類のカルマであるからには・・
どんな利己主義のゲテモノが出てくるのか・・ということなのだ。
まず、世界を巻き込んだ、コロナパンデミック、
それ自体からは、決して良いことは起きないことに注意すべきである。
このコロナから、そして用意周到に出てきた何種類かのワクチンなるものから、
きっと何か良きことが起きるということはない。
mRNA型のワクチンによって、遺伝子が変化し優秀な人類が出現・・なんてことがあるわけもない。
例えかつて部分的な改変、断片化の憂き目を経て来たとしても、
悠久の時を経てきたこの地上人類の英知たる遺伝子・記憶・情報が、
たった数十年の遺伝子工学、バイオテクノロジーで「ばら色」に変化するわけはない。
たとえ百歩譲って、品のいい言葉で繕ったとしても、それら結果を保障しない無責任な実験に過ぎないのである。
何の保証も責任もない実験材料のことをモルモットと言っている。
気付かず知らずのモルモット・・嗚呼・・何という愚行だろうか!
タダより怖いものはないというのは、普遍的な戒めかもしれない。
未完成な実験 (自然療法大学の動画より)
カルマの中から噴き出たものに・・どんなより良き未来があるというのか?
カルマの噴出の後の・・古く・腐敗したものがすべて出終わり、
それが次なる世界の・・滋養に変化するまでは・・
決して手を出してはならないのだ。
・・・・
静かに自己自身であり続ける修行をした経験があるならば、
こころ静かになればなるほど、意識が澄んでくればそれだけ、
かつての様々な雑多な感情や想念が沸き起こっては、
消えてゆく様を目撃したことがあるに違いない。
気づきが・・困惑のマインドを観る・・より高次の意識に至るならば、
騒ぎを増大するだけのマインドの騒ぎに、
巻き込まれずにいることの重要性を理解できるに違いない。
どれかの困惑マインドに巻き込まれれば、元の木阿弥である。
何度も、きっと経験があることだろう。
この世界での輪廻転生も・・似たようなものなのである。
・・
真実の筋を独自に調査しつつ情報を発信しているサイトなどを観れば、
ワクチンを積極的に推進している国に限って、
さらに感染が拡大している状況がわかるはずだ。
繰り返し言うが、
このような騒ぎとの関係を断てば断つほど、
感染や蔓延の事象は起きていないことに気付くべきである。
ワクチンの役目の真相 (地球の記録・アースカタストロフレビユーより)
資本主義的な悪しき需要創出の1つの形態、
新たな問題が陰で作り出され、
その問題を解決する新たな手段が用意され、
有難くその手段を行使すれば、またまた問題が出て来て、
さらにまた解決策を求めることになる。
こうした恐怖に基づく・・負の「需要と供給」の罠にはまるのである。
余計な戦争も、病気も・・実はこうやって作られてきたのである。
また主要メディアを使って情報を散らかすため、表ざたにはなりにくいものだ。
人類の膨大で複雑なマインドの構造の中に組み込まれた利己的想念、
競争、闘争、などは・・元にあるのは利己心同士で相争う事から生じる不安や恐怖の想念で起こされているのだ。
自己の本質を知らず、知らされず、探求もせず、
ただただ、自分が一時だけの物質体、肉体人間であるという信念であれば、
必要以上に死を恐れ、負けを恐れ、そうであるがゆえに、
それを回避するための強い支配を求めることにもなるのだ。
それが光であろうと闇であろうと、
とりあえず・・自分さえ良ければ良い・・ということになる。
けっきょくは、騙す側も、騙される側も・・・
同じ利己的想念で動いていることがわかるだろう。
よくよく考えれば、そういう利己的想念で満ちた世界は、
過酷なバトルの世界を創り上げるか、
あるいはバトルを抑えるため、一切を凍らせ一元管理下に置くような、
不自由で不活性なデストピア社会にしかならないだろう。
逆に、自分の利益以外の、何か誰かのために思い、行為することは、
それが例えどんな小さな想いや行為であっても、
その意識ベクトルの方向性の違いによって、全く次元を異にすることになる。
嗚呼、地球人類は過酷な時空間で、とうとうここまでやってきたのだ。
やってきたカタストロフ的浄化の時、今ここで起こされた危機に目覚め、
その思いや行為の意識ベクトルを切り替えないで、
・・・一体全体・・この先どうするのだろうか。