気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(15)存在と波動

2021-03-31 07:20:18 | 意識の科学(総合編)

存在とはなんだろうか?

有ること、在ること、物ごと、事物、物質などのすべてを指す。

世界は存在で満ちている。

我々の存在、肉体、物質、環境、自然、宇宙は存在の多様性そのものだ。

 

そのあらゆる事物を構成している「物質」は、

細胞、結晶、さらに分子や原子でつくられていて、

原子はさらに微小な電子や素粒子でつくられている。

 

そして素粒子レベルでは、粒子性と波動性を備えている。

粒(つぶ)とは「塊」状の存在形であり、波動は振動・伝搬する「波」だ。

粒というのは塊(かたまり)であって、そのものずばりの物としてとらえているが、物は微細になればなるほど、その塊(かたまり)は解(ほぐ)れていって「波」になってしまうという事である。

量子科学では、物は確たる「存在物」ではなく、素粒子の微細レベルでは”波動函数”として表記される。

その波動は・・粗密さ・振動数があって・・物的な確たる存在形ではないことは理解可能だろう。

 

絶対・・在る・・物はなく、・・あるのは存在 ”確率” なのだ。

極端に言えば、相対的なもの

「在るかどうか?・・さあどうだろうか?・・」という類の、確率的な存在という事である。

物質とは・・絶対ある・・とは言えない・・

波の動きで表される"確率的存在"のことなのだ。

 

つまり物質も・・究極、元は「波動」ということになる。

そしてさらに、その物質は・・人が観察した時に・・波動が崩壊して粒子性を帯びるとも解釈されている。

観察していないときには・・波として存在している(だろう)けれども、人が肉眼や機械や測定機器で「観察」することで、初めて粒子性(物の塊)として出現する・・とも解釈される。

 

簡単に言えば・・・、

観ることで、”波動”関数が崩壊して ”粒子” になる。(と観察される)

 

微細ではありながら・・「物」として観測できる・・ということである。

観なければ・・確率的な波動のまま・・在るのかどうかわからない・・のである。

それらが集まってマクロレベルになった状況が、我々の現実と呼ばれる世界。

現実とは、ある意味、いい加減な世界のことだ。

 

いきなりそんなこと言っていいのか?と思われようが、

観る行為・・観察・・人の意識的な働きが無ければ・・

事物は物質化しないという表現もできるわけで、

物質化・・とは知覚可能化でもある。

 

ここが肝心なミクロの点である。

 

気づくことが無くて・・どんな対象物もない・・。

事物とは・・観察されたもの以外の何ものでもない!

 

文字通り、気づけば(笑)全くの自明なのだが・・・、

もう何千年も?・・・このことに気づかず、

物質の塊の中にうずもれていたのである!

 

多くの人は、まだ自分が物質、肉体であると言う感覚の中で、頭を傾げているだろうか?

 

 

 

意識の介在なくば、何事も存在えしない。

意識を抜きに、物が勝手に存在しているわけではないのである。

ここが最も重要なところなのであるが、

ほとんどの人はサラサラ流して逃してしまうのだ。

 

ここには、神智学・哲学などの精神的なものと、現代科学をはじめとする物質的なものとの重要な接続点がある。

 

いや、接続点というと小さな要素のように感じるだろうが、

それは、精神(マインド)と物質を超えて、精神と物質の元になっている・・より高次のものを指し示しているのだ。

ここ・それ、・・とは繰り返し繰り返し記事にしたところの・・「意識」なのである。

マインドと物質環境を含み、それを超えているところの、

高次の・・わたし・・意識・・そのもの・・である。

 

あなたの意識・・がなければあなたの世界は生じていないということであり、またそういう意識が集合して様々な世界を創り上げているということを示しているのだ。

この地球という次元の惑星もそうである。

 

物質と称される物でみちた世界が、

意識と関係なく、勝手に存在しているわけではないということは、

昔からの宗教・精神的見地からの物言いと、

量子論的な科学的知見からの解釈の一致によっても明らかであろう。

 

しかしながら・・・、

真のわたしとは何か?・・自分自身が本当はどういう存在か、

肉体、マインド、意識について探求した場合や、

あるいは、既に潜在意識において知っている者だけが、

このことを直に理解できるのかもしれない。

 

わたしとは誰か?

広大な世界、宇宙のなかの、小さなこの体に過ぎないのか?

それを吟味し思索するマインドなのか?

あるいは、それを含み、それらすべてに気づいているところの、

・・・創造の根源なる波動、魂・意識であるのか?

 

あなたはどう自己認識しているだろうか?

 

 

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(14)魂の転移

2021-03-25 07:36:15 | 意識の科学(総合編)

 

意識・気づきが無くて・・その知覚対象・世界・時空間は生じない。

あるいは世界・時空間は・・魂の・・・表現展開場フィールドともいえるのである。

魂は時空を超え、時空間を転移・創造する本質であるということ。

これが理解できることが重要だ。

 

わたしは・・わたしだと気付いていること・・意識は、

I AM という自己創造原理であり、

気づきの総体・・魂・・の基本であり、現象や時空をはるかに超えている。

時空を超えているからこそ、

つまり、様々な時空間(世界)の中での転生、

あるいは時空間(世界)から別の時空間(他世界)へと転生するのだ。

 

時空内で、時空の相互で、転移・転生するのは・・魂という本質であり、

それは無数のエネルギー・情報・記憶を蔵している。

またその情報の一部は、

降下次元先での経験母体・体内のDNAにも転写されているはずだ。

そう、

あなたが転生して、今人間として今ここにいる・・のがその証拠である。

人体の設計図である遺伝子のなかのジャンクDNAという膨大な未知の領域は、

いまだ気づかぬ・・わたし・・魂の・・無数の情報が転写されているとも言われている。

 

物理的な法則で言っても、物体の運動ですらエネルギー保存則というのがあって、そのエネルギー・情報は消え去ることなく別の物体運動に転化するのだ。

 

意識・気づきのことなど単なる思考のようにあしらい、

わたしとは・・時空間・世界の中に偶然生まれた、

一過性の肉体個人単体であると信じ込む。

そういう意識体を・・3次元世界の住人という。

 

そこの住人たちは、肉体が自己であると信じ込んでいて、

死んだらすべて終わりという事からくる「恐れ」を持て余し、

それを何かの代償で誤魔化しながら

とりあえずの肉体主体の自己保身・利己主義に明け暮れることになる。

 

未だ、より高次の・・意識(魂)に気づいていない状況であれば、

刹那的な生存の中での、肉体の生き残りだけが主要テーマになる。

そのための様々な組織であり、現代の資本主義であり、過当競争であり、

そして奪い合いであり、闘争に他ならない、

 

これが今までのいわゆる3次元的世界であった。

過酷で粗い世界であって、決してお花畑的世界ではない。

あなたは良く知っているだろう。

 

この世界は3次元あるいは時間を入れて4次元とも言われるが、

そこには「意識」という最重要ファクターが抜け落ちていて、

ただ単に、空間の中で様々な物質が動いているだけというような、

3次元的世界観の中で生きていたということだ。

 

その中では物質的な富や権力が幅を利かせるのも仕方がない。

なにせ、肉体レベルの安楽と保持・保身のための富や物量権力以外に頼るべき何物もないと信じるからである。

 

いままでは、

一体誰が・・3次元とか物質とか・・それを認識しているのか?・・・

意識・あるいは心・この重要なファクターが計量、測定できないからといって、

役に立たないものとして無視され、欠落させていたということだ。

精神やこころが・・なんの役に立つ?

役に立つのは・・銭や金や権力だ・・と、

物質レベルの肉体を攻撃しての支配が重要だということにもなる。

 

結局その信念体系では、死んだら終わりなのに・・である。

それが何の役に立つ?・・・・何の役にたつわけもない。

権力や支配、・・実際のところ、お笑い草ではないか?

気づけば、随分と程度の低いだまし(フェイク)ではないか?

 

全ては・・「自分は肉体である」という低い自己認識が原因なのだ。

難しい枝葉の諸理論は・・伐採すれば露と消えゆく枯枝葉でしかない。

 

この世界は3次元あるいは時間を入れて4次元とも言われるが、

そこには「意識」という最重要ファクターが抜け落ちていて、

ただ単に、空間の中で様々な物質が動いているだけ・・、

また、人間は考えることが出来るタイプの、

その物体の中の肉体動物であるという、

3次元的世界認識の中で生きていたということだ。

これはつまり・・、

文字通り・・3次元的時空間やそのなかにある物質の中に、

ある意味で・・・、

・・意識(魂)が閉じ込められていたのである。

 

多くの人が地球以外に出ることが出来ない現象、

あるいはこの中での輪廻転生もその具象化なのである。

科学技術がどうのということではない。

 

知覚の対象、想いの投影である世界や肉体の方ではなく、

魂・本質としてのわたし・・意識、

それに明確に気づくことが・・目覚める・・ということだ。

物質肉体ではなく・・意識・・としての自己に戻ることが、

次元上昇である。

 

繰り返して言えば

意識によって世界が知覚認識されるのであって、

世界が勝手にそこにあるのではない。

 

簡単に言えば・・意識が先・・なのだ。

意識が世界のもとにあるもの・・。

これに深く、深く、大きく・・気づくことが、意識の大転換であり、

意識の大転換が起きれば、当然ながら・・

その存在たちの認識世界がそれ相応に激変するのである。

 

 

ところで、原子や素粒子の知識があればわかるように、

物質とは・・形が粗く粗大に仕上がった ”波動の集合形”に他ならない。

 

つまり随分と粗大で粗い波動の中に閉じ込められ、動き回りながら、

その中の輪廻転生すらも気づかない・記憶喪失の中で過ごしてきたといえよう。

それがもう、終わりかけていることに気づいているだろうか?

ーーーー

 

昨今は宇宙レベルでの魂の系譜・経歴の話がユーチューブでも出ているようだ。

どこまでほんとうかどうか?

嘘や騙しはあるのだろうか?

信じられるかどうかはあなた(の意識開花レベル)次第ということになるが、

少なくとも、

知覚投影されたこの世界の混乱がどうなるとかいうことよりも、

壮大な自分自身(魂)の本来の可能性の方に、

いまこそ意識を向けるべきだろう。

 

それに、・・過ぎたるは及ばざるがごとし、

いずれは誰も皆、この世界を去る時が来るのだ。

塗り固められた狭い常識の世界を味わうのは、

もう十分すぎるほど尽くしたのではなかろうか?

魂の壮大な物語

 

 

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(13)気付きと存在

2021-03-12 04:28:09 | 意識の科学(総合編)

これは数十年前に、実際に米国で行われたとされている話だが、

大勢の人が集まる、あるパーティー会場で催眠術のショーがあった。

日本で言うドッキリカメラのような、催眠術の面白さを示すTV番組かなにかの催しだったようである。

 

・・・

催眠術師が、ある人(A)に「これからこの会場に来るある男の人(B)だけが見えません」・・という催眠を掛けた。

その遅れてくるBという人は、もちろん被験者(A)の顔見知りであった。

 

・・

催眠を受けた後、それ自体も忘れるように暗示を掛けられた被験者(A)は、その後飲み食いしながら、次々とパーティー会場に現れる顔見知りの人たちと談笑していた。

そしてついにBが会場に入ってきたのだが、被験者(A)は彼が自分の近くや目の前を通り過ぎても全く気付いていない様子であった。

つまり催眠術師による、「これからこの会場に来るある男の人(B)だけが見えません」という催眠暗示どおり、Bという人物だけを知覚・認識していないらしいのである。

 

つまり、催眠成功!・・という事なのだが、

・・・

ここで注意すべきことは、

本当に被験者(A)は催眠に掛かっていたのか?

被験者が真面目に催眠に掛かっているかどうかは、第三者の厳しい観察による以外は証明しようがないが、

相当な名優でもない限り、そういう演技など無理だというような素人が使われていることで、その信憑性は高いとはいえる。

昨今ではあらゆるところに嘘・騙し(フェイク)があるため、この番組自体もすべてが「やらせ」である可能性もあるが、実際に催眠術を目撃した人ならば、全てが自作自演のトリックだとは思わないはずである。

ある意味、

催眠・暗示・マインドコントロール自体が・・フェイクそのもの・幻想を創り出すということだ。

・・・

話は戻って、

Bが被験者(A)の近くで喋っても、目の前を通り過ぎても全く気付かないということは、視覚映像は頭脳中枢で受けているはずなのだが・・その存在認識が起きていないということだ。

催眠暗示どおり・・

見えても、見えず・・、眼で見ていても、存在として知覚しない・・ということだ。

催眠によって、意識内がプログラムされてしまい、特定の人物(B)だけを意識中枢で無視することが起きたということだ。

 

これは催眠の不思議というテーマの特番のようなものではあるが、

似たようなことは普段でも頻繁にあることに気づけるだろうか?

 

仕事や勉強中、鉛筆を耳に挟んでいて、「あれ?鉛筆がない」と騒いだり、

鍵・キー・財布等を無くして、あちらこちら探し回ったあげく、最初に入念に見たはずのポケットに入っていたとか、

考え事に没頭していて、人に呼ばれていることに全く気づかなかったとか・・・、

意識しなければ・気づかなければ、その対象たる存在物が無いという良くある例である。

 

つまり、

意識しなければ・・対象物が知覚できないということは分かるだろう。

さらに、

対象物が知覚・認識できていないときに・・その対象物は・・あるのだろうか?

その対象物は・・気づいていないだけで、存在はしているのだろうか?

きっと、

知覚・認識がないけれども・・対象物は存在しているのだ・・と思うだろう。

存在しているけれども・・たまたまその時に気づいていないだけだと・・。

 

気づいていないけれども、対象は存在している・・と考えるが、

そもそも、気づいている・知覚・認識しているからこその対象物である。

対象物が・・勝手にそこにある・・って、どうよ?・・なのである。

気づいていないのに、それが存在するって・・憶測でしかないのだ。

 

大勢の人が居て、あなたが気づいていないときも、

他の誰かが気づいていれば、その旨を、後であなたに伝えることで、

あー、ずっとその物は存在していたんだ・・と憶測するしかない。

 

今の瞬間・・・、在るのは永遠に・変化し続ける・今という瞬間であり、

それを理解している人ならばわかるだろう。

しかし・・その時・・・気づいてないとき、

その対象物は・・あなたにとって・・存在していない

 

ここは実に重要なところ。

 

気づくことで、初めて対象を認識できる。

気づくという働きが無ければ、その対象世界はあり得ない。

意識は・・気づきの総体・また魂であり、

意識なくば・・その対象たる世界も存在しない。

 

覚醒の巨人などと言われた、ニサルガダッタ・マハラジは常にこう言い続けた。

「あなたは至高の実在である。

それを知るために、

”わたしは在る”・・に深く入っていきなさい。」・・と。

 

これは、現象投影の元である・・光源・・のほう、

自らの無限の意識に深く気づいてゆくということである。

当然ながら、気づいてゆく深さ・大きさが、

すなわち、その知覚世界の拡大と味わいに繋がっている。

そのプロセスが、魂の進化、意識進化と言われているものだ。

 

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(12)次元認識

2021-03-07 06:14:35 | 意識の科学(総合編)

自分の肉体の中に意識があると思っているのは、実は大きな間違いである。

視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚などの五感感覚が肉体に装備されているため、

この知覚中枢としての肉体・頭脳の中に「意識」があると思ってしまう。

いや、そんなレベルではなく、もうこれが当たり前だと思いこんでいるため、その考えが絶対のようになっている。

信念になっているため、改めて掘り起こそうとはしない。

 

つまるところ、

”意識”が肉体の中にあると信じ込んでいるために、

自分は肉体であるという、

極めて重い無意識的想念形・信念になっているわけなのだ。

 

いま、あなたの状況を見てみよう。

「でもそれって・・どういうこと?」・・となるだろう。

私は自分の手を動かし、パソコンやスマホを操作し、今この記事を見ている。

「私は・・この肉体を使って何かをしているからは、

この肉体に相違ない・・」と思っているだろう?

 

でもあなたは肉体なのか?・・いや肉体を使っているのか

まず、そのどちらだろうか?・・と考えてみるといい。

 

あれをしようと意図して・・体を動かす、

これをしようと考えて・・何かの行為をする。

つまり体でもあり、体を動かす「こころ」マインド・でもある。

なので、私は単なる肉体ではあるまい。・・これはわかる。

次に、

さらにそのこころ、思考や感情、行為の元になるマインドは、肉体の頭脳で出来ていると「考えて」・・

こころ、マインドも肉体・頭脳の働きであれば、

なんだかんだと言っても・・わたしとはこの肉体に相違ないと・・考える。

結局・・頭脳、細胞などの・・何かの物質的な形をよりどころとしているからだ。

しかしながら・・

これらすべて・・観察した結果を認識する思考に過ぎないのである。

〇〇は、△△・・あれはこうだ・・と「考える」ことだ。

 

「わたしは肉体である・・」という思考・認識があるのである。

ーーー

これらを客観視してみるならば、起きていることは、こういうことになる。

 

「肉体やその行為」に気づいていて、また「思考やイメージ」に気づいている・・だ。

理解可能だろうか?

もし理解可能ならば、その人はいわゆる3次元的世界から足抜け可能な人だと言えよう。

そう、これは個の意識の次元上昇といわれるものに相違ないだろう。

 

例えば、

映画に見入っている人は、その映画の中にいつに間にか感情移入してしまい、映画の中でくんずほぐれつ、ハラハラドキドキ、右往左往することを疑似体験している。

しかしながら、どこか余裕をもって映画鑑賞が出来るのは・・

それは ”あなた” はあくまでも観客席にいて、映画の中にはいないと知っているからである。

 

 

もしあなたが観客席にいる自己を完全に忘れて、

その映画の中に完全に意識を投入してしまえば・・

あなたの周りはすべて映画の中の世界そのものという事になり、

その世界が楽しいものであればまだしも、悪意や無知のふんだんに含まれた物語であるならば、それはもう大変な事態となるだろう。

 

でも、普通はそうはならないのはなぜなのか?と言えば、

わたしの本体が・・映画のスクリーンの中には存在せず、

それを鑑賞している、観察している・・こちら側にいると・・知っているからである。

つまり、

あなたは2次元平面上の物語の中ではなく、3次元的立体空間側にいることを知っているからだ。

鑑賞者、観察者は・・映画スクリーン(2次元)より高次元(3次元)にいる‥ともいえよう。

 

同じように、

今の現実世界、毎日の生活や仕事、大勢の人々でごった返している3次元的世界の、ただなかに生きているわけだが、

それが3次元的なスクリーン世界であると気付くこともできるだろう。

 

スクリーンと言っても2次元平面ではなく、無限の3次元空間というスクリーンであり、その中の1つの波動集約領域である地球という惑星世界、

その中では見る聞く感じる五感感覚の中枢媒体として最適な肉体という衣服があり、

それによって地球という波動世界が体験できるのだ。

 

意識(魂)はその出自が創造の根源(神・宇宙意識・・)であるため、

どんなことにも自己投入・創造することが出来るのは火を見るより明らかである。

 

母体の産道という次元通路を通じてこの世界にオギャーと出現した

あなたの周りには、気づく範囲だけ、ミクロからマクロ、

はるか宇宙の果てまでも含む世界が展開していることが、

その証拠である!

 

我々の世界があり、ミクロからマクロまで無限につながるコスモス・宇宙があるのは、それを映し出す光源・・意識・・によるのだ。

意識は・・肉体の中のどこかにあるわけではなく、

それらをも含む・・すべての中にある。

 

山川草木、国土悉皆成仏。

 

そう・・全ては・・(宇宙)意識の現れであり、元は意識でないものはなく、

意識は分割し得ないため、元はひとつ、

またあらゆる時空、展開する次元に行き渡っている。

 

あなたもわたしも、多くの人々も・・その肉体形態・マインドの深さ大きさにかかわらず、意識の現れ以外にないということだ。

 

またさらに、人間は小宇宙であるとも言えるだろう。

メビウスの輪の向こう側は・・こちら側と一体であるように、

そう、

わたし(意識)は私の肉体の中だけにあるわけではなく、

そうではなく、

わたしが見る世界のすべてが・・実は・・わたし(意識)なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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