気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

続・今起きていること(8) 背後にあるもの

2021-05-18 12:35:33 | 地球の一大変容

今地球規模で起きていることの背後には何があるのかといえば、

はっきり言って地球の ”人口問題” である。

つまり、増えすぎた人類の旧態依然たる活動が、

地球の生態系・環境における過大な負荷となっており、

この負荷を軽減しなければ、

もう地球環境維持・生態系のバランス維持は如何ともしがたい状況にあるということが考えられるだろう。

世界中で必死に開発されるスーパーコンピューターもだてにあるものではなく、

無数の諸条件を入力すれば、地球環境の維持可能な予測年数までもはじき出されてくるはずだ。

 

 

とにかく、

人口問題はもう何十年も前から言われ続けてきたのだが、

それはすなわち生態系や環境の破壊の問題であり、

さらに人間にとってはエネルギー、食糧の問題でもある。

 

様々な異常な出来事が増えてきている昨今、

明らかに自然発生的ではなく人工的・演出的と思われる、

ここ1・2年の疫病パンデミックも、その背後にはいわゆる人口問題があると考えて良い。

 

結局のところ、

今まで「まだまだいける・・」と無視し続けてきたつけが大きくなり、尚更痛みを伴って回ってきたといえよう。

とはいえ、

都合の悪いものは、無視して踏み倒せばいいというものでもない。

負債の返済時期、カルマの解消時期、

あるいは人類の生き方を、抜本的に変革すべき時が来たということだ。

 

コロナの蔓延という、

明らかに人工的なパンデミックも次なる戦争への噂や足音も、

そのすべての背後にあるのは、

云わば宇宙船「地球号」の増えすぎた人口が故なのだと考えられよう。

繰り返しになるが、人口問題は、

すなわち生態系や環境の破壊の問題であり、

無数の動植物の種の保存の問題であり、

さらに人間にとってはエネルギー、食糧確保の問題でもある。

 

そうだ、

今はもう小さくなってしまった地球号の中の大勢の乗客たちは、

決して安閑としていられない時期に既に突入した・・ということであり、

残念ながら、猶予時間はあとどれくらい・・という今さらながらの噂話でもないだろう。

 

普通では、決して表ざたにはできないところの水面下の動き、

その小さな船に乗る乗客の数、人口を減らす方向への強い動きが、

とうとう人類内部から起きてきたという事に気づけるだろう。

それを密かに行う悪玉や、いつも犠牲になる善玉の問題でもない。

 

・・そんなことあり得ないだろうか?

これは人道上あってはならないことだろうか?

また人道上・・とは、人間が何をしたとしても、人間の生命だけを保障するものなのなのだろうか?

いいや、違う。

地球の生態系・生命場があってこその人類、人道である。

 

したがって人類の所業に起因する真の危機が迫っているからこそ、

地球の負荷を軽減しようとする方向性を持った動きも起きてくるのだ。

あるいは、公正さに欠けた椅子取りゲ-ムのように、

自分たちだけは助かろうとするエゴイズムも含めた動き

巧妙に各人自らの意思に沿った形に誘導された人口削減の動きも、

この後に及んでは、決してあり得ないことではないのだ。

 

しかしながら、ここは大きな視点でとらえる必要もあるだろう。

 

母なる地球という時空生命場の目的は、

宇宙での無数の生命形態を生み出し育むことにあり、

さらに意識・生命体たちがより大いなる魂へと成長する為の場を提供することであるならば、

常にその宇宙的意図、宇宙法則とも言える流れに沿った変化が起きてくるものであり、

人減らしを狙った、造られた疫病騒ぎとその執拗な宣伝行為にさえも、人々が知るべき重要な意味があると言えるだろう。

 

意識ある人は、

今起きていることの背後にあるものに

常に気づいているべきであり、

出てきては流れ去る、

古い時空のカルマの濁流に巻き込まれない事であろう。

 

いずれにしても、”覚悟の時代” が到来したようである。

そして、今はもう・・あなたは目覚めているだろうか?

 

 

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(25)波動と次元上昇

2021-05-02 07:40:07 | 意識の科学(総合編)

気づくことなく、その対象・事象は存在しない。

気づきが無くて対象物が独自に存在していることは実証不可能である。

 

量子論では、観測することで始めて未分化の波動(函数)が崩壊して、物質素粒子として観測される・・という表現をするが、

観測・観察とは・・人間の意識によって”気づく”ことであり、

気づくことが、そのもの・・対象物の存在証明なのである。

 

意識的存在であるわたしたちの在ること・・そのもの、

繰り返すが、これは深く熟考・吟味すべきことだ。

 

あなたが何かを見る・観るということは・・気づいているということだ。

意識と呼ばれるものは・・人間の精神とか思い、こころという意味を含んで使われるけれども、

その根本には・・気づき・・があるため、

意識とは・・気づきの・・総体であると言えるだろう。

 

ちなみに「精神」を「神の精」と書いて、人の見る聞く感じる、考えるなども含めて意識等と呼ばれるけれども、

・・・その根本には・・純粋な「気づき」がある。

「ふと思う・」・インスピレーション等の気づきではなく・・

当然それを含む、もっと根源的な、

あらゆるものに浸透している「気付き」・・それを神意識・宇宙意識という。

あらゆるものに気づいている・・根源的意識・神意識・宇宙意識は、

同時に・・あらゆるものになっているということだ。

 

科学的に言い換えるなら、気づいていること、

根源的な気付き = 究極の波動・・である。

全ての波動の元になる・・究極の波動・原初の波動・・神の息吹、

先端科学で言うところの・・すべての物質の根源的波動エネルギー、究極のクオークともいえよう。

・・・

われわれが周囲をよく見て観ると・・わかることは何かといえば、

つまり気づいているからこそ、その気づきの対象物があるということ。

古い唯物的信念体系がゆえに、なかなか理解しにくいのも確かだが、ここが意識進化の峠のようなものであろうか。

 

普通の観念では環境・物質がまず先行して存在していると考えているし、

それを成立させている意識のこと等、皆目気づいていないが、

しかしながら、そもそも存在とは・・意識的な知覚対象のことではないか!

 

気づきの総体である「意識」なく・・様々な物質・環境、世界・宇宙も存在しない

環境・物質が先にあって、その結果・・生命・意識が生まれたのではなく、

物質環境世界・宇宙の中に、偶然に・・意識が生まれたのではない。

元は根源の意識であり、それが波動を様々に変化・降下させつつ、個別の魂、意識、生命、事物・事象へと展開しているのである。

波動の塊形である物質が、どうして意識を生じることが出来ようか、

その真逆の、意識がすべての波動形態の元にあるものだ。

 

これを真に理解すれば・・・、唯物論的自己認識、物質世界観は・・完全崩壊するだろう。

つまりその人の今までの、時空・物質主体の、三(四)次元的世界観は終焉してしまうのだ。

崩壊・終焉といっても、知覚対象の集合体である世界がガラガラ崩れ、爆発炎上するとは限らず、

世界が・・わたし・・意識上に展開する多次元投影像に過ぎないことを悟るということだ。

その悟りの意識に相応する世界が展開することになるということだ。

・・

そして、この世界・地球という特殊な次元投影像の中にアリジゴクのようにはまり込んでいた状況から抜け出すことにもなるだろう。

昔から言う「解脱(げだつ)」は個々魂意識の次元上昇を意味している。

次元上昇は科学論理的にわかりやすく言えば、

四次元から五次元、六次元というように、低波動から高波動に上がるということであり、

それぞれの魂・意識の内在波動の振動数が上がるということだ。

 

あるいは物質への自己同化から、本来の魂・意識としての自己に引き上げる・引き戻すこと・・・ともいえようし、高次元への帰還・・ともいえよう。

次元と波動の関係が理解できるならば、

魂・意識の波動・振動数が、

究極の根源波動に向かって波動を上げてゆくことで、

自然に・・低次から高次へと次元上昇が起きるともいえるだろう。

 

いつもそうであるが、当然ながら注意すべきは、

次元上昇などと言われる事象も、あなたや私に無関係に、勝手に環境世界が変わるのではないことは明らかであるということだ。

 

 

宇宙・生命・物質・時空間・あらゆる知覚・認識対象は・・

本源の ”気付き”・・それらの総体である意識によって、

多次元的に投影されている姿・像であるということ。

 

物理学のひも理論で提起されたように、多次元的というのは、

超微細な素粒子・クオークの振動パターンや振動数の違いということになる。

つまり、次元の違いは・・振動の違いということであって、

これらはあくまでも、意識上の 多次元的知覚対象世界ということだ。

 

そして、それらの元には・・気づいている・・ことがある。

神の眼差し・・、全ての根源・・ソース・・宇宙意識・・

今ここで、そこで・・どこにもある・・すべてが気付き・意識である。

誰も皆、なにもすべてそこから、決して分離も隔離もされてはいない・・。

 

 

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