気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

内なる創造の主

2022-11-25 05:50:27 | 意識の科学(実践編)

波動性と粒子性を併せ持つ素粒子は,

人が観察することで粒子として現象化する。

 

「粒子」が集合した形が原子であり、さらには分子という物質形である。

つまり、観察されない場合はあらゆる物質は、我々が日常物質として扱っているもの、そのままの姿では存在しないということだ。

いや存在しているという証拠は無いということだ。

だって、観察しないと・・観察対象が現れないからである。

 

簡単に言えば、

有るものを、観察するのではない。

観察によって、有ることになるのだ。

・・・・

わたしたちが、今までのように物質環境で生活しているのは、

わたしたちが・・観察・・しているからなのだ。

観察しなければ・・世界は存在しているなどとは明言できないのである。

よくよく考えれば、非常にシンプルではないか。

どうして気づかなかったのか?みたいな。

 

日常レベルで言えば、見て聞いて触って・・という五感による知覚が無ければ、どんなものも存在していないということだ。

何度も繰り返すが、観察・知覚しなければ・・どんなものも存在しない。

つまり、物質が元から勝手に存在していて、わたしたちは・・後追いでそれを知覚するのではない。

 

様々な物質なるものは・・わたしたちが観察、観測、知覚するまで・・・

それまでは・・決して存在していないのである!

スピ系、悟り系の誇大妄想的な想像言説ではなく、唯物論的な手法で実証された事実を表現しているだけのことだ。

・・・

あなたがいなければ、あなたの周囲の世界も、夜空の星もさらには無限遠に拡大しているだろう、あの宇宙さえも存在していない。

・・・

 

 

あなたが身の回りに見ている、触っている、聞いているあらゆるものは物質と言われるものである。

机、スマホ、本、カーテン、テレビ等‥は五感で知覚しているものだ。

それが物質である。

その物質は、あなたが観察・観測しない限り物質としては存在しない。

これが非常に懐疑的で注意深い手法を使って実証された、量子力学的に検証された事実なのである。

・・・・

物質を集中して分解した先にあったのは、単なる波動でありその波動を粒子として知覚可能にしたのは、

その観察行為・・自体であったという事も出来よう。

 

あなたがいなければ・・あなたの世界は生じていない。

あなたがいなければ、あなたが見る世界も宇宙も何もかも・・

存在なんかしえないのである。

・・・

だからあなたは創造主・神だと言われるのだ。

 

でも、あなたは自分が神だって?へー?

そうなんだったら、何でこんなに不自由で不幸なんだ?

欲しい物は手に入らないし、お金も満足にない・・

愛する人は冷たいし、何も思うようにならないじゃないか!

どうしてなんだ?・・・

と言うかもしれない。

・・・・

それは、自らが観察・知覚している世界への不平不満の想いでしかない。

物や、環境や、人や・・様々なものが、その物質レベルでの小手先でうまくいかないと嘆いているということだし、

あれが無ければ、これが揃わなければ、・・・幸福ではない・・という、

この世界で吹聴され続けてきた、極めて重い先入観念があるからだ。

 

そんな観念に執拗に、執拗に囚われているからである。

でも、しかし、そうはいっても・・、・・・

いつもここに引き戻されるのではないだろうか?

 

事はそんな低次元の話ではなく、

わたしの意識の届く範囲・・世界のすべては・・・

あなたの観察・知覚・・・そして認識によって創造されているということだ。

 

わたしたちが神であることに気付かず、わたしたち自身で創り上げた世界であること忘れ、あまつさえそれが不自由・不出来であると思い込んでいるということだ。

 

だって、みんなが、他の人が、世間様の常識が・・・

そう言い立てて、ためにはならない身の安全ばかりを謀っているかもしれない。

 

残念ながら、これとははるかに次元の違う話なのだ。

わたしたちは・・それぞれが神々であり、

わたしたちの観察・観測・知覚する世界を瞬間創造しているのである。

 

身の回りを良く観て見よう・・・それを観察・知覚するあなたがいるからこその世界だ。

それはわたしたちの意識・観察する行為によって出ているのである。

自ら、知らず瞬間創造していることに気付く必要があるはずだ。

・・・

世界とはわたし(真のわたし・真我)という創造の根源の投影である。

世界とは、環境、状況、宇宙、周囲の人間・そして最も身近なあなたの身体・・・そのすべてを含んでいて、

それを…わたし・・内側・意識・魂を通して知覚しているのが・・創造の主なのである。

 

ちょっと叫んでみても良いだろうか?

 

「だから、神は外には無いってば!!」

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

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物質と波動と意識

2022-11-17 06:16:03 | 意識の科学(実践編)

我々の周囲のあらゆる物質形はすべて「波動」である。

不定形のエネルギーと言ってもいい「波動」であり、

我々の観察によって、はじめて「粒子」として出現する。

それは、今の瞬間の瞬時(ゼロ時間)の出来事であるため、

その観察者たるわれわれ人間はそのプロセスに気付かない。

気付くことで・・物質が瞬時に顕現しているなどとは、

つゆにも思わないのだ。

「そんなはずは・・!」

・・・

今までは物質が先行してあり、既存のそれを我々が見て、聞いて、味わっていると思い込んでいた。

しかしながら、その物質は・・意識の働きとしての「観察」、あるいはそれに気づく行為によって、はじめて・・顕現化するということだ。

波動が、我々の観察によって物質化している。

意識・気づくという行為によって・・波動が物質化しているのだ。

これが物理学上の「2重スリット実験」の真実である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

まとめの図

<観察しているときは、素粒子は粒子としてふるまう>

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<素粒子は観察していない時は、波動としてふるまう>

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

素粒子は粒子性と波動性の両方を併せ持つもの・・というだけではなく、

波動性を粒子性に変換するのが・・我々の意識・・なのである。

 

あなたの目のまえ、周囲にあり、今までも膨大に接してきた様々な物質は、あなたの意識によって・・物質化しているのである!

そしてあなたの身体・肉体までも・・素粒子で構成されている。

もちろん、五臓六腑、手足、頭脳さえも・・科学的に観測される肉体ということであり、それらは現在の科学では、

全て無限数とも感じられる無数の素粒子によって構成されているのである。

 

見る事、聞くこと、触ること、嗅ぐこと、味わう事は「意識」によって行われているとされている。

我々は・・あくまでも肉体・物質の集合形であり、人間の精神・意識とされる物も、

頭脳細胞、ニューロンなどの電子信号によって起きているとされているわけだが、その頭脳の電気信号さえも、細胞、分子、電子、素粒子の働きに過ぎない。

どんな物質も、どこまで行っても、突き詰めれば素粒子の集合形なのである。

そして、その物質の集合形の働きが・・意識を形づくる、

人間の頭脳が「意識」をつくっているなどとしているが、

 

これはまったくの間違い、見当ちがい、あるいは嘘だったのである!

 

つまり物質が・・意識の原因である・・としているが、

二重スリット実験で実証された事実によると、

素粒子は、意識の働きが無い場合にはすべては不定形の波動であり決して物質化していないのである。

・・・

つまり、物質が先で・・意識があと・・ならば、どんな物質も出現できない。

でも、あなたやわたしの周囲・環境は・・物質で溢れているではないか!

 

・・・ただたんにサクサク目を通して記事文章を読むだけでなく、ここはよくよく考え、熟考する必要があるのだ。

そうすれば理解し、大きな事実いや真実を悟ることが出来る。

・・・

そうだ、

わたしたちは環境の奴隷でもなく、

死んだら終わりの物質肉体でもなく、

それらすべての原因・背後にある「意識」であることを、

理解し悟る・・ことが出来るのだ。

 

我々が・・全ての原因・背後にある意識であるならば、

我々の意識によって出現している物質的存在場、この時空間世界も、本当ならば苦も無く造り替えることも出来ることなる。

そのためには・・今までの束縛された観念、まず我々が単なる物質的肉体であるという・・無知蒙昧な超束縛観念を・・

さっさと・捨て去ることである。

 

物質を変え、入れ替え、どんなに形を変えようとも何にもならない。

意識に気付き、意識の方向性、背後の潜在的傾向を入れ替える、

昔から言われる「こころ」を入れ替えなければ、

どんなことも全く意味をなさないということだ。

あなたの根源は・・あなたの意識以外にない。

それが様々な形態として環境化、物質化しているからなのである。

 

・・・

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

 

 

 

 

 

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観察は力である

2022-11-10 07:20:52 | 意識の科学(実践編)

この記事のシリーズは「実践編」であるが、実践とは何も体を動かして行動・行為することとは限らない。

確実に「理解」することが、すなわちスピリチュアル、意識的実践となる。

 

日常の体験の中にも既に偉大なる創造主の魂・自己自身の片りんがあることに気付けることは、その理解・悟りの1つを越えたことになるだろう。

 

真実は外の世界のどこか、誰かにあるのではなく、今・・現に在るあなたの「意識」のその中に、その証拠があるという事に気付かねばなるまい。

これは何度言っても言い足りないことである。

外の世界ではなく、それぞれの・・わたし・・意識・・に帰還せよ。

なぜならば、外の世界はどんなに複雑で、質感・物量感があろうとも、

それは内なる「意識」の投影せる姿に過ぎないからである。

・・・

我々の外の世界はいわゆる物質世界といわれるが、それは原子・素粒子で出来ているとされている。

地球にある自然、周囲環境や人間の身体であれ、それは物質原子で出来ている。

そこには壮大で広く、軽い物からものすごく重い物まで多種多様な物質が存在している。

我々の肉体も物質・素粒子で創られているわけだが、その途方もない無数・無限数の素粒子は、そこに我々以前に、勝手に存在していると考えているだろうが、

実はそうではない!

そうではないのだ。

我々の・・意識があって・・初めて・・

我々の世界にある物質が存在しているということを理解すべきである。

それは、誰もが否定しようのない・・物理的科学で検証されている。

これは現代文明において、物質信奉の行きつくところまで行った末に発見したことである。

意識が物質を創り上げている。

あるいは、

意識なくば、物質は存在証明を得られない・・のである。

 

例えば量子力学的実験である二重スリット実験の結果はこれを証明しているのだ。

その実験では、

物質の小さな要素である「素粒子」は、人間(意識)が観察していない場合には「波」として存在しているが、

ひとたび人間(意識)が介在すると、

その「波」が・・「粒子」に変化するのである。

素粒子、素粒子といって、何か粒(つぶ)塊で存在しているかのように話しているが、

人間が観察しない状況では・・あくまでも「波」・波動であり、

観察して初めて・・物質的挙動を有する「粒子」として現れるのだ。

 

これを言うならば、我々が物質として見て、触っている様々なものは、

どんな知覚もしない場合には・・波・・状態であるということに他ならない。

波・波動は・・存在しないわけではないだろうが、我々がそれを観察して初めてそれを「粒子」、原子・分子・物質として知覚するということである。

 

波動は・・あたり一面にある確率で存在するものであり、生身の人間がその「波自体」を観察できるわけではなく、

粒子として初めて物質形として観察できるのだ。

いや・・言い換えよう・・

意識的に観察することが・・粒子化させるのだ。

・・・・

あなたの周囲に在る様々な事物、例えばスマホ、パソコン、本だな・・ありとあらゆる物質環境の物、そしてそれらの動きや重さ・・

それらすべては・・あなたの意識によって「観察」されて初めて、

不定形の「波」から、定形の「粒子」・素粒子・原子・分子・つまり物質として出現しているということだ。

上記のような原子モデルも、観察による粒子化によってはじめて出現する。それまでは、つまり人間が観察するまでは・・不定形・波の状態である。

 

 

素粒子が粒子性・波動性を併せ持つことは、何もミクロの量子力学的領域だけの問題ではない。

我々の現実環境というマクロの世界も、結局はミクロの素粒子の世界の合成・総体でしかないのである。

 

わかりやすい二重スリット実験

(参考になるユーチューブ動画の1つ)

・・・・

観察することで、波が粒子となり、原子・分子・物質として出現する。

つまり、意識が(物質的)世界を創り上げている・・のである。

あなたが、あなたの世界を創り上げている。

それぞれの意識が合わさって、このような世界を共同で創り上げている。

・・・

そこに世界があって、後で、わたし達(意識)がそれに気付く・・

のではなく、

意識が在って・・初めて世界が(二次的に)出現しているということだ。

私たちは・・世界を意識的に・・創造している・・ともいえるのである。

このことを理解できるだろうか?

・・・

自分が創造主、神、根源、すなわちソース、あるいはサムシンググレートなる存在から出現し、この時空次元に次元降下、出向している魂・意識であると気付けるならば、少なくともこの閉鎖された3(4)次元世界の境界を越えていることになるだろう。

あなたが物質でなく・・意識・魂・創造主の片りんであると気付いたならば、それはもう当然のことである。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

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気付きと創造

2022-11-05 07:09:33 | 意識の科学(実践編)

意識という概念は、想う事や感じる事、感想や記憶などの精神的な働き全般のことを意識と言ったりと、普通に良く使われているが、

もっと根本的に言えば、

「意識」とは自らに気付いていること・・を意味する。

わたし自身に・・わたしが気づいている・・そのことだ。

これはすべての第1原因・・何かに依拠しない根本原理である。

この宇宙、そして自分が存在するようになった

理由や仕組み、因果での説明責任の必要のない・・第1の原因だ。

 

科学者が途方もない距離の向こうの宇宙を眺めて、どうして宇宙が出来たのか、またいつビッグバンが起きたのかと、

様々に思い巡らし、理論づけする試みを行っているわけだが、それらすべては、あーなってこうなって、だからこうなるのだと・そういう必然のプロセスを模索している。

しかしながら、その玉突きゲームのような原因と結果の組み合わせの根本、様々な現象が生起するその・・第1原因は・・・

宇宙創造・ビッグバンのために圧縮された無限のエネルギーなどと言うものではなく、

創造主が・・自らに気付いている・・ということだ。

・・・・

(パブロ・ピカソ作)

例えば、あなたが鏡の前に立った場合だけ・・あなたはあなたの全体の姿が見える。

さらに・・その姿・投影像は・・完全に左右反転したものであることがわかるだろう。

つまり、反転・投影した「姿」を観ることで、

あなたは・・あなたの姿の一端を観ることが出来るのである

あなたは、投影した像を観察・気づくことでしか、おのれ自身を観ることが出来ないのである。

根源・ソース・神・創造主・・言い方は何でも良いけれど、

 

神の・・自己への気付きによって・・

その自己の姿が・・万華鏡のように展開されるのである。

それが・・我々が観察している・・宇宙なのだ。

 

そして、あなたもまた・・今・・この瞬間にもそれをあなたの世界で実践しているのである。既に・・今!

つまり、あなたは自らに気付いているからこそ、

あなたを中心とした宇宙を創造しつつ観察している。

今生きていることとは、そういうことである。

 

しかしながら、多くの存在たちは、

自らの知覚世界に展開される様々な現象に目を奪われ、

この世に構築されたさまざまな観念・知識・生活の活動にその意識を没入させ、

肉体を自我とする低次の観念・想念によって、

生きてゆくために必要とされる様々な強迫観念の流れに自己没我させてしまったのである。

 

繰り返すが、

あなたが・・今生きている‥と言う自覚、

意識があること、・・自分に気付いている・ことは、

それ自身が・・・すでに、・・

あなたの周囲環境・ひいては宇宙として顕現しているということなのだ。

・・・

あなたはお金が増え、誰かに褒められ、良い生活が出てくれば、

そういう考えも確かに効果があると、それを信じるかもしれないが、

今ここで話していることは、

あなたが在る・・気づいている意識である・・ということによって、あなたの世界・宇宙が立ち現れているのだという、

もっともっと・・根本的な創造の話である。

・・・

そう・・スピリチュアルレベルでよく言われるように、

意識が・・すべてを創り上げているということだ。

物質が創り上げているのではない、

なぜならば物質を物質として・・投影しているのは意識であるからだ。

 

再度、そして何度でも問いかけよう、

あなたは何か?

あなたは・・一体何なのだろうか?

死んだら終わりの単なる有機動物か?

 

”自分自身に”問いかけてみよう。

そして自ら・・想い巡らしてみよう。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

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