サチコのときどきダイアリー

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子供時代の遊び場だった八幡様へ

2024年05月05日 | 
5月4日 先日、田端の友人のお宅へ遊びに行きましたが、私が子供時代を過ごした滝野川の家とわりと近くでした。子供時代の遊び場だった八幡様に行ってみたくなって、思いたったが吉日と、JR駒込駅で降りて・・・


私の母校・滝野川第7小学校は廃校になり、その跡地に、こんな立派な田端中学が建っています。校門のそばに、文房具やパンやキャンディなど売ってる清水屋というお店があったけど、そこには住宅が建って、清水という表札が出ていました。あの清水屋のオバアチャンのお孫さんか曾孫さんがお住まいなのでしょう。

  

学校から八幡様へ行く途中にある大覚寺。正岡子規のお墓があることで知られています。私、子供の頃、このへん駆けまわって遊んでいました。


八幡様です。境内で、かくれんぼしました。お祭りには家族で来ました。江戸時代、この辺りは田端村で、上田端と下田端にわかれ、それぞれに鎮守の八幡神社があったそうです。こちらは上田端の八幡様。祭神は品陀別命(応神天皇)ですって。

  

左の白黒写真は5歳くらいの私と兄と妹。その昔、八幡様の境内で、父が撮った写真です。右は老木の緑にかこまれた今の八幡様・・・あれから、幾星霜、時は流れて、私は今日、ふたたびこの鳥居をくぐりました。


境内には人っ子ひとりいません。こんな唐獅子がいたっけ。本殿もこぢんまりと、飾り気ないのが、いかにも村の鎮守様です。

  

八幡様の横の「八幡坂通り」をゆるゆると上って、田端の高台へ。今日は友人のカフェ「ノースライト」はお休みなので、前からのぞいてみたかった「田端文士村記念館」に行くことに。


駒込から田端まで、日盛りを歩きまわったので、マックでひと休み。冷たいバニラシェークとポテトのオヤツ。


  田端文士村記念館へ
  
 

明治中期まで田端は農村だったそうですが、上野に東京美術学校(現・東京芸大)ができると、アーティストたちが田端周辺に住みはじめ、大正3年に芥川龍之介が移住すると、その後は室生犀星に次いで、文士たちがぞくぞくとやってきて、田端は文士・芸術家の村となったそうです。菊池寛、堀辰雄、萩原朔太郎,サトウハチローと、枚挙にいとまなし。のらくろの田河水泡も、詩人の野口雨情も・・・

  

館内撮影禁止だけど、芥川龍之介の家の模型とかあって,面白かったわ。文士・芸術家の家があった場所を記した散策マップもあります。入館無料よ。


   今日のご飯

エリンギとお肉とピーマンのオイスタソースがおいしくできました。あと、小松菜の卵とじと、キャベツの甘酢。


5月5日は端午の節句。柏餅大好き。


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