星のひとかけ

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Winterreise『冬の旅』:第十五章「カラス」Die Krähe

2019-02-20 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)


『冬の旅』の歌曲のなかでは この15曲目の「カラス」から次の曲のあたりが 旅の最も厳しい部分のように思えます。。 肉体的に、ではなく 精神的に…
肉体的には凍った川を渡ったり、 炭焼き小屋を見つけるまで かじかんだ手足で雪道を歩いていた夜の方がきびしかったはずです、、

今、、 旅人は精神的にいちばん辛い試練の旅をすすめているように思えます。 試練、というか 錯乱に近いような とても脆い状態に思えます、、

「カラス」の伴奏にはずっと同じリズムの くるくる回転するようなピアノの伴奏がついています。 それをボストリッジさんは 《カラスの視点》としてとらえていますが、 旅人の頭上をずっと同じ一羽のカラスが ぐるぐると回りながら付いてくる…… ピアノの伴奏と カラスの旋回と それを見上げる旅人の視界の中でざわめく 烏の飛翔と森の樹々…  眩暈のしそうな苦しさが感じられます。

カラスは何の為に旅人の頭上を旋回しているのでしょうか…?
、、詩の中で旅人が自虐的に言うように そのうち(行き倒れることになる自分の)肉体を捕える機会を狙ってついてきているのでしょうか…


ボストリッジさんの指摘で、 これまでの歌曲の中に二度 《カラス》が出てきていた事に気づかされます。 初めのほう、 町を去る旅人に屋根の上から雪玉を投げつけていたカラスたち(「かえりみ」) 、、そして 炭焼き小屋に泊まった翌朝、 夢で春の野原を見ていた旅人を現実に引き戻すように鳴いていたカラス(「春の夢」)
「かえりみ」のカラスは die Krähen=The crows ハシボソガラスたち
「春の夢」のカラスは die Raben=the ravens オオガラス(ワタリガラス)たち
… この違いは詩の中でなにか意味があるのでしょうか、、

今 旅人の頭上を回っている「カラス」は Eine Krähe=A crow 単数形、、一羽のハシボソガラスのようです。




ボストリッジさんは 文学作品や絵画に表れる《カラス》を取り上げ、 それらが象徴するものとの関連についても考察しています。

… ごく私的に、、

あくまで私的に、ですが アラン・ポーの「大鴉」や(詩人ミュラーの時代にはまだポーの大鴉は書かれていません)、 ゴシック・ファンタジーの映画『The Crow』などを愛するカラス好きとしては、、(確かにカラスは冥界の使者というイメージがつきまとっていますが) 、、旅人の頭上をずっと付いてくるカラスは 旅人が倒れるのを待ち構えて狙っているようにはなんだか思えない。。 旅人自身もそう想像しているけれど、 恐怖に震えてそう言っている詩ではないですし…

『冬の旅』にこれまで現れたカラスたち、、 女性の住む町から追い払うように雪玉を投げつけたカラス、 女性と過ごした日々の夢を現実に引き戻すように目覚めさせたカラス、、 そして 孤独に歩き続ける旅人にずっと付いてくるカラス、、 考えように依っては 男の旅を先へ進めさせる陰の同伴者の役割をしているようにも思えてきます、、

そして男も、 内心ではカラスを忌み嫌ってはいないはずです。。 たとえ自分の肉体を喰らう者であろうと、、
 Treue bis zum Grabe!

、、《墓》に着くまで私に忠実であれ! と、、 カラスに呼び掛けるのですから…


男は弱っているし 疲れてもいる、、 けれども少なくとも《今》が死地だとは思っていないし、 行き先が《墓》であろうと 旅の歩みを進める気ではいるのですね、、