【下旬に入るとすぐ冬至だ。家々ではあらかじめ囲っておいた南瓜を煮、柚子湯を立てる。町々の銭湯の入り口に、いつも鮮明な原色で柚子の絵を描いた柚子湯のビラが貼られると、めっきり師走の気分にかり立てられる。遅い銭湯の戻りには、柚子の香をさせた手拭がそのまま氷る。
やがてあちこちの町角にはザラ市の仮小屋が立ち、浅草観音のガサ市で仕入れてきた輪飾り、大根〆(じ)め、牛蒡〆め、楪(ゆずりは)、橙(だいだい)、海老その他の正月用品が売られる。仕事師たちは刺子の半纏(はんてん)を羽織り、赤々と火を焚いて夜更けまで客を待つ。】
俳人安住敦(あずみあつし)の『随筆東京歳時記』(1969年刊)が記す。
40年前の東京の「年の瀬」風景ということになる。
玄関・神棚に注連縄を飾り、鏡もちでの正月飾りを玄関や床の間、仏壇、火や水回り、それぞれ自分たちの机の上になどと置いて回った子供の頃。初代の肖像の掛け軸も年始にはお飾りをする。几帳面な父のもと、皆での迎春準備は懐かしい。
年末年始は家族全員が揃う、ずっと暗黙の約束ごとだった。紅白歌合戦を見て「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞き、日付が変わって床につく。40年前、こんな調子だったはずだ。
今でも鏡餅は飾る。本堂・お内仏の飾り付けが優先され、どうしても庫裏は後回し。紅白歌合戦を見られなくてぼやいた結婚一年目の大晦日。しかし翌年からも見ることがない。見たいとも思わなくなる不思議さ。
でも、ゆっくりしたいとは思うんだけどね、ちょっぴり。温泉にでも入ってゆっくり年越し… あ~~、こんなことできたら・・・夢!
「えびいも」をいただいた。頭いもの変わりに今年はこれでいただこう。聖護院だいこん、金時人参など、白味噌仕立てのお雑煮。三日目は子供時代と変わらずにおすましでいただいている。きっと土地による風習の違いもあることだろう。
「お正月」、いい響き~。
やがてあちこちの町角にはザラ市の仮小屋が立ち、浅草観音のガサ市で仕入れてきた輪飾り、大根〆(じ)め、牛蒡〆め、楪(ゆずりは)、橙(だいだい)、海老その他の正月用品が売られる。仕事師たちは刺子の半纏(はんてん)を羽織り、赤々と火を焚いて夜更けまで客を待つ。】
俳人安住敦(あずみあつし)の『随筆東京歳時記』(1969年刊)が記す。
40年前の東京の「年の瀬」風景ということになる。
玄関・神棚に注連縄を飾り、鏡もちでの正月飾りを玄関や床の間、仏壇、火や水回り、それぞれ自分たちの机の上になどと置いて回った子供の頃。初代の肖像の掛け軸も年始にはお飾りをする。几帳面な父のもと、皆での迎春準備は懐かしい。
年末年始は家族全員が揃う、ずっと暗黙の約束ごとだった。紅白歌合戦を見て「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞き、日付が変わって床につく。40年前、こんな調子だったはずだ。
今でも鏡餅は飾る。本堂・お内仏の飾り付けが優先され、どうしても庫裏は後回し。紅白歌合戦を見られなくてぼやいた結婚一年目の大晦日。しかし翌年からも見ることがない。見たいとも思わなくなる不思議さ。
でも、ゆっくりしたいとは思うんだけどね、ちょっぴり。温泉にでも入ってゆっくり年越し… あ~~、こんなことできたら・・・夢!
「えびいも」をいただいた。頭いもの変わりに今年はこれでいただこう。聖護院だいこん、金時人参など、白味噌仕立てのお雑煮。三日目は子供時代と変わらずにおすましでいただいている。きっと土地による風習の違いもあることだろう。
「お正月」、いい響き~。
モチモチ感がたまらなく美味しいそうですね。
40年前の江戸前年の瀬風景。
銭湯こそ少なくなりましたが、気持ち的には大きく変わっていないようですね。
それだけ、新しい年を迎える心構えには、年数を経ても共通する意識が流れているのでしょうか。
鏡餅はちゃんとお供えされるのでしたね。なんかしら必要以上にお寺さんを意識して、ちぐはぐなことで申し訳ありません。
があります。これが師走というのでしょうか。
松飾りを飾ったり、半紙で雄蝶、雌蝶を折る人も居ません。来年は誰がやるでしょうね。代々
戸主の役目だったから息子にそのつもりでいてもらわなくちゃ。でも、実に頼りない。
来年のこと言っても誰かに笑われるだけですね。
『随筆東京歳時記』の風情ほどにはのぞみませんが、
焼肉にピザではどうも・・・
孫世代は殆どお節料理に関心なく、
ほんの少量だけ私の気がすまないので準備します。
デパ地下の生鮮食品売り場に京野菜コーナーがあります。
根強い人気があるようです。
今年は交流いただき嬉しいでした。
ありがとうございました。
よいお年を・・・
お盆を利用して小さな”お鏡さん”をお供えします。おくどさんもです。ここには愛宕神社の「火の用心」のお札が貼ってありますよ。
鏡餅よりも、“おけそくさん”と言いますが、専用の六角の仏具がありまして、その上に薄い丸い小餅をたが高と!積み重ねて供えます。重ねるのもひとつの業です。こちらが主です。
報恩講・永代経でもそうですが。
一部混在?、面白いでしょうか。
年の瀬は、アメ横のにぎわいが懐かしいです。
matsuさんにとっては本当にお寂しい年末年始になってしまいました。何かに付け、折に触れては、亡き方が重なるのでしょうが、matsuさんがお元気にお過ごしになられることが一番です。
「来年のこと」は来年にといたしまして(笑)、若いエネルギーをもらって、お二人の分までまだまだ楽しんでご活躍なさってください。そのおすそわけも、お願いします!いろいろお聞かせ下さいね。
焼き肉にピザですか(笑)。
気持ちだけでも日本の良き風習を…と言うのも古いんでしょうか。でも家々にはいろいろな形で伝わっているんでしょうね。
TVを見たり、百人一首やかるた、トランプ、ゲームと家族で興じた“お正月”。嫁いでからはこうした時間は限られたものでした。
Reiさんの旺盛な好奇心や読書などにどれほど刺激されましたことか。ありがとうございました。来年も追いかけますので、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。
暖かな一日でした。ご自愛ください。
思い出したと言えば、アメ横。
今年2月、カー君を連れて歩きました。
15年前は京浜東北線が通勤電車でしたので、山手線との平行沿線には数々の思い出が。
アメ横では、ビジネスバッグを買ったり、ネクタイを安く買ったり楽しみました。
出張で東京に出てきた人たちを何とか一度は連れて歩くのがアメ横でした。
御徒町で降りて、ブラブラしたら上野公園。
とっても楽しいやんちゃな街の印象です。
残念ながら、年の瀬のあの人混みは経験がないんですよ。
あの界隈は行くところいっぱいで楽しいところですね。あの付近から浅草行きの二階建てバスがありました。子供を連れて初めて乗りました。
バッグやネクタイ(笑)、そうですね、わかりますわかります。私もバッグや靴など買ったことあります。乾物、海産物、豆類 さかな… 母と暮れには一緒によく買い物に行きました。
身動きできないほどの混みようようなのに、わざわざ出かけていくのです。スリにご用心、バッグを抱え込んで。
不忍池もいいですね~~。行かれましたでしょうね。動物園も大好きでした。