京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

  名将 家康は白あん・秀吉は柿…

2009年11月28日 | 日々の暮らしの中で
夕方、“セブンイレブンのお食事配達サービス”「セブンミール」、来月12月分のカタログをもらいに出た。店はそう近くもなく、それに、もしかすると無いと言われるかもしれない。近辺ではこの一店しかない。そして、だいたいいつも無い。この無いというのが、まだ翌月のが入っていないのか、すべてさばけてなくなったのか、店員さんのおっしゃいますこと、真偽のほどがよくわからない。

出直さなきゃ…。風が出てきて寒い。街路樹のイチョウの落ち葉がかさこそ音を立てて私を追い越していく。帰宅後、車で一店、無い。さー、東へ向いたから逆にそこから西へ15分あまり。ここにはいつもあるのだ。京都ライトハウスに近い店。

賀茂川にかかる橋の上から、信号待ちの間の光景。
ユリカモメが思い思いに輪を描いて飛んでいるのが見える。夕方4時に近い、そろそろねぐらに帰るために仲間同志誘い合わせているのだろう。彼らは琵琶湖がねぐらだそうだ、あちこちの場所から合流して帰るのだろうか。帰り道に再度通ると、もう姿はなかった。

こうした仲間の行動に加わらず、あらぬ方向に飛んでいるユリカモメが、いつも何羽か居るそうだ。焦ったりあわてたりする風でもない。悠々としている姿を見て「あたしはあのこと今夜はここで泊るわよ」… 『春の数えかた』の著者、日高敏隆さんが書いている。

カタログの商品を入力していて…
戦国の武将の名を付けた和菓子を見つけた。
それぞれに個性のある有名人。 秀吉は柿味??
 武家ようかん 徳川家康  白あん
        豊臣秀吉  柿
        織田信長  栗
名将どら焼き 直江兼継  つぶあん
        上杉謙信  抹茶あん 


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 綿虫のようなわたし…

2009年11月26日 | こんな本も読んでみた
朝から頭が痛い。我慢の末に薬を飲んだら、その途端の吐き気。最後の一服、無駄になり候~。頭痛のための鎮痛剤や鎮痛消炎のサロ○○スなどは常備薬、不可欠だというのに薬切れ。横になってひたすら治るのを待つのだが…。午後から薬を買いがてら外出。
落ち着いた頃には今日というが暮れていく…。

滋賀県立大学の学長をされていたことのある日高敏隆さんが先日亡くなられた。79歳。動物行動学の草分けだそうな。
進学塾で理科を教える知人の奨めで読んだのが、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『春の数えかた』。軽妙な、平易な文章でつづられ、理科嫌いの私も優しい温かな気持ちで読み終えられる一冊だった。

外出すると、白い綿のようなものを付けた小さな虫が飛んでいる。ひとひらの雪…などとはまさかだけれど、ふわっと、弱々しく飛んでいる綿虫。そのくせいつの間に見失う。何処へ。冬の季語になっていた。

衣服に付きそうで嫌なのは、感情や感覚が低下して体内では植物性が勝っていることになるのか。体のコンディションが低下すると、優劣なく張り合う動物性と植物性では、植物性が勝っていくと日高さんはお考えらしい。
でも、かわいいとは思えないし好きにもなれないなあ…。綿虫、不安定にふらふら、わが身を見ているような。

頭痛も治まった。さあ…、でももうお休みの時間。
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 微妙な“プラス手数料”

2009年11月21日 | 日々の暮らしの中で
「劇団☆新感線」の「蛮幽鬼」
8月28日、友人が先行予約でチケットを入手してくれたおかげで、11月24日大阪梅田芸術劇場行きの楽しみができた。「料金12500円プラス手数料、当日清算でお願いします」と。「OKでーす」
10月26日「チケットが届きました。座席番号を見てびっくり、期待してて」ときた。

11月11日、「(娘と)行ってきました。圧巻でした。…」やっぱり入った。
たぶんこの後、一足先に一度見た内容の説明や出演者の演技のほど、もろもろの感想が評論家並みに綴れている…のが予想される。知識も豊富な彼女だが、素人の私に今、彼女の事細かな感想や説明は不要なんだよなあ。へへへ、ごめんね~、削除しちゃったよ。
いつものこと、慣れているけど、いらんものはいらん。またかよー、で、ちょっと不快よ。

電話での予約は、一日かけていてもダメだったという結果もある。その手間をとらせた彼女に“プラス手数料”、何の問題もなしだったのが、微妙な気分にさせられた。これから見ようという者に、な~~んか…ね。

上川隆也・堺雅人主演。早乙女太一さんも“御出演”ということで、おばさん3人は一気に相談をまとめ上げた。
アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』を原作とするアニメ作品『岩窟王』が下敷きになっているとか。

努力が報われる人生を歩んできたところで人生最大の裏切りに遭う。無実の罪を着せられ、復讐の鬼と化す。そんな役どころの主人公・伊達土門が上川隆也。謎めいたサジ役で、堺雅人。「首尾一貫したキャラクター。それが強さであり弱さでもある」と言う堺氏のサジ観。
どんな人間の業が描かれるのか、先入観なしに入り込みたい。 (写真はネットより拝借)
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 “はんなり~ず”

2009年11月20日 | 日々の暮らしの中で
木々の紅葉が楽しめる一方では、真っ赤なままに散りゆくものがある。
冷え込む早朝、境内を掃き清める巫女さんの袴の朱色も、眠気を覚ますほどにハッとさせるものを秘めている。友人の「新米ばあちゃん」の家は代々巫女を務めていたのだが、とうとう舞手の継ぎ手がいないという。生まれて間もない天使を連れて、三男坊がただ今帰省中。幸せそうだ。

Jessieがボールを蹴っては走り回った公園の銀杏の木も、絨毯の厚さが増している。見せてやりたい、色とりどりの葉を。

プロ野球日本一に輝いた巨人軍優勝の記念セールって何かあった?と聞いてもどなた様も「知らん」。やはり関西?はて… やはり地元を応援するが得策か。

“市バス・地下鉄乗ってハンナリーズ見よう”と誘っている。
“割引特典付き乗車カード”だ。「京都ハンナリーズ優待トラフィカ京カード」
市内を含む3会場でのホームゲーム21試合に関して、この市バス・地下鉄のプリペイド乗車券を使って会場へ行けば、前売り価格での試合観戦ができるというわけらしい。

肝心のチームはと言えば、「京都ハンナリ―ズ」。
「はんなり」、このやわらかな響きをもつのは…、男子プロバスケットボールbjリーグに今季から参入したチームだ。
スポーツを見るのも気分転換にはよさそうだ。息子の応援で声をからしていたのが最後、スポーツ観戦などこの10年とんとご無沙汰。カードの有効期限は来年5月2日まで。意外にはまるかもしれない予感…。

誰を誘おうか…、うー、候補者は…いる!いる! 
誘えば必ず来てくれるB’zの追っかけおばちゃん。
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 “雨隠り・あまごもり” - 2

2009年11月17日 | 日々の暮らしの中で
    着ぶくれて首をのせたる如くなる   (安田蚊杖)
    百貨店めぐる着ぶくれ一家族     (草間時彦)

寒さを防ぐのに何枚も着込んで、まるまると体がふくらんで見える。動作も鈍くなる。一枚でも多く着込みたくなる昨日今日。着ぶくれせずに暖かく、そんな優れものは今や普通だろうから、むしろ「着ぶくれ」のほうが少ないのだろうか…。いやいやわからんぞ、外出時のお体裁はともかく、人目のない家に入れば案外?などと勝手な想像で自己弁護。

“百貨店”と言えば…、中学校卒業の春、母と二人で「日本橋三越店」に出かけた。海外出張から帰国する父を羽田空港に出迎える、その前の母との時間にクリーム色のニットのアンサンブルを買ってもらったことを記憶している。

愚痴をこぼす母は覚えていないくらいだ。八十八でなくなった祖母が、後年、“ご飯を食べてない”というお悩みを口外していたのにも笑っていた。体裁が悪かったろうにと思うけれど。ボタンの花の横で笑う母の写真。引けを取らない美しさは娘としてひそかな自慢だった。う~ん、美化しすぎね…。

この年の三月は、私の公立高校受験を前にしても父はずっと不在だった。
風邪で寝込んでいた私の変わりに、母が二回目の合否を聞きに中学校へ。すでに私は、ある女子大の付属高校に合格していた。父は娘の思いを知りながらも、当時で十数万という高額の入学一時金を支払ってくれていたが、結局は無駄にしてしまった。
どうしても、なんとなく嫌、それだけの理由で、私は親の敷いたレールは降りた。そんな事情も知る父を出迎えに行く日だった。

行けばいつも頭が痛くなるほど、人混みが苦手だった私は百貨店にあまり楽しい思い出はない。そんな中で、アンサンブルのニットが嬉しかった……。

雨隠り(あまごもり)第二弾。『十八の私』などに思いを馳せていて浮かんだ「十五の春」。この選択は、わが人生のひとつの英断?、大正解となっていく。

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 Good chemistry / よい人間関係

2009年11月14日 | 日々の暮らしの中で
教義を一にする、女性ばかりの寄り合い。午前十時から午後三時半までの長丁場に、足がしびれ、耳は疲れる、頭も痛くなる。この頃どういうわけかやけに頭痛がする日が多い。

楽しいことも悲しいことも失敗談も、行き着く先は皆一緒。右へならえの美文調。
「信仰心」がそう言った言葉を吐き出させるのだろうか。みんな一緒なら怖くない。人間の根のところでは個々に違いがあるはずだと思うのにね。
やめて…と、何年経っても不快に感じる自分に気づく。

とぼけたように、言いよどむそぶりでわずかに口をはさまれた老老坊守。にっこり笑う穏やか~な威厳。そして、言葉と言葉の間の少しの沈黙に、その笑顔に、その人となりを見ることとなる。
さすがだ。雄弁より寡黙…、いやいや、そういう次元の問題ではない。

様々なキャラクターがぶつかり合うことで、化学反応が生じ、何かが生まれる、と。書店で立ち読みして得た[Good chemistry]という言葉を思い出す。
[よい・化学反応]、まさに「よい人間関係」、となるようだ。

少しだけ自分とは異質なものとのぶつかりもほしい。人間関係を深めるのに、少々の摩擦はつきものだろう。
いまだに同化しつくせない余所者の強がり?それでもいいのだ。
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 この「手」があった…

2009年11月12日 | 日々の暮らしの中で
岡本太郎氏が両親と渡仏した十八・九歳の頃。
初めて一人でルーブル美術館に見学に行った日、陳列された名画の数々に心を驚嘆させ歓喜させたと書いている。(『青春ピカソ』)
セザンヌの癖のあるタッチが嫌味で、反感を抱いていたという太郎氏。が、「こんな美しさを見たことがない」と立ち尽くし、絵の前で初めて泣いた事実に驚きながら、その日、身の内に潜む何ものかを激しく予感したのだそうだ。
当時のモンパルナッスの日本人画家たちの、仲間ぼめ・ケチをつける姿をうそ寒く感じ、型を追うことへの嘔吐感や懐疑心などに苦しんだ二年半ほどを経て、ラ・ポエッシー街での出会いを迎える。
ピカソの百号大の絵。涙がにじみ、これだ!と。
「この日こそは自分の画業を決定する運命的な日となった」と回想している。

ここまで数回読んだ。日があくので少し戻ってはここまで。ここから!なのに、なぜかここまで。最初の「ピカソ発見」の、本文12ページまで。つまり何度読んでも一向に進まない。
いつぞやどなたかが、積み重ねられた本の山を前に、読んでくれたら…と言っていたような。それだ!!誰か~、極力感情移入は避けて読んでほしい。音訳をベースに、少々の抑揚は欲しい。な~~に、自分でしたらいいのだと気付く。結構うまいしな…?音読しよう。

先日、野坂昭如氏の「火垂るの墓」を、一部分原文で読むことがあった。黙読してるとイラッと…、そこで思いついての音読が効を奏したのだ。独特の文体を感じながらなかなかであった。…ということで、古いテープとラジカセを用意し、やってみた。12ページまで進んだ。
やはり12ページだ。あー、…この先は明日から続くのさ。

自分で自分をあきらめてどうなるの。千年も前に式部さんだって言ってるじゃないの。
「わりなしや 人こそ人と 言はざらめ 自ら身をや 思ひ捨つべき」
(仕方ない、人が人並みに扱ってくれなくても。自分で自分を見捨てるものか)と。
太郎さんの芸術論、私の中に何か残るといいんだけど。無理…かもなあ。

            (写真は南天の実。難は天に)
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 “雨隠り・あまごもり”の一日…

2009年11月11日 | 日々の暮らしの中で
鴨川にユリカモメが飛来し始めた。この「冬の使者」、琵琶湖をねぐらとし日中は鴨川などで過ごすのだそうな。

昨夜来の雨が一日降り続く。昨日、友人が、この雨を「さざんか梅雨」と言うのだと教えてくれた。TVからの知識だと言ってたが、私、「ふ~ん、そうなん」。と、「なに、それ!」とあきれられた。冬を迎える花・山茶花、季節的には菜種梅雨あたりに呼応するのかなあと思ったりしていて。あまり“教養”をバラまいては申し訳ないから黙っていた。
山茶花の花は上向きに、お茶の花はちょっと下向き加減に花を開くと思うのだけれど。建仁寺にぽつぽつと咲いていた茶の花。同じ椿のお仲間なのに、なぜ?


雨だから家にいた。結果、肩が詰まる。頭が痛くなってきた。昼まではのんびり過ごすことにして、細かな用事は午後回し。雨、薄暗い部屋に日差しがないからあっという間の夕暮れ。頭が痛いので結局じっとしていた。

この季節誰を思おう。中途半端な似たような写真ばかり六枚、Jayから届いていた。息子も七日には帰国。おなかの具合が悪くすぐに病院で受診。特別問題は無しとのことだったが、その後どうしたか、尋ねることすら忘れてしまっていた。「何のこと」って口調ではしゃくに障るのでメールを入れた。でも、いつ返事が来るか。「何のこと?」って、こっちが言いたいくらいになるんだろう。

結局、“雨隠り”、夏場の雨季ではないが、あまごもりの一日で終わった。
岡本太郎著『青春ピカソ』全然読み進まず。明日から読む!!としておこう。

  (写真は干菓子
    富貴寄せ:いちょう・楓・松葉・橙だいだい・照葉・銀杏の実)
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 京の狭さ…

2009年11月09日 | 日々の暮らしの中で
   

写真左は京都府庁。用事を済ませ、普段は車でしか通らない道を歩きながら今出川通りまで北へ向かって歩くことにした。
味噌の香りが漂う醤油屋さんを過ぎ、グランドを走る子供たちの姿を覗き見、やがて一方通行の小さな通りが目についた。狭い道だ。隣家とは隙間もなく見える。

     久しぶりに「仁丹」と遭遇。
「上京区 武者小路衣棚西入 武者小路町」とある。(写真奥へとではなく、表示板のある手前の筋)

森下仁丹が、大礼服姿の人物入りの町名表示を全国に掲げ始めたのは明治43年からだという。多くの都市で空襲や都市改造によって失われたが、空襲の被害をそれほど受けなかった京都には多くが残ったらしい。

茶道家元の武者小路千家の屋敷などがある。小川町から烏丸通りまでの500メートルほどの短い通り― などと説明されている。かつては「無車小路通」と呼ばれた記録があるようだ。

京都は街自体が狭い。当然“社会”も狭い。
そこでは、友達の友達はみんな友達。いいも悪いも噂の流れは超特急…。

商売の要となるものに紹介制があるとして、
  どなたか紹介者を立てて買い物をし、いいものが手に入ったらその喜びをまず  紹介者に知らせる。
  紹介した人は、お店に連絡して、顔が立ったことの報告をする。
  紹介者とお付き合いが長くなり、紹介者から「もう○○さんと直接やって下さ
  い」と言われるまでは、紹介者を飛ばして直接の連絡をしない。
  これは京都の常識になっていると思う。京都ならではの恐いところどすえ。

これは、京都の「おそろしきは」の一つに“京の狭さ”を挙げられる芦屋小雁さんのお話だ。
ま、何も京に限らず、狭い世間を痛感することは多いはずだろう…。

ついでにひとつ、「おそろしきは ― 京おんな」ですって…。興味がおありでしたら、
『小雁の 京都人の取扱説明書 いやいやかなんわぁ ものすごいこといわはる』
(京都新聞出版センター)などいかがでしょう。面白いですが。

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 慣れと救い…

2009年11月06日 | 日々の暮らしの中で
先日、『死の家』(ドフトエフスキー・工藤精一郎訳)の文章に触れる機会があった。死刑宣告を受けたが流刑となってシベリアの「獄舎」で十年を暮らした「わたし」(著者)の目で、様子が描かれている。ほんの、ほんの一部分を味わった。

監獄には、「忍耐」を学び取る時間があり、学びとることのできる場所だ、と言っている。劣悪な環境の中で、「それにしても」との感慨で「人間は生きられるものだ!」「人間はどんなことにもでも慣れられる存在だ」「これが人間の最も適切な定義だと思う」、とある。

人間は強い、などという表現はやめよう。そうだろうか…。
このような極限の状態でも、人間の可能性を見出している?それが、小説の持つ、ある意味の“救い”になるの? はーて…。

どんな状況下でも慣れて生きられる…。う~~ん…。
一時代のブームとなった「カツマー」の、「なせば成る」式の処世術はどうも強すぎる。なんとかなるさ、ぐらいが身の丈に合い、ゆるゆると、それでもそれなりに力を尽くす。このくらいが私にはふさわしい。ガンガン迫られるとどんどん引く。困った困った。

こんなにモノが豊かな生活に慣れてしまった。狭い庵に暮らし、三升の米と一束の薪を備え、心豊かに書を読み詩や俳句を作る、良寛さんのような日々の暮らし。今の生活を一変させ、質素に資産や住まいをもたず、名誉にも背を向ける。できるだろうか。慣れは怖い。

少しの自己満足と、大きなゆるゆるで淡々としたたっぷりの時間と…こころ!とをもって生きることができたらいいか。あくせくせんと。人間はどんなことにも慣れることができるというではないの。それが難しい…

      (うなぎやさんで落語、これなら新境地開拓・親しめる?)
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 腑に落ちなくても… 

2009年11月05日 | 日々の暮らしの中で
電車内、出入口近くで座っている少年の隣の席があいていた。腰掛けるや、彼が「こんにちは」と大きな声をかけてきた。とっさで面食らったものの「こんにちは」。すると、少年が「うん!」って。

やがて彼は立ち上がりドア前に移動し、今度は「さようなら」と言うのだった。少し離れたので、小声になってしまった…。届いただろうか。

全くの他人が声を掛け合う、言葉を交わす。この子は、こうした方法で他人とのコミュニケーションを図ろうとしているのだろうか。他人は無関係、言葉など交わす対象などではない。こんな風潮もあるだろうが、案外、言葉が行き来すれば笑顔が生まれることもある。気持ちが行き来するからか、決していやでもなかったこの少年の姿。
ベビーカーに幼児を乗せたお母さんにも「こんにちはー」って。

少し腑に落ちない挙動には、知らん顔、関わりたくない、迷惑…そんな意志を示す顔を見るときがある。きっと自分も。でも少し言葉を介在させると、穏やかにその場が和むこともある。…ないときもある。だから難しいのか。

少年は、挨拶をすることをきちんと教えられているのかもしれない。身に付いた一つの価値観だろうか。

いつだったのか、電車の前の席の人がじっとJessieを見ていたらしい。彼女はもろに「あの人こっち見てやる~」と言うので困ったと娘が言っていたのを思い出した。

ひとを好奇の目でじろじろ見るのはやめよう。チラチラぐらいでおさめて…。
つい見ない振りして見てしまう、そんな私なんだけど。

       (観光バスでいっぱい!の御苑。京都御所一般公開中)
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 「予定外・予想外」のこと…

2009年11月02日 | 日々の暮らしの中で
平穏な幸せ日、で終わるはずが「予定外」で雨に濡れてしまった。

地下鉄から地上へ出ると、雨がポツポツしていた。まだ少し時間があるからと、本屋さんで立ち読み。そのうち上がるだろう、それがいけなかった。読み間違えた。どしゃ降りではないが、髪から滴が垂れてくる。風までまじった冷たい雨に泣かされた。

走ってばかりでは身が持たない。一息つきながら、雨の中、道路わきに吹きだまったカラフルな落ち葉を拾ったりする開き直り。おまけにどんぐりさんも見つけ、しめしめ…これに顔でも描いてみようと家へと小走りに急いだ。

珍しく息子から連絡があったかと思えば、友人の結婚式に参列のために、明日からバリ島へ行くというお話ではないの。万が一のことを考えてと、フライト時間・連絡先が送信されてきた。お土産だけは言い忘れることなく頼む。何がいい?と尋ね返されたって、何があるのやらでしょ!半裸状態の服なぞいらんしねー。バリ島ってどんなところなのやら…、暑いところに関心のない私が思うことだ。明日行くの!? うー、「明日」!!ですかー。

こんなこと、先日のおみくじに書いてあったかと広げて見たら、「争事(あらそい):破るる恐れあり。口を慎しめ」とある。よかった!「もうちょっと早く連絡したらいいのに…」なんて言わずによかったこと。「なんでー?」というに決まっている。その通りだものねー…。

晩秋の冷気を楽しんだ、ということにしよう。予想外の…ゾクゾク。

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 言葉・言の葉  

2009年11月01日 | 日々の暮らしの中で


十一月・「霜月」。七日は「立冬」。

実際の昼間の気温からすると、「冬遠からじ」はまだまだ遠い感がある。
「そぞろ寒」「やや寒」「肌寒」「うそ寒」「朝寒」「夜寒」「かりがね寒」「身に入む」…「凍る」「しばれ」などと、
それぞれの季節の中で、微妙な違いを楽しむかのような日本人の季節感。それを守り今へと伝えてきた、「言の葉」の継承。自分がそうした言葉に包まれて暮らしている。なんて素敵なことなのでしょう。な~んて…。

昼からの雨。窓を打つ雨音さえも楽しんで、ゆったりの日曜日。
水たまりに真っ赤に色づいた楓の葉。

“ゆく秋を惜しむ“のも近いのだろうか。
寒くなるという予報。紅葉はまだこれから楽しめる。

              (紅葉はこんな感じで… 夕暮れ時)


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