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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

歩いた春の山道

2021年03月28日 | 日々の暮らしの中で
人の少ないところを静かに歩きたいと思い、鴨川の源流の山間部に広がる雲ケ畑集落に向かって歩いた昨日。斜面が大きく崩れた脇に、残った山桜が咲いているのが見えた。数年前の台風がもたらした惨状が未だにあちこちに広がっている。


やぶ椿の赤い花がそこかしこに点在し、芽吹いた若葉のやわらかな色合いが心地よい。道々、山桜が迎えてくれるが、まだまだ周囲は淡彩色だ。


枯草まじりの道路わきにスミレが咲くのを見つけ、明るい日差しに、咲きだした山吹の花が岩肌に影を写していた。染み出る水音。鳥の鳴き声。川のせせらぎ。そうそう、前登志夫さんが書いておられるように、「人は自然のなすものにひょいと出逢えればよいのだ」と楽しめる。
今日の雨が上がれば、人が見ていようがいまいが山中の桜の開花も一段と進むのだ。


土日の混雑を思って、先延ばしにした特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」(3/27-5/16)。今はまだまだ日があると思えても、この先コロナの感染状況がどうなっていくのかわからない。開幕記念講演があと4回あるが、朝から整理券配布による各日定員100人枠の争奪戦?みたいなことは、とても苦手とする。
「柔和な面相に似合わず、時折漏れ聞く、その声は太く、鋼の如き意思を漲らせていた」(『秋萩の散る』澤田瞳子)玄宗皇帝の許可を得ぬまま日本への渡海を決意し、遣唐使船の帰国便に乗り込んだ鑑真。見ただけではわからないことが多く、できればお話を聞きたいが。
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桜のかさね

2021年03月24日 | 催しごと・講演・講座
細見美術館で開催中の特別展「日本の色ー吉岡幸雄の仕事と蒐集」へ足を運んだ。


染色史家・染色家として知られる吉岡氏は2019年に亡くなられた。氏に関連して掲載される記事を読むことで、源氏物語など王朝文学に登場する色をよみがえらせようとされていたことに私自身の関心はあった。かといって染色にこれという知識があるわけではない。
「源氏物語を原文で読み、色の記述箇所にはおびただしい数の付箋を貼り、自分の考えを書き込んでいた」と、この展覧会を監修された河上茂樹氏との対談(新聞掲載)の中で三女の吉岡更紗さんが振り返っておられた。
日本の伝統の色、かさねの色目はいつも歳時記を通じて目にしていたが、やはり写真より一見したい。きれいだなあで終わりそうだけど、「王朝文学の色」という言葉が誘ってくれている。

「平安時代は衣服の色の重なり『襲(かさね)の色目』に美を見出し、『桜の襲』のように植物名がよく使われた。情緒的な美を衣服に反映させて楽しんだのです」「当時、中国では織りが中心でしたが、日本は自然を手本にしたやさしい色の組み合わせを楽しんだ。…十二単は重そうに見えますが、平安朝の絹は薄くて軽く、重ねると色が透けて美しく見えたのです。例えば濃い紅に白を重ねて桜に見せるような。(幸雄さんは)その透明感ある色彩感覚を再現しようとしたのだと思います」(河上)

この「桜のかさね」の色合い。何とも言えない上品さで、柔らかな優しさだ。
二十歳の光源氏は、紫宸殿で催された桜の宴でこの桜のかさねを身につけ、詩を作り、舞を舞い、賞賛を得た。ちょっと有頂天に? 興奮冷めやらずでつい後宮あたりをそぞろ歩くが、藤壺との逢瀬はかなわなかった。その帰り、朧月夜と出逢う…。そんなことが「花宴」の巻に描かれていく。

紅花、山梔子、蓼藍(たであい)、黄檗(きはだ)、紫草(紫根)、刈安、矢車(やしゃ)、蘇芳(すおう)、日本茜、檳榔樹(びんろうじゅ)、胡桃、安石榴(ざくろ)が染料として展示されていた。

若者の姿が多く、袴姿もちらほらの岡崎界隈。左手に京都市勧業館を見て、琵琶湖疎水べりの桜も美しい。

平安神宮の大鳥居前に架かる慶流橋が赤く見える。



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花は我をいかが見るらむ

2021年03月22日 | こんなところ訪ねて
蝋梅が咲いていた。種種の椿と桜のコラボ。馬酔木が咲き、蘇芳も花をつけ、境内隅から隅まで、足元には名前を記した札が添えられて若い花木が育つ。
訪れたことがなく、これほどまでの“花の神社”だったとは知らなかった。

自転車が通る哲学の道を、少しばかり東に入ったところにある大豊神社。宇多天皇の内侍藤原淑子の発願になる神社だという。



     いにしへに変わらざりけり山桜
       花は我をいかが見るらむ            出家姿の自らを藤原基長が歌う。


昨日一日降り続いた雨後に、ちらほらどころか満開の感。

大阪市に生まれた小松左京は京大で終生の友となった高橋和巳と知り合い、文学を読み漁った。その一方で、共産党に入り無謀な武装闘争路線の下で活動していた。
「まだ学生だったころ、今よりもっと腹をすかし、明日の飯代をどうしよう、とか、なぜもっと早く革命が起こらないのだろうか、とか、自分にはいったい何ができるのだろう、とか、そんな考えで頭をいっぱいにしながら、その道を歩いたものだった」と著書『哲学者の小径フィロソファーズ・レーン』で書いた。私小説のような色合いのある短編小説だ。
過去は苦々しかったが否定はできない。「現在は、過去からいきなり宗旨がえすることによって、飛び移るものではなく、過去の結果だから」とも。

3/1の哲学の道。

知人と会って点訳の問題を解決。その後、ここまで同行してもらうことになった。
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福寿草

2021年03月19日 | こんな本も読んでみた
(よもや、まさかそんなことは…)
真葛は一散に駆け抜けて成田屋に飛び込んだものの、遅かった!

 奥から響いてくるこの世のものとは思われぬ呻き。
 中暖簾を隔てた店の奥から、嘔吐物の臭いが濃く漂い出していた。
 昼餉の膳を蹴散らし、胸をかきむしって倒れている十人ほどの男たち。
 苦し紛れにかきむしったのか、畳にはあちこちに深い爪痕が残されていた。

福寿草(元日草)を用いた薬種問屋成田屋殺し。お内儀・お香津と奉公人・お雪が捕縛され、六角牢屋敷に収監された。

昼餉に毒を、汁に福寿草を混ぜたのだったl

福寿草は全草に猛毒があり、素人には手に負えない危険な毒草だったとは知らないでいた。
福寿草の蕾をフキノトウと間違えて食べ、死人が出ることも珍しくなかったという。
知らなかったな。知らないのは私だけかもな…。

     
『ふたり女房 京都鷹峯御薬園目録』(澤田瞳子)を読み始めたところでのでのお話でした。
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『孤鷹の天』

2021年03月17日 | こんな本も読んでみた


澤田瞳子さんのデビュー作で、第17回中山義秀文学賞を受賞した『孤鷹(こよう)の天』。
(上)【藤原清河の家につかえる高向斐麻呂は唐に渡ったまま帰国できぬ父を心配する娘・広子のために唐に渡ると決め、大学寮に入学した。儒学の理念に基づき、国の行く末に希望を抱く若者たち。奴隷の赤土に懇願され、ひそかに学問を教えながら友情を育む斐麻呂。そんな彼らの純粋な気持ちとは裏腹に、時代は大きく動き始める】

(下)【仏教推進派の阿倍上皇が大学寮出身者を排斥、儒教推進派である大炊帝との対立が激化。斐麻呂が尊敬する先輩・桑原雄依は、寝返った高岡比良麻呂を襲撃、斬刑に処せられた。雄依の親友で弓の名手・佐伯上信は、雄依の思いを胸に大炊帝、恵美押勝らと戦いに臨む。「義」に準ずる大学寮の学生たち、不本意な別れを遂げた斐麻呂と赤土。彼らの思いはどこへ向かう?】

奈良時代の下級貴族の教育機関であった学生寮には様々な境遇の学生がいたが、いずれも個性的な人物として描かれ、その人間性が浮かび上がる。
藤原光明子(阿倍上皇)が皇后位に昇ったとき、眉に火のついた焦り方で藤原家は長屋王の一族を滅ぼした。これは『穢土荘厳』(杉本苑子)でかつて読んだが、その政変で唯一生き残った長屋王の孫・磯部王が登場する。かつて大学寮に人一倍長く在籍し、阿倍の世で唯々諾々と任官を続けている。
そんな彼が、阿倍上皇を前にして斐麻呂の命を救ったはかりごとは痛快でもあった。
その場で道鏡は、磯部王の口車にのせられ御仏の慈悲、教導を説き、恩赦を口にする…。道鏡も、黒岩重吾が描いた道鏡像とは異なる。

より良い国づくりを思い、それぞれが信じる「義」のために命を投げ出して、時勢と戦う者たちの生きざま。
一つの根から出だ枝葉だが、この世をどのように過ごすかは、各々異なる。それぞれがこうと信じた義で戦い、破れ、泥にまみれた。それでも歯を食いしばって立ち上がった遺業。
「激動する世につれ、自在にたくましく生き抜け」。最晩年、比良麻呂はこう木簡に記し、斐麻呂に託した多くの書籍の中の一冊に挟んで残した。

この時代の作品に登場する牛馬のごとく扱われる境遇のの存在は、いつも悲しく絶望的で重く心に沈む。額に所属を示す焼印を捺され、生涯苦役を強いられる。牛馬以下、物品の価格で売り買いされる奴隷だ。良民になりたい赤土。学問に貴賤はない。狂った歯車。…彼の存在は最後まで心を離れなかった。戦で瀕死の状態を生き延び、赤土は唐に渡っていた、とみられる。一羽の鷹のごとく、自分の生きるべき地を見つけ、降り立った…。

 不明なことの多い時代を背景に、作家の新しい解釈、発想を楽しめる歴史小説。そんな世界を読むことができた喜び。堪能したなあ~と胸を満たしている。
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さくら

2021年03月15日 | 日々の暮らしの中で

賀茂川の堤で、ソメイヨシノの開花を発見。


つぼみも膨らみ、色づきが濃くなって。
桜に限らないが、咲きだす前の、待つ楽しみっていいものだ。
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紙一枚で

2021年03月14日 | 催しごと・講演・講座
花見小路通を南へ少し下がったところにある祇をん小西で開催中の、切り絵作家・望月めぐみ展が14日までだったので、もういいか?とも思いはしたが、せっかくなので昨日午後から足を運んだ。
「むりょーだよ」


切り絵作家・Paper-cutting Artist
和紙をナイフ一つで、様々な文様、複雑な図柄を切り分けている。紙を「切る」。望月さんは「紙を掘る」と表現されているが、一枚の紙に、ナイフで描いたものを交差させて立ち上げることで、そこに見事な立体的な空間が創造されている。これが紙一枚で!?と目を凝らした。ライトが照射されていて、背景の障子にそのシルエットが映りこんで、それも素敵だった。「こんなの見たことないね」、という世界。ご本人が会場におられた。
藤城清治さんの切り絵の世界をずいぶん昔になるが拝見したことがあったのを思い出すが、あの精巧さ、楽しさ、美しさとはまた別ものだ。

二間を使った全長約7.5mの作品のモチーフは、中国の古代神話に登場する蛇身人首の男女神、伏義(ふっき)と女媧(じょか)だそうで、二人は人間とさまざまな文化を作ったとされているそうな。


蛇身が絡み合って立ち上がっている。図柄の繊細さ、線の柔らかさ、部屋の空気の流れで揺らぐ蛇身。とても紙一枚の世界とは思い難い、醸し出されるものがある。この神話についての知識は皆無だが、この創造性に驚かされ、楽しませてもらった。




これが紙一枚! 何度もなんども確かめた。
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静かな雨に

2021年03月12日 | 日々の暮らしの中で
朝から静かな雨の一日だった。外出もせず、残りの点訳を仕上げた。知人に確認をしてもらう予定でいる。これはボランティアなどではなく、共に同じ時間を過ごすための、自分にできるちょっとした心遣いに過ぎない。


孫のLukasに、特別治療はせずに詰め物で様子を見ている歯があることは聞いていた。幼稚園でその歯の痛みが出て、仕事先から駆け付けた母親の迎えで早退。歯科受診。翌9日の朝、母親の出勤時刻に間に合うよう娘宅に向かった。
一日様子を見ようとお休みしたが、痛み止めが効いているので元気だ。朝から二人でトランプしたり、庭でサッカーボールを蹴りあったり、そのうちお決まりの「公園行こう?」と誘いがかかる。
長い一日になる。ふと口が滑った。

      
ねだられてねだられて、しかたない、「じゃあ、いこう!!」ってことで万博記念公園へ。コナンの映画を居眠り半分で見て、遊んで帰宅した。
翌日は延長保育なしで登園。母親に代わって迎えに出た。道々ずっと歌を歌っている。
「お花が咲いてるぅ」って、帰り道の公園で遊んでいて4歳児が見つけた花。



ガラス戸が時折音を立てるようになった。
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「お知らせです」

2021年03月07日 | 日々の暮らしの中で
  お知らせです春が来ましたタンポポより


小学生までを対象とした「(坪内)ねんてん先生の575」(地元紙、ジュニアタイムズ)に本日掲載された入選句のうちの1句。
市内の小学校4年生の彼女の名前は、記憶にあるような…。ときどき見かけているのではないかな。

Nさん、いいなあ。このタンポポからのお知らせ。
タンポポの花そのものが、「春が来ました」としゃべっているのですね。
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 
これもわたしの春の句です。 
 と、ねんてん先生でした。

 〈お知らせです春が来ましたたんぽぽより〉
口をついて出てくるほどに、すっかり頭に定着。いいなあ~と思って。
で、川の土手沿いに咲いていたタンポポの花を添えてあげよう。


来月初めまでにボチボチ、正確に…と、原稿用紙で800字分ほどまで点字で書き始めてみた。
手打ちなので、その場で気づく間違いは表から凸部を潰して打ち直せばいいが、
一文を飛ばしてしまったなんてことがないように、緊張感をもって。(なんせ雑だからね、気をつけよっと)


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心入れ

2021年03月05日 | 日々の暮らしの中で
冬の寒さに耐えていた虫たちが、土の中からうごめき出てくるころ、と言われる二十四節気の「啓蟄」に当たる今日。
雨になったが12月から中止されていた文章仲間との例会が開かれ、参加した。


残念だったのは、女性の中では最高齢で、80代半ばを超えるとっても素敵な方が退会されたこと。美術館に行くので、平信をだそうと思いついた。
新たな出会いもあった。11月に入会されたようで、当日私が事情で欠席したために初対面なのだが、今日も席が遠くて話す機会はなかった。視覚障害があるようで点字翻訳機を使って自分の原稿を読み上げられた。

「世界のごちそう博物館」のオーナーシェフ・本山尚義氏の調理ワークショップと講演に参加したときのことからそれは始まった。
本山氏は世界各地を旅して学んだ料理を作り、その国の文化や歴史ともに発信しているという。手に入りにくい食材は身近なもので代用する工夫をし、ときには食材探しで奮闘するそうだが、そうした姿を「ご馳走の精神」に通じると書いた。
どうして「走る」という漢字を使うのか疑問だったが、NHKの連続ドラマ「ごちそうさん」の中のワンシーンから得心したのだそうな。「馳走には誰かに食をもてなすために、方々を走るという意味があ」ると、連続ドラマを見ていない私は教えられた。今は一人暮らしを始めたので自分のためだけの料理だが、いつか、誰かと食べるごちそうを作りたい、…と結んでいた。
人柄が透けて、心をとらえるものだった。手間こそおいしさのみなもと、ね。


帰り道、「彼女はどうやって提出された他人の作品を読んでるの? 読めるだけの視力はあるの?」と同行の仲間に聞いたところ、「聞いてるんやない?」という返事だ…。
以前、属していたボランティア団体の会長と一緒に、社会福祉協議会の会合に出席したことがあった。各団体から出されたものや協議会からのものを合わせて、たくさんのプリントが配られたが、一枚として点字プリントはなかった。自分が参加することを知っていておかしい、と異を唱えた。
それを思い出したものだから、ただ単純に、自分の作品を点字でも書いてみようか、と思いついた。
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女の愛着

2021年03月03日 | 日々の暮らしの中で

一昨年箱にしまい忘れたままのパンフレットを見ながら迷ったが、今年もごめんしてもらうことにした。
申し訳ないような気持ちとともに、来年は必ずお会いしましょうと約束。

雛は出した時が一番! 
「子供の思い出を秘めた雛」もあり、「母の思い出をささやく雛」もある、と。
積もる話を致しましょう。
女の愛着が継いでいく行事といえるだろうか。


プリンターのインクを買いに走ったら、一つ番号違いを買ってきてしまった。
なんかなあ、この頃ボンヤリしてることが多い気がしてならない。
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椿の花の空中回転

2021年03月01日 | 日々の暮らしの中で
休日は市中に出るのを控えてきた。もうちょっと考えたらよかったのに、またやってしまった。陽気のせいかなあ…。
月曜日は休館だということを失念したまま、東西線の東山駅に降り立った。細見美術館に行こうとしていたのだ。

どこへ行く当てもなかったので東を向いて三条通を歩きだしながら、南禅寺の境内を抜け、哲学の道へ出ようと決めた。法然院あたりまで歩いたら帰ろうと道をとった。定休日の店も多く、ほとんど人が歩いていない。ガマンを重ね、ようやくここにきて緊急事態宣言は解除された。不安もまだまだ大きいのに、この先、観光によるものだったり、年度替わりなどで人の移動が増えだす時が怖い。


一昨年に特別公開された折にたくさんの椿を拝見した霊鑑寺の前に出た。門扉は閉まるが門前の椿を拝見。今年の公開はあるのだろうか。


法然院の垣沿いを歩いていて椿の落花を目にし…、最近読んだ椿の話題が思い浮かぶのだが思い出せそうで出せないまま帰宅した。やはり佐伯一麦氏のものだった(「散歩歳時記」)。

椿の花が落ちる時、俯向きに落ち始めても空中で回転して仰向きになろうとするような傾向があるらしい。

 

そう気づいた寺田虎彦は観察を始め、
〈木が高いほど、仰向きの比率が高い。低い木だと、空中回転する間がないのでそのまま俯向きが通例〉という結果をエッセイに記している。
しかも、〈梅の花の空中反転作用から、花冠の特有な形態による空気抵抗のはたらき方、花の重心の位置、花の慣性能率〉などに思いを致している。

といったことを読んだのだった。科学者・寺田虎彦らしいところだ。「落ちさまに虻を伏せたる椿哉」夏目漱石。虻によって花の重心がずれるので虻を伏せるように落ちる。そうか、空中反転できぬままに、か。
ちょっとした気づきを得ることで、歩き慣れた散歩道の見慣れた光景の中に楽しみが新たに見出せる。明日からは椿の落花が気になりそう。
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