京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ワニのロックは最強だ

2023年03月30日 | 映画・観劇

八重桜日輪すこしあつきかな  山口誓子


大きなスーツケースを引いて歩く方々でごった返す京都駅。
「京の桜どき」に、いずこも花見の人出でにぎわっている。いきなり通路の真ん中で立ち止まる彼らにぶつからぬよう、足早に八条側にある映画館に向かった。友人と待ち合わせていた。上映時間の都合から、二条の東宝シネマズにしましょうと約束していたのにだ。
自分の勘違い、途中ですり替わった思い込みだった。駆けつける時間の余裕はなく、それぞれに観ることにした。失敗失敗、大失敗。


アメリカの児童文学作家バーナード・ウェ―バーの名作『ワニのライル』シリーズを実写映画化したという「シング・フォー・ミー、ライル」。ライルの声を大泉洋さんが担当だと知って楽しみにしていた。

“ワニのロックは最強だ~”
ショーマンのヘクターがペットショップで歌うワニと出会う。2本足で立って歌う、小さなワニのかわいいこと。でもたちまち3mに。
ステージに立たせ歌って、ひと儲けをもくろむがうまくいかない。観客の前では歌えなかった。ヘクターは屋根裏部屋にワニのライルを残したまま姿を消した。階下の部屋に越してきた家族の少年とライルの交流が始まる。
ドタバタあって大きなワニが走り回る。ステージで少年と歌って踊るラウル。大泉洋さんの歌声。動物園に連れもどされることなく、一件落着。

「とても楽しくて、頭が明るくなりました」と友人も楽しんでくれて、ほッ。


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花は咲くことのみ思い -4

2023年03月28日 | こんなところ訪ねて
友人の案内を得て、滋賀県大津市にある園城寺(三井寺)に花の盛りを楽しんだ。
京津線三井寺駅を下りれば、そこは琵琶湖疎水べり。


三井寺に向かう途中、まずは疎水に懸かる橋の上でひとしきり写真撮影に足を止める。
思っていた以上の人の出だった。



広い境内は桃山建築の金堂をはじめ、三重塔、勧学院客殿、三井の晩鐘で知られる鐘楼。そして天智、天武、持統の三天皇が産湯に使った泉の湧く閼伽井屋、西国十四番札所観音堂もありと多くの建物が散在し、建築博物館のおもむきとも言われるようだ。


琵琶湖展望



 

(左)閼伽井屋の正面に龍。夜な夜な琵琶湖で暴れる龍の目玉に、左甚五郎自ら五寸釘を打ち込んで沈めたと伝える。
(右)金堂正面には、天智天皇が自ら切った左薬指が灯篭の台座下に収められていると伝えられる灯篭が。

弁慶の引き摺り鐘


(もうたくさんね、さくらばかり。
でもこのあたりで、「るろうに剣心」の撮影があったんですって)

平家の南都焼打ちに先だって、まだ二十歳過ぎの平重衡を大将軍とした寄せ手によって園城寺が焼き討ちされたことは『龍華記』(澤田瞳子)でも触れている。比叡山と対立した歴史もあり、再三の兵火で消失したが、豊臣、徳川氏の尽力で再興されて今に伝わる。

  これはこれはとばかり花の 園城寺

どこをみてもさくらさくらさくら。言葉もなし。なんとも華やかな近江の春だった。
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月光に書を読む少年

2023年03月26日 | 日々の暮らしの中で
雨が降る花冷えの一日は外出することもなく、「一間にひとりづつこもり」休養日となった。

海の向こうから、母子3人ウォーキングに出て、ブランコで遊ぶ1枚が送られてきたが、着いたであろう息子からの連絡は、やっぱり来ない。
ひと言「着いた」でいいから連絡を、と言っておいたのに。時差、仕事仲間との連絡などいろいろあるわね…、と待っている。ま、いいか。


先日立ち寄った中古書店では、立ち読みはご遠慮願いますという店内放送が流れる。柱にもたれてじっと読みふける人に聞こえているのかどうか…。
もう何年も前の天声人語では、「立ち読みにまつわる最も美しい話」が紹介されていた。

【19世紀欧州のある街で、貧しい本好きの少年が毎日、書店のウインドーに飾られた一冊の本を眺めていた。読みたいけれどお金がない。ある日のこと、本のページが1枚めくられていた。翌日も1枚めくられていて、少年は続きを読んだ。そうして毎日めくられていく本を、少年は何カ月もかかって読み終えることができたそうだ】(『月光に書を読む』鶴ケ谷真一)

おとぎ話のような書店主の計らいとしながら、少年のように何カ月もかけて一冊にくらいつけば素晴らしいとあったのを、いい話だと思って書き留めていた。

乙川勇三郎作品にはまっているこの頃。『R.S.ヴィラセニョール』を読み終えて、『二十五年後の読書』と同時に出版された長編小説『この地上において私たちを満足させるもの』を読み始めようとしているところ。

 

「すぐれた小説は読者が読みながらなにかを吸収し、考えるもので、考えるためには見知らぬ世界や他者という難解な部分がなくてはならない」
書評家・響子の思いだった。
少年のように、一日の分は少なくても、じっくりはまっていきたい。
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昨日までなかった花が咲く

2023年03月24日 | 日々の暮らしの中で
明日から仕事でスイスに行く息子に午後4時半、様子を尋ねるとパッキングしているという返事があった。
もうそろそろいいかなと9時半ごろになって再度の様子うかがいをしてみると、なんとまあ、突然の欠便となるトラブルが発生。
そのやりとりで時間を費やされ、パッキングどころではなかったというではないの。

ブランドの日本総代理店から直接受けた仕事で、長く仕事をしてきた人の依頼もあって決まったというが、チームを率いていく今回。同行者の便にもそれぞれ変更が生じた。なんてことよ! と言っても仕方ないか。

ミュンヘン経由でジュネーブだったのが、フランクフルト→チューリッヒ→ジュネーブに変更。しかも羽田から1時間遅れで昼過ぎのフライトになった。ルフトハンザなので、ストライキでもあったんだろうと言うのだが。
この間際になって、こういうことがあるから本当に困る。
おまけに、「2週間は長すぎて困ってる」と苦笑していた人間に。


平成6(1994)年に天皇皇后陛下がアメリカを訪問されたとき、クリントン大統領は歓迎スピーチで橘曙覧の歌を詠んだということが神一行氏の著書に書かれていた。新たな日米親善を…の思いが込められたのだろう。
   
  たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

で、わたしも、新しい世界を見てほしい、これからにつながるといいなと、ひとつの飛躍を期待する思いで曙覧の歌を贈った。
「なかなかできない経験だから、なにかを得てきたい」という言葉が残された。

少しでも早く準備を済ませて休んでほしい。無事着きますように・・・。
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花は咲くことのみ思い -3

2023年03月22日 | 日々の暮らしの中で
朝から4時間近くもWBCの決勝戦を見て、世界一に輝いた選手たちの喜びを一緒に楽しませてもらっていた。
個々が力を尽くし,チームとしての総合力を高めた素晴らしいチームだと、見ていて感動するシーンがいっぱい。
「日本列島が歓喜にわく」 うん うん まさにそう。
 

    まさをなる空よりしだれざくらかな      富安風生

「日本は桜の国だ」(赤瀬川原平)と。
爛漫と咲き誇る枝垂桜を、晴れやかな気持ちで見あげた。
日本の優勝、世界一を祝うかのよう…。そんな余韻を愉しみながら。


飛び跳ねて、チーム一丸となって喜びを爆発させている姿が、なんともいい。
「花」は咲くことのみ思って、今日という日を迎えた。

やっぱり今日もここにたどり着いちゃった。 青空や花は咲くことのみ思ひ   桂信子
日本チーム、優勝おめでとうございます。

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花は咲くことのみ思い -2

2023年03月20日 | こんなところ訪ねて

「鹿ケ谷比丘尼御所」などとも呼ばれる霊鑑寺で特別公開が始まった。当初は23日に拝観を予定していたが、雨模様とわかって急遽繰り上げた。



後水尾天皇遺愛の日光(じっこう)椿、初めて見る王冠という名の椿、名前は忘れてしまったが寺内はいたるところ椿だらけ。2度目とあって、ちょっと退屈な椿めぐりだった。

内裏雛が飾られていたのは上段の間だったか。ここで映画「レジェンド&バタフライ」の撮影が行われたらしく、「蘭丸が出てくるシーンです」と堂内で説明があった。
私は見ていないので知らないが、なぜここで?と撮影があったこと自体に驚いた。普段は非公開の寺。

疎水沿いに哲学の道を大豊神社へと向かった。




桜と枝垂れ梅の同時咲きに、椿も色を添え、みごとです。


参道はやがて紫陽花が彩り、足元には珍しい名の花々が育てられ、いつ来ても何かしらの楽しみを味わえる。
そうそう、私は木五倍子(キブシ)を初めて見た。
霊鑑寺も大豊神社も初めてだという友人との半日でした。

   青空や花は咲くことのみ思ひ   桂 信子

ひらぺったい味のしないオムライスでお腹を見たし、「2時までなんです」と追い立てられるように店を出た。
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不器用な男を見つめる

2023年03月19日 | こんな本も読んでみた

ウイリアム・ストーナーは、貧しい農家に生まれた。父の後を継ぐつもりでミズーリ大学コロンビア校の農学部に進学し、学業はまじめに手を抜かず、楽しくも苦しくもなくいそしむ。
2年目に必須科目の英文学と出会い、専攻を文学に転じる。学位取得後は母校の大学の教師に迎えられるが学内の人事では冷遇され、終生、助教授のまま終わる。意中の女性を妻とするが結婚生活は波乱続き。研究生活もままならない。

うだつの上がらない大学教師。42歳で「行く手には期して待つものもなく、来し方には心温まる思い出などなきに等しかった」。
そんな彼に、キャサリンとの出会いが訪れた。
「日一日、その自制の厚い殻が少しずつ剥がれ落ちて、…気後れなく打ち解け合」うひとときを慈しみ、しみじみとした喜びに浸る。

運命を常に静かに受け入れ、限られた条件のもとで可能な限りのことをして黙々と生きる。
こうしたストーナーのあまりに忍耐強く受動的な生きようは、華やかな成功物語を好むアメリカ人には当初受けなかったようだ。


作品は1965年に刊行されたが、著者(ジョン・ウイリアムズ1922-1994)亡きあと存在は忘れられてしまった。
それが2006年に復刊されたことから運命は大きく変わっていく。
まずフランスで訳されベストセラーに。翌年は近隣諸国で翻訳出版が相次ぎ、2013年にはイギリスで、さらに本国のアメリカでも人気に火がついて、数日後にはアマゾンで、わずか4時間の間に1千部以上売り上げる驚異的記録をたたき出したという。
「訳者あとがきに代えて」(布施由紀子)に詳しかった。

周囲の抑圧には無表情で寡黙で無関心。けれど世間に向けた顔とは裏腹に、情熱と愛の力は強く内在させていた。

『ストーナー』に描かれる悲しみは、「文学的な悲しみではなく、もっと純粋な、人が生きていくうえで味わう真の悲しみに近い。読み手は、そうした悲しみが彼のもとへ近づいてくるのを、自分の人生の悲しみが迫りくるように感じとる。しかも、それに抗うすべがないことも承知しているのだ」
とイギリスの作家・ジュリアン・バーンズが書いていることも紹介されていた。

原文の美しさはわかりようもないけれど、翻訳の文章もいい。わずかな期待も抱き、引き込まれるようにしてストーナーの人生を共に歩んだ。


『二十五年目の読書』(乙川優三郎)の中で、書評家・響子が読み始めたのが『ストーナー』だった。

 「少しずつ、どこかにいたであろう他人の人生が見えてくる。
  存在そのものが光り輝くことはないが、その存在を知る意義は大きい」

彼女が思ったことが、今よくわかる。

     
     他者の人生から学ぼう。
     他者の存在やありようを想像する。
     「人間への洞察」。
       いろいろな本を読んで…。

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カムイ外伝

2023年03月17日 | 映画・観劇

「国際交流会館で『カムイ外伝』の映画があるんやけど、行かへん?」と声をかけていただいた。「雨でも行かはりますか」って。(そりゃあもちろんでしょ)
国際交流基金京都支部 外国人のための日本名作映画上映会(英語字幕付き)だが、一見したところ日本人ばかり。それでも後席から英語での会話が耳に入ってきた。

白戸三平原作のコミック『カムイ外伝』。カムイに松山ケンイチ。小雪、伊藤英明、小林薫といった共演者の名。案内の解説文によるとー
監督・共同脚本の崔洋一、脚本・宮藤官九郎で実写化された2009年の映画で、長大な原作の中から「スガルの島」編に焦点を当て、自由を求めて忍者の世界を抜けた青年・カムイの壮絶な逃亡劇が描かれる、とある。
17世紀、社会の最下層に生まれたカムイは生きるために忍びの道へ。掟に縛られる世界から抜けようとすれば、掟によって抜忍(ヌケニン)として仲間からどこまでも追われる身となる。
心安らぐ日がくるのか…。

武器がスクリーンからこちらに向かってくる錯覚、サメが海上に飛び上がる、伊藤英明の両腕が切られ飛ぶ、隣席の女性が「うわあっ!」「うわあっ!」と声を出す。
通常ではありえない激しい人間の動きはCGあり、またワイヤー&ソードアクションとかいうのも見ものだそうだが、そうした場面に疲れを感じるのは年齢のせいに違いない。

〈軽蔑されようと差別されようと、自分の生き方を他人にとやかく言われる筋合いはない。弱音を吐かず、強がりもせず、淡々と自然体で生きる〉 とてもそんなふうには生きられなかった徳川の時代。
カムイの物語はどう展開しているのだろう。


陽光の明るさ、土の温みも増して、目覚めを促されたか。かたい地面を割って芍薬の芽が顔を出してきた。
芽の先端の紅いとんがりを見つけたときから、命のたくましさに触れたようで毎年なんともいえない大きな喜びを味わう。
まさに「一寸のたましいを持つ」の感だ。

「雪をのけたしかめてみる褐色の芽は一寸のたましいを持つ」と山崎万代方代が詠っている。
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花は咲くことのみ思い

2023年03月14日 | こんなところ訪ねて
さきがけの花、梅。
春、満開の京都御苑を訪れた。
太陽が傾きかけてくる2時頃が一番暖かいという。ちょうどそんな時間帯だった。









青空や花は咲くことのみ思ひ   桂 信子



外国人の多かったこと。彼らを含めて大方はマスクを着用しているが、こんな場所で必要あるのだろうかと滑稽に思える瞬間があった。
梅の香を! こっそり外して息をつき、何となく、ほのかな香りらしきものを感じたかどうか…。またマスク。もったいない。
右へ倣いせんでもいいのだけれど、同調しておけば問題ない、か。

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星、落ちる

2023年03月13日 | HALL家の話
四夜連続でWBCのテレビ中継を楽しんできた。
“スーパー エキサイティング”、とヌートバー選手が表現していたらしい。

何を伝えても娘家族は野球になにも反応を示さない。
愛想のないことだけど、小さい頃からラグビーボールで育った男組。
末のLukasは野球を知らないでいるかもしれない。
シーズンに入りつつあるのか、彼が所属するサッカークラブの練習が始まったという。年齢の割にボールコントロールの良さをゼッサンされると母親は言ってくるが、父親のほうは謙虚に?「そんなことないよ、ただ好きなだけ」と応じているのだとか。
期待の星だよ、と笑う。

 

姉のJessieには将来テニスプレイヤーにしようとデビューまでの夢を描いた。

「今日はTyler、サッカーのディストリクト」と朝連絡をもらった。
ブリスベン北部の選抜チームのメンバーを選抜する日。先生の推薦を得て、今日に備えてきたはずなのに…。
雨上がりで蒸し蒸し。「へばっとるわー」「吐きそうだーって言い出した…」 
「ここぞという時にあかんなあ、いつも」結果は残念!

朝食もほとんど食べず…。それじゃあねえ。
とにかく食が細い子だったが、きちんと食事を摂って、ゲーム以前のことを整えていく日々の生活の大事さを、親子で考えてみることだ。
今、大事なことは何なのか。改める節目になるといい。何かが出てこなければね…。
自分自身の内のものに心を配らなければならないだろう。来年は中学生だもの。

星、落ちる。


最後は本人のカイショ、かな。
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三人組の協力は強力よ

2023年03月10日 | 日々の暮らしの中で
点訳ボランティア養成の講習会を修了したのが2001年3月だったから、今年で22年になった。

図書点訳を目ざしていた。
それも古典文学作品をなどと独りよがりの思いをひそかに秘めてもいたのだ。が修了後は、外に出て社会の中で活かそうと視覚障害のある人たちと一緒に活動を共にして何年かを過ごした。
その間には京大生と英語の教科書点訳にも関わらせてもらったし、音訳のグループに顔出ししたこともあった。標準語だからいいというものではなく、朗読とも異なり、これは私の関心が続かなかった。

22年か…と、我ながら年月の経過を感じる。が、絵本を含む書籍の点訳はノルマがあるわけではなくマイペースに取り組んできたせいで、さほど密度の濃さは感じていない。

自分は点訳するだけだが、当時共に学んだSさんとGさんは校正や修正にまで携わって熱心に活動されている。
で、分担の話がまた舞い込んだのだ。長編小説の点訳だけの作業で長期に渡らないためには、分担も一つの方法になる。
協力の三人組は強力で心強いことを経験済みだ。打診されていたので、ご一緒させてもらうことにした。
共通の表記、抑えどころなど確認したあとは、おしゃべりで過ごした。



日本の点字は東京聾啞学校の教員・石川倉次(1859-1944)氏によって翻案され、1890年に制定されたものです。
コメント欄で「川倉治」となってしまいましたので、ここに記し直します
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一燈園

2023年03月08日 | こんなところ訪ねて
京都市山科区四宮に一燈園資料館を訪ねた。
一燈園の創始者・西田天香の歴史と縁のあった人々の資料や作品が紹介されている。


子どもたちがはしゃぐ声が上から降ってくる坂道を、見ごろの白梅が彩る。

びわこ疎水をはさみ

花見が楽しみな大樹



【西田天香は明治5年滋賀県長浜市の商家に生まれた。20歳で北海道に渡り開拓事業に従事するもやがて、利害の関係に苦悩するようになった。
トルストイの『我宗教』に接したことを契機に、争いのない生き方を求めて明治37(1904)年に一燈園を創始し、無所有と奉仕の生活を始めた。
自然にかなう生活をすれば、人は何物をも所有しないでも、また働きを金に換えなくても、
許されて生かされる、という信条のもとに多くの人が道を求めて集まってきた。】
(パンフレットより抜粋)

作家の倉田百三も一時入園し、その体験をもとにして『出家とその弟子』が書かれた。
尾崎放哉もで、「皆働きに出てしまひ障子をあけたままの家」
「ねそべって書いている手紙を鶏に覗かれる」が紹介されていた。
網島梁川(宗教や思想評論家で、早稲田文学の編集にも関わる)との出会い。
棟方志功、河井寛次郎、柳宗悦。須田剋太。西田幾太郎との交友もあったようだ。

今、約10万坪(33ヘクタール)の土地に、数10棟の建物があり、200人近い人たちが生活と仕事を共にし、自然に宗教的生活協同体を形成しているという。宗教ではないので、特定の本尊はなく「礼堂」正面祭壇には円窓があるのみで、その円窓を通して大自然を拝するようになっているそうだ。そして、幼稚園から高校までの教育機関も持っている。

ちょうど朝のテレビでカズオ・イシグロ氏の「生きるLiving」が話題になっているのを見ていたが、氏の言葉を借りれば…。
西田天香が残したものが、無所有と奉仕を信条とした生活が、形を変えながらも今なお受け継がれているという事実が意味を持ってくる。
人が救われる道、自分に無理せず生きていく力を貯められる道は、行く通りにもある…と思う。
高台の静かな場所に初めて訪問し、こういう生活が、この地にあったことを知り、驚きとともに教えられることばかりだった。
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小さな顔の白梅

2023年03月06日 | 日々の暮らしの中で
咲いた咲いた。我が家の梅も咲きましたえ~。
でも閑人の一人喜びで、誰も相手をしてくれません。


ゆっくり咲けばいいと思いながらも、ご老体、そうそう後れをとってはいられまいに? 
と少々フクザツナな気分でいた。
それがよく見ると下の枝に、ひっそりとうつむき加減の一輪が目に入った。怒っちゃいないのだから、はい、こっち向いてと一枚。


昼からは雛飾りを片づけることにした。
二時間半ほどかかってたらたらと。来年飾れる保証はないと思えば、自然と埃を払う手元は丁寧になる。

  うららかにただうららかにある日かな    万太郎


時間の経過とともに、三輪、四輪と咲きだした。おおかたは、まだつぼみの一分咲き。
なんといってもご老体だから。

小さな小さなお顔の白梅。
「梅は静かに長くこちらを見つめているような木」と澤田康彦さんが書いていた。

来年も梅の開花を待ちながらお雛様を飾れますように。
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精神の酔い

2023年03月04日 | 日々の暮らしの中で
奈良二月堂のお水取りが始まる頃ともなると、忘れることなく『近江散歩 奈良散歩』(司馬遼太郎)を取り出し、「修二会」に関して書かれたページを読み返す。
出かけてみたいなと思いつつ、楽しんで楽しんで読ませてもらう。


修二会に加わる練行衆は11人。お水取りは3月1日から始まるが、2月20日から準備期間に入り、共同生活の宿所に入る。
それぞれの役割があり、その間には造花もつくる。二月堂の秘仏である観音の宝前に供える花で、楮(こうぞ)の皮で漉かれたぽってりと厚い紅白の和紙で作った椿の花が内陣を荘厳する。

格子の間から覗き見ることさえできないが、奈良国立博物館で再現された様を見たことがある。厳かな空間だった。
「『東大寺椿』は花弁が長くて、ふしぎな丸味がありますね」と司馬さん。

【声明の稽古をしたり、行法のときに着る紙衣のころもの反物も自分で作る。百貨店か法会屋に調整させるということもなく、伝統を守る。
千数百年もの間、天平の実忠以来のやり方を不合理は承知の上で頑固に守って勤まる行法には、不断の伝統が生きている。
この寺の僧の顔つきは世間の僧に比べて数段にいい。―とまで司馬さんは書いている。

そういう精神の酔いがなければ、自分を天平の実忠和尚のそばにまで連れ昇らせてゆくことはできないのである。】
この「精神の酔い」という言葉に出会いたいがために、私はページを繰っているような気もする。

2019年3月9日に二月堂に参拝。そのあと博物館での展示を拝見し冊子を購入。花ごしらえの様子と小観音のお厨子が見える両脇に椿がちらっと…。掲載されていた写真です。
 






『二十五年後の読書』(乙川優三郎)の中で、半世紀も前にアメリカで出版されたものが今も読み継がれているという『ストーナー』が引用されていた。主人公・響子が、“完璧に美しい小説”という帯の紹介文を信じて買ったものだった。

それを図書館で借りることにした。どこまで読めるか。翻訳小説は本当に久しぶり。
じっくり、できれば楽しんで味わいたい。時代の中に入り込み、精神の酔いなど感じながらストーナーに近づけるものかどうか。


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優しい贈り物

2023年03月02日 | こんな本も読んでみた
すぐれた文章の世界にあるのはフィクションのベールに包まれた真実であり、言葉に置き換えられる作家の理性である。
フィクションすら許せない人は文学から何を学ぶというのであろう。

刊行数が多いわりにすぐれた作品は少ない。作家らしき人が、らしき文体を、らしきものを書いて自画自賛する時代。平成明朝浮薄体とでもいうべき今の文章は軽く読み流せるが、読者が味わうべき日本語の格調はない。
文学が芸術であることを作家も読者も忘れている。


『二十五年後の読書』。
作家・乙川優三郎氏の文学論が随所に、たっぷりと書きこまれている。
物語の展開より、こちらを核とすることで、かなり読みごたえがあった。氏の文章自体が美しい。丹精されている。

旅行業界を52歳で退き、エッセイストから書評家として名声を得はじめた中川響子、55歳。
作家が時に命を削って佳い文章を物することを知るだけに、安易な絶賛で凡庸な書評に迎合したくはなかった。
短い書評も文学に負けない美しい日本語で、文学への愛情に裏打ちされた苦言と賛辞を記したいと思うのだった。


家族を持たずにきて、生涯の縁と思った作家・谷郷敬との別れは響子に孤独をもたらし、不安神経症と診断された。
海洋の小島で療養する響子を見舞った編集者は、谷郷が日本を離れて病床の妻のもとで書き上げた仮綴本を手渡して帰っていった。

文筆家として老化し、文章に艶が失われていることを響子は案じてきたのだが、その作品は25年ぶりになる“谷郷の優しい贈り物”だった。
美しい日本語が続き、それに勝る言葉など見つからなかった。

奔放に人生を送ってきたが、どのような境遇であれ、尊いもの美しいものを追い、道を付けていく。その生きざまもまた良しと思った。
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