京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

快からぬもハロウィンだから

2021年10月31日 | HALL家の話
「今日は日曜日なるを以て終日門を出でず」。大正14年12月の日曜日。

日曜日は電車も街も雑踏すること平日より甚だしいばかりでなく、「洋装の女の厚化粧したる姿など、眼に見て快からぬもの多かればなり」
ちょっと笑える。日曜日は家に籠っていると記録しておきながら、「夜ひそかに…お浪と言へる怪しき女を訪ふ」とその後をご丁寧に綴る荷風さん。


午前中、孫のLukasが初のフェイスぺインティングをしたからと娘から写真が送られてきた。ハロウィンのイベントに参加してきたとのことで。兄と、兄と同い年の女の子もいっしょに。まあ、快からぬ面相だけど、こんな時だから。
ハロウィンって何だった?というほどの知識しかないが、その昔、孫娘がご近所さんを訪ねてお菓子をもらい歩くのに付き添ったことが懐かしい。

 

一番の仲良しとスクーターで回って、バケツ一杯のお菓子。一人っ子の彼はLukasをかわいがってくれるのだとか。

午前中は彼らとのやりとりやらで時間が過ぎて、午後から街に出た。
入った店で、黒い山高帽をかぶり、黒の衣装に黒い紙の眼鏡をつけて、マントをひるがえした店員さんが脇をすり抜けたのにビーックリ!! 突然だったもので一層だった。小さな子ならまだかわいいけれど…、ちょっとアクシュミ。それでも今日だけは…。


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ちょっと夜ふかし あと1ページ

2021年10月29日 | こんな本も読んでみた

見上げる梢の枯葉が日を受けて、折しもの強い北風に吹かれるさまが何やら小判のきらめきのように見えた。

読書週間が始まっている。かつての標語では〈秋だからちょっと夜ふかし あと1ページ〉(1994)が気に入っているが、〈ありますか? 好きだと言える一冊が〉(2003)と人に訊ねてみたくなるものもある。今年は、〈最後の頁を閉じた 違う自分がいた〉だと知った。

「映画は終わりが始まりなんだよ」とは小津語録だそうだ。
エンドマークは打たれるが、余韻に浸る中で、さらにその先に続く登場人物の人生を想像する。自分の人生に引き寄せて考え、心の中に根を下ろす作品となることもある。読書にも通じること。


少し前に読み終わったこの2冊。『神様には負けられない』は義肢装具士を目指して努力を重ねる若い3人のこれからを、素直に応援したくなる読み心地だった。身体のあらゆる場所に名前があり、そのすべてに役割がある。神様が命の息を吹き込んで作ったように思える人間の身体は、よくできている。義足の調整を繰り返し、繰り返し、よりよくと調整を試みるとき、「神様には負けられない」という言葉になった。
『見えない星に耳を澄ませて』での主人公は音楽療法士を目指す大学3年生の真尋。最後になって彼女が記憶を作っていることが明かされて、すっと終わった。希望や決意など説明されて終わる。決してとんでもない展開ではない。だが、ちょっと足元をすくわれた気もしないではなかった。こういう終わり方は好きではないと思った。が、想像してよ、ってところなのかな?

「金があったら本を買っておけ。どんな本も3年経ったら役に立つ」って尾崎紅葉が弟子に説いたという。
きらめく小判、いっぱいほしいわ。明日から知恩寺で秋の古本まつり(30-11/3)が始まる。
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生まれない共感

2021年10月27日 | 日々の暮らしの中で

幕末期に、当時の住職は本堂を学舎にして私塾を開きました。
多くの人が少年期にここで学んだと伝えています。

寺は人が集まる場所でないと寂しい。
私に教化の手伝いはできませんが、人が出会う場づくりには関心を持ってきました。

現住職は30代のころから趣味で小説を書き、ほんのちょっと?和歌を詠み、本に埋もれて暮らす読書好きです。波長が合いそうでいて、何かを一緒に手掛けるってことは、なんと難しいことかと思い知らされることの繰り返し。
磁石のプラスとプラスは近づこうといくら努力しても決して接地面が生まれません。もうあとちょっとというところまでくると、「けどな、よう考えてみ。大変やぞ」。勢いよくすれ違い、反発が常。これとよう似とるわ。


ひっそりとした境内で、まずは何気ない出会いやつながりを楽しむ場から戻ってくるといい。
なぜかこんなことを感じていた日。
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25円の五重塔

2021年10月25日 | 日々の暮らしの中で
朝から、今もまだ雨は降り続いている。〈雨降れば暮るる速さよ〉を実感。
ツワブキの花もたくさん開いたが、雨の重みで花茎から項垂れてしまって。花の盛りの短いこと。

朝一に、認めおいた手紙をもってポストまで歩いた。今月をもっての身辺整理の一つ。感謝の言葉とともに思いを伝えた。
もうあとはしなくてはならないこともない。雨だし、気持ちものんびりと余裕がある。
そうそう、司馬さんはどう書かれていたんだったか?と思ったことを思い出して、『街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩』を開いた。
「五重塔」「阿修羅」の項があり、かつてより一層興味深く読み直した。

【明治政府の廃仏毀釈の標的にされた興福寺は、堂塔伽藍のあらかたが破棄された。五重塔は25円で売りに出された。
日本の歴史上には、信長に対して抵抗した一向一揆やキリシタンの大量殉教の事件もあるが、暴政に対して興福寺の僧侶たちは、なぜ激しく争うこともしないまま消滅したのか。自ら興福寺を捨てたのか。仏法を守るために戦い、仏ともども砕かれて死ぬという道を選んでもいい。争うことはできたはずだ】
と言った視点からの考察が興味深いものだった。

  さかさまに眺める5歳のときの孫娘…。

明日は父の祥月命日につき、お内仏に新しく花を供えた。
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大修理前に、興福寺五重塔初層拝観

2021年10月23日 | こんなところ訪ねて

興福寺五重塔の初層内部が公開されている。

塔は天平2年(730)に、興福寺の創建者である藤原不比等の娘・光明皇后の発願により建立された。たびたびの落雷や焼き討ちなどで5回の焼失と再建を経て、現在の塔は室町時代の応永33年(1426)に建てられている。

初層内部は心柱を中心に、東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如来、北方に弥勒如来坐像を配置し、それぞれ左右に脇侍を従えた三尊像の形式で、合計12躰が安置されている。塔の中心には心柱が心礎上に立ち、須弥壇下の一部の囲いが外されていて、その柱の一部を見ることができた。
公開終了後は明治33年(1900)以来、120年ぶりの大規模修理に入るという。修理期間は10年の予想とか。となれば、次の機会を待つのではなく拝観は今のうちにとなる。

電車内の供に澤田瞳子さんの『龍華記』を携えた。 
1184年の平重衡による南都焼き打ちを題材にしている。藤原頼長を父とする高貴な出自でありながら、悪僧(僧兵)として南都興福寺に身を置く範長。繁栄を極める平家は、南都をも支配しようと目論む。範長らは、やってくる検非違使の南都入りを阻止しようとするのだが…。藤原氏の氏寺でもあった興福寺は焼打ちの標的か。

 京都駅に戻って書店に立ち寄り、ここのところ何度も迷った挙句の『輝山』(澤田瞳子)を手に入れた。
読書週間も始まるが、嬉しい嬉しい、楽しみ楽しみ。
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秘仏拝観に

2021年10月21日 | こんなところ訪ねて

南都七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、西大寺、大安寺、薬師寺、法隆寺)の雄、大安寺。かつては薬師寺と拮抗し、左京六條四坊に広大で、厳かな美しさを誇っていた寺院だったという。今、その面影は全くと言ってなかった。

奈良時代には広大な敷地に偉容を誇る90余棟の建物が立ち並び、三面僧房には887人の僧侶が住んで、勉学修行に励んでいたのだそうな。奈良時代の仏教の総合大学の観を呈し、渡来僧や大宮人が行き交い、文化の花を咲かせていたと。空海も宿にしていたと伝わっている。

天平時代の秘仏の十一面観音像が公開されていた。
頭部や左手には後に補修の手が入っているというが、写真で拝見したところ、なんと上品で美しいお顔立ちなこと。これはぜひ拝顔をと思い立った。風が吹く冷たい一日だった昨日。
ご本尊は厨子に収まっていて、その前に坐して仰ぐも頭部全容は目に入らなかった。右へ左へ、少し体をずらしてみるが…。
写真から想像していたより小さなご本尊だった。いったいどれだけの人々がお前で手を合わせて来られたことか。素朴で、安堵感のもたらされる静かな気品。

    本堂          
度重なる災禍の歴史の中にあっても十一面観音像は守られ伝えられてきたことの尊さを思う。
ガン封じの寺としても名高いという。健康で過ごせることを願って手を合わせた。

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懲りずに誘い誘われ

2021年10月19日 | 日々の暮らしの中で
誘い誘われで、時にはさほど関心がない催しごとであっても、ほとんど有難く受けて同行してきた。視野広がればいいという思いもあったし、何より友人知人とのひとときを楽しもうとして。それがこの頃、出向いては見たが、やっぱり自分には向かない、興味がわかない分野だと思い知る機会が増えてきた。

夏には、この調子で気楽に誘いに乗って、うっかり失念するということが起きた。「今どこにいるの?」
京都市営地下鉄の北大路駅、地上への階段を上がったところで待ち合わせていたのだ。
日本画家の畠中光亨氏が東本願寺に寄進した襖絵が、大谷大学博物館で公開されていた。公開後は御門主と限られた人しか出入りできない部屋に納められ、人目に触れることはない。見に行かないかと誘われ、事前予約も先方の都合に合わせた。メールを受け取って大慌てで駆けつけた。車でならそう時間はかからずに行ける。平謝りだった。

約束の失念は初めてだった。でもそれを記憶力云々ではなく、私は自分の関心や興味の度合いと結び付けた。この情報は自分の中で一度スルーしていたのだ。
その後、私の方から声をかけた。「上村松園展に行きませんか。京セラ美術館です」。と、懲りずにいてくれたみたいで「楽しみにしています」と快い返事を得たのだった。


絵画展が好きな方だ。でも仏像ってどう? 一人で行こうか誘おうか。滋賀県大津市の西教寺には京都の法性寺から移された薬師如来座像が伝わる。運慶の真似をしてみたけれど、顔にはいつもの癖が出てしまった。そんな作り手の人間味が感じられるというお像の拝顔はどう? 「大津市歴史博物館です」

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満腹感

2021年10月17日 | こんな本も読んでみた
朝方は昨夜来の雨が残り、一日空は曇りがちだった。風が冷たく、いっきに寒くなった。
神社の老婦人から分けていただいていた杜鵑草が、ようやくのこと咲きだして嬉しいこと。


いつかの夏の古本まつりで何冊か昭和文学全集(小学館)を手に入れた。うち7巻目には梶井基次郎、中島敦、嘉村磯田、内田百閒、中勘助、広津和郎、滝井孝作、網野菊、丸岡明、森茉莉が収められる。

4人の母をもった菊さんだったが、「母、母、母。母は沢山あるけれど、本当に懐かしめる母は一人もいない」と。
〈「ありのままに写した」「素気ない」「香りのない文章」ながら、読者を惹き込む力は群を抜く〉網野菊の5作品、「母」「金の棺」「業」「さくらの花」「一期一会」を再読した。
面白いとは思えないが、一日がかりで読んだ。本人も言われるようだが、やはり私小説を読むと不思議と感じる満腹感はぬぐえない。

落日が庫裏の西側の部屋深くにまで見事な明るさでさし込んだのには驚き、残照をほんのしばし楽しんでいた。
風あれば揺れる杜鵑草。


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豊かな孤独

2021年10月14日 | こんな本も読んでみた
空の高さを感じた今日。ハナミズキの紅葉が進んでいた。


川本三郎氏(評論家 1944年生-)が70歳を前にして書かれた「老いの一人暮らし」と題した短い文章が新聞紙上に掲載され、網野菊を知ったのだった。氏は奥様をこの6年前に亡くされていた。網野菊の『ひとり暮らし』は、今、他人事ではなく、しみじみとした味わいを感じるいい作品だと記されていた。

若くして離婚し、長く独り暮らしの菊さん。志賀直哉に師事した網野菊の作品は私小説といわれるが、『ひとり暮らし』の主人公・よし子は、荷風の死に衝撃を受ける。好んで一人暮らしをしていた荷風だし、孤独死も覚悟のことだったろう。非業の死ではなく、これはこれで幸せではなかったかと自分を励ますよし子に、川本氏も心を寄せられていた。

    広津桃子が長きに及ぶ菊さんとのお付き合いの末にまとめたのが『石蕗(つわ)の花  網野菊さんと私』で、
その巻頭の一篇が「石蕗の花」と題されていた。後年、桃子さんは菊さんが住んだ家の跡地を訪れて、〈かつて、ここにささやかな家があり、謙遜な生活があり、目立たぬ植木が身を寄せ合うようにして、花を咲かせ、紫の草花があり、猫どもがたわむれていた〉と記す。様々に思い出す情景の中で思い浮かんだ句として、「冬支度するもひとりや石蕗の花」が挙げられていた。

〈自分の周囲をじっくりみつめ、つらさ、悲しさ、驚き、ほのかな喜びなどを、調子を抑えた筆で綴るところに、独特ともいえる味わいの深さを表す作家であり、身をもって知ったとは言えぬ出来事に、(それがたとえ、知人の意見であっても)軽々と調子を合わせるような物言いをする網野さんではなかった〉そうだ。

川本さんは「選んだ孤独はいい孤独」というフランスの言葉を引き、健康でいる限り、自分で生活を律しながら一人暮らしを楽しむ、豊かな孤独というものに思いを及ばせていた。
〈健康でいる限り、自分で生活を律しながら一人暮らしを楽しむ〉 一人でいても、そうでなくても、自分の日々を、自分で満足できる状態にと努力したいものだな。そんなことをちらと思った。
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だんまりの花

2021年10月11日 | 日々の暮らしの中で
ツワブキの花が開き始めると、他を知らないこともあるが必ずと言って思い浮かぶのが三橋鷹女のこの一句。

         つはぶきはだんまりの花嫌ひな花

きっぱりとした感情の表現でストレートに思いが伝わってくるではないか。一度の出会いで忘れられない句となった。


花芽を付けた柄が、根元近くからあがってくるのは案外に早く、早すぎで、もう少し秋の深まりとともに咲いて欲しいものだ。思うようにいきませぬなあ。

川本三郎さんのコラムから網野菊を知り、その延長で『石蕗の花  網野菊さんと私』(広津桃子)と出会うことになった。
図書館で借りて読んだが、はて、タイトルにどうして「石蕗の花」とあるのだったか。
内容の記憶がなくなっただけに気にかかる。


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十月桜の咲く道を

2021年10月09日 | 日々の暮らしの中で

さすがに夏の雄大さ、勢いはないが、奇怪な形をした輝く雲が美しかった。
山を望み、流れて変わりゆく雲の形を追い、耳は川のせせらぎで満たされる。
刈り始めたばかりの稲田の一角に、頬かむりの女性が一人。稲の中に埋もれるかのように小さく眺められた。

駐車場が解放されたおかげで、久しぶりに賀茂川上流へ。
ひっそりと十月桜の咲く道を、とぼとぼと、いつもよりゆっくりと奥へと歩いてみることにした。
時に大きな自然空間の中に身を置いて、山を望みつつ歩を進めると、気持ちが解放されるし、なんやら心も穏やかになる気がする。
普段でもなるべく人家を離れた場所へと歩いて行くし、別に日頃、心がささくれ立っているわけでもないのだけれど。


クサギの花の盛りを見ていたので訪ねてみたら、ゴムのような感触の赤く色づいた萼をともなって、“青い宝石”がいっぱい残っていた。

孫も、飛べない鳥を見つけて何やらお話し中。こういう時は、助けて動物病院にでも連れて行った方がよかったのか?と気になる様子だったが…。

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身辺整理

2021年10月07日 | 日々の暮らしの中で

娘のもとへ、2箱に分けて発送し終えた。ああ、やっと終わった!!という感じ。わずかここ3日ほどのことなのに。
ほっとしたというよりも、つかれた~! 脱力感でいっぱい。

でも、少し慣れましたから、次回は今回よりもスムーズにできるはず。
オーストラリアへは今船便でしか小包が送れません。「最低でも1か月かかりますが、もしかすると2,3か月かかってしまうかもしれない」と局員さん。
いえいえ、3ヵ月かかるとこれまで聞いてきましたが、実際は2か月ほどで着くのを何度か体験済みです。EMSなら料金が高額になりますが、5日ほどで届きます。少しでも早く届いて欲しいわ。
6月から預かり、仕舞い込んでいた荷物がなくなって身辺すっきり。

もう一つ、自分自身のことで今月にはきちんとけじめをつけようと思うことがあって、
これまた一つの身辺整理。

寺子屋エッセイサロンと命名。そして、
中学生から、書くことに興味があればいつでもどうぞ、と…。楽しく、もちろん高みを目指す仲間たちの集まりです。我が家でも立ち上げたいなあ。会場を我が家に移してでもやってみたいという思いがあるが…。

今しかできないことってあるはずだ。
やっぱり、ほっとしたのかな。少し落ち着いていろいろ考えたい。


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根気よく、手早く

2021年10月05日 | 日々の暮らしの中で
娘の所へ送る荷物の内容品の英語変換、数量、価格など、パソコン入力の前の下書きづくりで一日が暮れた。


縦横高さ3辺の合計が150cmの箱をもらい受けてきたが、あれまあ30kg以内に収まらない。50kgちかくもあってはどうしましょ。2つに分けるしかないのかな。

昨夜準備しておいたので、朝一番に小型包装物(制限2kg以内、書籍のみ)として文庫本10冊を郵便局から航空便で発送した。500gで960円と言われていたが、2kgギリギリで2640円で済んだのだからありがたかった。

こちらにかける手間を慮り、船便を待つとガマンしながら活字に飢え、「送ってほしい」「ああ、でもやっぱりいいわ」と揺れているのが伝わってきていた。喜んでくれるだろう。これだけあればしばらくは…。

この航空便も、今準備中の船便も、今回初めて手書きではなくパソコンで送り状、内容品の登録をこなさなくてはならなくなった。
軽い悲鳴を上げつつ…挑んでいる。本10冊くらいはまあ何とかだったが、54品数もあって、それをパソコンで入力という作業は気が重い。根気がなくなったせいかもしれない。でもやらざるを得なくって、西の空が真っ赤に染まるまで続けて、ようやく下書きだけは終了。

さあて、どう二つにわけよう。それに従ってパソコンで入力。その後に梱包の作業も待つ。
12月末には届いて欲しいと思えば、今ガンバルっきゃないか。
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Sweet 16

2021年10月02日 | HALL家の話
今日10月2日、孫娘Jesicaは16歳の誕生日を迎えました。「Sweet 16」
病院の廊下で耳にした産声がよみがえります。

     1歳の誕生日には顔中にクリームを塗りたくって、手作りのケーキを独り占め。


先月、弟のTylerが10歳になり、来月末にはLukasが5歳に。
 誕生日ラッシュです。

帰国時に残していった夏物の衣類、雑貨、調理器具等々を、本や菓子、食品などと一緒にそろそろ送ってほしいと言ってきました。気は心、開けて喜んでもらえそうな気持ちばかりのものをそっと入れ込んでおこうかと、重い腰を上げたところです。
16歳から運転免許を取るために試験を受けることができるのです。。この子は早くから車の運転に関心を寄せていました。紫色の車がいいとかまで。すでに個人では勉強していたらしく「明日筆記テストを受ける」と言っているとかなんとか…。合格すれば運転の練習に進めるわけですが、な~んか、危ないアブナイ!

「早く日本に行きたい」と言ってきました。
 楽しい1年でありますように。
  
   人の気持ちって、いい花のように遠くからでも匂うわ。
   あなたの魂が匂っているんだわ。

…と田辺聖子さん。

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