京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

7年の土中生活終えて

2022年07月30日 | 日々の暮らしの中で
一人ばえの南天の木のもと近くに、セミが這い出した穴を見つけた。
こんなところで7年もの間、暗い地中での生活を続けていたとは。


近くの小屋のコンクリートの壁に抜け殻が残っていた。

   暗く長き夜といへども朝開けて羽化せしものは声に鳴き初む     清原令子

ジジジーと聞こえたのが羽化後の初鳴きだったらいいのにと思えてくるが、羽化するのは多くは明け方のことで、聞き逃せば、この庭から巣立ったとはいえ聞き分けるなど至難の蝉しぐれ。それにしてもすさまじいばかりの鳴き声だが、蝉は生きるために鳴いているんだったな。

「自ら選んで登った樹木の幹は、たぶん裏切ることなくたっぷりした樹液を供給し、生命力がうっとりするほどにみなぎっているのが蝉の元気のもとらしい」。
馬場あき子さんが書いていたのを読んで、私もファーブルの『昆虫記』のページを繰ってみたくなった。
幼虫の苦心の作品である蝉穴が、なぜみごとな壁面をもっているのかも、書かれているようだ。

地下鉄じゃあないが、そもそも蝉の幼虫って、どうして地中に? どうやって地中へ…?

 

 (この写真は何年か前、娘の友人が撮ったものだとかで送られてきたもの)

穴を覗き込みながら水遣りをしていたら、どこに潜んでいたのか茶っぽい蛙がぴょーんと跳ねて茂みに隠れた。びっくりした~。茶色だったから。

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白菜一玉が10ドル

2022年07月28日 | 日々の暮らしの中で

今月初めのこと。
「日本より小ぶりな白菜が1玉10ドルもするんよ」と話す娘の言葉に驚いて、「高いねー。買えないねえ」と言うと「買わないよ」って返ってきた。
「大根1キロ6ドル弱」だそうだし、「レタスも10ドル近かったのが、少し下がって7ドルくらいになってきた」と。

3日前に孫娘からの電話でお喋りしていた中で、「ケンタッキーのバーガーはレタスが高いから替わりにキャベツを使ってる」と言う話が出た。レタス8ドルしてた、と言う。
いつもざっと100円で換算してしまっているが、ネットで調べたところ1AUS$は94.19円とあった。19度という20年ぶりの寒さを記録したばかりとは言え、白菜一玉が940円とは驚きだ。

  たのしみはまれに魚にて児等(こら)皆が
   うましうましといひて食ふ時

幕末の歌人・橘曙覧は、物質的には貧しい暮らしをしていても自分の不満や不遇を歌に託して嘆くでもなく、久しぶりの煮魚のおかずを子供たちがおいしそうに分け合っている姿を楽しみ、幸せを感じている。

  たのしみは妻子むつまじくうちつどひ
   頭ならべて物をくふ時

さて、白菜が欲しかったんだけれどと言っていたが、どうしたのだったか。毎日の食事の工夫も母親の腕の見せどころ。贅沢はせずとも家族そろてって楽しい夕餉を囲んでくれていたらいい。

今日は娘家族に宛てて段ボールで2箱、野菜の代わりに菓子やプレゼントやらの荷をめいっぱい詰め込んで船便で送った。8月から11月まで誕生日が続く。9月のTylerの誕生日には間に合えばいいのだが。
あれこれ買い置いたものがスッキリ片付いた。

                (写真の値段は10年前。今は…?)

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小さな晴れをつなぎ合わせて

2022年07月26日 | 日々の暮らしの中で

たまあに、ときどき出あう友人とは、良い距離が保てている。興味の根っこに似通ったものがあるせいか、声をかければ互いに都合して時間のやりくりをする。会えば言葉に心動かされ刺激を受けるし、それが自身の充電のきっかけとなる。
べったり馴染む仲良しではないからこそ生まれる、良質なひとときがあるのだと思う。

そんな友人の2人から、一つ歳を重ねた私を久しぶりに会って祝ってやろうという心遣いをいただいていた。このご時世…。だが当日の予約キャンセルもしづらく、予定通り会おうということになった。

〈人は儚い。人の世は無常だ。人の明日ほど危ういものはない。命も、日々の暮らしも、人のつながりも、定まったものなどなにひとつないのだ〉。だから「小さな晴れをつなぎ合わせて生きる糧にする」。  (あさのあつこの「弥勒」シリーズより)。

「ほんわかと年なんて忘れて生きよう」が私たちの合言葉になってきた。




楽しんでいたら、顔に藁が降ってきた。ぼんやりしてられない。


 らくだ


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扉がまた開く

2022年07月24日 | こんな本も読んでみた
〈映画は終わりが始まりなんだよ〉。小津語録の一つにあるそうだ。

『魔女の宅急便』で知られる角野栄子さんは、物語の世界が終わっても読んだ人の心の中で、その先の扉がまた開くと書かれている(『ファンタジーが生まれるとき』)。映画、物語の世界に限らず、エンドマークが打たれたあと登場人物のその後の人生を想像する時間をもったり、新たな関心事が生まれることは体験することだと思う。

あさのあつこの時代小説『弥勒』を手にしたのは本当にたまたまで、長編のシリーズものであることも知らずにいた。もちろんお名前も『バッテリー』などの作品があることも承知していたが、読むことは初めてとなる作家だった。
就寝前、寝入るまでの時間に読み進め、長いことかかったが第9巻目『鬼を待つ』をようやく読み終えた。江戸の粋を生み出した化政文化華やかなりしころの時代設定。


「人の一生を己の眼鏡だけで決めつけることの愚かさ」
「人はぬばたまの闇と眩い光を抱え持ち、夜叉にも菩薩にもなれる。いつも闇と光の間(あわい)にいる」
一筋縄ではいかない人生だけれど、光と闇、裏も表も、両方が相まって人というものの“正体”がある。そんなことを心に残した。

また、この江戸時代は、差別ということがとても細かく制度化されていた。制限も多かった。
映画「山歌」を見たあとに読んだ『サンカの民と被差別の世界』(五木寛之)で多くを教えられた。
「良民(士・農・工商)」、この身分制度からはみ出した「賤民(エタ、非人)」。このどちらにも入らない人たちもいた。
めでたいとき、賤民たちが神や仏に変わる構図があったことが説明され、日本の文化はある意味では被差別の民が作り出して担ったと書かれる。10年以上も前になったが、「都の祝福芸能者たち」をテーマにお話を聞いたことを思いだす。


果たして被差別民とされた人たちが物語に登場しているだろうか。気になったが、見世物小屋、大道芸人、門付け歌、関取、と言う言葉で、町の賑わいが描写される程度でしかなかった(V8,9)。

「人は人を育む。人が人によって変わりうることがある」。
読書によって育まれることもはかり知れない。
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この詩、いいなあ

2022年07月21日 | 日々の暮らしの中で

  おうい雲よ
  ゆうゆうと
  馬鹿にのんきさうぢゃないか
  どこまでゆくんか
  ずっと磐城平のほうまでゆくんか

書道の会の会員の方々の作品が通りがかったビル内の通路一画で展示されていた。その中に、山村暮鳥の「雲」の詩があった。女性の手になる流麗な、美しい文字だと書については感じたが、それだけだった。榊莫山さんなら「おうい雲よ」と、どのような筆遣いを見せてくれるだろうかと想像した。

絵画も詩も、どう鑑賞したらいいのか、何を表現しようとしているのか、理解しようとしてもさてどう、何を手掛かりに?と思うことはよくある。特に、難解な表現を連ねた現代詩などにおいてはニガテもニガテ、迷わずスルーがほぼ決まった道で、そもそも現代詩を読むこと自体が滅多とない。

「『この詩、いいなあ』と感じたら、もうそれだけであなたは詩がわかる人なのです」
と内田鱗太郎さん。
「わかることよりも、感じることの方が、千倍も万倍も広くて深い」というご自身が好きな学者の言葉を引いて、「『この詩いいな』と感じられることは、いいなと感じてもいない詩を、上手に説明できることよりも、ずっと素敵なことです。そうして、ほんとうに詩がわかっていることです」
という〈詩の教室〉へのお誘いの言葉に、(そうなん)と気をよくしそう。(地元紙連載中の「詩よ遊ぼう」)

世田谷美術館館長・酒井忠康さんが著書『鍵のない館長の抽斗』の中で、
中桐正雄さんが詩人の草野新平さんにお会いしたとき、
「きみ、このごろの詩はわからんね」「わからん詩にも、いい詩はあるがね」
と言われたという話を紹介していた。
作者の意図など訊かれても、「わからん詩にも、いい詩はあるがね」とは、なかなか言えないから困る、と酒井さんは結んでいる。


「勝手に解釈したり鑑賞の自由に任せるだけが能でない」ことは、私にもわかる。
言葉や絵となったものから、何が告げられようとしているのかが理解すべき一歩。ようわからんものを、よさそうな詩だねというのも変だ。
「わかることよりも、感じることの方が、千倍も万倍も広くて深い」って…。
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日常は残らない

2022年07月19日 | 日々の暮らしの中で
「よそ行きの写真より、断然ごちゃごちゃした日常の写真がおもしろい。母亡きあと、初めて実感した」と語っていたのは歌人の永田紅さん。「母」とは河野裕子さんで、歌人。2010年に亡くなった。

〈時間が終わったあとに懐かしく愛おしく価値をもつのは、そのような何でもない情景である。日常のこまごまが、過ぎた時間に形を与える。おしゃれに、素敵に見えるように撮る。人の目を意識したよそゆき。画面から追い出してしまったごちゃごちゃこそが、面白くて切ないのだ〉そして、「日常はよほど意識しないと残らない」とあった。

一日の終わりを穏やかな温かな言葉で締めくくろうと、今もこうして綴っている。なんでもない一日、何もなかったような一日から何を残そうか。

身辺にある日常の間に生起消滅する喜び悲しみの事実をすくえる感受の鮮度こそが求められるようだ。「年齢が生活に摩耗されることのない感受」を「生き方として求めていくことが大切」だと近藤芳美は言う(『短歌と人生』語録)。鮮度ね。

ラグビーの試合開始を前に国歌を歌って応援する二人。Tyler、調子乗りすぎ? 
 

兄弟ズボンをはき違えて、ぴちぴちのダボダボ。気づかないもんかねえ…。

昨夜からの雨が勢いを増して激しく降り続いた。行かんならん!という予定ではなく取りやめる。これ幸いと『橘曙覧「たのしみ」の思想』を手にした。
幕末の歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)の歌では「たのしみは」で始まる独楽吟が有名だろうか。ただひたすら自分の魂に忠実に生きた。いつも心穏やかで日常の喜びにあふれている。貧しい暮らしの中ででも楽しみを発見し、ユーモアを見いだしている精神の崇高さ。

雨が止んだら、待ち合わせの約束がある。
  たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき
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どがんねぇ、よかでしょうが

2022年07月17日 | 催しごと・講演・講座

塔本シスコ。1913(大正2)年に現在の熊本県八代市に生まれ、生後間もなく養女となり、養父がサンフランシスコ移住を夢見ていたとかでシスコと名付けられた。温かな愛情を受けて育ち、20歳で料理人の塔本末蔵と結婚。長男長女を授かり、草花や鈴虫、金魚など育て子供たちとスケッチする日々を過ごしていたそうだ。夫の死後、53歳で絵を描き始めた。

画家を目指していた長男の油彩画の表面を削り取って、その上に描いた《秋の庭》。「私も大きな絵ば描きたかった」と言ったという。
その後、大阪の枚方で長男家族と同居、四畳半が彼女のアトリエだった。
「どがんねぇ、よかでしょうが」「ちょっとみてくれんね」。 キャンバスだけでなく板、段ボールにまで描いている。故郷の思い出日記。
「私にはこがん見えるったい」「また新しいキャンバスを以て来てなんよ」「私は死ぬるまで絵ば描きましょうたい」
《90歳のプレゼント》が最後の大作になったという。
〈塔本シスコ展 シスコ・パラダイス〉で230点余りの作品を楽しんできた。


描かずにいられない。一枚一枚がシスコさんの喜怒哀楽のほとばしりを見せてくれるような絵に感じた。とっても楽しく絵と対面する時間だった。初めての経験かもしれないと思うほど。


孫の男組、10歳と5歳だけれど、この二人と一緒だったら、あっ、こんなところに虫が!顔が!と発見も多かったろう。
なんで花の下で田植えを? 構図に?が付いたかもしれない。生きてるみたいと感動し、人に手がないなあ、同じ顔ばかり並んでるなあ、僕と同じ目を描くなあ…。たくさんの言葉が飛び出したことだろうと想像する。白い椿の花芯に顔、顔、顔。これがまたちゃんと椿になっているのが素敵。


板や段ボール、竹筒、しゃもじ、ビンにまで「描かずにはいられない」シスコさん。
こんなふうに生きた女性を今さらに知った。


「展覧会は、鑑賞する人の心に感動を刻むきっかけを提示する一つの『場』。そこで感動の種が心という土地にまかれ、成長していく。最後に咲く花はすべて異なります」
世田谷美術館館長・酒井忠康『展覧会の挨拶』にある。

遅まきながらまかれた種。成長の日々があるや否や…だが、私は私の土壌で育てる。
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あのとき作ったお弁当

2022年07月15日 | 日々の暮らしの中で


弁当の日おいしい記憶のエピソード

まだ時間はたっぷり。
自分のために、家族の誰かのために、
ちょっと記憶をたどってみると…。
今年の夏休みの想い出に、いかがでしょう。    (14日付の新聞より)

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地上に開く一輪の花の力

2022年07月13日 | 日々の暮らしの中で


      散れば咲き散れば咲きして百日紅  千代女

木肌がつるつるしてサルも滑り落ちるというのがサルスベリの名の由来だとはよく知るところで、また開花期が長いので百日紅という名でも親しんでいる。

正規の名は「紫薇(しび)」だと興膳宏氏は書いている(『漢語日暦』)。唐の時代、よく官庁の周辺に植えられていたそうだ。
「誰か道(い)う花に紅なること十日もなしと 紫薇は長く放(ひら)く半年の花」と南宋の楊万里の詩を引いている。
半年間とはオーバーなと思うところだが、類のないほどの花期の長さを詠じているのだ。

この半年余りの間、月に一度、寺子屋エッセイサロンの会場を提供してきた。試験的にという一面もあったのだが、特に中学生の年代の子たちが心を放いて座っている(参加している)姿を見てきて、この先も長く、そして一人でも多くに…という思いを抱くようになった。師は主催者もとより、仲間に見出せるから問題はない。

「この世を有縁という あるいは無縁という」
集える縁は決して通り一遍の、おろそかなこととは思えない。
「地上に開く一輪の花の力を念じて…」(『花を奉る』)、これからもお茶とお菓子ぐらいは用意させていただこう、と決めた今日。

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ほけほけとして

2022年07月11日 | 日々の暮らしの中で

「合歓の花は何の夢を見ているのだろう。深い、その眠りは見えないが、ほけほけとして夢のような淡紅の花は、まるで女人の思いそのもののように、ほのかな香りを漂わせている」(『花のうた紀行』馬場あき子)

「ほけほけとして…」。かぁ~るく、ほんわか、ほけほけのほけほけ感。合歓の花の形容になんとふさわしいオリジナルな一語!と長いこと思っていた。
初めて辞書を引いてみたところ、「ほけほけ」は【惚惚・呆呆】と表記し、
(ひどくぼけたるさま。正体無いさま)の意で、
「寝入りたるさまにてほけほけと見ゆるを」(『沙石抄』)
の例文が挙げられていた。なんと、そうだったのか。

「たとえば山野の芒にしても、桔梗にしても、それ一茎で生い立っているわけではない。
 大地が生み、太陽と雨が、あるいは雪や風が育て、まわりの種々さまざまな植生の中にあって、自分の形と色をそなえた蕾が、ある日ほころぶ。」
「小さな蕾のひとつひとつの、ほころぶということが、天地の祝福を受けている時刻のようにおもえる。」

生きていることが祈りのような人だった石牟礼道子さんの『花を奉る』を開いていた…。

一人の人間も、眼に見えない多くのおかげに助けられて生きている。
高2の孫娘が、小学校5,6年生の漢字書き取りのドリルを送ってほしいと言ってきた。読めても書けない、と言う。

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肉と毛皮を土産にやってくる

2022年07月08日 | 映画・観劇

映画「チロンヌㇷ゚カムイ イオマンテ 白川善次郎エカシの伝承による」を見た。
1986年、北海道の美幌峠で大正時代から75年ぶりにキタキツネのイオマンテ(霊送り)が行なわれた。
このアイヌコタン(集落)の祭祀を記録した映像に、長老の祈りの言葉をアイヌ語で書き起こして現代日本語訳を付け、語りを加えるなどして補修されたドキュメンタリー。

アイヌの人々は、キタキツネは肉と毛皮を土産にして神の国から人間の国にやってくると考える。そして家族のように大切に育ててきたキツネの魂を、父と母のいる神の国へと送り返す。お返しにはたくさんの供物を持たせ、歌や踊り、酒やイナウ(木幣)を捧げ、頭骨を飾り、繰り返し繰り返し祈りの言葉を唱えて霊魂を送る。この儀式がイオマンテと呼ばれ、その様子が映し出される。


猟で仕留めたキツネではないだけに別れの辛さが滲むが、そこには死と再生の物語が浮かび上がる。〈神の国に戻ったキツネがもてなされた様子を語ると仲間はうらやましがり、肉と毛皮を土産に人間の国を訪れたいと願う〉と考えるのだそうな。
アイヌの人々にとっては草も木も神、「自然はみな神様」。「民俗の記録は古いものほど原型が残っている」「鶴やキツネに扮しての輪舞や狩猟の歌など、アイヌの芸能の原点だと思う」と北村皆雄監督が語る記事を読んだ。

祭祀を司った75歳の日川善次郎エカシ(長老)は1990年に亡くなった。長老の当時中3生だった孫君、「こうした踊りやらをずっと続けたいと思いますか」と尋ねられていたが、終始無言だった。小6の弟は「思わない」と答えていた。35年経って、兄は居酒屋を営み、弟は東京で働いていると知った。
「記録して置かないと、貴重な祭祀の姿がうずもれてしまう」と北村監督。
精神文化の継承の難しさを思う。
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合歓の木よ、おまえも暑いか

2022年07月06日 | 日々の暮らしの中で

夏木立(夏木)。夏の季語は多い。いかに涼しく過ごすかの工夫が多くの夏の季語を生んできた、と俳人・遊月ないさんが話すのを聞いたことがあった。脳ではなく五感で作る俳句。暮らしの中には季語があふれていることを思った。

少し遠目に、川べりに合歓の花が咲いていた。なんといってもまずは石垣りんの「ねむの花」と題した短い文章を思いだす(『焔に手をかざして』収)。

「少女の日、伊豆の山里で最初にこの花を見たときから、私の夢の花でした」とある。
「ねむは夕方といってもまだ明るいうちに、向き合った細かな葉をよせ合い、やがてぴったり重ねると、その葉先を垂れてねむります」
ベランダに置いた鉢植えの高さ1メートルほどの木に花が開くと、
「よい匂いが私の顔を引き寄せます」「匂いの中にはかすかに、どこかに通じる道があって、『目をつむればご案内しますよ』と、花に語りかけられている様な気がします」

なぜか何度も繰り返し読んでいる。たぶん、〈「目をつむればご案内しますよ」と、花に語りかけられている様な気がします〉の一節が心をとらえるのだと思う。
「花はみな他界への通路」と言われたのは前登志夫さん。氏が山住している吉野の村人は、合歓の木をネンブリと呼ぶと紹介し、「なんともなつかしい呼び名ではあるまいか」と書く。そして、八月の太陽の下でうな垂れる合歓の木に心をよせた。
「合歓の木よ、おまえも暑いか」 (『吉野山河抄』収)


この合歓の花、みなさんもうお休みモードだった?
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心に住まう本 心に住まう言葉

2022年07月04日 | 日々の暮らしの中で

『草木成仏の思想』(末木文美士)。
草木が、心の働きなどないものが、成仏する? そもそも草木に「成仏」という言葉を用いる? 
「草木国土悉皆成仏」。人間と自然の境目がなく、あらゆるものに同じいのちを見る日本人の精神性として、ごく浅く言葉は認知している。

第1章 第1節「山川草木国土悉皆成仏」は間違っている
 この言葉は、哲学者の梅原猛が言い出したことで、それを当時の中曽根康弘首相が演説の中で用いたことで、一気に広まったようだ。「典拠不明で、由来のわからない言葉が独り歩きすることになった」。
 第2節 草木成仏論の前提 
 第3節 忘れられた大思想家安然 へ。まことに遅々とした歩みで読み始めた。


心の働きを持たない非情の石や山や川や草木が成仏するという論の世界へ、どれほどの納得度で“なあるほど!”と合点できるだろう。
なぜ?なぜ?と「なぜ」をいっぱい置いておくと、答えはふといつかやってくるものだとか。自分で考え、自分の中に取り入れるには相当な時間がかかるに違いない。


新聞の書評欄で『帆神 北前船を馳せた男 工楽松右衛門』(玉岡かおる)が取り上げられていたのは3月も末のこと。漁師から船乗りになり、紆余曲折を経て江戸の海運を変革した海商・松右衛門のサクセス物語。
昔、童門冬二の『銭谷五兵衛と冒険者たち』をとても興味深く読んだことが思い出された。
栖原屋角兵衛が若い高田屋嘉兵衛に巡り合い、銭屋五兵衛も弁吉など後進の若者たちを親身に育てた。
「海の男は、皆心が広い。自分のやりたいことを、自分一代でやり遂げようとは思わない。必ず若い後進を育てていく」「志を次代に託してゆく、ということは、後から歩いてくる者に対する限りない信頼があるからなのだ」と描いた童門さん。

数学者で京大教授だった森毅さんは月に100冊の本を読んだそうだ。生前、じかにその話を交わした松尾貴史さんは驚き、「とても覚えていられない」と言ったところ、「いいんだよ、覚えてられなくても。必要なことは残るから」という言葉が返ってきたそうだ。
とても100冊など読めないし、選ぶ本も異なるわけだが、松尾さんの話を聞いていて(そうかもしれない)思ったことだ。
「読書は読んだ本の数よりも心に住まう本を、言葉を、いかに持つかではないでしょうか」と言われたのはどなただったかな。

読んでみたいという思いが最高の時に手にしたいと思っていた。
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涼しそうだということは即涼しいということ

2022年07月01日 | 日々の暮らしの中で
一日早く水無月の菓子をいただいたけれど、無事に過ごせた半年を有難いことと喜ばせてもらおう。残る半年、やっぱり健康第一に考えて、そのうえで楽しみを見つけながら暮らしたいものだ。

盆月は例年見送っているが、今月はお講さんをたきたいという声が届いていた。尼講さんはみな高齢なのに、どこからもなんとも言ってこない。
(おくどさんで鉄鍋に味噌汁を炊くの!?)と猛暑の中の火焚きに心の内は穏やかじゃない。仏さんのお花だって暑さでもたず、立て替えなくては見目が悪い。堂内も小ぎれいにして…。あっつい!

午前中、当番さん3人が分担した野菜を持ち寄って、みそ汁の具を刻み始めた。
本堂脇の玄関を上がってもらった6畳ほどの座敷は、戸や窓を開放して南北に風の道を作る。境内の砂利の照り返しを和らげようと簾をかけた。水を打って、扇風機を回し、冷たいお茶で迎えた。


ちょうど開く機会があった杉本秀太郎さんの『半日半夜』に収められた「夏涼の法」での言葉を借りる。
「京都人の夏涼の法は、…一種の見立ての方式にもとづいている。涼しそうだということは即涼しいということだと考える。」
住まいの夏物への衣替えに始まり、夏越の祓には氷に見立てた和菓子の水無月。腹に求肥の鮎の和菓子も見た目涼やかで、まさにこれから。まっ白な鱧の切り落としは祇園祭と重なる。暑い夏を乗り切る様々な知恵を私たちは先人から受け継いでいる。
氏は「涼しいという見立ての式を信じていなければ、所詮は効用なきに等しい」と続ける。

市中にある氏の住まいは、落日の時間を追うごとに、北山からの涼しい風が家の奥深くまで入るのを感じ取っておられた。軒が低く、間口よりずっと奥行きのある町家の暮らし。およそ50年前のことで、高いビルやマンションも建った今はどうなのかしら。
夫人の千代子さんは、長い間京の町家の裏方を預かり、涼感を大事に、伝統を守り次代に伝えようとされている。秀太郎氏と同様に、京の家屋は「夏を旨とすべし」と語られていた。

我が家の庫裏も、軒が低く奥へ長いなど造りに似た部分はある。何度も打ち水をし、なかばやせ我慢もありだが、「涼しそうだということは即涼しいということ」と捉える心性は、暮らしに工夫を凝らす形で代々の女に継がれ、義母から私と継いでいる。


「家より本堂の方が涼しいさかい」
冷房はなく、南や西を開け放ち、扇風機を回す本堂なのに。
そんなわけで酷暑のお講を開くことになった。白米は各自持参なので、明日のご馳走は味噌汁と漬け物。無事に済ませたい。
後ろに前に、ほとけさんがいてくれてはりますさかい。本堂という場所が持つ特性。無事終わりますように。
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