京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

そういえば「ガリ版刷り」と…

2019年10月27日 | 日々の暮らしの中で
10月27日、今日は文字・活字文化の日だそうだ。
本日付の新聞のコラム「凡語」は、「ガリガリ。幼い頃、夜中に妙な音で目が覚めると、教師だった父がヤスリの板に鉄筆を走らせ学級通信を書く後ろ姿が見えた」と筆者の幼い頃の記憶で始まっていた。

「ガリ版刷り」と呼んでいて、わたしにも懐かしい思い出が残っている。
鉄筆でガリガリと文字を書きつけた原紙を謄写版にセットし、インクをつけたローラーを押し付けるように転がして一枚一枚印刷する。定期テストも日々の小テスト問題も、連絡ごとも、初任の頃はすべて印刷物はガリ版刷りという時期があった。授業の空き時間だけでは間に合わなくて、私も家でガリガリやっていた。やがて輪転機が入り、枚数をセットすることで手刷りの作業からだけは解放されていった。コピー機の登場はそれから以後のこと。



小学生から中学生になって、大きく変わった環境に戸惑うことも多い子供たちが、毎日学校に行くのが楽しいと思えるクラスにしたいと、私もマメに学級通信を出していたのだ。経験の浅さをカバーする熱意だけは充分だったろう。今読み返すと、気恥ずかしいほどの真正面さに満ちている。紙はすでに赤茶けてしまった。取り出して読むこともないがしまい込むこともなく、鉄筆も使う当てなどないままに捨てることもなく、40年を超えて私の机の引き出しにあり続ける。

人間の心を映す言葉。考えを深める上でも文字、活字は大切な存在となる。すぐに消え去るような簡単な言葉で思いを示したり会話をするよりも、私は思いがこもった自分の言葉を文字で残したい。届けたいところには届ける努力をしていこうと思う。

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夏の一会…

2019年10月23日 | 催しごと・講演・講座

滋賀県守山市にある佐川美術館で開催中の「白隠と仙厓展ZENGA」へ。


2015年の夏だった。高野山夏季大学に参加し、その復路のバスで隣り合わせた方との一会の記憶を私は今も大切にしている。

往路が後部座席だった者には席の入れ替えが配慮されていて、前から2列目、通路側の席が指定されていた。すでに窓際にはマスクをした高齢の女性が、荷物で膨らんだ黒いリュックを背負ったまま両の手を足の前に立てた杖にのせて座っていた。網棚にリュックを上げましょうかと申し出ると、一旦は前に座る新聞社の方にお願いしてあるからと遠慮されたが、私が代わって、並んで腰を下ろした。
バスに乗り込む半時も前までお山の上も猛暑続きだったのが天候は急変。雷鳴に、一気に側溝から雨水があふれかえるほどの夕立に見舞われた。窓をたたく雨脚の強さに驚いていると、「空海さんがお帰りだわ」とその方はつぶやいた。晴れていれば行脚に、雨の降る日は高野山においでだと聞いたことがあった。

大きな手術を克服し82歳になった今は、股関節と腰の痛みを抱え杖が離せないとのことだった。娘さん家族との同居生活をやめて、群馬県内の介護付き施設で暮らしていると言い、「帰ったら出光美術館に桃山の美術展を見に行くのが一番の楽しみなのよ。ここに来る前に『等伯』を読み終えてきました。だから、帰って3日間は疲れた顔を見せない様に頑張らなくちゃ」とマスクの下で笑った。

出光美術館には行ったことがないと伝えながら、3か月ほど前に山折哲雄氏の講演を聞く機会があったことを思い出していた。つい3か月前、なのにその記憶は断片的で大雑把なものにすぎず、ちっとも咀嚼できていないのを情けないなあと思ったのを覚えている。氏のお話は、出光美術館に収蔵されているという□と△と〇とが微妙にくっついて横に並んだ仙厓和尚の絵から始まったのだ。曼荼羅の世界、白隠禅師や仙厓、芭蕉に本居宣長、…と広く話題が及んだことの切れ切れの印象を私は話した。山折氏のことも、仙厓のことも、よくご存じだった。仙厓の『老人六歌仙』の話をされたあと「『等伯』はぜひ読んでごらんなさい」と薦めてくれていた。

折しも台風19号による河川の氾濫が各地に大きな被害をもたらしているが、何事もなく済んでいればよいがという心配と、あの時が最後となる出会いと思い返す中で、今また新たに力が出る不思議を思っている。目の前にひとつひとつ楽しみごとを作って静かに生きる力を持続させていく女性を知ったのだった。喜びを感じていた。そして、白隠だ仙厓だと話すことのできる人との出会いなどめったにないことで、忘れ得ない時間にもなっていた。このお方を思いながら、私はこの展覧会に足を運んだ。

「分けのぼるふもとの道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」とあった。これは白隠さんだったかしら。

 
本を一冊買って帰った。
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「マレフィセント2」

2019年10月21日 | 映画・観劇

中間テストを終えた孫娘と大阪の梅田で映画「マレフィセント2」を観た。夏に「アラジン」を観た時の予告で知って、「観たいねー」が実現した日曜日。彼女の案内でタコス店でお腹を満たし、閉店セール開催中のお気に入りの店へ急いだ。試着を繰り返し、5点選んで小遣いで支払いを済ませていた。安く手に入ったこともあって満足げだ。時間も迫っていて先を急ぎたいが人の波で思うように歩けない。上映開始までにはかろうじてもぐり込めたという状況だった。

戦闘的なシーンの多い映像のダイナミックさ、音響…。1を観ていないし、ストーリーはフムフムと追いかける状態だったが、後半に行くにつれ楽しめているような気がしてきて、まあ、なんか観終えたなあというのが実感。

この頃、8歳になった孫は友達に誘われてよく教会に行くらしい。土曜日は催し物があるのだそうで「教会に行ってきた」という。
「謝りたいことを心の中で神様にお話なさい」というようなことを言われ、「友達と喧嘩して謝らなかったことをあやまった」という話を聞いた。
いろいろな体験をして子供なりに社会を広げていくんだなあと思ったものだ。自分の行為を悔いたのだろうか。喧嘩した友人のことが心に浮かんだ。そのことが、ちょっとした成長の証しかなと嬉しくも思えた瞬間だった。

今朝、川村妙慶さんの「こらえる」という小文を読んでいて、この教会での話を思い出したのだった。「自分の要求を中心に生きようとしていないでしょうか」とある。心の行き違い、人間関係のトラブル、もろもろ、ぐっとこらえる時間を持つと人生深くなりますよ、と。
映画も、いがみ合ってきた二つの国だが、この先は統一されるのかよい関係を築けそうな余韻で終わる。
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ゆげのどこかですいっちょん

2019年10月15日 | 日々の暮らしの中で

ほの暗い本堂のどこからか、姿なき声がする。
思わず「だれや~?」」と、義母の口ぶりを真似て言葉にしてみたくなる朝。
毎日毎日変わらない朝の始まりにかけてもらえる虫のひと声は私だけのもので、そう思うと、なかなかゆかしい刹那となる。
来る日も来る日もお仏飯を上げさせていただきながら、手を合わせる。すべきことをあたりまえに繰り返すことで、守り継ぐことはある。

かつて、私の知らない先々代、更にその先代たちも同じようにこの内陣に立ち、ふと虫の音に気づくような朝を迎えていたのではないかしら…。どんな人たちだったのか。

    仏飯のゆげのどこかですいっちょん

と詠んだのは京生まれの俳人・西野文代さんだった。ユーモアを潜めた感性が気に入っている。
炊き立てのご飯はまあるく盛ってあるのだろうか。何人家族だろう、一人暮らしの朝だろうかと想像しながら、人の世の小さな営みって、案外絶えることなく引き続いていくのだろうなと思ったりする。
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余韻を楽しむ

2019年10月13日 | 日々の暮らしの中で
「見て、見て。雲!」
辺りが赤く染まっているのに気づいた金曜日の夕べ。孫の2歳児は、空を見上げて私を誘います。
「わあ~、夕焼けだわ。お空がまっかだねぇ」
「火事、火事」と指さす方向は、ひときわ真っ赤に燃えているのです。

台風接近中の金曜の夕べ、見事な夕焼けが広がりました。。
「見に行こうか」「うん!」
なのに…、まもなくボクシングの練習から帰宅する上の孫を待って夕飯の準備中…。
お腹を空かして帰ってくることを思って、やめてしまったのでした。
2歳児に強烈な印象を残したかもしれない機会をあっさり捨ててしまったかなと悔やまれました。
ちょっとそこまで出れば、格好の場所があったのに。後の祭り…。


決勝トーナメント進出をかけた「日本×スコットランド」戦をTVで観戦。
両チームともに気持ちの入った素晴らしいゲームでした。「おみごと~」な勝利でした。
トライを決めるたびに孫たちから電話が入って。当方でも観ているのですから、「トライした」なんて言われなくてもわかるのですがね。

応援の楽しみがこの先も続きます。
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勝手に解釈

2019年10月09日 | 日々の暮らしの中で
あんまり空が青いから、近隣の知人と植物園へ。


                      秋天の下に野菊の花弁欠く    高浜虚子

朝、新聞でテレビ番組を見ていて、プロ野球セリーグ・クライマックスシリーズ巨人×阪神戦の中継があるのを知った。そこに、あの小さな時間枠の中に、「なるか? 昨年最下位からの下剋上! ミラクル猛虎が襲いかかる伝統の一戦」なんて書いてある。

年間、一シーズン、チームが戦い抜く中では選手にも好不調の波はあるだろうし、故障で離脱を余儀なくされる場合だってある。そこを戦い抜いて、リーグを制覇したセ・パのチーム同士が戦ってこそ日本一を決めるチャンピョンシップに相応しい、正当だと思っているからCSには興味が持てないでいる。下剋上? それで「日本一」? …やっぱり腑に落ちない。


                     (野外彫刻展開催中。「奏でる」人がいた)

現行のルール上、今年、もし阪神が日本シリーズ進出を決めても「ルールだから仕方がないのだ」で一蹴される話だろう。でもね、な~んかおかしいわ。どうしてこういうルールになってるのかしら…。いつからだったけ…??
とあれこれ言っても、ジャイアンツが進出してなければ見ることはない。見ないことも多いジャイアンツファンの言うことなのだ。

秋晴れの下、植物園はたくさんの人が散策していた。楽器を奏でる音が聞こえてきても嫌ではないと思うが、こういう場所でラジオからの声が聞こえてくるのは無粋だと感じることもある。
木陰にひっそり腰を掛け、何を奏でているのだろう。現実ならどんな雰囲気が漂うことか。楽しい想像だ。
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「京都山国展」

2019年10月07日 | 催しごと・講演・講座

京都市右京区京北の山国地域は古くから都の木材を供給するなど天皇家とのつながりも深く、戊辰戦争(1865)の際に農民たちが「山国隊」を組織し、新政府(官軍)に参じていた。
細かに綴った当時の日記が残されていた。岩倉具視の指示で鳥取藩所属となり「山国隊」が誕生したという。鳥取藩の当主には家康の血が流れていたと説明があった

この地域には民家に多くの貴重な資料が眠っており、いまも続く調査の様子がかつて新聞に掲載されていた。今回は、その成果の紹介のために催される企画展とのことで、「維新勤王山国隊と山国神社の至宝」に触れる機会でもあった。存在だけは知っていた「山国隊」だが、何かを知りたいという特別な関心事はなく、軽い興味だったが行ってみることにした。

今年の4月、京北の地にある常照皇寺を訪れた帰り道、山國護国神社に立ち寄っていた。山國神社はまたにしようと思って、いまに思えば失敗だった。

 
      (左)鳥居脇には「官祭山國隊招魂塲」と刻まれ、(右)戦病死した7人の名がある。


山國神社に残されていた「大明地理之図」(複製)は平面に広げられ、縦約3メートル、横約4メートルの大きさで見事だった。中国を中心に描かれており、大河の支流にまで及んで鮮明に描かれてあり、地図の左端には黄河の源の地まで記されてあった。元禄3年(1690)に京の私塾「養志堂」にあったものを模写したとの記入があるそうで、日本も小さく細長く、大陸の東部沿岸に描き込まれてあった。南には琉球が。模写はいくつか現存しているという。
元禄と言えば綱吉、元禄文化華やかで、町人も台頭し儒学や諸学も広がりを見せた、そんな時代だったろう。「鎖国」の時代に、模写しながら思いは外に向かったのだろうか。どんな経緯で山奥のこの神社に伝わってきたのだろう。
 
会場は圧倒的に男性が多かった。研究・調査に携わっているらしい話題が耳に入るし、古い資料を読みながら、さん付けで話題にする年配の女性もいて、郷土の方、縁者だろうかなどと思わせるし、著者と読者の関係の会話が私の後ろでなされているし、近江との関係まで談義している人がいたり…。関係者いっぱいの会場の雰囲気に、ちょっと場違いなところに来ちゃったかしら…と思いながらも、しっかり拝見して後にした。
何の役に?なんてことはよくって、ささいでも自分の心が動いたということが大事、大事。そうは言っても、豊かな歴史のほんの一端を垣間見る貴重な機会を得たと思っている。
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2019年10月04日 | 日々の暮らしの中で

今日は文章仲間との例会日でした。

Aさんは、実父と義父が同じサイズなのを知り、「父の日」に靴を送ろうと思いついたそうです。メッセージカードを入れて発送したところ、どこでどう取り違えが発生したのか書かれてなくてわかりませんでしたが、「右と右」「左と左」を一組にしてしまったといいます。受け取った側は、そのことを送り主の娘には黙っておいて 親同士で片方を交換しあっていたのだとか。本人は10数年も経ってのちに、このときの顛末を知った、という古いエピソードの部分を読んでいて…。

思い出したのは向田邦子の「父の詫び状」でした。
父親が連れて来た客の靴を玄関で揃えながら父親に「お客様は何人ですか」と尋ねると、いきなり「馬鹿」と怒鳴られ、「片足のお客様がいると思ってるのか」と叱られた場面がある。クスッとおかしく、おまけに「客の人数を尋ねる前に靴を数えろという教訓」などとも記されて、これまたおかしくクスリ。他人の靴を履いて帰ったときの出来事も含め、記憶にあって読み返してみた。
「それが父の詫び状であった。」と最後の一文を読み終えたあとの、心に忍び込む余韻が好きな作品だ…。このひと言に、胸にこみ上げるものがあったりもして。

そのうち、私自身は高校時代の日曜日には自分の通学靴と一緒に父の靴も磨き上げていたことを思い出したのだった。向田さんの父親と違い、いつも「ありがとう」と礼を言ってくれていた。「格別の御働き」などといった礼状など受け取るはずもない。…そうか、それでエッセイにできるほどのネタにはならないのだな…?
これからは尚更に、年齢と生活にすり減らされることのない感覚を大切にしなくちゃ…。
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明日何が咲くか

2019年10月01日 | 日々の暮らしの中で
横断歩道で信号待ちをしていると、鼻先をかすめた匂い…。周囲を見回し、葉の茂みの中にオレンジ色を見つけた。連日32度を越え、汗をかきながら日傘をさす帰り道。金木犀は香れど、やっぱり暑かった。


ツワブキの葉をかき分けてみたら蕾をつけた数本の花茎が育っていた。自然界はそれなりに準備を進めているのだ。

明日は孫娘Jessieの14歳の誕生日で、またあちらさんへ向かうことになった。
消費税アップの初日に買い求めることになってしまったバースデーカードだが、たっぷり心を込めたメッセージを認めた。明日何が咲くか。たくさんの可能性を秘めた、「たった一人の君」にあてて。
いま、ラグビーワールドカップ日本代表選手を通して、積み重ねた努力に裏打ちされた自信こそが自分を支えるものであることを教えられている。
自信は他からつけられるものではなく、心の内から湧き上がってくるもの。他力依存ではダメなのだ。ガンバレよ~。

       
日常会話に支障はなく、真似などしなくても、覚えなくてもいいような言葉を口にする一方で、〇〇ってなに? 〇〇ってなに?と聞くことたびたび。文章読解に日本語の壁があることが傍で見ていてまどろっこしい。

春先に、電車待ちのホームでこんなやり取りがあった。
7歳だったTylerが「ジェシー、冴えてる~ぅ」と言ったのを聞いて、姉のJessieは弟の日本語がおかしいと思ったのだろう。「タイラーはうちのこと咲いてるーだって」と笑った。Jessieは〈冴えてる〉の言葉を、そして弟のような言い回し自体を知らなかったのだ。母親から説明を受けていたのを私は横で聞いていた。横から、「フツー、言うやろ」と弟…。習いはしないがねぇ、どこかで聞き覚えているのだろう。
5歳を前にして日本での生活が始まった弟とは、言葉の習得に差があることを感じていた。
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