京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

人それぞれに月あかり

2022年10月30日 | 日々の暮らしの中で

珍しく友人から古本まつりに行かないかと声がかかった。
百万遍知恩寺境内で始まっている(10/29~11/3)。


十夜法要を目当てに11月1日に行く予定でいたのを、ころっと変更。
膝の手術をして、まだ杖が離せない状態なので人混みは避けている。
しかし本人からの誘いなので、快く受けた。

「ブログ読んでるよ」。思わぬ一言だったが、もうずいぶん前にも一度言われた覚えがある。
言葉が刺激とって、相手の言葉に促されて、話が次から次へ発展、展開する楽しさを味わえる関係は、得難い友の一人だと実感している。

相手の言葉を聞いてその瞬間に自分も話したくなる。この状態を〈発信準備〉というらしい。
こうなると相手の話は聞けなくなる。
目の前の人の話を聞きながら他のことを考えてしまうことは私にもあるが、そういうとき、相手の言葉は私に届いていないということだ。
人の話を聞くことはそう簡単ではないということなのだが…。

ちょっと違う。
文学でも好みの範疇は異なるが、かえってそれが対話の先に視野が広がる思いがする。息が合うというのか。

四条へ出て長い一休み。そして書店に立ち寄った。
知恩寺は手ぶらで出たが、2冊購入して帰った。一冊は薦められて。




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百萬合力とは職人たちの心意気

2022年10月27日 | こんな本も読んでみた
日本最初の官寺、大阪の四天王寺の五重塔は、兵火や雷火で7度も破壊されつつよみがえってきた。そうしたなか、地震によって倒壊したことはない。
百済から渡来した金剛重光によって建てられた。金剛一族は〈魂剛〉と名前を変え、1400年にわたって匠の技術を伝えている。金剛組創業は578年。8つの組があり、6組は関西が拠点だそうだ。


現在の五重塔はコンクリート製だそうで、魂剛組の作ではない。
当然?心柱がない。礎石の上に建つ、塔の中心を貫く柱がないのだ。また、全ての五重塔は礎石の中に釈迦の遺骨を安置しているが、ではこの塔に仏舎利は?

一本目の柱に二本目、さらに三本目が、「貝の継ぎ手」という工法で継がれ、ただ礎石の上に立っている心柱。立っているだけで、倒れないように五重塔とつながってはいるが、塔の何かを支えているわけではない。これまた不思議。
現代―安土桃山―平安初期―江戸の終わり―平安半ばー江戸の初期―聖徳太子の御代―現代、と時代を前後させつつ職人たちの物語はつながり、塔の完成へと向かう。各章ごとに時代も登場人物も、作事の内容も異なっている。

百萬合力の宝塔とは五重塔のことを言うのではなく、【艱難(かんなん)が満ちる世であっても、五重塔を再建する力を職人ひとりひとりがもち、それを伝える。その心意気こそが、百萬合力の正体だ】と思う、という言葉が心強い。

四天王寺ってどこにある? どうやって行く? 御堂筋線へ、阪急梅田駅で降りて行けるだろうか。それほどに一人では心もとない大阪の地。コンクリート製の五重塔の一見の価値はいかに。

読み終わる頃だったか、こんな記事が新聞に掲載された。


400年前の修理に関わった大工さん、うっかりではなく、わざと隠し置いたと考えるのも楽しいのではない?


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身命を惜しむ

2022年10月25日 | こんなところ訪ねて

明日が父の祥月命日なのだが、都合で今日、東本願寺にお参りすることにした。数珠を忘れたことに途中で気づいたものの、取りに引き返す気になれなかった。父にはごめんしてもらおう。

父の通勤と私の通学の時間が一緒になる日が時々だがあって、話をしながら同じ電車に揺られていた。そうか、そんな日があったのだ。おおかたは父が喋っていた気がする。父や母の存在がなくなってから、家族として暮らした時間の少なさをつくづく実感するようになった。弟を含め、寿命をもらっているのかもしれない。父の最期を思いだしながら、健康でありたいとだけ願うのだった。

 
建仁寺の塔頭の庭に、矢島の傘寿を祝って結社の門弟たちで建てた歌碑があり、その歌の中に「惜身命(しゃくしんみょう)」の文字が見える。
『惜身命』(上田三四二)に収められた「惜身命」を読んだ。

「仏道の側に立つ限り、身命を惜しむことは迷いであり、煩悩にほかならない」
とされ、厳しく責めている。
歌を選択するとき矢島は関谷に、この文字を使うことはどうだろうかと尋ねた。
【矢島は若い弟子との再婚で得た第二の人生を大事に生きていた。毎日、毎夜、身を労り、心を労わって一日でも健やかな生をこの世につなぐことを、喜びともし、かみしめながら生きていた】

関谷はそれを理解するようになっていたから、今生の思い、「先生の真実が出ている」、と共感を述べた。
そして、別れがたき別れを思う凡夫の嘆きを声にして、その声がどこまで澄むかに賭けるのが詩歌というものだと思う。
30歳までは生きられないと予言された矢島の米寿の祝いに再度集まった。関谷も大患を癒された。


今日を生きていることが尊いのだ。
身命を惜しむ、いとおしむことは人間の持つまともな、あたりまえの心情と思う。

出会った一人ひとりの人間の運命に対する関谷の思いは、常に深く、篤い。そこに読んでいて救いがある。

                             (絵は黒田龍雄さんの版画)
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つまらない

2022年10月23日 | 日々の暮らしの中で

小学校にもっと専科教員をおくべきだ――。
「運動神経の悪い先生に教わる体育ほどつまらないものはない」

「アルコールランプに火を付けられない先生が行なう理科の実験の下で、
ノーベル賞学者は出て来ない」

どう思われます~?


確かに、つまらないと感じる子供たちは一定程度いるはずだ。ただ、小学校教師と言えど体育が苦手な人はいるだろう。苦手な先生はどうしているのだろうかと思って孫に話を聞いてみた。

3年生で担任が代わってからは、ビデオを見て「こうするんだ」と説明があって実技に入っていたという。上手な子が手本を見せる。教師が跳び箱や、高跳びの手本が見せられない。「そりゃあつまらんよー」って聞こえてきた。
1、2年の時は運動神経抜群の先生で、「めっちゃすごい、すごい!」と言っていたと母親が覚えていた。今、AUSでは体育は専任の先生だ。

先生ができなかったら代わって火を付けてみようとする子が出てくる? 結果、「おお~、できたあ!」なんて感動を子供に与え、それをきっかけに興味や好奇心が自分を突き動かすことになるってことだってありうる、か、な?

孫娘Jessieは国語の時間に音読が指名されると「いいです」っと遠慮したらしいが、英語の授業では先生の代わりをつとめさせられたと聞いていた。
大人も子供も得手不得手があって、相互に関係しあって支え合い、補い合って…???
いやー、教育の場で、しかも教師と児童という関係でも、こういうことが言えるだろうか。

知識を得て、それを基に自分の言葉で考え、想像し、表現する。これが大事!というも、
ビデオを見て、コツをつかみ、イメージしながら体現する。そういう体育の授業は楽しいだろうか。経験がないからわからないが、想像すれば、つまらないだろうなと思えてくる。
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ひどすぎやしないか

2022年10月21日 | こんな本も読んでみた

夕飯準備の合間に、借りてきた上田三四二の小説『惜身命』から「天の梯(はし)」を開いた。

宮中歌会始の当日、迎えの車の中で5人の選者のうちの一人の久米川純が交通事故で入院したことを知った関谷。翌日病院に見舞うが、用意した花は供花に変わってしまった。

関谷には、長い信号待ちを我慢できず停車中の車の間を自転車を抱えて向こう側へと踏み出そうとしたことがあった。そのとき耳元で警笛がはじけた。彼は「見られており、見られていたことの幸いに、その一人の咄嗟の機転に救われた」

教会での葬儀に参列し久米川のために祈りながら、天国にいる彼を思い描けない。聖歌が讃え歌うように、「久米川は梯を喜々としてのぼったのだろうか」と思う。神を信じることのできない関谷は、「生きてある限りの自分と思い定め、死後をたのむ心を捨てている」。神父が言うように、死んで、永遠の命を与えられるとは考えられないのだ。

 

「死はある。しかし死後はない」「魂の持続を信じない、身を離れた心の永続を認めない」「私はちっとも死後を信じていない。花や膳を供えても、その思いの死者に届くとは考えていない。わが心に生きているかぎりの父母だと思っている」(『短歌一生』『この世この生』)。三四二の言葉にどうも引き寄せられてしまう。すべて同感!とはいかないが…。それで手を出した小説だった。

雲が切れて差した太陽がステンドグラスを輝かした。みごとな荘厳の描写がなされている。そして、「祭壇をわずかに明るませながら、祭壇の上に天国の空を懸けていた」と描いた。久米川さん、天上の梯を主の使いに招かれながら登っただろうか。
関谷には、夕焼け空に「懸かっているかもしれない天の梯は、見えない」のだけれど。

病気と闘いながら作品を残してきた久米川の日々を大切に思い返し、堪え抜いてきた不屈の生命が不意に奪われる運命を「ひどすぎやしないか」と心を重ねる。他人の人生へのいたわりを感じるとともに、一生の脆さが重く深く伝わってくる。作者自身の苦悩や日常の心が映し出されているようだ。


襖を開けた廊下の向こう西の空が明るかったのに、かげり出したと思うや暗さは一気に増した。
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〇〇を刻むきっかけの種をまく

2022年10月19日 | 日々の暮らしの中で

6歳だった孫娘Jessieに弟が生まれる11年前、彼女はベッドの枕元に縫いぐるみを並べ始めた。
赤ちゃんを寝かしつける練習らしく、順番を決め一つずつ抱っこして寝ていたそうだ。

その弟が生まれたあと彼らの家を訪問していたのだが、ある朝、枕元から白い犬のぬいぐるみを選んで通学のリュックにしまうのを偶然見かけた。
級友の前で、その白い犬について彼女は何かを話すつもりだったのだ。そして質問を受けて応える。SHOW AND TELLという時間があることを初めて知った。旺盛な自己アピール欲にもだが、素晴らしい体験を積む時間の存在に感心したのは忘れない。

姉弟3人となって、今ではそれぞれに何かあるごとに頑張りや活躍を讃えてもらっている。そういうシーンがなんと多いことかとつくづく思う。
孫に限らず、きちんと目が掛けられたグッド・タイミングでの賞賛であれば、受ける子供たちの喜びは大きいだろう。


今夕開催の、2022年度表彰式への招待状が孫娘に届いていた。親の同伴もある。
大阪で4年間を過ごし、弟たちより一足早く中学3年を前にして父親の待つAUSに一人戻った。年が明ければ高校3年生。英語力では彼女もそれなりに苦労があったと思うが、相応の努力がみとめられたか。家族と一緒に私どもも大いに喜ばせてもらう。最終学年を希望に向かって頑張る力となれば嬉しいこと。

大小問わずすべての表彰の場面は、未来ある子たちの心に感動を、自信を、自分は認められているという思いを、喜びを刻むきっかけの種を蒔く、一つの場になる。
心という土壌にまかれた種は、それぞれのペースで成長していく。そして咲く花は、時期も種類も姿、形一つ一つがみな違う。

日本では、教育現場に限らず日常、子どもに潜在する独自の才能を大人はどれだけ引き出せているだろうか。
…ちょっと考えた、この夕べ。
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うん。しかし、まあ、生きていてみろよ。

2022年10月17日 | 日々の暮らしの中で
郵便局までの道を歩いていると、ふうっと鼻先に漂った香り。橙色の小さな花をびっしりとつけて、金木犀だ。


木犀の漢名は「巌桂」で、たんに「桂」とも言うそうだ『漢語日暦』(興膳宏)。そして、初唐の王績の詩「春桂問答」を引いている。
 「いま桃や李の花が満開なのに、君はなぜ花を咲かせないのか」
答えて言うに、
 「草木がみな葉を落とす時節、私一人が花を咲かせるのをご存じか」

特別な思い出に通じる花ではないが、特に初めて鼻先に香った日など、大げさではなく、自分がこの秋を生きていることを素直に嬉しく喜べる花である。

若い人たちの悲しいニュースが報道されている。
自意識過剰の劣等感で押しつぶされそうだった17歳の頃。現実の全てに不満を抱いていて、死んでしまいたくなることもあった――と熊井明子さんは書いている(『虹を織る日々』)。
そんな気持ちを父親に話したところ、
「うん。しかし、まあ、生きていて見ろよ。きっと良かった、と思うから」
と返ってきた。そしてまた父は本を読み続けた、そうだ。

若いうちに自らを限定してしまわず、のびやかに夢を描き、自分の人生の舵をとってほしい、とあった。その、夢が描けたら…。微妙な年代。熊井さんは父親に話せる関係があったのだ。心の扉を開かせる花の香りも見つからないだろうが、誰か、誰かがいてくれたら。

「なにか一つ夢を持ちなさい。夢はね、必ず叶えなくちゃ駄目なの。叶えると、アラ不思議、あなたの過去が変わるのよ。辛かった過去がキラキラした大切な思い出に変わるのよ」
ゴンママの言葉が思い起こされる(『大事なことほど小声でささやく』(森沢明夫)。
今を幸せに生きるために、小さな声で、大事な胸の内を話せる人がそばにいればいいねえ…。

頼まれた書類を航空便で送ったことを娘に伝えた折、この小説が映画化されることを話すとすでに知っていた。あの本よかったね、と二人で。


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自分の中にもう一人の自分を飼う

2022年10月15日 | こんな本も読んでみた
その瞬間は一過性のものだったとしても、もし心のどこかに蓄えられていれば、なにかを探して生きていくうちに目覚めることもあるだろう。
若い時にこそ知っておく、触れておいて欲しい。そう思って、中学生には難しいとは思ったが高校生の胸に働きかけてみた。

文芸評論家としてのお名前を知るくらいだった加藤典明さん。難病を得て2019年5月に71歳で急逝された。書評で『大きな字で書くこと』を知って購入したのが8月半ばだったから、ずいぶん長いことをかけて読み継いだ。141ページほど、単に読むのが遅いということにもなるが、少しずつときどき手に取って…という読書もある。


【小さな字でぎっしりと書いてきた。簡単に一つのことだけ書く文章とはどういうものだったか。それを私は思い出そうとしている。大きな字で書いてみると、何が書けるか】(「大きな字で書くこと」)

【自分の中にもう一人の自分を飼うこと。ふつう生活している場所のほかに、もう一つ、違う感情で過ごす場所を持つこと。それがどん詰まりのなかでも、自分のなかの感情の対流、対話の場を生み、考えるということを可能にする。それは、むろん、よく生きるためにも必要なことである】(「もう一人の自分を持つこと」) これは2019年3月2日に記されている。

読んで氏の思いをためて…、今一度、二度も三度も、巻頭の詩に戻る。
病床で最後に記したという自作詩「僕の本質」。

「僕の本質は / いま / 表と裏を見せながら庭に落ちる / 一枚の朴の葉//」
「誰にも言えないことを抱えることは / 一枚の朴の葉にとって / 大切なことであろう //
表と裏があることは / 一人の人間が人間であるための / 本質的な条件なのだ//」

病床から贈られた言葉を、若い子たちと一緒に耕してみたいと本日の寺子屋サロンで紹介してみた。


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まんぷく

2022年10月13日 | 催しごと・講演・講座
夏日の秋晴れ。それでもこの時季、日差しは嬉しい。


誰もが専門外ながら、それぞれに何かしらの関心を持って女3人、大津市の歴史博物館に向かった。もうこれで終わりにしようと思いながら。「壬申の乱」にもちょっと飽きた? そこに“史実”への探求心などというものはこれっぽっちもないのだ。
私の歴史への興味は、古代や中古の文学や歴史小説が好きという一面と重なり合って気持が動くと言ってよさそう。

壬申の乱は大友皇子(大津に都を遷した天智天皇の長子)の死で決着した。
両者が戦った経緯は『日本書紀』を拠りどころにわかりやすく説明がなされていて、追いやすかった。
大友皇子は即位したのか。どこで亡くなったのか。どこに埋葬されているのか。いずれも諸説多数で特定できないという。その一つ一つに写真とともに丁寧な解説がついた。
千葉県君津市にまで陵墓の伝承があると知ったのは驚きだった。

腰が痛くなるほどこってり見せていただいたが、それこそもうま・ん・ぷ・く。
三井寺門前までぶらぶら歩いて長寿そばをいただき一休み。立ち上がったが参拝の気力は持ち合わせなかった。


澤田瞳子さんの『孤鷹の天』『日輪の賦』などで飛鳥や奈良の人びとのそばにいって、ともに一喜一憂、怒り哀しみ、息遣いを感じながら作品の世界に身を置く。そうした精神の酔いのほうがはるかに心地よい。

新作『額田王』を読んでみたいと思っているが、その前に…積読本崩しが必要なのだ。

  (写真:館の入り口正面には琵琶湖が広がり、近江富士と呼ばれる三上山が望む


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遠くへ行きたい

2022年10月11日 | 日々の暮らしの中で
昨日は朝からの雨で、庇の低い家にこもって気分の晴れない一日を過ごした。
そんな日、こんな句に出会っていた。
  
   浄土にてまた逢うまでの夜長かな
   もったいなや祖師はかみこの九十年

浄土真宗大谷派、東本願寺第23代法主大谷光演(1875-1943)。正岡子規の影響を受け『ホトトギス』に参加、碧梧桐や虚子に傾倒するも、やがて離れて独自の句風を築いていく。
俳号は句仏。句をもって仏徳を讃嘆する、「句仏上人」と呼ばれたそうな。句の「祖師」とは、もちろん親鸞聖人のこと。


窓ガラスに露をむすんでいたが、庭の木々の隙間から朝日が一筋。
新聞が休刊日だったことを思いだした。
そして思い出せば美術館も博物館も、今日は休館日。

永六輔さんが「『遠くへ行きたい』」から四十年」と題したエッセイで、旅と旅行とは違うものだと書いていた。旅行は、あらかじめ計画をして、出かけたら帰ってくるもの。旅とは、出かけた先に日常生活があるものだという。これが英語になると「トリップ」「ツアー」「トラベル」「ジャーニー」と旅も4つになる。自分は予定も決めず、気の向くまま自由に出かける旅、ジャーニーが好きだと。

永さんはエッセイの中で「宮本常一さんが『風のように旅をしろ。吹いている風のように』とおっしゃっていました」として、「大切なことは『風のように』。自己主張し過ぎないで、その場所に馴染むことです」と添えている。「自然な出会いを楽しむこと」「郷に従って郷に入れば、必ずいい旅になる」と。


さあ、どこへいこうか。東か西か北か。人を求めず、自然の多いところへ…。旅に出ることもままならず、久しぶりのウォーキングで気分を転換がいいところだ。
午後の陽を受けて、きれいだった。
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淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば

2022年10月08日 | 催しごと・講演・講座
滋賀県大津市にある三橋節子美術館で拝見すればいいと思っていたので、思いがけない誘いだったが嬉しく同行させてもらった。
大津の友人宅までは車で行って彼女の車に乗り換え、3人で愛荘町立歴史文化博物館へと向かった。


先日、湖東三山のうち一番南の百済寺(ひやくさいじ)に参拝したが、その北の、三山では真ん中に位置する金剛輪寺の黒門を入ってすぐ、参拝受付の真向かいに建っていた。

壬申の乱から1350年という節目に、大津京、大友皇子と壬申の乱をテーマにした鈴木靖将氏の万葉画を拝見してきた。
絵にはそれぞれに万葉の歌が添えられる。古代最大の内乱、その終焉は劇的だった。大友皇子にまつわる伝承は現在も大津のまちで息づいているという。この「大友皇子何処へ」は最新作だそうな。


飛鳥から大津宮に遷都してわずか5年4ヵ月、大津京は壬申の乱で壊滅した。
「人麻呂は現実をいつも歴史的現実としてつかもうとする」「その宮廷につかえていた歌人。天皇行幸にはお供をし、詔に応じて歌を作る。『私』感情ではなく『公』の立場でうたう」
『万葉の旅』『万葉の人びと』などで犬養孝流の読みを楽しんだりしている。


壬申の乱のとき総指揮にあたった武市皇子が亡くなった折の挽歌(人麻呂作)に歌われた、乱の戦闘の場面を犬養孝の説明で読むと――。
壬申年(672)6月24日、吉野を進発した大海人皇子一行…、7月23日には近江を全滅させた。
【雷鳴のような太鼓の音、虎の吠えるような笛の音、まさに軍楽隊づきで、赤旗をなびかせ、つむじ風の勢いで進軍し、矢は大雪のように乱れ飛べば、近江軍も命がけで争う時、伊勢の神風が吹いた】とある。

「残照」と題した絵に添えられたのは近江の湖畔で懐古の感嘆をうったえた歌、「淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ」。
これを3歳だった孫娘Jessieに暗唱させたことが懐かしく思い出された。
「おーみのみー ゆーなみちどりーながなけばーーーっ こころもしのにーいにしえおも●●」
雄たけびのごとし、などと当時記したが、最後だけは言いにくそうだった。
その彼女もこの2日、17歳の誕生日を迎えた。
この冬にはAUSから一人で日本にやってくる予定で、放課後のアルバイトにも励んでいるのだ。


黒門へと向かう帰りの参道。みごとな紅葉に包まれることだろう。
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灯り

2022年10月06日 | こんな本も読んでみた
肉厚の葉陰にツワブキの花茎が伸び出しているのに気づいて、去年のことは忘れているから小さな感動を覚えたが、その数日後にはこうして葉の上にすっくり、たくさんの蕾を付けて顔を出した(5日)。


茎は何本も伸びるので、意外と花期は長い。黄色い花の色が体感的に暖かく思い出せるほど、肌寒い気候になった。

    寺の庭     室生犀星
   つち澄みうるほひ
   石蕗の花咲き
   あはれ知るわが育ちに
   鐘の鳴る寺の庭

「この詩に咲いているつわの花もまた『灯台の灯』、『難破した人々の為』のものではなかったか」-とは杉本秀太郎さん。


犀星の〈ふるさとは遠きにありて思ふもの / そして悲しくうたふもの…〉(「小景異情」)はよく知られる。
不遇だった幼少時代。共感を呼び起こされた多くの人が、お酒に酔いつつ口ずさんだ詩ではなかったのだろうか。



『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』に息づく子規の姿が印象深く残った。
「子規という一人の傑出した明治人の存在が多くの文学者を輩出した」と文中にある。近代文学の開拓者である。

文学に目覚め、道を探り、苦悶しながら多岐にわたる大仕事を成す闊達さ。教えを請う新しい人、自分を頼ってくる人を拒むことのなかった子規。格別だった漱石と子規との交友を始め、そこに集った人たちへの作者の理解やまなざしは深い。

べーすぼーるに興じる子規。腕を振り回し、大きな声を出し、目を輝かせて笑う。
身体の激痛に呻き、生きる子規。
伊集院氏が描いたノボさんののびやかな生は、そこに生きる人々の魅力あるあたたかな灯だったことだろうと思わせてくれた。

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瀬田唐橋上の激闘

2022年10月03日 | こんなところ訪ねて
政権を二分した大内乱!
とは古代史最大の戦乱と言われる壬申の乱のこと。天智天皇が死去し大友皇子が新天皇になると、672年7月、吉野に隠棲していた大海人皇子は挙兵した。

吉野から伊賀、伊勢、美濃と移動し、岐阜県関ケ原の不破に拠点を置いたそうで、湖北経由で橋の東岸から大津京へと迫った。勢多(せた)橋が最終決戦の地となった。




橋の西側に立って写した写真。当時の勢多橋は現在の瀬田の唐橋より少し下流にあったという。ここを(川の右手から左手へ)渡って北上、大津京は近い。

読んだのがずいぶん以前の事で詳しく覚えていないが、勝者となった大海人皇子を主人公に描いた作品に黒岩重吾の『天の川の太陽』があった。
澤田瞳子さんの『日輪の賦』を開いてみたが、持統天皇の御代で、「大海人さまが亡くなられたのは、十年前の晩秋」という設定だった。
かつての大乱で大友皇子を自害に追い込んだことなど回想されてはいるが。


「壬申の乱1350年記念企画展 万葉の光と闇 -鈴木靖将絵画展」が開催されている。

この月末には三橋節子美術館での企画展があるからと誘われて、大津へ出たついでもあって瀬田の唐橋を見に足を運んでみたというわけだ。
『湖の伝説』で知った三橋節子。鈴木氏との縁も深いわけだが、大友皇子ゆかりの大友暢氏の講演があるというのが私には魅力だ。
それは橋を見に出かけさせるに足る力となった。
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見ておくべきものは、やはり見たい

2022年10月01日 | こんなところ訪ねて
若い日の夢はあきらめずにじっと抱いていないといけない。自分の身内に力の潮がみちてきたとき、必ずその卵は孵(かえ)る。どうしても形を成さない、しかし夢の一つにはちがいないというものは筐底(きょうてい)深く秘めておく。
――田辺聖子さんが書いている。

学生時代から文学散歩や社寺仏閣への関心が高まり、御朱印をいただくなどしてその足跡を残してもきた。法要や御開帳の縁にあずかり、聞法を重ね、時には心を整えるための参拝だったりもしたし、今も続く。ただ今はもう朱印帳を持ち歩くことはなくなった。数珠があればいい。

葉室麟さんが『古都再見』に書き残された「人生の幕が下りる。近頃、そんなことをよく思う。…幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ」の言葉が妙に私の心に住み着いてしまっている。だからではないが――。

5月初旬に滋賀県愛知郡にある湖東三山の一つ百済寺に参拝した折、10月に秘仏十一面観音菩薩立像の特別公開があることを知って、ずっとこの日を待っていた。10月初めの行動はここへ、と決めていた。





5月には、格子戸越しに美しい聖観音と如意輪観音像と出会え、聖観音像の足元に「拈華微笑」の文字がしたためられてあった。
聖徳太子による建立だと伝わる百済寺。奈良の飛鳥寺に次ぐ古さだとされる。

この簡素な本堂(江戸時代の再建)に、戦火を逃れ、守り伝えられたてきた十一面観音がおいでだ。人々の篤い思いあればこそ。同じように信長の焼き討ちから守り伝えてきた湖北の多くの観音像が思い起こされる。内陣に入れていただけて、お姿を拝す。






長く続くゆるやかな石段。苔むしたみごとな石垣。杉木立。突き当りの石垣の上に、ようやくのこと本堂が見えてくる。右に回り込んで、息を整える時間が要った。
「百済寺城」。広大な山域に立ち並ぶ僧坊の数は“一千坊”とも数え、惜しまれたとか。甲子園の20倍、京都御所の7倍の広さを誇ったものの、信長の焼き討ちに合い、壊滅状態とされた。



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