京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 出席します

2010年04月30日 | 日々の暮らしの中で
                

ちょうど2月、日本の留守宅に簡単な案内を受けていた。
が、忘れていて、今日、突然の電話を受けて何事かと一瞬。

30数年ぶりに、中学校卒業後初めて同窓会をするという。計画も進み、その案内をはがきでさせてもらったからというではないか。
私の出席が確定なら、E組の人数は増えるだろうと、今回クラスの幹事を務めてくれるあの15歳だった子が上手に言ってくれるのだ。ぜひ、たくさん集めてほしいわ~。

着任の翌年、2年3年と持ち上がりで2年間を一緒に過ごした子供たち。
私も若かった。夢中だった。そして、目いっぱい楽しんだ2年間。子供が毎日学校へ行くのが楽しいと言っている…、保護者からの声も励みになった。

2年間毎日、グループ単位で日記を付け合い、そこにことばを添えて返したノートがダンボールにいっぱいだ。涙と笑顔で別れた卒業の日。全員参加を願いたいが、二度と会えなくなった子が一人いるのが悲しいことだ。

A組からI組まで9クラス、各組み42名ほどの学年。首都圏近郊、ベッドタウンと言われる市街地だったのでなかなか問題も多かった。見たい会いたい顔はいっぱいいる。
音信も途絶えがちになったかつての先輩諸氏だが、笑い声が聞こえるようだ。ハイキングによく誘ってもらった。帰り道、飲んで食べてしゃべる会はいつも盛況だった。お会いしたいなあ。

この大型連休にも、これといって”ゴールデン”らしいときめき感もなく、ひっそりしたものだったが、あのE組での顔顔顔顔顔顔…、教室のほうぼうから私を見る目が一気に蘇ってくる。たまらないなあ~。ときめきを越えて、こういう気持ちはどう言ったらいいのだろう。

         

彼らに会うためのこれからの私の予定表は…、っと。
とりあえず、まずは、間食をやめるか。


コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ほっこりぽくぽく…

2010年04月28日 | 日々の暮らしの中で
                 

「アシュラを見に行きませんか」と、大阪の友人からお誘いメール。
アシュラってあのアシュラ。興福寺の阿修羅像だが、あなたは確か博多へ見にいったのではなかったのかな。

大阪人と奈良。以前、面白いなと思って拾い読みした本がある。
大阪人は京都ほど奈良へは行かない人が多いらしい。
 「大阪人の悪癖陋習(ろうしゅう)として、大阪中華思想の偏見にみちみちており、よその街をホメたためしがない。京都は<しゃーない>。しかし奈良は<鹿煎餅も高(たこ)つく>とぼやき、天平文化の香りゆかしきお寺のたたずまいなど、屁とも思うておらぬ。」
大阪人の田辺聖子さんが『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』でこう語っていた。ご自身は奈良がお好き。

大阪に気持ちが向かない私は、456ページもある文庫本のうち、「奈良秋色」「熊野詣での滝しぶき」のわずか50数ページの拾い読みしかできない。田辺さんの本も初めてだった。好き嫌いとは別に、栄養として取り入れよ!という課題で手に入れたものだったが、2月迄の期限も、とーに過ぎてしまっている。

またまた「決まったら時間と場所を教えて」とケロッとGさん。
阿修羅だけではもったいない。少しだけ足を延ばそう。聖子さんが歩いたコースから、秋篠寺か。アシュラさんとはこの日の最後に。 
   
    女三人、道連れは楽し。         

「ナニ、奈良が近頃ハイカラやて、か。あほいえ、オマエ。あのシルクロードのどんづまりが、やな、何やったってハイカラになるかいや。…」
聖子さんの友人がこう言い捨てる、奈良へ行ってみよう。

            (数日前、初めて目にした地下鉄の車体のラッピング)
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 大切にしたいものは…

2010年04月26日 | 日々の暮らしの中で
                        

何の説明も付けずに、Jayが送ってきた一枚の写真。(「lost puppy」)
Jessieなら、「お尻のとこにいるじゃな~い!」と言って、“へそでちゃをわかす”級の笑いになるのか。それともその一言でおしまいかな。
「おかしいねえ~」と同意を求めれば「う~~ん」って言うのだろう。
OMOSHIROINE. …けど笑いは出ないよ(とまで言わなかったが)。

先ごろ、ある自己紹介の場で知人が言った。
この頃の私は、テレビを見ても、自分の周辺を見ても、やたらお互いがほめ合っているとバカじゃない!?って思えてならない。たぶん年齢のせいもあると思うが、ひどく意地悪な見方をする自分に気づく、と。

私も世間的な付き合いでは、無難にまるく収まれば結構でそうした挨拶もしてしまう。よくあることだわ、で済ます自分がいる。第三者ともなれば、まさしくバッカじゃないの!!って共感だ。ところが、チクリとやられた痛みを感じる部分もある。

褒め合いの大安売り。自分が大事にしているものが薄っぺらなものにされる。
もっと他に言い方ってもんがあるでしょ。ずばり言いたい衝動を抑える。理解し合っては笑い合えないつまらなさが残ったままになる。

ただこの日、師は、「謂いおほせてなにかある」の言葉を私に残してくれた。深く示唆に富む言葉を大切にしたい。俳句や文章の世界だけのことではない。

      

静かに、相手の言葉の世界にじっと耳を傾け、浸り、そこに心を寄せながら自分の言葉を発し、言葉を交わせることの穏やかな楽しみを大変感謝できる日がある。
じわっと、内側から自然と湧いてくる笑み、優しさ、言葉こそ私の宝となる。

目に青葉。花も言葉では語らずだが、こんな風景の中にいて心地よく、幸せだな~~って感じる。この贅沢さ、山の笑いもまた宝物。

         (賀茂川を北へ。中州に生えるのはセイヨウカラシナだそうだ)

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 じらされて、にたにたの笑い顔

2010年04月23日 | 日々の暮らしの中で
何もいいことなかったなあ…。

「われに五月を」か。
青森の五月って…
行ったことも見たこともない青森の春。

東京よりひと月遅い桜の開花のようだが、草花は一気に咲き誇って、瞬く間に山々は新緑の季節を迎えるらしい。遅く来る春には弾けるようなエネルギーがあると聞かされて、なるほどと思わせてくれる。
毎年のように弘前城公園の桜をニュース映像で見るが、行ってみたいものだ。
『書を捨てよ、町へ出よう』だったなあ。

立ち寄った書店で出会いがあった。人と人、人と花、人と書物…、なぜか自然と笑みがこぼれ、ニタニタと思わず頬も緩む出会いというものはあるものだ。

15年ほど前になるか、ある書店で『美しい人に』という本のタイトルと目が合った。
うん?私に手にとって欲しいの?? って感じで飛び込んできたのよ~、なんてシャーシャーと言ってのけて笑われていたのだが。2.26事件の時の教育相を父親とされる渡辺和子さんの著書だった。

今日も、その本は窓から差し込む陽を受けて、目線より少し高い場所から私を見ていた。
左側から一冊一冊じーっと背表紙に目を凝らしながら、心に響く一瞬を逃さずに捉えようとしていた。パラパラとページを繰って…。迷うときとそうでないときがある。

何もなさそうな一日に、これが出会いだった。
この一冊のために随分時間をかけた。じらされるのも悪くはない。
書を携えて、のんびりすごそう。町に出ることも忘れずに、かな。

  ほて(布袋)ほてと太った、豊なお腹の布袋様は家の福の神
  千惠のおやどに憩っておいでです… 

読んだ本が豊かさや厚みにつながるってことは…。 


コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 黄色いカッパの小走りに

2010年04月20日 | 日々の暮らしの中で
雨の中、ベビーカーを押す母親の後ろを、小さな子が小走りに追い続けている。どこへ向かおうとしているのか知る由もないが、何をしゃべっているのだろう。

「早くおいで」「転ばないようにね」。それとも無言で前を向いているだけなのか。子は遅れまいとお母さんだけがお目当てかも知れない。もしかしたら慣れた道なのか。母と子の姿に想像も膨らむ。
やがて親よりも先に先にと走っていってしまうことにブレーキをかけ出す。「待って待って」「そこでじっとしていなさい」と叫ぶ日も近い。

昨年の祇園祭で…。
地下鉄四条駅の構内は阪急線改札口もあり、夕刻、祭り、電車の乗降客と、多くの条件が重なってラッシュ時並みの人の流れがある大混雑だった。

孫のJessieにとっては、この付近は何度も母親と歩き、よく知った場所だったようだ。人の少ない昼間なら…。
走り出すのを止める間もなく、姿はみるみるうちに消えてしまった。いるはずのところにいない。見落としたのか。はぐれた!!手分けしたが見つからない。頭の中はまさに真っ青!探すのは無理か、早く届けようと思ったとき、娘に声をかけてくれた青年がいた。泣いているJessieを見つけ、母親を探してくれていた。

奇妙な話だが、お祭りに出かける私たちの姿を地下鉄駅入り口で見かけ、覚えていたという。奇しくも再び四条駅ですれ違い助けられた。同伴の彼女が見ていてくれるということで、事なきを得た。ひたすら感謝。

小走りの黄色いカッパのかわいさが、思い出したくもない思い出だがJessieと重なってみえる。

親子とはいえ、ともに過ごせる時間、日々は限られている。
大事に育てたい小さな命。
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 野に咲く花

2010年04月19日 | 日々の暮らしの中で
                       
この美しい花はなんという名前だろう。
曼殊院からの帰り道、ゆるやかな雲母坂(きららざか)をぶらぶらと歩いていた時、畑の脇で見つけた。

野の草といえば、      
   からすのえんどう・おお(?)いぬふぐり・

   ペンペン草・  
       かたばみ・あかまんま・ねじり花・つゆ草…など
誰でも知っていそうな名前を挙げられるだけ。

雑草という植物はないと言った人がいたことを思い出すが、広辞苑では「自然に生えるいろいろな草」を雑草と説明している。主要ではない、ひとりばえの草か。
かわいい。造形美を誇れそうな花もある。名前ぐらい知っていないと、私はずいぶんと失礼な人間ということになるのかもしれない。

コップにでも挿そうかと、折れにくいところを無理に折り曲げてちぎるようにしてでも家に持ち帰ろうとする。根元から掘り起こす。ぺんぺん草でカシャカシャ、ペンペン音を立てて遊んでみる。ところが、途中しおれでもしたら躊躇なくポイと捨て去る。やっぱりいらな~い、となることも。

いろいろな花がそれぞれの花を咲かす。ささやかな命だが、黙って咲いて「花は語らず」、そこに輝いている。

   “一輪の花の声 / 一枝の花の真”   と金福寺にあった

野に咲く花は野で咲けと、いたずらに粗末にするのはやめよう…か。

  

コメント (10)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 “そんな日があっても”

2010年04月18日 | こんなところ訪ねて
                 

一夜が明けるとからりと晴れた青空、休日らしいのどかさが漂いなんとも嬉しい。
少しばかりの朝寝を楽しんで、久しぶりに開放された日曜日。

白川通りから東へと入る。宮本武蔵と吉岡一門の決闘跡地といわれる一乗寺下り松を越えて、詩仙堂の手前を右折で金福(こんぷく)寺へ。
松尾芭蕉や与謝蕪村にゆかりのある俳句の聖地として、また船橋聖一著『花の生涯』でのヒロイン村山たか女終焉の寺として名高い。

    

乙女椿、有楽(うらく)椿に藪椿、馬酔木、つつじ、樹齢300年京都名木百選の一つというやまももの木、いろはもみじ…、静かな木立に囲まれてこじんまりと芭蕉庵がある。眼下に京の街並みが広がる小高い裏山、うぐいすのさえずりに誘われてその場所を動くわけにも行かない。心穏やかな気分で、長いこと庵の縁先に腰をかけさせてもらっていた。

      ゆったり ゆたかに 
      光を浴びているほうがいい
      健康で 風に吹かれながら
      生きていることのなつかしさに
      ふと 胸が熱くなる
      そんな日があってもいい        

帰り道、恵文社一乗寺店で立ち読み、   
   こんな言葉を拾ってきた。

 
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 笑えば寒さも…

2010年04月15日 | 日々の暮らしの中で
最近は寒さが異常に身に染みる。ここ数日、毎夜背中からゾクゾクするものだから、真冬並みの重ね着。やけに侘しいよ。

そして今朝。もう一枚薄いカーディガンをはおってジャケットを着る予定が予定で終わった。寒くて気づいたが、電車の時間もあって引き返せない。上着を厚手にしたことだけが幸いする。朝から「フツー」によくある慌てのトラブルだが、引きずった。疲労感も増すようだ。

なにげなく座った隣の席から携帯電話を私に差し出して、使ってもいいのかと(いう様な事を)尋ねてきた人がいる。エッ、何?見たらわかるでしょ。電車内の優先席だったので、目の前のガラス窓には使用禁止を示すシールが貼ってある。電源を切れとまでね。
納得したようだ。

今度は「すこし宗教の話をしてもいいですか」って聞いてくる。…あんまり好きじゃないねー。何?仏教??話したくないねー…。「○○大学で英語を教えています。名前はABCです」ときた。あなた日本語お上手ね~~。

降りるのかな?「×××××駅はまだですか?」って。
エッ?えーと… 次の次だけど…何て言えばいいのかいな…
「つぎのつぎ!?」 知ってるなら聞くなよ!!
「あなた親切です」 そうかなあー。
財布から1枚、小さな紙を出す。電話番号だった~。
No thank youです!!

笑える。笑うとすこし体温も上がるから、いいとするか。
つぎのつぎって・・・ ???
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 けち?みみっちい?一文惜しみ??

2010年04月14日 | 日々の暮らしの中で
              

4歳の子に何を送ってあげよう…、彼女の回りは物であふれている。持ち腐れでは無駄になる。孫への贈り物選びにも慎重になる私は、根がケチなのだろうか?

今回の小包みは、ベネッセの「子供チャレンジ」がメインとなる。袋を開ければ、彼女のお気に入りの遊び道具になることは間違いない。無駄な買い物は慎もうと気を引き締めてしまう。

京都は女がやってきて、ぶらぶら観光しながら楽しんでお金を使ってしまうところ、だそうだ。
千代紙や縮緬細工の小箱や人形にがま口、扇子・京人形・便箋・絵葉書・陶器・袋物・香、さらには菓子に漬物そして佃煮…。華やかな彩りで店頭を飾り、そのかわいさ、手ごろさにひき付けられて買ってしまうものでいっぱいだ。

化粧品など買い求める女性であふれる店の外には、連れを待つ男性の姿が多い。楽しみの目的が違うのか。相当にご年配の御仁がお顔がまっ白な女性と嬉しそうに手をつないで歩いていたりするのを見てしまったりする。

「いらっしゃいませ」、顔は下に向けたまま、手だけは動かしている。帳簿でもつけているのかいな。誰がそんな店で買うものか。
かと思えば、「こんにちは~。いらっしゃいませ」と迎えてもらったままピッタリ付きまとわれて、商品の説明が始まる。もう、うるさいんだから…、向こうへ行って!見てるだけなの。

ケチなのか、むら気なのか、店だってたくさんあるんだからと、こちらの気分次第とあっては店員さんにお気の毒かな。

明日は発送するからね。ヒエピタを入れてほしいと催促もきた。お安い御用よ。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 懲りない失敗

2010年04月12日 | 日々の暮らしの中で
そうかねー…、
そんなことはないでしょ…???
自由の女神が右手を高く掲げている。ある大人の英会話教室で受講生を募集するチラシ。
「これからは英語が話せなければ生きられない」
そんな手には乗るなよと、破り捨てることもなく眺めている。

「リトル・チャロ」「基礎英語」「英語5分間トレーニング」ちょっと興味をそそられるラジオ講座がある。興味を感じても、よしやろうっ!と思ったためしがない。日常使わないのだから困ることもない。何もいまさら、となってしまう。

数年前から、NHKの「漢詩を読む」のテキストを買ってきた。詩を通して中国の文化や文学のことを知りたいと思ってのことだったが、ここでもまずは中国語。相当に語学へのセンスが悪いのだろう。講師の音読に合わせて口を動かすのだが、難しい。知ることの面白さはあったが、乗れなかった。続かない。そもそも放送日、時間さえ忘れてしまう。

NHKラジオ第2、土曜・午後8時30分から9時。
懲りないなあ~。一人、じっとラジオに耳を傾けるなんて、やはり先行き不安。
何をやっても長続きしない。誰かと一緒なら?誰かほめてくれればねー。

失敗に失敗を重ねて、結果はついてこないことばかり。
「人はきっかけだけで伸びる」って誰かが言っていたのに…。
伸び代もないってことかもしれない。

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「思わず夢中になりました」

2010年04月10日 | こんな本も読んでみた
  「思わず夢中になりました」

これは昨年秋の読書週間標語になっていた。
そして、今年は国会で決議されたという「国民読書年」だそうな…。国会で読書の奨励など決められたくもない気がするが、そうなのだ。読書離れが進み、活字離れに歯止めをかけようということか。

吉田兼好は読書の楽しみを『徒然草』に書いている。
「見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」。心に深く関わって染み入るものだと。

行間の含みをどこまで感じ取れるかなどは言うも憚れることだが、拙い文学的想像力を働かせ引き込まれていく世界。手に本の重みを感じ、装丁を楽しむ、紙をめくる…。
速読法などいまさらいらない、長年積み重ねたマイペースで結構。
自分の心の中に、どんな好きなことばが残せるか。やはりそこには思わず夢中になる自分がいる、はずだ。

つい先ごろまでその存在が心にかかり、読んでみたい作品を残してくれていた立松和平氏。
筆者のあとがきを読みたくても読むことはできない。作品の解説がなされている。
  ― すべての文章が立松の「遊行」の結果うまれた「遺言」の趣があると。

明日は桜散らしの雨が降ると聞き、鞍馬の桜を見に行こうか?と思案してるうちに、冬物のジャケットをクリーニングに出さなくてはと…。帰ってみればはや昼。今から鞍馬でもあるまいということになり、読書をして過ごそうということになる。
が、ぽかぽか陽気には負けた。本は手からすべり落ち、何度もしおりをはさんでいる始末だった。

えらそうなことを言いながら居眠り三昧。立松さん、ごめんしてください。
                      『遊行日記』立松和平(勉誠出版)

コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 桜が“真っ青”って? 

2010年04月08日 | 日々の暮らしの中で
           
                「江戸乃花 春の遊び」歌川国貞/江戸時代
         

田の神が宿るといわれる桜の花。昔の桜は山の桜のみで、遠くから桜の花を眺めその花で稲の実りを占ったいう。日本人が古来から大切にしてきた「神の宿る木」の代表、最も親しみ落花にまでその美しさを堪能する花だ。

    『祇園の桜 ブルー』                            

今夕の新聞に掲載された、円山公園での「夜の宴」のための場所取り争奪戦の様子。
企業や病院、大学のサークルの名が書かれたブルーシートや張り紙で「占拠」。昼間、この広大なスペースは無人、見張り役はいても1人か2人だそうだ。
訪れる人も多いこの場所で、よくもまあこんなことができるものだといささかムッとする。
自分たちだけがよければ他人の迷惑など顧みない…、取っ払ってしまえと物申したい思いがする。「前日からの場所取り禁止」の看板がある所…。

そもそも、夜桜の下で酒を飲んで騒いで桜見物・・・???
暗い闇の世界でこそ桜はいっそう輝きを増すのかもしれない。一つひとつの花びらに神の宿りを感じてみる。時にはその神々しさにおののくような体感があるやも知れない。
花篝に照らし出された桜の下、誰と立とう…

いずれにしても集団ではない、静かにひっそりと楽しみたい夜桜だ。

なんとかして~~、見苦しいこと、じゃないかなあ。




コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 むすぶ

2010年04月07日 | こんなところ訪ねて
  

四月始め、ふっと思い立って六角堂(頂法寺)をのぞいてみた。
白無垢の花嫁さんが門前で記念撮影中だったが、六角形をした本堂の前に柳が揺れる。

 おみくじで枝を2本 
  一緒に結ぶと良縁に恵まれるとされている。

応仁の乱では全焼したが、乱後復興の先駆けをきって再興されると町衆の拠点の役割を果たすようになり、法華宗信仰で結ばれていたという。
が、面子にかけて新興の法華門徒の成長を抑止しようとする比叡山延暦寺とやがて決戦となる。六角堂は市中の結集地、早鐘を絶え間なくうち鳴らし士気を鼓舞。しかし、天保法華と呼ばれる京都の歴史の中で最も激しい市街戦で敗北した。
焼かれるか取り壊されるか…、
そんな運命にあって、信長の支配下となっても、宗教戦争では敗れても自治のための結束をゆるめないという町衆をつぶす力はなかった、― と奈良本辰也氏が語っている。

昨年の五木寛之氏の『親鸞』でぐっと身近になった六角堂。
親鸞が比叡山から六角堂まで百日間通ったとされる「百日参籠」だが、約30キロの道のりを二人の僧侶が追体験したという。
午後11時半六角堂前を出発し、翌午前4時延暦寺着。
朝日が差し出す頃延暦寺を出発、午前10時半六角堂着。

この行程で100日間。並々ならぬ体力、気力、信念… 
己と向き合うことのハードさ、なんてことをふつーの人間が言っている。

何かが実を結ぶ… 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「はなどき・花時」

2010年04月06日 | 日々の暮らしの中で
             

カタカタ・ゴトゴト…
門をくぐってかけてくる息子の背中でゆれる新しいランドセル。

ノートと教科書の間に挟んだはずだった。家庭への連絡用プリントは見事な蛇腹に圧縮されてランドセルの底から取り出される。
笑いこそすれ叱ることもない日々。
宿題のプリントはこういうことがなかったせいかもしれない。
友達とふざけっこして、駆け出してみたりの下校途中。
ランドセルの揺れはきっと激しかったのだろう。

ズボンの上にはシャツがだらしなく出たままに。
帰ってきた!「ただいまあーっ!!」「おかえり~」

蛇腹折はやがて解消されるが…、人一倍の元気印は1年間無遅刻無欠席の皆勤賞。
「はよう行こう、はよう行こう」
催促された小学校入学の朝は23年も前のことになってしまった。
いまだに聞こえる、見える、息子の「新一年生」の懐かしいシーン。

  
                              高野川沿い/川端通り

「はなどき・花時」
ソメイヨシノが目立つ京の桜並木。
さほど大きくはないが実家にあったヤエザクラが脳裏に残る。少し重たげだが華やかで好きだ。加茂街道から賀茂川を挟んで東に平行に見える半木(なからぎ)の道の枝垂桜、この色合いが春に艶やかさを付け加えてくれるのも好ましい。

およそいつもは手近かな所で花見をすます。ぶらっと歩けば、ぶらんこと砂場しかない公園にもはらはらと桜吹雪は舞う…、つまりどこにでも見事な桜が咲く。

         川端通りから南西方向

こんなに密集した町並みを桜色に染める。
人並みに、遅れを取らぬうちにと、“今年の桜”とひそやかに対面。

23年前も…
季節のめぐりの中で安らかな命の象徴は息子の新しいスタートを見守っていてくれた…
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 4歳児のアート… 

2010年04月03日 | HALL家の話
        

なにげなく新聞を見ていて目に留まった写真、どこかで見たなあと…。
 
最近、娘がクイーンズランドのアートギャラリーに行った話しを、へえ~と言う思いで聞いた。珍らしい。
リサイクルカップ、トイレットペーパーの芯、針金、アイスの棒…などが集められた山。そこから自分で好きなものを選び自由に組み合わせての創造性発揮の場。「ジェシーがするの!」と、母親の手助けを完全に拒否して仕上げた作品は「ヘリコプター」、だそうだ。

            

ひとり5枚ほどのシールを大仏の型にペタペタと貼ってみる。Jessieの顔を隠しているのは天井から吊るされた柔らかなたくさんの紐だとか。
子ども自身が活動できるギャラリーだったことで、満足度は高かったと喜ぶ。

  

この鹿の作品が新聞に。
「クリスタルガラス球で覆われた体調約2.5メートルのシカのはく製。見る角度によって多様に映し出されるが、全体を直接見ることはできない」

「京の新鋭」として、彫刻家の名和晃平(1975-)さんが紹介された。
デビュー10年「現代感覚あふれる彫刻で注目を集めている」とある。「PixCell」(ピクセル)と名付けた作品群。昨年東京の個展で反響を呼び、ガラス球を貼り付けたもの、液体に浮かぶ泡、不透明な発泡ウレタンの作品もあるそうだが、現在、作品はオーストラリアに出品中・・・。

そうか、これに出会えたというわけだ。でかした、と言うのもへんか…。奇妙な縁?
なんでもよろしい。子供にとってどこで何が幸いするか。もっともっと連れ歩いてやってほしいものだ。やはり、「でかした」と言いたくもなる…な。
コメント (9)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする