京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

想像力を…

2020年03月31日 | 日々の暮らしの中で
オーストラリアに帰国して、ひたすら自宅待機を守る14歳の孫娘。このまま何ごともなければまもなく「14日間」という期限はあけるのですが…。
この期間中の外出には高い罰金が伴う。在宅かを確かめに、関係者による不意の訪問がなされることもある。などと聞いています。
万が一にも日本からの移動中に自分が感染でもしていたら、不用意な外出がどんなことをもたらすか。まずは彼女自身が行動には責任を持たなければなりません。

          ヒマな娘は趣味に没頭?

現地の学校も休みに入りましたが、生徒には外出への自粛が求められているようです。外出は病院と食糧買い出しのみ。また、少人数であれグループ化することは禁止。夫婦二人暮らしでも、その「家族」に身内でさえ外部から訪ねて一緒に過ごすことはできないそうです。自宅待機期間が開けても、父親と孫娘のもとに近くに住むいとこ達が訪ねてくれるることも勿論認められません。日本の「自粛要請」のルーズさ、「現状」の意識の低さが海外からは疑問視されるのでしょう。経済支援策にも大きな違いがあるわけですが。果たしてイースター明けから通常の登校が再開できるものなのやら。


娘宅で孫守りの今日。午前中1時間、サトザクラの咲く公園で兄の友達と一緒に思いっきり走り回った3歳児。

日毎に感染の拡大が報道されています。いつ我が身にと思う怖さもあり、街中への外出は控えています。今は少しでも想像力を働けせ、感染拡大につながる行動は極力慎むことを念頭に置いておきたいものです。
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桜咲く

2020年03月28日 | 日々の暮らしの中で
書き残さないと忘れる物語が、今日という一日がある。と言って、何か特別な一日であったわけではない。
古典の日推進委員会主催による令和2年度・街かどカフェ「京の『粋』を作る男前(ひと)たち」と題したリレー講演会の案内をいただいている。6月に2回、7月に3回。5回通しでの申し込みになると言うからどうしましょ。あまり関心はないのでスルーかな…。


「来年も必ず桜は咲きますから!」とお花見や不要不急の外出をぜひ自粛するよう山中伸弥氏が訴えておられた。「花は咲いても来年のいのちがあるかわからへんや」言った人がいた。日本人は桜の花によって自分のいのちの切実さを感じるものと思うところもあったが、今はそんなことを言って食らいついている場合ではなかろうに。


上賀茂神社から、賀茂川の堤のほうへと出てみた。


3「密」の悪条件はクリアーされる普段はほとんど車が通らない道に、このトンネルを抜けようと車が次々にやってくるのが無粋なことに思われた。帰り道で、「今日はこの先で何かあるんですか」と交通整理にあたる工事現場の人に呼び止められたくらいだ。
どんより重い空の下、五分咲きほどかしら。
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なにやらゆかし

2020年03月25日 | 日々の暮らしの中で

境内の雑草を引き抜きながらくま手でジャリジャリと松葉をかき集めていて、ささやかな菫の花を見つけた。そして、「ケキョ」って! えっ? と思ったっきりだったが、鶯のひと声を耳にした。

  春草の中にもわきてむらさきの野辺にすみれのむつましきかな   (伴 蒿蹊:江戸後期の人)

「紫野」の春の野辺を描く。紫野は「七野のその一野」で、内野、北野、平野、蓮台野などと並ぶ洛北の野。平安時代は天皇の狩猟の地だったことなど、かつて酒井輝久氏が名所句巡りを連載時に記されていた。今も大徳寺や今宮神社あたりに地名が残っている。

先月の17日に仏師・定朝の墓を訪ねたのも紫野の蓮台寺さんだった。境内には育てているのだろう、たくさんのすみれの花が咲き、まだ冷たい早春の風に花びらをそよがせていたのが思い出される。
江戸前期までの風流な人たちの旅は、歌枕名所を求めてのものだったという。「名所」とは「などころ」と読み、「古歌に歌われている有名な所」のことをいうと酒井氏。
道路標識に「紫野」の表示があるが、こうして古歌を知って楽しむと「紫野の蓮台寺のすみれ」の風趣も増すようだ。

さて、境内のこのすみれ草、抜いたでしょうか…。
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決まってるでしょ?

2020年03月22日 | HALL家の話
20日は三歳の孫Lukasの幼稚園・プレの卒園式でした。
と言っても、短時間で簡素なものだったようですが、本人は普段よりちょっとおしゃれをして。


出がけに母親にジェルでヘアスタイルを決めてもらったのには、9歳の兄からの助言があったようです。
「かっこいい?」「はい、決まりましたね」

絵本「はらぺこあおむし」のページを繰って、歌うようにお話をしてくれました。
「・・なんか葉っぱに卵がついて お日さまがやってきておおきくなって~ おなかがすいておなかがすいて まだおなかがすいてー・・・ちょーちょになっちゃって・・・」
プレ卒園記念に動画に収めたのでした。
知らず知らずのうちに言葉を身につけ、言葉が豊かになれば、3歳児なりに思考も深まり、内面も豊かになるようです。

こうしたたくさんの感動に出会える春3月のはずですが…。
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14歳、たびだち

2020年03月21日 | HALL家の話

孫娘Jessieは急遽、19日夜の便で父親の待つオーストラリアへ帰国しました。
家族みんなで見送りに行きたいところでしたが、夜、幼い子を連れての空港へは不安もあり、下二人を預かることにして午後3時過ぎに家の前で送り出しました。母親と、親友の二人が空港まで一緒に。

オーストラリア政府による入国制限措置がとられました。
【新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、2020年3月20日(金)の午後9時(オーストラリア東部時間)より、オーストラリア人及び永住者とその近親者を除く全ての方々が入国できなくなります。オーストラリア人は帰国できますが、14日間の隔離対象となります。】

14日間の自宅待機はありうることと想定してはいましたが、入国に関して近々こうなるかもしれないという情報を得ていたので、明日(19日)の便で!と言う父親の判断に従って慌ただしく帰って行ったのでした。いる子がいない。大きな穴があきました。Tylerはさばさばしていますが、Lukasは「Jessieは帰ってこない?」と口にします。

出迎えた父親と帰宅途中、父親の叔母、これまで何くれとなく世話になってきたアンティ・ダイの家に立ち寄ると、車内で待つJessieの姿を見て小躍りして喜んでくれたとのことでした。近くには、いとこたちがいることも安心材料ではあります。

      Jessieの原風景は10歳まで過ごしたこの地(国)にある。それは、人が生きる「かなめ」になるもの…。かわいそうという思いはない。


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「一寸のたましいを持つ」

2020年03月14日 | 日々の暮らしの中で

「春は空からさうして土から微かに動く」。長塚節の小説『土』の一節ですが、小さな息遣いが地表近くにあふれるのが春という季節です。

この時期、少しずつ少しずつですが固い土を割るように顔を出した芍薬の芽は、「一寸のたましいを持」って伸びあがってきます。(雪をのけたしかめてみる褐色の芽は一寸のたましいを持つ  山崎万代) この力のほとばしりには毎年の事ながら小さな感動を覚え、のぞき込んでは「おおおお、ちょっとのびたかなあ~?」なんて声をかけてやるのです。

夜の時間をもっと工夫しようと、ずっと思い続けていながらちっとも改善できません。資料を探していると、ファイルの中に浅田次郎さんの講演会でのお話をプリントしたたものが挟まっていました。
氏は、日の出とともに起きてコーヒーを入れ、同時に原稿を書きだすのだそうです。生産行為は朝早くがいい、と言うのが理由です。せいぜい12時か1時くらいまでして、その後は読書。4、5時間は読むのだそうです。そして、夜7時には読み書き一切停止。夜は「ひたすらグダグダ過ごす」のがいいと言われてます。テレビは4時間みるとか。就寝は9時か10時。

これ、これ、これだと思ったのは、夜のひたすらグダグダ時間を作ることです。どうやったらグダグダ過ごせるんだろうか…。しかも10時には寝るとしたら…。 夜にしていることを日中に回す。では、今、日中にしていることはどうしたらいいんでしょうかね…。 こんなことを真剣に考えているのでした。芍薬の芽に負けてはおれんです…。 


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うららかにただうららかに

2020年03月12日 | 日々の暮らしの中で
総身花だらけのコブシがきれいです。


蕾はどんな具合?と見上げていると1輪、2輪! 咲いているではありませんか。
きっと誰も気づいていないんじゃないかなあ。ちょっと自慢、こうなると見つけたことを人に教えたくなりますが、あいにくだあれも通りかかりませんでした。


昨日の雨もすっかり上がって、朝から日差しに恵まれました。午前中はちょっと集中してカキモノをと思ったのでしたが、来訪者ありでおしゃべりの花が咲き、1時間延長でガンバッテみましたが…。

肩が詰まってもいけません。身体をほぐそうかと、今日は少し車で移動。広い運動場は手前にもう一面あって、普段の土曜日かと思われるほど小・中学生たちがボールを投げたり蹴ったり、リングに入れたり、思いっきり楽しんでいました。ペット同伴の親子連れ、本を読んだり、水遊びの子もいたり、ただ陽を浴びている高齢の方も、みなみな思い思いに心を癒し、ストレス発散にもなりそうです。花を見て、こんな穏やかな光景の中でリラックス。



これ↑? ↓?    ↓ワタシです



    うららかにただうららかにある日かな (久保田万太郎)     そんなお日和でした。


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「家族」として過ごす時間

2020年03月10日 | 日々の暮らしの中で

  豊島園 3歳9か月
   「喜色満面 でもすこしこわいよ」

などと父の文字で一言が添えられてある。私、3歳…。3歳の時が私にもあったのよ。「このかわいい子、わたし」?? 
孫のLukasが今3歳3か月なので、半年大きいわけだ。
いつだったか、豊島園が閉園するという話を耳にした。父の会社の遠足だという集合写真とともにある1枚で、似たような年齢の子供が多く映っている。当然、父も若い。頭に何かの面?をつけて、左手を外に出して乗っている。古い写真を見返しながら、おしゃべりする時間など欲しかったと思う。嫁いで遠く離れてしまうと、共有する時間がほとんど持てなかった。
「家族」として一緒に過ごす時間など本当に短いものだと痛感。

川べりを走ったり、散歩している親子連れも多くいる。キャッチボールをする中学生もいた。公園のジャングルジムの上で、4人の女の子たちが歌を歌い、ハモっては笑い声をあげる。楽しそうだ。家に籠ってばかりでなく、少しでも気分転換できる場所と時間があるといいのに。
1200年来不断の修二会。勇気を出して、など思う心の浅はかさ。今年は断念して来年に期待しよう。

ほぼ一日中の雨。書きものをして過ごした。早く仕上げて孫たちと過ごそうか。Jessieとの時間も少なくなる一方だし…。
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本を読む人

2020年03月07日 | 日々の暮らしの中で

一心に本を読みふける人がいました。何かの物語なんでしょうか。心奪われてか、不動です。自分だけの時間ですから、本当にいい時間を過ごされています。近くに腰を下ろして姿を見ていました。

奈良へ、修二会の行事が修されている東大寺二月堂を参観したいと思いながら迷って行けないでいる私は、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズより「奈良散歩」を読み返していた。
澤田瞳子さんの『与楽の飯』の世界が思い起こされてくるし、「雪散華」の杉本健吉画伯が、昭和24年にうどんの食べくらべをして一番になった話があったり…。読み飛ばしていた箇所に気づきもあって、これはこれで私も良い時間を過ごした。

修二会は、〈天平の実忠以来のやり方を、不合理を承知の上で、頑固に守っている。強烈な文化意識と言ってよく、その不合理こそ、人を酔わせる。そういう精神の酔いがなければ、自分を天平の実忠和尚のそばまで連れ昇らせてゆくことはできないのである〉
〈文化の不合理に堪えて、不断に繰り返すというところに、他とちがった光が出る〉
〈様式(スタイル)の新奇さだけを追うことが、何になるのだろう〉(言いたかったが遠慮した、と)
司馬さんの言葉を記憶しておこうっと。

で、コロナウイルスによる感染が拡大している今だが、大丈夫だろうと考えるか、大丈夫ではないかもしれない、と自粛するが賢明なのか。やめときなさいと言う声…。あ~ら、困りました。本音は行きたい。木沓で堂内の床を走るけたたましい音、五体投地の激しい所作が立てる音が耳元によみがえる。。。
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生きてゆくごほうび

2020年03月05日 | 日々の暮らしの中で
お昼寝をし、おやつをいただき終わる3時半ごろをめどに、孫のLukasが通う保育園に迎えに出ました。
近隣には小学校、中学校、幼稚園とあり、そんな一画に保育園があります。


一週間前は、たくさんの蕾を二人で見上げた。「お花が咲くんよ」
この日、「見てみて!」と呼び止めると、すでに「朝、ママが言ってた」って。知ってたわ。
青い空を背景に、純白の小鳥が止まっているかのよう。小ぶりなこの白い花、コブシでしょう。

大人の足なら10分ほどの道を30分ほどかけて、道道を楽しみながら帰ってくる。楽しい時間です。「生きてゆくごほうび」かな。

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「何を読みどう書いてきたか」

2020年03月02日 | こんな本も読んでみた
〈 ・・研ぎ澄まされた文体は「翻訳できない」とも言われたようだ。先日亡くなった古井由吉さんである。・・ 〉
朝刊のコラムを読んでいて、訃報欄を見落としたのか、氏が2月18日に逝去されていたことに気づかされた。

        昭和文学全集(23)に収められた作品や『雨の裾』などを読んだ程度だが、1年前に対談集『文学の淵を渡る』を読んでいた。「百年の短編小説を読む」と「文学の伝承」内の -文体上の渋滞- が興味深かった。帯には、二人の小説家が【何を読みどう書いてきたか】とある。お二人のその姿勢に目を見開かされ、教えられた…。

古井さんはヨーロッパでご自分の作品の朗読会を開き、日本語で読み、その傍からドイツ語に訳して読んでもらったそうです。
お客さんの反応は、日本語で読んでいるときのほうが耳を傾けていた。何かを聴き取ろうとしていた、と。(大江・おそらく文体を聞き取ってくれようとしてる…)声だけ聴いて文体の在りかがちょっと感じとれるのではないでしょうか。文体とは構造であると同時に、音律でもあるようです。
などとお話でした。そんなこともあるのかと思ったくらいです。



小説なのか随想なのか、とても入りずらい文章で、難解…、これが古井さんの作品の一貫したイメージでした。
「相続とは、死んだ人の人生をいただくのです。亡くなった人の物語、命、魂を受けて渡していくのです」
かつてお聞きした姜尚中氏の言葉に重ね、作品を読み返すことで新たにどんな思いが生じるか。『雨の裾』と対談集をもう一度、と思った。
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春はなりふりかまわぬていで…

2020年03月01日 | 日々の暮らしの中で

紅梅の艶やかさとは異なる、清らかな白梅。
やっと満開近くになりました。なんとも遅々とした開花への歩みですが、それこそが存在感たっぷりの古老です。


老いてこその美しさ。年月によって育まれた風情。存在の美。

〈春はなりふりかまわぬ、というていで、急ぎ足に、髪ふり乱してやってくる〉と田辺聖子さん。

催し事の自粛は、寺の役員さんの会合に、中学校の同窓会にも及んでいると“境内での報告会”で知りました。こんな茶飲みでいっぷく会も、自粛要請の範囲に含まれるのでしょうか…ね。ささっと立ち話をして別れなくてはならない?

次々と花が咲き出す、明るい春らしい話題で楽しみたいですね。

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