京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

心配のタネ

2018年09月30日 | 日々の暮らしの中で
台風24号の情報を気にしながら朝から五目豆を炊こうと火にかけた。近畿地方には夕方から夜遅くにかけて接近という予報だ。21号のときは午前11時頃から急に風が出たと思うや様子は急変。4時間ほどで通過したのを実感したが、今回は夜間になることに不安は増大する。
空は暗いが雨もなく、できることをと動いている。


40センチほどに伸びたツワブキの花茎。葉陰になるが脇には2本の予備軍が控えている。「記録的な暴風」にへし折られはしないかと心配しきり…。

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やる気に火をつけた?

2018年09月28日 | 日々の暮らしの中で
朝から晴れ晴れとした天の高さに、外に出ると金木犀の香りが漂ってきた。見上げた先に橙黄色の小花がびっしりついている。久しぶりの秋らしい好天の一日だった。

「聞いて。うちなああ、200mでダントツの1位だった!!」夕刻、弾んだ声でいきなりの報告だった。今日はこの秋晴れの中、大阪に住む孫娘は運動会だったのだ。
先日、「200mを走らされる」とこぼすことがあった。走り手がいないのだろう。「200mってどのくらい走るの?」って聞くものだから「運動場1周だよね。半分で100mでしょ」って応えた。と、「なんや、それなら走れる」と俄然顔つきが変わった。私のひと言は効果的だったみたいだ。やる気に火をつけた。「4組、圧倒的な差をつけて1位です」と放送係の声も耳にしているというおまけつき。三歳からたくましさを披露してい脚力。何か一つ、取り柄があるってのはいいものだ。疾走する?姿、ひと目見たかったけど…。

台風襲来に入念な備えをしてまわる父を見て「そんなにしなくたって」とよく笑ったものだ。子供心には、ちょっとした非日常の不穏な空気にワクワクするような気分もあったことを記憶している。これといった被害もなく、まさに台風一過となった。長いこと「一家」と思い込んでいた私。
この月の上旬の台風21号、去っても爽やかな台風一過などにはならなかった。
台風の翌日の狼藉の風情を「をかし」と眺めて喜んだ清少納言さん。今なら「この罰当たり」とやんやの非難を浴びることだろう…。
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月の出を待つ

2018年09月26日 | 日々の暮らしの中で
鷹峯にある源光庵(北区)の境内に赤紫と白の二いろの萩の花が咲いていた。いつ来ても香が焚かれていて、甘い香りは喉元まで入り込む。
小さなモンキチョウが秋草の上を飛ぶ。
すすきに萩を添えて瓶に挿し、昔、母がよくそうして月の出を待っていたことを思い出す。月は昨日もうすぼんやり、今夜は雨が降っている。居待ち、寝待ちの月でもよいので月の光を浴びたいものだ。


曼珠沙華が咲いた後には恐ろしい野分はこないとか? まだその時期には早いこともあってか、「大型で非常に強い」と予報の台風24号が、またまた心配な進路をとって北上している。孫娘の誕生日が近く、この週末は一緒にエキスポに行こうと約束をしているのだが…。
風の猛威は戸締りして籠ってさえいれば安心というわけではないと痛いほど知らされた。決して侮ってはならないことを21号で痛感したばかり。

さて、明るく月は出るだろうか。父や母の墓の上にもさやかな光を届けたい。
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「名月」に陰晴はかりがたし

2018年09月24日 | 日々の暮らしの中で
「明夜の陰晴はかりがたし」

陰暦八月、中秋の名月の前夜、芭蕉は敦賀の津に宿を求めている。その夜は月が特によく晴れた。期待して、「明日の夜もこんない月が晴れてくれるだろうか」と宿の亭主に言うと、「明夜の陰晴はかりがたし」と答えが返る。期待はしたものの、亭主の言葉にたがわぬ北国日和の定めなさ。雨名月に ― 名月や北国日和定めなき (『奥の細道』 敦賀)

まあるく夜空に、あそこに月が…とわかるもののあいにく色も輪郭も薄くかすんで見えた。やがて雲の陰に。虫の声の伴奏ばかりが心に染む。
同じ月を見て感慨を共有する楽しみはもてなかったけれど、それはそれ、今年の「名月」はこうした趣だったということになる。

昨夜は名月前夜であることも忘れ、娘宅で過ごしていた。


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観音さんの日に秘仏も

2018年09月19日 | こんなところ訪ねて
今年は西国三十三所草創1300年にあたるとのことで、皇室の御寺・泉涌(せんにゅう)寺(東山区)の塔頭・今熊野観音寺(第15番札所)では秘仏の特別公開が毎月18日に行われている。「18日は観音さんの日やろ」と教えられ、ああそうそうと思い出しては忘れてしまって9ヵ月、昨日その秘仏拝観に参拝した。


バスを降りて、軽い上り坂の泉涌寺道を東へと進む。二十五菩薩お練り供養で知られる即成院を左に見て、さらにまっすぐ。一番奥に泉涌寺があるが、その少し手前を左に曲がれば今熊野観音寺はほどなくのところ。

正面から靴のまま本堂の階段を上がる。ご本尊を拝観したいと申し出たところ「右側から入ってください」と言われ、「右側」の入り口に回った。そこで拝観料200円を。「どうぞ仏足跡を踏んでからお進みください」の言葉に従って、内陣に進む。ほんの何歩かの移動だが狭くて暗くて、こんなところでけつまずいてはまずいと用心が要った。

本尊の十一面観世音菩薩は秘仏の観音さまで、普段はお厨子の中におられる。なので御前立が安置されているが、それがまた金ピカで美しくどんな造りかと見とれたが、その大きな御前立の後ろにお立ちなのが秘仏とされるご本尊。ライトも軽く当てられてはいるがうす暗く、お前立の左から、右からと交互に何度かのぞくがお顔から頭部ははっきり見えない。眼鏡を取り出してみたが、頭上の十一面などはさっぱりだった。仏様を「のぞく」とか「見る」だのと、随分な言葉だと心に引っかかりはすれ、見て得られるものはあるわけで、やはり気持ちは「見る」ことにかかってくる。秘仏だけに期待したが、残念なことに近づけるものがなかった。

  

せっかくここまで来たのだからと泉涌寺も訪れてみた。学生時代に来て楊貴妃観音に出会った。「一笑すれば百媚生ず」と習った楊貴妃だが、焼き付いていたイメージとは違い、意外と小さいんだと思い直した。そのあともう一度、両親との3人で参拝していた。もう40年も昔になるが、玉砂利が敷き詰められた境内を一巡しながら父、母を思い出すひと時だった。
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「おばあさんのように生きよう」

2018年09月17日 | 日々の暮らしの中で

 〈 敬老の日の腰紐しかと結びけり 〉 96歳まで生きた鈴木真砂女の句を引いて、「力強く生きる術を探りたい」と新聞のコラムにあった。

    先日、映画「輝ける人生」を見てきたところだが、主人公・サンドラは傷心のまま姉の家に転がり込む。入浴中、サンドラはそっと胸元を覆うが、姉はその様を見ながら「気持ちを下げてはダメなのよ」と言葉をかけた。そして、「時には飛ぶことも必要」だとアドバイスも。映画のラストは、動きはじめた船に川岸からジャ~ンプ!のシーンだった。

好奇心を強く持って、気力を失わないようにと前向き志向できているが、そういつも頑張れやしない。「ガンバレ」は時に押しつけがましくて、人さまから言われるのはあまり好きではない。もちろん心の内では、ちょっとひとがんばりしようとガンバル。その思いが推進力になるわけで、マイペースのコツコツ派だから、どちらかと言えばそうやって生きてきた。だから、サンドラの姉が言った「気持ちを下げてはダメなのよ」の言葉を記憶に残した、その自分がよくわかる。こころにほんわかとした力を灯してもらった。このほんわかさが私には心地よいのだ。

ひと月に一度の集まりで尼講を楽しんでいる。80代、70代の方が大半の集まりだが、年齢順ではないが世の定め、会員が抜け数が減ってきた。何とか月一の継続を維持したくて声を掛け合い、若い70代の会員獲得に精を出されたことがあった。誘われた方も順送りだからという面もあろうが、高齢女性軍の結束力は見事だった。それぞれの役回りで準備したお汁をいただき、さんざんお喋りしては他愛もないことにいちいち大笑いし、そして家路につかれる。無理にでも笑うことはいいのだ。月に一度のパワーの結集基地になっている。

「男の老人はおおむねセッカチだ」と津野海太郎氏は書かれていたが、“女の老人”のほうが当面の変化にも長い目で見て対処するパワーを秘め、おおらかに生きていると私も見て感じることがる。何より女の集まりは朗らかだ。
過去にこだわらず、ゆったり生きるおばあさんに感心し、森毅さんが「もう自分が男であることにこだわる必要はないのだから、おばあさんのように生きよう」と言っておられたのは愉快だった。思い出してはクスリとしている。誰もが暮らしやすい社会になるだろうか。健康寿命は延びるかもしれない。
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「この命、何に賭けるか」青山俊董尼僧

2018年09月16日 | 催しごと・講演・講座

「人生は幸せを求めての旅です。何を幸せとするかによって人の人生は大きく変わります。たった一度の人生。今ここに、この一瞬をどう生きるか。今日一日をどう生きるか。――そして、この命、何に賭けるか…」。
話しだされた青山俊董尼僧。1933年愛知県一宮市に生まれ、5歳で仏門に。15歳で得度され、結婚との両立ができないものかと考えた時があったが、仏の道だけを選んで歩んでこられた。母親のお腹にいるとき曽祖父から「やがて出家するだろう」という言葉があったそうで、僧籍に幾人も入っている家であり、仏縁だと思われた、と。

昨日15日、しんらん交流会館(下京区)で開催された中外日報社主催の「宗教文化講座」に参加した。

人生は「選び」。「選び」には、限りなく選ばねばならない面と、性差、病もそうだが、授かりとしていただかねばならない面との両面がある。天地いっぱいに満ちあふれる仏の働きに気づかせてもらい、仏のモノサシに照らし、教えの光に照らしていただいて生きたい。
刑務所にいる死刑囚からの手紙に「せめて家族には許してもらいたいなどとは甘えだ」と返事を書いて遣ったことがあったと逸話を披露。置かれている場所はどこでもいい。そこでどう生きるかが問われることで、生かされている命の条件は全く同じなのだ。今はよくないと気づき、より「よく生きること」が人生の目的である。よく生きた、などとは驕り。たった一度の人生どう生きるか?何を賭けるか? 繰り返し問われる。

さまざまな個性をもつ雲水たちを選り好みせずに、なんとか彼岸までと思ったものの。実は我が身こそ渡されていたのであり、支えられ教えられ育てられていた気付きを歌に詠まれている。ある寺の宝物の幽霊画を見た時の、「嫁の目だな」と他人の欠点を見た凡夫がいれば、「自分はあんな目で嫁を見てたのかな」と懺悔(サンゲ)の老女もいた話に、私たちは周囲の誰でもが我が師として存在し、自分のお粗末さ加減に気づかされ、我が非に気づかせていただけることを説かれる。

  人間(ジンカン)の是非をばこえてひたぶるに君がみあとを慕いゆかばや
  驢をわたし馬をわたす橋にならばやと願えどもわたさるゝのみの吾にて  

たった一度の人生。幸せを求め、よく生きたいと願いつつ、どう生きるか。「この命、何に賭けるか」と、美しい笑顔から厳しい問いかけをいただく。また、私には著書や映像を通してのみだったお方だけに、この日、これぞ「面綬」の嬉しさをいただく。

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「ずぶ濡れのラガー」

2018年09月14日 | HALL家の話

今年も多くの自然災害に見舞われている。2011年にも3月に東日本大震災があり、8月には紀伊半島で豪雨による大きな災害が生じた。この年の9月15日に孫のTylerは生まれた。当時はオーストラリアで暮らしていたが、日本にやって来て3年。ふっくらしていた顔つきもほっそりしていっこうに太らない。でも元気、元気。明日、7歳の誕生日を迎える。

「僕は運動系」という彼の、今一番?の友人はクラッシクバレーを習い、ピアノを弾くM君のようだ。二人の取り合わせのオモシロイこと。Tylerが段ボールだったかにネームペンでピアノの鍵盤を書いていたことがあった。このお付き合いに、何を感化されたのか。おかしくもあり、また、いいなあと思って見ていた。


  ずぶ濡れのラガー奔るを見おろせり未来に向けるものみな走る    塚本邦雄

泥んこのグラウンドで泥を撥ね上げて走りまわるラガーマンのエネルギーの塊。若者らしい一途さを美しい姿だと感動する。未来は不安定だけれど、小学校1年生の姿を重ねて、ただ素直に詠んでおきたいがどうだろう。
馬場あきこさんは「ひたすら走るものを見て立つ作者の眼差しに、批評的な距離や思念が見えてきたりする」といったことを書かれていた。

トライは誰でもできる。トライだけでなく、タックルができるプレイヤーにならなくてはいけないと父親からの教えもあって、練習に励む。この連休、日・月もラグビーの練習だそうな。所属するクラブでは花園ラグビー場で試合をする機会もある。まだ行ったことがなく、ぜひとも花園をこの目にし、彼を応援したいものと、その日を待っている。

 月曜日ーボクシングジムへ  火曜日―唯一の休養日  水曜日ーボクシング(空手をやめて)  
 木曜日―サッカー  金曜日ーボクシング  土曜日―サッカー  日曜日―ラグビー

これが「僕は運動系」と口にする孫の1週間の放課後。そんな彼に、誕生日プレゼントを送った。明日、包みを開けて喜んでくれるといいのだけれど。
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このごろ

2018年09月12日 | 日々の暮らしの中で

外出を控えよと言われて控えたわけではないが、外出はしたくないと思ったのだから尋常ではない暑さだったのだ。朝晩は窓を開けていられないこの頃の涼しさに、すでに今夏の暑さも実感は遠のき薄らいでしまっている。でもついこの間までだ。「命にかかわる危険な暑さ」だからと、連日のように熱中症予防の注意を喚起していたのも。
台風21号による強風で倒れたプラタナスの木。あっちでもこっちでも、先々で見かける倒木に、ちょっとした衝撃を受けている。意外と繊細なのかもしれない?

だからではないが、このところ関心が外に向かない。外部に気持ちが向かわない。思うことあって原稿用紙を広げているが、身体だけが机に向かっている。自分の心の内にも向き合えていないのだ。
真面目さ、几帳面さを父から受け継いだ。そこに母の大雑把さが同居しているため、物事の判断にも程よい「ゆるみ」は生じる。ただ、よい方向に働くこともあれば、いい加減さ、ものぐさに大きく傾くこともある。好奇心も旺盛なはずできたが、どうしたわけかサッパリ稼働しない。
このところ、などと気づいてみれば、9月も月半ば。さすがにこりゃあかん! けどこんなときもあるのだ、我慢してよね。…と誰に言ってるのかな。

  9.14追記
【今日14日、貴船の倒木だらけの山中の映像がテレビで流れた。上の写真は街中の並木道だが、根こそぎひっくり返って倒れることを「根返り」というのだと知る。切らなくてはいけないのにほったらかしにしておくと、根の張りが小さい。上の大きさに比して不安定さを増し、仰向けにひっくり返ってしまうわけだ。そうした倒木の範囲が広くなれば、根を失った山の地場は弱まり、表層崩壊の危険が大きくなる――と専門家の解説があった】
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野の風情も…

2018年09月10日 | 日々の暮らしの中で
切り取ったぺんぺん草、エノコログサなど、乾燥しても堤に生えていた時の風情を失わない。長く差し向かいで過ごすことの苦にならない私の部屋の飾り花だ ――と読んだので、そんなに素敵なものなのかと真似をしていた。
花瓶に投げ入れておくといつしか乾燥花に。たしかに。けれど、種なのか細かなものがいっぱいこぼれ始めて、たまらず捨てることにした。

ここ数日続いた雨はようやく午後に上がり日差しも出た。孫娘から「今日は学校お休み」だとメールが入った。とすれば弟のほうもだろう。昨夜遅くから大雨警報が出ているのに気づいたが、昼になっても継続中とかだった。こちらではさほどではなかった。
雲の流れや風向きから勘や経験、理性を働かせ、明日のお天気を予想する高齢者が身の回りにはいたものだ。けれど彼らの予想も、自分たちの暮らしにかかわる地域に限られ、しかも雨量まで予測はしきれなかった。

秋の虫の声が高く澄むようになってきた。彼らはこの一週間というもの雨風に耐えてどこに身を潜めていたのだろう。
寒くて、開けていた窓を閉めた。と、虫の声も遠く低くなった。

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人の温かみ懐かしさ

2018年09月07日 | 日々の暮らしの中で
抱えていた荷物を下ろして軽くなった今日。久しぶりに解放感を味わってのんびり。

台風21号の強風で受けた小さな被害も大きな打撃で、時間とお金をかけて補修、修復していかなくてはならない。あああ、大変だ、と思っている矢先に今度は北海道で地震が起きた。

今夏、高野山夏季大学参加のために乗り合わせた直行バスで隣り合わせた方は、7月の西日本豪雨により岡山県真備町で被害に遭われた方と縁があったとのことで、生前のお付き合いの様子をしきりに話された。そのご家族のことを報道を通して記憶していたもので、こちらの気持ちもいっぱいになるということがあった。見えないけれど大きな大きなエンでまあるくつながる人の世だと考えていた。


報道こそされていないが、なによりもその地域で親しまれ、土地の人たちの心が沁み込んだような素晴らしい樹々の数々が無残な姿でへし折られ、また倒れてしまった。その真新しい裂け口が痛々しい。まだ生きている、傍によると息苦しくなり思わず「かわいそうに」とつぶやいてしまうほど。
どれもこれも、そばにあっては人の温かみや懐かしさをしみ込ませた樹々なのだ。親しんだ風景さえも変えてしまっている。

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一灯

2018年09月03日 | こんなところ訪ねて
常照皇寺(右京区)の方丈を爽やかな風が吹き抜け、ロウソクの炎は心もとなく揺らぐ。鴨居の上に、ご本尊の釈迦如来像がお立ちです。

 
  自分がどれだけ世の中の役に立っているかより
  自分が無限に世に支えられていることが
  朝の微風の中でわかってくる            と、現代念仏詩人の榎本栄一さん。

人のために、などと声高な言上げが見苦しく思える。

「光は智慧を表す。
 智慧とは暗闇を照らす光です。
 智慧の光は外から得るものではありません。誰もが自分の内に持っているものなのです。
 それに火を灯す。
 自分の内にある智慧に気づくことが即ち火を灯すこと…。」 (『花のように生きる。』平井正修)

誰も参拝者のいない縁の端っこに腰をおろして、“作文”のまとめ方に思いを巡らしていた。皇室ゆかりの禅寺は哀しいほどに荒れている。
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「花は野にあるように」

2018年09月01日 | 催しごと・講演・講座

平素いけばな展などに行ったこともないが、先日、奈良の円照寺に伝わる山村流のいけばな展だと誘われ、同行させてもらった。家元とお弟子さんたちの作品発表会であって、名前だけを聞き知る「円照寺」そのものへの関心が満たされることはないだろう、と思ったのだが…。

「円照寺は一名、山村御殿とも呼ばれる。奈良から少し南へ下がった帯解の山中にあり、その辺一帯を山村というが、中宮寺・法華寺と並んで、大和では有名な門跡寺院である」の書き出しで『かくれ里』(白洲正子)に記されている「山村の円照寺」。
「開山は後水尾天皇の皇女・文智女王で、寛政年間の創立である」「人里離れた大和の山中に、孤高の姿をとどめ、自らの意思のもとに、朝廷の危機を力強く生き抜いた一人の皇女の清々しい風貌を伝えている。」

「花は野に在るように」を教えとしている、と。山村の暮らしの中にある花を使う。派手さのない自然のものだが、それは、そこに暮らす人の心を温かく包むものであるはず。無駄な枝が落とされた花の木、実の付いたつるもの、ススキなどにひそやかに草花が添えられている。リンドウ、キキョウ、秋の七草。初めて見る山野草の数々。
清楚な、そのたたずまいは心に残った。たおやかさばかりではない。芯の通った潔さのようなもの、そして、しみじみとしたやさしい調和がある。
受付に座られた、とても小柄な高齢の女性が門跡さんだろうか。小さな花器に尾瀬水菊を2輪、挿されていた。
貧を旨とし、厳しい戒律と慈悲の心に満ちた日々があるようだ。その生き方が日々の暮らしににじみ出ることの値打ち。美しいと思う。

テレビ番組で名人を競う?華やかなてんこ盛りの趣きとは異なり、私には好ましかった。「一」は「多」よりも多くを語る、利休の哲学を重ねてみる。
三門跡のうちここだけは普段公開されてはいないのだが、早春の季節限定で公開され、ツアーが組まれることを知った。ぜひ機会を掴みたいと思う。
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