京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「何歳?」「にぃー」」

2018年11月30日 | HALL家の話
29日、孫のLukasの誕生日でした。    

「るーちぃ、何歳?」
「いち!」
「もうすぐ何歳?」
「にぃー」

こうして2歳になりました。


年齢差があるにも関わらず我が年齢を忘れての大喧嘩がある一方で、当然、下の子を思いやるやさしさも持ち合わせます。時に上から下に、下から上への過剰なお節介がうっとおしがられるようでもありますが、いつでしたかのTylerが口にした「家族とはそういう温かいものなんだよ」のひと言に集約される、笑いあり涙ありの三姉弟です。

夕刻、「テスト終わったー!」とJessieからメール。「るーちぃ君にお誕生日おめでとうって伝えてね」と返信。
一日一日が新しい日。これまでにもたくさんの人のお世話になって、外に出れば声をかけてもらい、遊びの相手をしてもらい、頭の一つも撫でてもらいながら、時に犬に吠えられ、ただじっと見つめ立ち尽くし…。この先も多くのおかげを受けて成長していくのです。元気にたくましくと願うばかりです。

のどの痛みから軽く咳が出て風邪薬を内服。ぼんやりしていた頭も薬をやめてから晴れてきたようです。
カサコソと枯れ葉の乾いた音を楽しんで外歩き。Lukasがキックバイクで公園の円周を好んで走り回っていましたが、積もった枯れ葉を踏む音が心地よかったのかも。微かな風に木の葉がはらはらと散ります。立ち止まり耳を澄ますと、雨音のようで、ああこれが「木の葉雨」「木の葉時雨」、なんて思ったりして。森には独特な匂いがあります。

     ルーカスの誕生日だからと、鮮やかな黄色の花にひかれバラ咲きジュリアンを2つ買ってきました。単なる思いつきでですが、今日は鉢に移そうかと思案中。
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旅立ちに…

2018年11月28日 | 日々の暮らしの中で
  

仕出し屋さん。そして個人営業の商店の看板おばちゃんだったǸ子さんは、にこにこと笑顔を浮かべた働き者だった。

盆も正月も来客は少ないのに、毎年時期になるとご主人が料理の注文を取りにやって来る。「また頼みますー。去年と同じにつけておきますさかいにな。おおきにぃ~」。置いて行くのは注文の用紙ではなく、このひと言だ。「おかしくないですか?」、私は義母に言い続けた。これもお付き合いなのだった。
財布の中身が空っぽなのを忘れて買い物に出て、大きな恥をかく前に「つけておくさかいにかまへんわ」とさっさとレジを通してくれた。まさに、お付き合いのありがたさを味わったこともあったのだけれど。

息子夫婦に店を任せてからは音訳のボランティアに精を出された。料理本や料理研究家のエッセイなどを好んで音訳し、料理教室開催日には、講師役を勤めてもいた。彼女のバイタリティ溢れる明るさはどれほどその場を和ましたことだろう。
そんなことから、Cook Do商品の箱の裏側に記載された〈用意する物〉〈作り方〉をタックシールに点字で打って、それを貼りつける作業に協力したことがあった。もう随分前になる。N子さんが読み上げ録音した商品を、順次点訳するという共同作業だった。シールの貼られた裏面だけを依頼者は保存された。
「手伝ってくれない?」を軽く引き受けたのだが、これがあって後年、絵本点訳に導かれているのかもしれない。

人知れず善行を積むN子さんは大先輩であり、同時にひそかに敬愛する友人でもあった。互いに支え合って生きることや人とのつながりを改めて味わう場となった昨日。極楽往生。旅立ちを隣人やお仲間と一緒に見送った。素晴らしい老いの人生だった。
綺麗な青い空が広がっていた。       

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種をまく

2018年11月23日 | 日々の暮らしの中で

数日さかのぼった11月20日は80回目の岩波新書の誕生日だった。創業者・岩波茂雄の「心理は万人によって求められることを自ら欲している。文化の種をまきたい」という思いが、ミレーの名画「種まく人」を用いた書店のマークに強く刻まみ込まれているという。

先日、終始気重さをぬぐいきれないまま湊かなえの作品を読み終えた。しかも、最後の一文で「本ものって、何ですか。」と問いかけられて…。
もやもやと抱え込んだ。解きがたい謎を仕掛けられた気分だ。ゆっくり一人の時間に温めて、っとでもいこうか。

昨日から孫娘が来宅し、期末テスト直前で勉強に励んでいる。見ていると、問題を解く入り口で「日本語」の理解にハンディがある。が、授業で習った範囲のことなのだ。読めない、わからないままにしておかないようにと、これまでからも言ってはいるのだが…。
頭を寄せて数学の問題を解き、「できたー!」に「なるほどね」っと説明を聞く。なんだかやる気が出た、そんな小さな自信も大事かと見守っている。


種は見えないところで芽を出して、時間をかけて育ってゆく。人もそういうもの、かもね。苦労は肥やし??
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「牡丹花は咲き定まりて静かなり」

2018年11月21日 | こんな本も読んでみた
  『悪玉伝』(朝井まかて)が面白かった。     
-「帯」より
〈大阪の炭問屋の主・木津屋吉兵衛は、切れ長の目もとに高い鼻梁をもつ、三十六の男盛り。学問と風雅を好み、稼業はそっちのけで放蕩の日々を過ごしていた。そこへ実の兄の訃報が伝えられる。すぐさま実家の大商家・辰巳屋へ駆けつけて葬儀の手はずを整えるが、事態は相続争いに発展し、奉行所に訴状が出されてしまう。やがて噂は江戸に届き、将軍・徳川吉宗や寺社奉行・大岡越前守忠相の耳に入る一大事に。真っ当に跡目を継いだはずが謂れなき罪に問われた吉兵衛は、己の信念を貫くため、将軍までをも敵に回した大勝負に挑むが――。〉

一介の商家の争いに、なぜ幕府が関与したのか。
巨大な財力を持ち、大名、諸侯へ莫大な融通をしている大阪商人。公儀御用達を願う者は、老中や大奥への贈り物や饗応を欠かさない。
泉州の豪商、廻船問屋・唐金屋の大阪への進出。辰巳屋とのつながり。吉兵衛の仲間。江戸の経済、贈収賄。唐金屋の異宗教。吉宗、唐金屋、越前。吉宗の思惑、越前の思い。何もかも失いながら、妥協せず最後まで踏ん張り通す吉兵衛の思い。

物語の流れに牡丹の花が咲く。吉兵衛の後妻・瑠璃は16歳。人というものにほとんど興味を示さず、家内のことも我関せずで諍いに巻き込まれることもない。瑠璃には庭で寒牡丹を眺めて過ごす描写が多い。吉宗が越前を唐金屋に引き合わせた場面にも寒牡丹が咲く。そして、新しい人生を生きようとする吉兵衛に、丹精していた白い寒牡丹が700両で売れたことを話す瑠璃。「上方にさえおったら、いつかお前様と会えると思うてたし」。吉兵衛は弁財天を乗せて、長崎へ…。

   牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置の確かさ   木下利玄

読み応えある作品だった。今、利玄に牡丹を詠んだ歌があったことを思い出した。

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受け入れた人の心に…

2018年11月16日 | こんなところ訪ねて
11月5日から始まった真如堂(左京区)の「十夜法要」、その最終日となる昨日(15日)結願法要が営まれた。十日十夜に渡ってお念仏を唱えることは、仏の国で千年の善行を積むことにも勝るという無量寿経の教えに基づき、阿弥陀如来への感謝も込めるという法要。

この日は法要後に、円仁作の木彫りのご本尊・阿弥陀如来像が開扉されるのだ。阿弥陀像をぜひ拝観したいと、もう何年か越しで私が口にしていたこともあり、嬉しいことに「お参りしませんか」と浄土宗のお寺のNさんに声をかけていただいていた。都合もついて、ありがたく同行させていただく。ご自身の寺も近日に十夜法要の最後を勤めることになっている。


色づき始めた境内の紅葉を愛でて散策したり三重塔にカメラを向ける、たくさんのお参りで賑わっていた。午後2時から、ほら貝、御詠歌、お鈴の音色とともに僧侶とお稚児さんが続くお練り法要があった。それを見守ろうと待つ人も多かったのかもしれない。

「鉦」の音と、南無阿弥陀仏の名を唱えるゆったりとした低いひくいお念仏の声。内陣から届くお念仏の声は、鐘の音に打ち消されるほど、低い。「十夜鉦講」とは、なるほどと思った。
御本尊に詣で、縁を結んだ人たちは、十夜鉦講の唱えるお念仏の力も得て、極楽に往くことができる、という。内々陣へ。数段の階段のその上にあるお厨子は、正面の扉と両脇の一部の三面が開けられ、一人ずつ順番に拝観した。長い列が続いていて、いつまでもじっとしてはいられない。
「素晴らしい阿弥陀さんのお力ですよ」とNさん。「うなづき弥陀」とも呼ばれ、木彫りのせいか表情にやさしさがにじむ。手は九品来迎の印を結び、これは、どんな人でも信じれば極楽に往生させるという請願を表すものと言う。
信じる。…とは、自らの人生のすべてを仏の教えにゆだねる、お任せする、ことか。

  月かげのいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞずむ (法然)

月の光は、受け入れた人の心にこそ届く…、と。

帰りは隣接する金戒光明寺の山門(公開中)をくぐり抜けて…。



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「ひじきに油あげ…」

2018年11月14日 | 日々の暮らしの中で
 ミヤマツツジの帰り花
                                
人参と竹輪も一緒に、油揚げとでひじきを炊いた。
ひじきは身体に良いからと、娘家族がAUSにいるときには荷物の中に必ずというほど何袋ずつか入れ込んだものだ。実父はひじきを「葬式での食べ物」という理由をつけて好まなかった。子供のころの体験がそうさせたらしい。

町内で葬儀ができると上・下の組が交代で女性に総出がかかる。葬儀を出すことになった家が負う食事のまかない事を変わって町内で負担するのだ。豆腐の白和え、ひじきを炊いたものはお決まりの献立。お参りの客人も町内の人もみなみなお膳に寄っていただくから、父が子供の頃には母親が持ち帰ったものを食べていたらしい。

「ひじきに油あげの総菜をうまがって食っている了見ではろくな工夫もつかない」

古本には書き込みが多く(「遺書」があり、プライバシーのデータあり、預金通帳の番号あり…)、中には文句の面白いものもあって、その一つとして出久根達郎さんが披露されていた(『人さまの迷惑』)実はこれ、河竹黙阿弥の作品の中のセリフなのだって。

美味しくいただいて、…この週末に、孫娘が勉強にやって来ることになった。「国語がわからない。古文を教えてください」「数学も、理科も」って。我が家には何人もセンセがいるらしい。期末テストまで2週間ほどとか。来るのはいいけれどね…、ひじきは頭にも良かったのではないかな。

      
毎朝2時間のキックバイクの練習に励むというルーカス。上手になったらしい。気候が良いうちにと、誕生日プレゼントを前倒しで贈った母親。時折時雨れて、寒い一日でした。
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耳から

2018年11月12日 | 日々の暮らしの中で
「あの比叡山が848メートル」
「あれで1キロないんやな」

ランドセルを背負った下校中の少年二人が比叡山を遠望しながら道路の横断手前で立ちどまって話をし始めた。3年生ぐらいに見えた二人、848m・1000m・1km、これらの認識がちゃんとなされている。今日は授業で単位の勉強でもしたのかと二人のやり取りを聞いていた。 

「だけど、山はさあ、斜めに登るから…」
(1キロ以上あるよね)ときっと言いたかったのだと思う。B君には聞こえなかったのか、横断を始めてしまった。標高と麓から山頂に至るまでの距離との違いをB君に説明したかったのだ。〈1キロ〉を具体的にイメージしようとしたのだろうか。

ほんの数分、偶然耳にした会話はこれだけのことだった。でも、いろいろなことを想像させてもらいましたよ。少年たちの性格とかまで。もう少し話が続いていればよかったのに。帰ってからA君が言っていた比叡山の標高を確かめてみたら、848mで正解だった。
「心に光が入るのは耳からです」とヘレン・ケラーは言ったとか。



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身ごしらえ

2018年11月10日 | 映画・観劇

夕日に燃え立つような桜紅葉。

  紅葉してそれも散り行く桜かな   蕪村

桜。春には春の感傷があり、再び散るための身ごしらえに、秋は寂しさも誘われる。変わり移る一代、人生への思いが重なりもする。

桜は「散る」、梅は「ほころぶこぼれる」、椿は「落つ」、牡丹は「くずれる」、そして人は「往く」。今月一日、知恩寺の十夜法要での法話の中で、最後を表す言葉として取り上げられた。

    映画「ガンジスに還る」を観てきた。
夢で自らの死期を予感した父親が、残された日々をガンジス河畔にある「解脱の家」で暮らすと言い出した。息子も家族も反対するが聞かない。滞在期限は15日と決められているが、18年になる女性がいたり、父も名前を変えて更新して過ごす。
仕事を休んでずっと父親に付き添っていた息子に「一人にしてくれ」と言って家に帰す。自らの最後を選択した。最後への覚悟をしたということなのだろう。父が過ごした部屋で、残された家族が身体を寄せ合い、静かに涙を流しながら死を悼む姿が哀しいけれど温かく心に残った。

「散る」ため、「往く」ための身ごしらえ。法話での切れ切れの記憶や自分の暮らしが重なって、映画を観てふっとこんなことを思い浮かべた。…と言えば神妙過ぎるか。実際には先送りで、考えることも避けているのが現実なのだから。

映画を観ながら、近くの女性がやたらと笑い声を立てる。会話のずれ、セリフにユーモアが滲み、皆一緒に笑ったりしたが、ここはそんなに笑うとこ違うでしょ?と思えば、ちょっとウットーシイことだったわ。
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倖せのたゆたう

2018年11月09日 | 日々の暮らしの中で

東大寺の二月堂近くから石段の参道を下りて行った先に刈田の広がる一画があった。
午後3時前。静かな、秋の日やさしかったこと。

  倖せのたゆたふごとく秋の日は草地一枚昏れ残したり  (高嶋健一)

赤いネット状のものが広げ置かれたままの刈田の上に、ゆったりと傾いていく温かな日差しがそそがれた時間帯。大仏殿の大屋根も目の端に入り、いい光景だった。やがて日が落ちて、人が住まない広大な境内は闇に沈む。
いつからか好きになったこの歌。しばしただよう倖せ感に気持ちを温かくする。

近所の刈田に入って、正月には子供たちが凧揚げをしていたものだ。空に上がった凧の糸を持って直立した、グレイのジャンパーを着こんだ3歳になったばかりの息子の笑顔が映った写真も、今ほど宅地化されていなかった、もう30数年も前のものに。

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「大和しうるはし」

2018年11月07日 | こんなところ訪ねて
〈なんと美し平城京〉、まほろばの国を訪ねて。


714年に藤原不比等によって中金堂が建てられ、726年に聖武天皇が東金堂を建立し、734年光明皇后が西金堂を造立。これは、飛鳥寺と同じ三金堂形式と同一の伽藍配置、なのだとか。

藤原氏の氏寺、興福寺の中金堂が江戸時代に焼失して以後300年ぶりに創建当時の様式で再建された。10月7日に落慶法要を済ませ、一般に公開が始まっている。内陣に、きらびやかな本尊は釈迦如来像、法相宗の祖師を描いた法相柱もある。
この時代を描いた小説には何があっただろうか。思い浮かぶのは『穢土荘厳』(杉本苑子)くらいだが、少しだけ時代はずれそうだ。

 
      中金堂から五重塔を望む               阿修羅像がおはす国宝館     

 
  
やはり逢いに行って来なければと、法華堂に不空羂索観音をたずねもした。どっしりと立派な観音像。少し仰々しいけど?好みだ。ここには心静まる特別な空間がある。

天平人もこんな真っ青な秋の空の下を往来していただろう。今日は立冬。何とも眩しい日差しのもと、人、人、人であふれる奈良公園界隈に遊んだ。
一人で静かに時間を過ごしたり、ゆっくりものを考えたり空想したりの時間は必要で、そんな時間が気持ちを満たしてくれるのだけれど、まあ、このエリアは人気のスポットでもあり、自分一人になることは求めにくい。
ただ、観音像の前で何を願うでもないまま、しばし時間を過ごした。そうした自分の内面に向き合う時間は作り出さなくてはならない、と思っている。




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「家族とは・・」

2018年11月05日 | HALL家の話
孫のTylerはこれまで2年と少し参加し親しんだフットボールチームを抜けて、近隣のチームに移りました。10月に入って何度か練習にも参加し、決めたようです。チームができてしまってからの移籍は難しいこともあり、今がチャンスだったのかもしれません。試合数も多く、練習内容の充実ぶりに両親も賛同してのことです。そのチームで、3日、試合にデビューしました。元チームメイトたちもコートサイドに陣取る中、ガンバリを見せたとかで意気揚々と帰ってきました。

見納めに     
    
好感の持てる爽やかなユニホームから衣替え、ツヨソーな色合いです。
「おかえり」。帰りを待ちかねていたLukasが母と兄を迎えました。私はやれやれでまずは子守一日目終了です。

2週間ほど前から、母親は試合は4日と勘違いして留守番を頼んできたのでした。ところが31日になって3日の間違いに気づき、いとも簡単に「2日によろしくね~」と。私にだって予定はあるのですよ。とは言え突っぱねるわけにもいかず、2時には帰宅して急ぎ向かうことになりました。

翌4日も午前中の練習です。ここが前チームとの違いの一つでしょうか。この日は姉も陸上部の試合で早朝から出ていきました。やはりLukasと二人でお留守番。


良く歩き、よく走るルーカス。タイラーがいると元気が盛り返すのがわかります。一生懸命に何かを喋り、見よう見まねであらゆることを吸収してしまう勢いですから、Tyerはそれを知ってか弟の年齢を忘れて言動がヒートアップ。

「家族とはそういうあたたかいものなんだよ」。
Tylerの口から飛び出した一言で、登校前の朝の時間が大いに和んだ瞬間でした。

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好日

2018年11月01日 | 催しごと・講演・講座
11月1日、3年ぶりに百万遍にある知恩寺(左京区)で営まれた十夜法要にお参りさせていただいた。境内では昨日から秋の古本まつりが始まっている。


大阪の高槻市にある寺のご住職による法話をいただき、午後1時半から声明による古式法要で営まれた。本当に素晴らしい仏前の荘厳である。
朗々とした声が堂内に響き渡る。澄んだ声。すごい声量だ。張りのある、言うに言われぬ美しい声と旋律が心に沁む。特に好きな高音部では、脳天から天空に吸い上げられるかのような感覚を瞬時覚える。

「…そちこちの露は儚く消えていくけれど、やがてまた先の世で、蓮の葉の上のお浄土で相まみえる。…」とこんな内容で回向文でしょうか、故人の追善があり、そのまた美しい声と文言に耳を澄ませ聞き入っていると、今月末の母の祥月命日に思いが及んだ。
大きな念珠を繰って、現実に戻って、和太鼓とマリンバの素晴らしいパフォーマンスを楽しんだ。内陣の右のお脇に楽器はセットされ、迫力満点。「ガナ」という5人のグループで、主に名古屋で活動されているとか。


撮影禁止は常識だが僧侶の方々をはじめ多くの人がカメラを向けだした。遠慮していた最後に1枚なのに、5人のうち2人が柱の向こうに重なってしまった運の悪さ。

昨日、ちょっと嫌な思いをすることが舞い込んで、気分が落ちたところだったので救われた思いだ。
今日は好い一日でした。

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