京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

父とラジオ

2019年09月25日 | 日々の暮らしの中で

プロ野球・セリーグはジャイアンツが優勝した。長い長い、ずっとジャイアンツひと筋のファンではあるけれど、猛烈なファンだったのは中学生くらいまでかもしれない。あの故川上哲治氏のご長女と小学校時代は同級生で、家を行き来することもあった。もっとも、当時は「打撃の神様」だとか、ご家族のことなど念頭にあるはずもなく、東京の地で生まれ育ち、まあ自然の流れでジャイアンツファンに、というだけの始まりだったろう。
嫁いでからはジャイアンツファンだという人と出会ったことはない。家ではタイガースの試合にテレビ画面に張り付く二人がいて、私は蚊帳の外だった。


父は貿易商に勤務していた関係で長期の海外出張も多く、不在がちだった。それでも、小学生だった私は家の脇の道路でよく父とキャッチボールをした記憶が鮮明だし、後楽園球場には何度か連れていってもらっている。長嶋選手や広岡選手の華麗な投球ホームに魅せられたものだ。

プロ野球中継が始まったテレビの前には、解説者が二人いる団欒が生まれていた。放送終了時間が迫ると、父は二階に上がっていく。そして、自室からラジオを手にして下りてくる。アンテナを伸ばし、選局し、小さなボリュームで終了後に備えた。
勝敗の行方を確かめる。それだけではなかっただろう。いそいそとラジオを取りに上がっていった父の思い…。自分の横で、とりわけ熱心に興味を示す娘との時間をいとおしんでくれていたのではないだろうか。耳をそばだてるようにして聞き入って、父と娘で共有したあの時間が、少しのせつなさを伴ってよみがえる。

このトランジスターラジオは形見となって私の手元に残った。その裏面には、几帳面に美しく整った書体で父の名前が記されていた。
電池を入れる部分が腐食した状態になって、昨年、父の祥月命日の勤めを済ませたあと処分することを思い切った。


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砂粒でも

2019年09月24日 | こんなところ訪ねて

秋彼岸。檀家さん参りもすんで連休も明け、時間がとれたので東本願寺にお参りをした。
これまでは各戸をうまく回れるように順番を組んでいたが、「出かけるから〇時にお参りしてほしい」とか「ご縁さん、うちはもう結構」というケースもずいぶんと増えた昨今です。
誰でも自分の都合で嫌い、切り、捨てていることが多くあるのではないだろうか。

     

水面はいつもきれいだ。地上からは見えない、岸から見えないけれど、その底では何万粒という砂が流れに乗って岸を削り、静かに静かに動いている。
根を張ることもなく揺すぶられ、意思と関係なく流され続ける砂利粒も、しっかりと跡を刻んでいるのだ。
「生きてりゃあ、なんかしら跡が刻まれる。誰でもそうだ。だが、どんな跡であれ、そこから逃げなきゃならねえ謂われはねえんだ」。
…………人の芯はそうそう奪えない。

定九郎の人生を生きながら、彼の涙に共感。そして、この龍造の言葉は私の心に住み着いているようだ。

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ボールをつないで、つないで

2019年09月22日 | 日々の暮らしの中で
20日、ラグビー・ワールドカップが開幕し、開幕式、その後の開幕戦「日本-ロシア」線を娘家族といっしょに観戦した。

繰り返されるだんご状態(スクラム)、ボールをもって走り出したかと思うと倒されて(タックル)、そこにまた折り重なって…。ルールも知らずにいたから試合展開がのろくて、まどろっこしくて、ずっと面白さがわからないままにきた。
それが、ラグビーのクラブに所属し練習に励む孫のTylerのおかげで関心を持ち始めたし、「ヒョウロンカ」ぶって知り得たことを彼に横流しすることで面目を保ったり?と、「ラグビー」を共有することもあるこの頃になれたようだ


パスは自分の位置より後方の味方にしか回せないことを教えてくれたのはTylerだった。外国人がなぜ日本代表チームに入っているのかもずっと知らずにいたが、大会ムードが盛り上がっていく中での情報で初めて知ったことだった。まあ、細かなルールを知らなくても見る機会が増えるにつれ、ゲームの展開を追って思わずガッツポーズ!なんてこともあるくらいだから、応援にも力が入る。

歓声 奇声に悲鳴!! 「ご近所さんに恥ずかしいから抑えて!抑えて!」、と賑やかな観戦だった。
テレビの前には解説者が二人、三人?といる。そして、「ニッポンがんばれ」とTyerの声がとどろく。
まだ幼くてじっと観戦してはいられないLukas。。
  〽パプリカ 花が咲いたら 
   晴れた空に 種を蒔こう
テレビ前の応援席に向き合って、あの「パプリカ」の歌の一節を口ずさむ。記念すべきこの大会に、どこか相応しい。心得ているねぇ、2歳児も。

今日は「アイルランドースコットランド」戦を観た。ボールをもっての力強い突進力、フットワークの巧みさ、速さ、あのパワフルさに日本チームはどんなふうに戦うのだろう。楽しませてもらいたい。オーストラリアも勝ったし、楽しみは広がる。

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「文化財よ、永遠に」

2019年09月18日 | 催しごと・講演・講座

出直して、特別展「文化財よ、永遠に」が開催中の泉屋博古館へ向かった。前回ここを訪れたのは’16年の11月だった。

夫婦と思われる二人連れの会話から男性の言葉が耳に入ってきた。「こんなふうに修理しました、いうことやな」。確かに、そうだった。
図解がなされ、修理中の発見の説明も丁寧に添えられてある。けど、もう少し文字サイズを大きくしてもらえるとありがたい。眼鏡を持参していたが目を凝らしての読み取りは疲れるものだった。

「文化財修復のために必要なものはヒト、モノ、カネ。まず、人の篤い意思が求められる」。
500年前、戦乱で焦土と化した京の街で仏像修復に一人の僧が勧進活動を始めたところ、関東地方にまで広がりを見せたそうだ。
そして400年経って、(昭和の修理で、とあったか)大覚寺の五大明王像のうちの大威徳明王像の胎内から、この修復の経緯など記したものが粗末な紙で小さく包まれて発見されたという。僧の名を忘れたが、その志に打たれる。

浄瑠璃寺の、あの暗いお堂に座す大日如来坐像を真直に拝見。藤原定家の「明月記」、「水月観音像」との再対面が大きな楽しみだった。
定家は不要となった書簡の紙をつなぎ合わせ、その裏に日記を認めていたことは知ってもいた。裏打ちした紙を取り去ったことで隠れていた書簡の内容が現れたのだ。全58巻の日記だからその情報量は膨大だろう。中世史の分野に寄与したという。裏面の書簡の文字がすけていた。


筆先で水をつけながら、ピンセットの先で少しずつ裏打ち紙をはがしていく作業は、水月観音像の修復作業を解説するビデオの中でみたが、このビデオが、読むより見るで、わかりやすかった。赤い糸に通した水晶の数珠に妙に魅かれるのだが、水晶の透明性を出すために、表と裏両面から赤い色を塗っているのだとか。金剛三昧院に伝来していたというから驚いた。その後一度海外に流れ、再び日本に。

酒井忠康氏が館長として展覧会図録に寄せたあいさつ文42編を一冊にした『展覧会の挨拶』が書評で紹介されていた。会場には行かずに、展覧会をのぞいてみようっと。足しげく博物館通いはしていないが、携わった様々な人たちの労苦、学芸員の方々の努力や工夫を思い、少しでも鑑賞の機会を増やそうか。鑑賞者のまなざしが、修復の気運を高めることにつながっているということが記されてもいたし…。
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どじを踏んだ日

2019年09月17日 | 日々の暮らしの中で

月曜日が休館だという認識はあったのに、昨日は「敬老の日」で祝日で、祝日ならその翌日が休館日となる、ということにうっかりしてしまった。
門扉が閉まる前に立って、初めて休館に気づいたのだから、なんという無駄足。どじを踏んだ。

特別展「文化財よ、永遠に」を観に泉屋博古館へと向かった。
2年ほど前になるが、政府が観光振興を進めるうえで当時の山本地方創生相が「一番のがんは学芸員」とした発言が問題になったことが思い起こされる。関連の新聞記事をいくつか切り抜いて残してあったが、
〈文化財は放っておいて残るものではない。散逸や火災、腐朽から守り、修復を重ねる人の手が必要だ。記録を未来に残すことへの思いの深さは歴代の学芸員に引き継がれ、そうした努力が、本物の歴史や文化がある京都の価値を底辺で支えている…〉などと読み直してみた。

  
現在、世田谷美術館館長を務める酒井忠康氏によると、東日本大震災の折には消滅の危機に瀕している貴重な文化財救済のためにレスキュー隊を組織して乗り出したという。この隊の中には美術品の修復士たちもいたが、もとに戻すのは至難の業ではないかと思ったそうだ。
このところ読んでいた氏の『鍵のない館長の抽斗』に収められていた。氏が、秋田県の横手市で開催された全国美術館会議の総会に出席された時のことで、2011年6月に書かれていた。

…とまあ、「文化財よ、永遠に」の言葉に少し気持ちが動いたわけだが、そわそわしたわけではないのに間の抜けた失敗をした日となった。出直そう。
                          (帰り、京都御苑のベンチでひとやすみ。居眠りしそうに…)
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八歳に

2019年09月15日 | HALL家の話

誕生日を迎え8歳となった孫のTyler

  

2011年は3月に東日本大震災が発生、8月末から9月にかけては紀伊半島が豪雨に襲われた。大災害の多い年だった。当時、娘家族はオーストラリアで暮らしていた。6つ違いの姉がいて、いつも守られ仲良く大きくなった。3年前、2016年5月に彼らは生活の基盤を大阪の地に移し、11月には第3子・Lukasが生まれた。5歳年下の弟のよき兄、やることなすこと、さまざまな面で手本となっている。ラグビー、サッカーの練習相手にも駆り出し…と、一番近い距離間の二人。男同士、とはこういったものなのか。

今日午前中はラグビーの練習に参加したはず。AUSの憧れのチームに入って、代表選手を目指すんだと壮大な?大きな夢を口にしている。

ラグビーは少年をいちはやく大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」。かつてフランス代表チームの主将をつとめ、世界最高のフランカーとも言われたジャン・ピエール・リーフが残した言葉だと先日の新聞記事で教えてもらったところ。

夢中になれるものがある楽しさ。そうか、「収穫を問うなかれ」なのだ。

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自信は慢心

2019年09月14日 | 催しごと・講演・講座

今日は昨夜よりも輝いて満月が上がっている。暑さが戻って、涼しさも一日喜びで終わったが、山の上方、ネオンの輝きが目に入らない闇の中に見る月はくっきりと際立つ。最高に素敵な演出だ。


中外日報社の宗教文化講座に参加し、「山修行の果(はて)とは -山からの教訓-」と題した聖護院門跡門主・宮城泰年氏のお話を聞いた。
聖護院は本山修験宗総本山で、山伏の寺。山修行という肉体の訓練を通して心を鍛え、法力、験力を身につける道が修験道であり、自然の声を聞き、匂いをかぎ、ひたすら歩くという単純な世界に心は次第に研ぎ澄まされていく、とお話に。
1931年生まれというから88歳におなりだが、1時間半の講演にもすくっと姿勢よく立ち続けられるのはさすがだと思えた。
昭和13年、13歳の冬に得度。僧侶の道も一生の世界、ならば最短で社会を見ようと大学卒業後は4年間新聞記者として働いたそうだ。

修行距離が約100キロに及ぶという「大峰奥駈修行」の行程に触れ、熊野本宮から吉野までの大峰山脈に設けられた75の霊所をたどる「靡(なび)き道」は先達が歩いて歩いて、何百年とかけて作った道であった。
そこに自分が新しい道を作ろうと試みたときがある。50歳のときと言われたか…。自分ならできると思ったそうだ。ところが、45度ほどの斜面を転げ落ちた。途中、眼鏡と腕時計を残しながら身体は投げ出され二股の木に引っかかった。自信は慢心でしかなかった。自信は慢心に発している、と話された。
生きていたから「精進していたから命拾いをした」と言われても、死んでいたら「精進が足りなかった」となるのだろう。つまり、生死は仏云々ではなく縁のもので、たまたま助かってこうして生きているのだ、と。「えにしですな」

また、修行の途中で講仲間の一人が姿を消したことがあった。「あの人には良くこういうことがある」という仲間の話が先入観となり、捜索が遅れてしまい8日後に首をつって死んでいるのを発見した。人の言葉にとらわれず、もっと早く探していたらと反省したと…。
伝統を守り、先達を敬う心を問い直し、山伏法度を守らねばならない修行の道での失敗談も、私たちによき教訓を与えてくれているのを思った。

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月の美しい夜

2019年09月13日 | 日々の暮らしの中で

中秋の名月。今月の満月は明日だというが、雲の切れ間に東方の山の上にあがった月を見上げた。足元、周囲には鳴き声を増した虫の音があふれる。

厳しい残暑が続く夕刻の空に白いお月さんを孫のLukasと見る機会があった。予想以上に喜んで反応してくれたので、その数日後、今度は夜空に輝く月を見上げた。そして、キラキラ(星)をふたっつと。

       場所を変えると、「くる、くる」と月が自分のあとをついてくるような感覚を表現する。指をさし無言で見つめる…。この子の心にちょっとした感動の一瞬を刻めたかしら。 
午後8時過ぎ、今夜はお月さんが見えないと言ってきた。

明けた窓から涼しい風が入り込み、秋の気配に気分は満たされている。「人をまつむし枕にすだけど…」、こんな言葉が浮かぶのも秋だから? 情緒好みのなせるわざ?



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小さい秋

2019年09月02日 | 日々の暮らしの中で

それなりの恰好をして出たのはいつ以来のことか。
午後3時を回ってウォーキングを思い立った。7月8日にセミの初鳴きを耳にし、10日にヤブカンゾウの花やクルミの木を確かめて…、それ以来だと思う。
暑すぎる。雨が降りそうだ。雨だし、まあ雨が降っていてウォーキングでもないが。このままでは体力気力が衰えるのではと不安もよぎる一方で、何かと理由をつけては不要の外出は控えて身の安全を図っていたのだった。軽く、と思いながらそこそこいつも通りの歩数を刻んだ。

   冷たしや式部の名持つ実のむらさき  

長谷川かな女にこんな句がある。赤い実をつける樹木はとても多いのに比べ、紫色の実をつけるものは珍しい、稀有だとか。貴重な存在なので紫式部の名にあやかって名付けられたというムラサキシキブ。 
当時で言えばずいぶん晩婚だった式部。学があり過ぎて生意気、かわいくな~い、と思われる女性だったのか。長い未婚時代の(あっただろう)恋愛はひとつも実を結ばなかったようだ。

午後の日差しを受けて、取りすましたように映えていた。心に小さくやる気を灯せた日。
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秋草のたたずまいを暮らしに…

2019年09月01日 | こんなところ訪ねて

昨日。会場へ向かうのに市バスを利用したところ、
「今日は久しぶりに晴れの日になりました。よい一日になりますように。この先も気をつけていってらっしゃい」
「…仕事の方も観光の方も、素敵な一日になりますように。気をつけて行ってらっしゃい」
静かなやさしい調子でこんな言葉が車内に流れた。気づくのに一瞬の間があったが、バス停前の信号待ちの時間を利用した運転手さんの生の言葉かけだった。初めての体験に何かほっこりした気分で下車をして、高島屋へ。

上の写真の花はマツムシソウだったが、木のものが何だったか…、記憶から零れ落ちた。
ダリアが何点か活けられてあった。義母が畑で育ててもいたが、私がダリアは好きな花だと言ったとき隣の奥さんが「ダリアは仏さんに上げる花」と片付けたので、それっきり誰とも話題にすることをやめた花だが、控えめに色を添えていて、しかもそれで存在感を増し、とても好ましく感じた。
おおかたが二種の組み合わせで活けられていたなか、「一華」と書したお軸の前に細身の花器で一輪、というのが家元だった。

昨年初めて拝見したのをきっかけに、今年の2月には奈良の円照寺さん参拝のご縁をいただいた。
その円照寺に伝わる山村御流は「花は野にあるように」を流儀とされる。
素朴で、小さくて、時には幼かった頃の家族での思い出にもつながる野山の身近な秋の草々。いずれも日常に取りこみたい佇まいで、心に留まった。

平素いけばな展に足を向けることはない私が、目の前の作品と向き合いながら今年も素敵な空間を楽しませてもらったのでした。
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