京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

持ち時間

2019年04月26日 | 日々の暮らしの中で

  たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでゆくから

俵万智さんに子育てをテーマにした歌とエッセイ集『たんぽぽの日々』があることを知った。
一緒にいられる時間を「たんぽぽの日々」と名付けていると。

孫と過ごせる時間にも限りがある。「生きているうち、働けるうち、日の暮れぬうち」
こんなことを思うと、まだまだ幼い孫との時間はいとおしく大切なものになる。
飛びたった綿毛を見届けることはできないのだ。。。

    公園行きにお茶とお菓子とを入れる、2歳児用のリュックを作ってみている。肩ひもの長さを調節し、アップリケを止めて、シッポと胸に鈴を付ければ出来上がる。こちょこちょっとごまかしてつくろった箇所があるけれど、本人さんはわからないから良しとしよう。
夜にボチボチ手掛けて、楽しい時間を過ごしている。
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「みみずの話」

2019年04月24日 | 日々の暮らしの中で

                         公園で、たんぽぽんの綿毛をふいて孫と遊んだ。

朝、わずか小1時間のことだけれど鎌でカイカイとしながら草むしりに励んだ。雨上がりで土壌がゆるんでいるのが狙いめだが、十薬が目立ってきた。根っこを引いて引いて、と、にょろりと姿を現すものが苦手だ。

  みみずは泥の中を
  何にも引っかからず
  するするとうごく
  修行しているんだと話していた      (現代念仏詩人・榎本栄一)

長く手元に置いていた点訳の手引書は改定され、新しく「点訳の手引き第4版」が発行された。記号類の新設、名称変更、用途の変更など大きく変わるところもあってすでに研修会もあったが、今日は所属の会合で、その確認に改めて時間が費やされた。

極めてマイペースでしか取り組まない私のこと、さて、なんのお役に立っているか…。
心を込めて、左3本、右3本の指で一つの文字を書いていけるから、私の持ち時間は今少しありそうです。
私も修行しているのかもしれません…。

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慈雨の恵みを…

2019年04月20日 | 日々の暮らしの中で
   むらさきに菫の花はひらくなり人を思へば春はあけぼの   宮柊二

こちらの庭の片隅には、山道を歩いてはいただいてきた“ただのスミレ”が広がりを見せ、うす紫色のささやかな花を見せている。
今日は二十四節気の一つ穀雨。「春も終盤を迎え、百穀を潤す雨に恵まれる」、とされると。
種もまかねば芽もでず花も咲かず。まずは凝り固まった土壌をやわらかく…。慈雨の恵みのあるや知らん…。


午後から、興福寺貫主でいらっしゃる多川俊英氏の「神の庭 仏の庭」と題したお話を楽しみに、中外日報宗教講座に参加する。
そしてそのあと、娘宅へむかうことになった。明日は花園で試合だという孫。父親は行けず、母親一人で2歳児を連れてはいけないとのことで子守の依頼が入ってきた。毎度毎度お守りも大変よ、わかってるかなあ…と言いたいけれど、ま、孫可愛さかな。
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手際の悪さ

2019年04月19日 | 日々の暮らしの中で

どんより曇った一日だった。少し蒸し暑さを感じながら風に吹かれて歩いた。池の周りはミヤマツツジの花盛り。
今、空には十五夜おつきさんが輝いて見える。

先日、あると思っていた空色のフェルトがなくて、朱色のものと2枚を買いに走った。今日はまた空色の刺繍糸がない。買い置きは何種類もあるのにだ。あると思っていたのは若干濃い目で、使うには納得がいかない。刺繍糸、一束だけを車で買いに行くのも、駐車場の料金のために要らぬ買い物をしなくてはならない。
手芸用品を売る個人経営の店は近くになく、ショッピングセンターまでいくしかない。信号待ちが多く、車でも15分はかかるだろうか。午後3時を回ってから、歩いて行くには距離が半端、億劫だった。

     急ぐものではない。手提げ袋のミシンかけは仕上げてしまったので、ドラえもんのぐるり、最終の始末が残され、あと先になってしまった。

どうして用が一度で済ませられないのか。この手際の悪さこそ考えものだわ。

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「カキダシスト」

2019年04月18日 | 日々の暮らしの中で

1年前に始まり、この2月に終わった新聞の連載小説は、江戸時代後期の石見銀山を舞台にした澤田瞳子さんの『輝山』でした。

幕府から密命を帯びて石見にやってきた下級役人の金吾は代官所の中間として働き始めます。いろいろな人達の人生がつながっていく多彩な人間ドラマ…。友人が毎回楽しみに読んでいると言っていたのに、私はせっせと切り抜くばかりで1年余、ためにためて今読み始めたところです。まとめて読もう、と思っただけだったのですが。そして32回目まで、楽しんでいる。

 「代官所御門脇に居並ぶ男たちの袂を、強い北風がしきりにはためかせている。」と始まります。
 
    

 「大晦日のその夜、私は、ゆっくり湯につかりながら、慌ただしく過ぎた一日をおもいかえしていた」。

これは、佐伯一麦さんの新人賞受賞第一作の冒頭だそうだ。これを読んだ先輩作家に、「君ね、書き出しぐらいは、もう少し考えたほうがいい」とアドバイスされたという。書き出しが下手な例だ、と佐伯一麦さんが自ら書いておられた。
また、宇野浩二は芥川賞随一と言われるほど辛口選評をしたようだが、書き出しのうまい作者を〈カキダシスト〉、結びのうまいのを〈キリスト〉と分類したことを教わった。(『月を見上げて』)

読み手としては、文章のリズムが自分と合わなかったり、何かしら引っかかってしっくりせず、作品の世界に入り込めないということはある。
どう出発するか。やっぱり書き出しは大事…。



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自然がもたらすもの

2019年04月16日 | 日々の暮らしの中で

若葉が初々しい柿の木の下にシートを広げて…。おにぎりとお茶を持って、たまには空の下で。
そして、



山吹や山桜が見せる限りないやさしさ。美しい鳥の鳴き声に聞きほれながら歩を進める。
来るたびに少しずつ少しだけ奥へ。この奥が、どこへ出るのかは行ったことがなくてわからない道を歩いていく。すれ違う人はなく、それでもいつもより車は頻繁に往来していた。

山主さんへ、とした倒木処理を依頼する看板が立てられていた。道路上に山の樹木が落ちてくることがあるので、所有者は至急安全対策を行ってください、と。「事故が起これば責任を問われることがあります」。



奥へ行くほど何か気重くなる。大規模な工事に入っている個所もあって、全く手つかずではないにしても、ひどい荒れようだ。足も重くなるわ。
       
      孫のTylerが好きなドラえもんを袋物にアップリケで。
    弟の2歳児にはリュックを作って背中に…と製作開始。




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一隅に当てた光

2019年04月14日 | こんな本も読んでみた

静かに降り続いた雨の一日。昨日図書館で借りてきた『釈迦内柩唄』を読み始めた。

      水上勉氏の生家のあった村は当時土葬で、父親は「死ねば人間は平等に土になり、生きていたときの差別はなくなって、みんな平等に椿の根の肥やしとなって花になれる」と言っていたそうだ。金持ちも貧乏人にも差はなく同じ寸法で棺桶を作り続け、村に奉仕したという。実直な人間だった。

氏は9歳で母と別れ京の寺に。役僧を勤めながら火葬場での等級、金高による戒名の違いがあることに気づき、墓所の差別、檀家の格に応じて衣の色を変えたり、法事の強要等々、矛盾を見出し不思議に思ううちに、「人間差別には仏教が大きく加担していることに気づかされ青くなった」と記す。
花岡鉱山での人種差別の地獄、残虐な強制就労の実態。人間地獄を救済しなければならない仏教者が、苦悩も悩みも持たずに権力に加担していた事実。これらへの私的怨念に近い思いから『釈迦内柩唄』が生まれた、と語られていた。

現代も同じように抱える差別、諸問題。人の世の劇か。
上演は「日本人がやらなければならない仕事」、「全国千回公演を目指してください」と関係者をねぎらい励ましておられたようだ。

石垣が溝底に接したところのあわさいに、一輪のタンポポが咲いていた。
水上さんが一隅に当てた光が、無辺に広がりを見せるといいと思えた作品。生身の人間を通して表現される舞台では、どんな感覚を味わうだろうか。自分に期待、かなあ…。
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『釈迦内柩唄』

2019年04月12日 | 日々の暮らしの中で

水上勉さんの生涯を、パネルで振り返るという展示がしんらん交流館(下京区)であることを知り、月初めに一度足を運んだ。生誕100周年、5月に氏の戯曲『釈迦内柩唄』がここで上演されるのに合わせた企画だという。作品の内容は知らずにいたが、申し込もうか…?という思いを潜ませていた。

生まれてから85歳で亡くなるまでが6枚のパネルで紹介されている。氏の本の装丁を多く手がけたという同郷の画家・渡辺淳氏の絵の複製も見られた。著書を手に取ってみることができるように配置されていた。当然、『釈迦内柩棺唄』のページを繰って、しばし立ち読み。
展示は物足りなかった。気持ちが削がれた感の無きにしも非ず…。まだいいか…。
が、おそらく二度とはない機会だろう。気になって気になって、今日は出直して、チケットを購入した。5月からは展示内容に追加があることを告げられた。

戦時中に秋田県の花岡鉱山で中国人労働者が過酷な労働や虐待に耐えかねて集団離脱した「花岡事件」を題材に、炭鉱近くの釈迦内で死体焼き場を家業とする家族の姿を描いた戯曲。〈わけへだてなき優しさと勇気 時代に問いかける人間賛歌〉

明日図書館で本を借りてこようと思っている。
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「われの心に開きたる窓」

2019年04月11日 | 日々の暮らしの中で

昨日は「天皇皇后両陛下結婚60年」ということで、テニスコートでの出会いに始まり、「感謝状」の言葉を使われた結婚50年の記者会見の映像などを何度か目にした。
  
  語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓  (結婚が内定して 1958年天皇陛下)

結婚50年の記者会見では、この一首を引用し「婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます」と述べられた。
地元紙では歌人・永田和宏氏による「象徴のうた 平成という時代」と題した連載が、この3月に63回目をもって終わったばかりで、切り抜きを取り出し、ところどころを読み返してもみた。

「象徴」を模索し行動し続けられた日々のご苦悩などには想像も及ばないが、60年間の日々とこの御歌とを重ねて幸福感に誘われたり、あれこれ感情移入し何度か読み返した。そして、「われのこころに開きたる窓」の言葉に促され、重苦しく甦る自身の過去の記憶をたどり返すことにも…。
あの頃…、理が勝っていたのだろうな。「自分」にとらわれていたのだろう。何かがミスマッチ、心は平穏ではなかった日々。周囲とは上手にお付き合いしようと装っていたし、平静を保つために心に蓋をするような孤独な日々があった。
名もなき一介の人間であろうと、どんな生き方もそう楽ではあるまい。生きることは苦だというし。

夫婦間では互いに流露するものが欲しい。「無になることだ」のひと言では、未熟者にはわからんのだ。
「誰か一人でも『こころの窓』を開いて打ち明けられる、相談できる、意見を聞ける相手がいれば、人間はどこまでも強くなれるものである」「相手が面白いと思うものを、自らも面白いと思える。従来興味のなかった対象にも自然に興味が生まれ、それについて話をしたいと思う。そんなとき、それまで気づいていなかった新しい自分の輝きに気づくものである」(永田氏)
やさしい調和、これも大切だ…。

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ゆすろう、ゆすろう

2019年04月08日 | HALL家の話
ベビーカーから開放すると一気に走り出すから下手に下ろしてはダメだと娘は口にする。仕方がなく、これまで公園まではベビーカーに乗せて行っていた。「タイラー、しあい」で母親不在。その留守を預かったわけだが、ナイショで家からキックバイクにまたがってスタートしてみた。
「るーちゃん、バイクで行こうか?」
2歳4か月になったLukasとおよそ三時間、公園を4カ所はしごしてまわった。


自信にあふれ、どこか表情が違ってみえる。何と言っても楽しそうだ。階段下ではさっと降りて、自ら両手でバイクを抱え持つ。
自分で行動しようとする、その気持ちが何ともかわいい。

桜が満開の公園。「おはながちらちら」花びらを水たまりに浮かべて遊んだ。
固い蕾の公園では、ユキヤナギの陰で暑さをしのいで一服。植込みの中で葉っぱをむしり、姿を消して一人遊びも楽しそうだ。
同い年の友達と走り回り、何かを会話している。バイクを貸してあげる代わりに、泥んこ遊びを体験。


家への道は2歳児にはきつかろうと思う上り坂が続くが、体を前傾しバイクに身を預けるようにして、太く短い脚で一生懸命にキックして進んでいく。
「着いたね~!」と言うと「うーん!」と笑う。

「はるうらら」。何度発音させてみても、ルーカスの春は巻き舌だ。子供は何かのきっかけや心を動かすようなことに出会うと、自分の意思で一歩を踏み出していく。真似をする。言葉が増える。表情に豊かさが増す…。
ゆすろう ゆすろう、るーちぃクンの好奇心。これはとても楽しいことだ。

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「安心を得てお幸せ」

2019年04月04日 | こんなところ訪ねて
うらうらの春日のどかな一日になりました。

三千院の桜はまだつぼみ。とすれば、京北町も状況は大差ないことと思ったうえで常照皇寺へ。

 
「朝廷が南北に分かれた頃、吉野後醍醐統と京都光厳(こうごん)上皇統が、武権足利を後ろ盾に六十年余りも乱争しました」(パンフレットより)。光厳法皇が皇位を去り、各地巡礼を重ねた暮らしの末に、この寺で安住の境地を得た。こんな淋しい地でかわいそう、どころか、やっと安心(あんじん)を得て、とてもお幸せであったようだ。終の棲家として一生を終えた。禅宗寺院。開け放たれた方丈の間。

小学生ぐらいの男の子と父親らしき一組。しきりにお喋りしながらそれぞれがカメラを向けていた。バイクのお兄さん、方丈前の石段に腰を下ろし上を見上げている。あとは私の4人だけ。何とぜいたくな空間。蕾はまだまだ硬くて、満開はまだ先のこと。まったくもって穏やかな静けさに包まれている。「歴史を知っていれば、どこに行っても、どんなのっぺらぼうな風景を見ても退屈しない」と宮城t谷正光氏が語っておられたが、歴史は人を豊かにしてくれるもののようだ。



国の天然記念物、樹齢600年とかの「九重桜」、御所から株分けしたと言われる「左近の桜」、一枝に一重と八重が咲く「御車返しの桜」の三名桜木がある。「妖艶そのものだったが、今は見る影もない」と地元民が言われる九重桜も、二代目が育っている。
満開を想像させる今日の姿を満足しよう。
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花を愛でるなら一人

2019年04月03日 | 日々の暮らしの中で
朝は鶯が鳴く声が聞こえてきた。
一週間ほど風邪薬を内服したところで切れたこともあって、これからは自力頼み。


桜はどんな具合だろうと久しぶりに賀茂川のほうへ足を延ばしたが、足の重さに驚いた。
賀茂川などには昭和初期の観光ブームを受けて計画的にソメイヨシノが植えられたという。京都には在来の桜の名所が多いので当初はソメイヨシノへの抵抗があったらしい。平安神宮の南側の疎水べり、植物園、哲学の道、動物園…、どこもかしこもソメイヨシノ一辺倒のイメージがある。実際はいろいろな種類が見られるので、風情もそれぞれにあるのだけれど。賑やかなレジャーではなく、一人楽しむのが好きかな。


日差しも少なく、歩いている人も少ない。花も五分咲きというところか。いつの間にかに綺麗に咲いているんだなあと思ったけれど、それ以上の感慨はなかった。

金曜日には孫のTylerがケーキを作って迎えてくれるという。
「二回目だから美味しいはず。楽しみにしといてよー 頑張るから」
「そりゃあすごいね、楽しみにしてるわ」
「いやあ、それほどでも」…って。
で、足慣らし? ってわけでした。
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「『万葉集』は令(うるわ)しく」

2019年04月02日 | 日々の暮らしの中で

新元号「令和」の典拠となった「万葉集巻五、梅花の歌三十二首并せて序」。その引用個所を書き下し文で引いてみた。
「時に、初春の令月にして、気淑く風和らぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。」(「万葉集」一 角川ソフィア文庫)

どなたの考案か、という中で中西進氏の名が挙がっている。
筑摩書房がメッセージを求めたところ、氏からはファックスでこう寄せられたと報道されていた。
「『万葉集』は令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です」

「歌というのは口語に訳したら本当につまらないもの」「歌は人間の心の音楽」と犬養孝さんは繰り返し言われていた。「歌は律動というものを抜きにしては考えられない」とも。
一気に「万葉集」ブーム到来かしら。
私も出典個所を開き、序文を何度か口に出して読んでみた。                                                                                          (写真はミツマタの花)                                                                                            
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