京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「ぐぉー!」

2018年04月28日 | HALL家の話

「さんたすにーは?」
「ぐぉー!」

「にたすさんは?」
「ぐぉー!」

「じゃあ、いちたすいちたすいちたすいちたすいちは?」
「……」
「いちたすいちたすいちたすいちたすいちは、なに?」
「ぐぉー!」

「じゃあ、じゅうひくごは、なに?」
「じゃあ、じゅうわるには、なに?」
「じゃあ あ~、25わる5は、なに?」

いずれの問いにも、「ぐぉー!」

1歳5か月になるLukasは条件反射で「ぐぉー」、「5」と答えるのです。家族で教え込んだらしい“算数教室”、昨夜、披露されました。
と、「がっこー」という片言も返されます。この土日、兄のフットボールの試合があって、またしてもlukasの相手役が回ってきました。姉のJessieはお弁当を作って友人宅へ。朝早くから起き出し、鼻風邪気味のLukasはお昼寝中。昼から二人で公園にでも行ってみようかしら…。 あれっ!? 起きてきちゃった。
                               (今年も白い芍薬の花がたくさん咲きそうです)
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泰山木、樹頭の花が

2018年04月25日 | 日々の暮らしの中で

泰山木の木が大門の高さを優に超え、石垣の上の鐘楼をも超える勢いです。写真は2年前の5月。職人さんの手が入って涼し気ですが、今は厚みのある艶やかな葉の茂りが密で、頭ボーボーといった感の身なりをしています。この高木に、脇から、地上付近から新しい枝が伸びつつあって、二っつ、今年初めて蕾がつきました。


    「泰山木樹頭の花を日に捧ぐ」(福田翏汀)

樹上で、天に向いて花開く泰山木の花は、お日様への捧げもののようで、妙なる花だと思います。
ただ、花は咲けどもこんもりとした葉の茂みの中で、下から花の全貌をはっきり認めることもできません。花器に活けて見るしかありませんでした。今やそれも手の届かぬ高嶺の花に。
でも、この位置で、もし6枚の花弁が開いたら!? 

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ひとつ心を足して

2018年04月22日 | 日々の暮らしの中で
給食当番で使うエプロンと白い帽子を入れる袋を、体操服を入れる袋を、とTyler用に注文が入ってきました。まだ2週間ほどは使わないから急がない、とのことで。おむすびころりん、コンコロリン~。このアップリケはうけたようです。喜んでくれました。

         
とそこに、「私のも大きいのを作って」と孫娘Jessieから、体操服を入れる新しい袋が欲しいとリクエストでした。
ルーカスのパンツを作ってほしいという依頼も受けていて、布地をあれこれ受け取って帰ってきていました。エプロンもいいな。夏物なら上の服もしやすい。本を広げ、思いが広がっていたところです。
Jessie用に、母親が以前買って残していった布で仕上げてみました。布柄を生かそうか。でもやっぱりひと味プラスしたくってたまりません。考え抜いて、スニーカーにしてみました。


こうした小さなものを作って楽しんでいると、娘(今やJessieの母親)が生まれた時、実家で母と一緒にベビー服や小物類を作った夏の日々が思い出されます。生まれて初めて女の子とわかった時代です。布を買って柄違いに何枚もベビー服を作ってくれる母の横で、私はそれぞれに小さな刺繍をしたりして過ごしていたのでした。

中学時代はワンピースづくりの宿題を母に仕上げてもらって提出したものでした。編み物のソックスも最後は母頼みという始末。ちっとも楽しくない時間でした。それが、嫁いで時間ができて、家庭科が大キライだった私も少しづつ母のしていたことを思い出しながら自分のスカートを縫ったりするようになりました。切り替えてギャザーをたっぷりとったスカートの裾周りにレースをあしらったり、ワンピースにしたり。いずれにしても時間があったのでした。祖母が和裁をするのを見て育ちましたが習うことはなく、母がする洋裁と編み物を見よう見まね、本と首っ引きで数をこなし、なんとかモノにしたような程度ですが、結構これで間に合っています。

小さなものです。簡単といえば簡単。ただそこに、ひとつ、心を足す。この楽しみは、孫への愛~、愛、愛♪なのね。技術とかじゃなくって。 
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いつになく新鮮

2018年04月20日 | 日々の暮らしの中で

今日はいつになく新鮮な気分を味わったかな…。帰りの電車の中でふっとこんなことを思った。

「いつもの私だけどなぜか新鮮」、この言葉が浮かんだのだ。そうだなぁ、今の自分に重なるかなあ。うんうん、と電車内でもあり、人目もあって膝を打つようなことはなかったが、心の中でうなずき、得心していた。
ただ、自分が欲すること、こうあってほしいと期待したたことと、多少、だか、大きく、だかは、はっきりしないけれど、はっきりズレはあった。ちょっと微妙な思いを抱いたのは事実だけれど、このズレへの不満、疑問は今しばらくこらえてみようと、帰宅後自分に言い聞かせた。

教師が違えば教え方が異なるのと同様、会にもそれぞれのやり方はある。無理に押し込めておくつもりはないが、始まったばかり。一人でもできることに、仲間を求める意味はいったいどこにあるのかしら、と思うのだ。求めれば師はそこに…、かな。
「いつになく」、と少し言い訳がましい言葉がついた。
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『女の子の品格』って

2018年04月18日 | 日々の暮らしの中で
電車の中で三人の小学生が二人と一人に分かれて向かい合い、座席から身を乗り出しておしゃべりしていました。時折立てる笑い声が楽しそうで、かわいい。
中学年ぐらいに見える、女の子3人。一人は開いた本に目を落とし、二人の話に無関心の様子ですが、それでも顔を上げて一緒に笑い、話に加わります。聞いてはいるのでしょうか。閉じた膝の上の本のタイトルが見えました。『女の子の品格』。知りません。「品格」ねー。車内で、このようなタイトルの本を読んでいるのが少し可笑しく思われて…。学校での指定かなと思ってみたり。

女の子の品格って? どんなことが書いてあるのでしょう。品格って…。「品位。人に自然に備わっている人格的価値」「気品。どことなく感じられる上品さ」といった辞書的意味を拾い出してみたのですが、「自然に」「どことなく」に引っかかります。著者はジュリアナ・フォスター(石黒薫翻訳)とわかりました。今はこういう本を読んで育つのですか。

こうした類の本を子供たちに与えたことはありませんでしたが、環境上、寺に集う多くのお年寄りに囲まれて、言葉をかけられ、お菓子をもらい、時には手伝いに走るのを喜びにして、育てられた。そこで触れた優しさを原風景として二人は育ったのではないだろうか、とありがたく思うのです。

    ひいき目に見てさえ寒き素振りかな  一茶

なりふりは最低限気を付けなくっちゃ…。



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ワラビを採って

2018年04月16日 | 日々の暮らしの中で
昼からウオーキングに出て、ワラビを採って帰りました。思わぬ収穫品です。


車で少しだけ北へ、公園の駐車場に止めて歩く久しぶりとなる道です。賀茂川のせせらぎを耳に、爽やかな木々の新緑を楽しみながら。
いつものところどころに山吹が咲き、姿が消えてしまったと思っていたアケビの花を見つけ、山藤の小さな蕾が垂れていました。シャガの花の群生もそのままです。とても別嬪さんだと思っているユキノシタの花はまだ先ですが、水の滴る岩壁に群生しているあたりまでは行ってみようかと進んでいると、スクッと伸びたワラビが何本か目に入りました。あたりには…、あります!あります! 

日の当たる斜面、下から手の届く範囲だけですが、ペキペキ折っては持ち合わせていたビニール袋に保存。誰も歩いている人はいません。車の通行もごく稀、あわてることはありません。先っぽは開いていないし、折れ具合もよろしいようで欲を出してしまいました。300グラムほどでした。充分です。
早速にあく抜きにかかりました。

冷凍して…。この量、油揚げと炊いたのもいいですし、鳥のひき肉を使って信太巻もいいでしょうか。自分が好きなものだけ。おひたしかな。
自分で採った。なんか嬉しい気分です。
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知恩院の真葛庵

2018年04月16日 | こんなところ訪ねて

この門は日本最大だと言われる知恩院の木造の「三門」です。圧倒される重量感でのしかかってきて、見事というより、ここを通るたびに威圧される思いがします。「山門」ではなく「三門」ですが、「三」というのは、空・無相・無作の三つの解脱の境地を表すものだそうで三解脱門を意味しているのだとのこと。普通は禅寺の仏殿前にある門を三門と呼ぶようです。だがここは、浄土宗大本山。華頂山の麓にあって、広大な寺域に堂宇は100以上もあると。堂々たる伽藍です。

これまでは、法然ゆかりの念仏寺で、親鸞との出会いの地、そして蓮如生誕の地がすぐそば、といったことに個人的な関心はあったのですが、知恩院が徳川家康の手で整備され、徳川将軍家の菩提寺として栄えてきたという歴史を再認識することにもなりました。
【この三門の上から旗を振って、それを二条城のやぐらから見て京都御所を看視した】【知恩院には抜け穴があって二条城に通じている】
などという話が伝わっているとのこと。五木寛之氏は梅原猛さんがこう書かれていると紹介されています(『百寺巡礼』)。

先日は、大田垣連月尼(1791-1875)が晩年を過ごした西賀茂の神光院を訪ねてみましたが、再婚(28、9歳頃)した夫との死別後、33歳で剃髪し、子供と養父とで移り住んだという知恩院の真葛庵をも訪ねてみました。土曜日(14日)のことです。ここでの暮らしでも2年目、4年目と子供との別れに襲われ、42歳のとき養父も亡くなります。
女坂の石段を息を切らして上り詰めた右手、奥にある庵です。



木立に囲まれて奥にひっそりと建っています。立ち止まって見ていくような人もなそうです。囲いがある前から京都市街を遠望。日日、眺めたであろう西山に沈む夕日。彼女の身上を思うと胸が詰まるようでもあり…。170年に近い時代を遡って、ここに暮らす尼の気配に思いを巡らせてみたくなるものの、さまざまな言語が飛び交い、石段を上がってくる人が絶えることない山内でした。


「このちかきところにをらばやとおもへど 山の上にて 人の住むところにあらねばなくなくかぐら岡ざきにうつりぬ」
共に出家して、ここで職を得ていた養父亡きあとは住み続けることかなわず、蓮月尼は知恩院を出ます。神楽岡、吉田山近くは真如堂や金戒光明寺もあって、岡崎には6年を過ごしたらしい。

1853年には浦賀沖に黒船来航。幕末から維新、明治の代へと京の街も大きく揺れ動く中で、どのような人生をたどったのか、もっと知りたいと思うところですが、蓮月尼自身は歌も書も残そうとはしなかったとか。ふっと、セミの抜け殻のように自分も乾いて砕けて消えていきたいといった意味のことを口にした知人を思い出したりして…。
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連月尼隠栖の地

2018年04月13日 | こんなところ訪ねて

「毅然たる中に、つつましやかさ、優しさ、女らしさを備えていることは、日本女性の持つ美徳でありこれあってはじめて、いざという場合真の強さが発揮される。  大田垣蓮月が、維新の混乱期にあって女ながら日本のゆくべき道を極めてあやまらなかったことは、自ずから皇国護持の精神を発揮したものといってよい」と、上村松園は綴る(『大田垣連月尼のこと』 昭和二十年)。「尼は当時京都に集まる勤皇の志士から慈母のごとく慕われた」とも。
才色兼備、謙虚で、人徳があったらしい幕末の歌人大田垣連月尼は寛政3(1791)年、京都に生まれ、明治8(1875)年に85歳で生涯を終えた。

17歳で結婚し3人の子供を授かるが3人とも生後ひと月から数歳までの間に亡くなり、25歳で夫と離縁。その年のうちに彼も他界してしまう。数年後再婚し3人の子供に恵まれたが、この夫も結婚4年で他界した。33歳で剃髪して連月となり、子供3人と養父と知恩院の真葛庵に暮らす。が、山の上では住み続けにくく、岡崎、聖護院、北白川と近辺を移り住み、亡き人たちが眠る地を離れることはなかった。生母は誰だかわからないとか。肉親の縁が薄い人だった。
自作の歌を釘で彫りこんだ「連月焼」で生計を立てたのは知られるところ。短冊に書かれた文字はとても細いが、仮名文字にゆったりやわらかなふくらみがあって、美しさが感じられる。

そんな連月尼が75歳から85歳で亡くなるまでの10年間を隠棲した神光院を訪ねてみた。西賀茂の地にある。参道の美しい青モミジは爽快だった。


境内に入って左手、手水所の奥に連月尼が世俗を離れて閑居した茶所はある。今は不動明王が祀られている。


風が梢をさやがせる。あるのは葉音と鳥の囀り。敷き積もった落ち葉が風に飛ばされ、かさこそと舞う。お堂と木々のあわさいから東に比叡山の姿が望めた。

200年を超える歳月。縁台に腰を掛けて、しばし生活ぶりを、人柄を偲んだりもしてみたが…。
住職さんだろうか、連月尼の墓所を教えてくれた。富岡鉄斎が一人では寂しかろうと隣り合わせて眠っているのだそうな。西山を機会を見て訪ねてみよう。


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新しい門出

2018年04月09日 | 日々の暮らしの中で

孫たちはそれぞれに中学校の、小学校の入学式を終えて新しいスタートを切りました。弟は、姉のクラス担任だった先生に受け持っていただけることとなり、大喜びです。姉のほうは制服もなければ上履きもなく自由さが目立ちますが、学業はなかなかの力の入れようですから、頑張らにゃー。
彼女が初めて文庫本を読んでいました。これからは読んでいくことにした、と言うではないの。きっと友人の影響を受けたのであろうと、嬉しく思ったのでした。

   種だけあっても
   花は咲かない
   ご縁によって
   すべてのものが
   開花する

学校で、地域で、家庭で、人は目に見えない多くの力に助けられて生きていると思うのです。人それぞれに有している美しい種。「ありのまま」「あるがまま」とよく見聞きしますが、私は、それが個性だとは思っていない。自分に働きかけられる多くのおかげを受けて「個」は形成されていく。たくさんの影響を受けることが、実はとても大切だと思っているのです。
やってみたいことにはチャレンジを。面白いと思うこと、わくわくするような楽しみごとから、案外道は開けるものかと…。

『毎日が幸せだったら、毎日は幸せと言えるだろうか?』(さとうみつろう)
著者も知らず、手に取って開いてもいないのですが、目に留まった表題でした。

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一事に専念?

2018年04月04日 | 日々の暮らしの中で

先日30日に揃って花見を楽しんだばかりというに、2泊3日で二人の孫がやって来ていました。阪急電車に乗せ、発車をホームで見送り、改札口に向かっていると、「また明日ねー! 笑」とJessieからのメールを受信。明日、私は彼らのもとを訪ねることになっています。

Tylerの食の細さが気になります。なんだかんだと言っては残します。口はお喋りのために動きます。
「頑張って残さず食べないと」「喋ってばかりいないで食べよう」「早く食べないとター君のお皿洗えないよ」「ごはんと一緒に食べなくちゃ」「スープも飲みいや。タイラー! 早く食べ—や!」はJessie。「ほらほら喋ってないで」「園長先生に聞いてみよう」、こうなるともはやオドシでした。幼稚園では、問題なく、楽しんで美味しくいただいてきたようです。スポーツをしている割に華奢です。身体はこれからできてくるのでしょう。そう思いつつも二言三言、言わなくてもよいことをついつい…。

今日は春の高校野球決勝戦がありました。
興南高校(沖縄県)の野球部監督時代に、チームを春夏制覇に導かれた我喜屋(がきや)優さん。氏はチーム強化のために、24時間の過ごし方をきちんとさせることから始めたそうです。その中の一つで、「綺麗に食べて洗いやすくするのは、洗う人への送りバンドだよ」という言葉がありました。すべて野球との関わりです。うーん、うまいなあ。奥が深いなあ~、とこの話を記憶しました。
「生活全般を整え、気づきの感性を鍛えることを主眼とされたのでしょう」、氏のエピソードを紹介した平井正修さんは、こう結んでいました。

会心のパスを通し、「いただきます」の感謝の思いを分かち合う。残さず食べることは、彼のこれからを支える心の在り方だと思うと、Tylerに聞かせてみたい言葉です。食べることに没頭すれば、食べることに心を込めるから、心が動きはじめて食も進む。こんな論理は通るものかしら…。

                      (賑やかなお喋りが聞こえてくるようなおちょぼ口、馬酔木の花)




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松の芯

2018年04月02日 | 日々の暮らしの中で
境内にその枝を張り巡らせた姿の美しさは自慢の一つでしたが、30年以上も前、当時各所で被害が相次いだ松くい虫にやられ、手当の甲斐なく切り倒す羽目になりました。何本もの添え木を当てた長寿の松は、おいおい根っこから引き起こされ、内をくりぬかれ、火鉢となって披露され、冬場には車座の談の中心に鎮座することになりました。ふちにかざされる皺しわのいくつもの指先を温めます。


代わって植えた2本の松ですが、今ちょうど枝先に「若緑」とか「松の芯」などと言われる新芽が伸びています。すきっと、いずれも天を指すように伸びた姿は晴れ晴れとして、この時季にとても清々しく映ります。やわらかな緑の美しさは「初緑」と。そして、自然と背筋も引き上げられる気分に浸ります。   

大層なものではありませんが、この6日から新たな仲間と集う楽しみを思って準備してきたことがあります。が、私の予定は見送らざるを得なくなりました。というのも、6日には午前中に中学校、午後から小学校の入学式が催され、またまたあのLukasを預かることになったからです。孫たちの門出に、「わかったわ」と返事…。同時スタートのチャンスでもあったのに、条件が整いません。辛抱、心棒。出ばなはくじかれましたが、志はどこへもいきません。背筋を伸ばして。

     志(こころざし)松にもありて松の芯   鷹羽狩行

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