京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

春の錦の六角堂

2024年04月04日 | こんなところ訪ねて
    見渡せば柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける   素性  (「古今和歌集」)



ここ六角堂境内も春の錦に染められている。



「西国三十三所一八番札所」にあたる頂法寺六角堂。
ということなのだが、

ここに親しみを持って参拝し出したのは、地元紙に連載された五木寛之氏の『親鸞』がきっかけだった。
あの頃、何年前になるのか、同じく連載された新聞を読んでおられた方々と、ブログでお話させていただくことがあった。
読後は新聞を切り抜いて保存して、一年しっかり楽しんだ。けれどあれから読み返すことがなく、記憶はあいまいに。


折も折、六角堂の桜を思い出すきっかけがあって、昨日一日降り続いた雨も上がったのを幸いに、訪れてみた。
かなりのお参り?でにぎわい、街中のせいか桜の開花も進んでいた。
柳の2本の枝をおみくじで結ぶと良縁に恵まれるとか。柳にとっていいのかどうか…。

親鸞聖人は29歳のとき比叡山を下り、ここ六角堂に100日参篭を志した。そして95日?の暁に聖徳太子の夢告を得たと伝わる。
そして法然上人を訪ねる。
 ― ひたすら念仏もうすのみだ。念仏のさまたげになるものはすべて捨てよ。妻を娶って念仏が深まるのなら妻帯も結構だ

人間が人間らしく生きることが救われれること…。
だがその後も思い悩むことは続き、七日七夜の参篭に入った。と、何日目かに六角堂の本尊、救世観音が現れる。
のだったかな。


〈御本尊の宝冠には 阿弥陀如来が配され極楽へと導く来迎印を結ばれている観音様と阿弥陀様の法力が合わされたお姿である
建仁元年(1201)には浄土真宗の宗祖親鸞聖人の夢枕に観音様が立たれ
「いつも傍に寄り添い助け極楽へと導く」と告げられた〉

と記されている。



下は、2009年4月3日に訪れたとき。 15年を経て…。

コメント (2)
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