京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

年の瀬、ちょっといっぷく

2019年12月29日 | 日々の暮らしの中で
一昨日、昨日と寒かったこと。
冷え冷えとした中でお花を立て終え、内陣のお飾りを整えているうちに午後4時を回った。指先の冷たさに頭痛くなりそうで切り上げた昨日。
今日は随分と気持ちは軽いが、それでも、買い出しなどしなくっちゃとあれこれ書き出してあるメモを眺めていると、億劫だなあという思いも少々混じるお昼時…。

「一人で背負わなくていいんだよ、マミィちゃん!」。夕飯、入浴と済ませ、自分たちのためにまだあれこれ動く母親を見て、孫のTylerがこんなことばを掛けたことがあった。なんという言葉をと驚きもし、(それなら、お手伝いしたら?)と思いもしたのだった。2年ほど前になるのかな。
何の脈絡もなく思い出したが、潜在意識が引き出すのかしらん。こうして動かせてもらえることを有難く思わないといけない。

先日22日、七条通を西本願寺のほうへと歩いていたとき、この防火用のバケツだけを目にして前を素通りしたが、足が止まった。振り返った先に見上げた奇妙な「火の見やぐら」? 小さな鐘に撞木も下がり、「火の用心」の張り紙も見える。電光掲示板には赤字で「安寧消防分団」とあった。
どうやら建物は分団の消防器具庫で、ひさしの上にあるのは「ミニ火の見やぐら」らしい…。梯子は中にしまわれているのだろう。

ロウソクの灯の消し忘れなど、めったなことがあってはならない。火の用心、火の用心。
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数え日

2019年12月26日 | 日々の暮らしの中で
 
「数え日」
年末に子どもが「もういくつ寝るとお正月」と歌う、その「いくつ」にあたる残り少ない日を「数え日」と言う。
出久根達郎さんは「美しい日本語の一つ」と言われた(『隅っこの四季』)。
あまり押し迫って、もうあと二日三日というところで使ったのでは笑われる。数える必要がないからで、大晦日まで6,7日というあたりが出番だろうか、と。
「押し迫ってきましたね」と挨拶されて、すかさず「数え日になりました」と答えたり、「せわしくていけないね」などと話しかけられたとき、間髪を入れずに「数え日ですものね」と返事をする。
うまく使えたら、おっしゃれ~~…?

使用期間限定語。チャンスあるかしら…。                     
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氏神祭と雛祭と福引

2019年12月25日 | 日々の暮らしの中で

 「本月二十五日は、西洋のクリスマスといふ耶蘇の祭日で、此(この)祭日は、本邦の氏神祭と雛祭と福引を一つにしたる様な慣習なり」
「我が国の氏神祭と雛祭と福引を一つにした」ようだ、って。

もっとも、明治初期のクリスマスへの関心ということ。
明治12(1879)年の雑誌『芸術』から引いて、石井研堂が記しているそうだ(『漢語日暦』興膳宏)。石井研堂って方を知らないが…。
また、「雪中に 緑樹を建てて標(しるし)とし、呼びかけられたわけでもないのに、人々が集まってストーブを囲んでいる」などと、戦後間もないクリスマス風景を中国文学者・鈴木虎彦は詠じているとも。緑樹はクリスマスツリー。 
大正生まれだった私の父や母がクリスマスをどう過ごしていたかも知らない、聞いたことがなかった。

都合が悪くなって、娘宅で孫たちとクリスマスを楽しむことができなくなった。プレゼントの交換の品は早めに渡してあったので問題はないが、揃ったときにしようと言われた。でもせっかくだから、子供たちに楽しんでもらえたら別にかまわないと伝えた。またそれとは別に、ささやかなクリスマスプレゼントを皆に贈った。ほんの気持ちだけの。
ということで昨日も今日もクリスマスとはかけ離れていて、今日は朝からの好天が、掃除日和だと駆り立てる。明日は木曜日、26日か…などと逆算しながら整えていく。暖かで、気持ちよく動かせてもらいました。

写真は母の入院先の病院に見舞い、その折に小学生だった息子にと買って帰ったサンタさんの楽団人形。家に残したままになっているので毎年私がこうして出している。何を思うというわけでもないが、小さくてかわいい。
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9:1より 6:4

2019年12月23日 | 催しごと・講演・講座

聴講券が届き昨日22日、龍谷大学大宮学舎140周年記念シンポジウム開催の会場に出かけた。
大学院で奈良仏教史を専門にされていた澤田瞳子さん。でも、資料を集め読みこむのに9割、残る1割のところで結論を導く研究者には自分は向かなかった。そうではなく、資料から興味のタネを見つけると6割のところで結論に向かってはしごをかけて妄想し、…ことがあっただろう、あったはずだ、と想像力を発揮するタイプだとお話で、それが歴史小説家に転向された経緯のようでもあった。

歴史小説はエンターテイメントだから「ああ、面白かった」と読み終えてくれたらよい。その後に、例えば仏師・定朝をもっと知りたいと新書本や専門書に手を伸ばしてもらえるなら、やったー!の嬉しさだと。
「物語りの読みどころは?」の問いかけに、「どうたたむか、落とすか。広げ、まとめる、決着の仕方に心ひかれる」「史実の絡め方に気づかされて面白い」と話された。歴史を知っていると楽しい読みが広がり、こういうことが言えるのだと印象に残った。
作品世界に入り込み、あたかもそれが史実のように錯覚する。いえ、史実云々など念頭にはないのだ。どっぷりつかって登場人物に感情移入し、一緒に同時代を生きる。読者にしたら、そんな本との出会いこそ貴重な体験である。

「歴史は今を考える立脚点になっている」「人生の喜びは伏線回収にあるかもしれませんね」「今の物語はあらすじで構成され、細部を省きわかり易くまとめてしまっている。史実をプラスすることが要る」とか「人が共有できる知性が落ちている」など数々の指摘があった。
自分の考えを明確に示される、その歯切れの良いこと。若くて自信に満ちていた。根底に専門分野が、強い分野があるということは誰にとってもひとつの強みだろう。

     昨年読んだ『与楽の飯 東大寺造仏所 炊屋私記』に話が及んで、ちょっとわくわくっと身を乗り出してはみたが、ほんの1分ほどだったか…。『穢土荘厳』(杉本苑子)でも描かれる大仏造立の舞台。役夫たちを賄う炊事場での人の心の温かさの描写はある。作品の視点は違えど、歴史の狭間に、変わらぬものがあるということかしら…。

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歳晩の営み

2019年12月20日 | 日々の暮らしの中で


運送会社の大きなトラックの後ろを車で走っていたとき。
トラックが走り去る風圧が道路わきに吹き寄せられた銀杏の葉をいっせいに巻き上げる。高く跳ね上げられた木の葉は、好き勝手な振り付けで踊り舞う。Dncing Leaves - 踊る木の葉。目の前で繰り広げられるほんのつかの間のショータイムだが、それがもうかわいくて、かわいくて。何度か繰り返されるうちに銀杏並木の通りを通過した。

点訳の例会日だった。パソコンの画面を追うのに目が疲れ、少しばかり億劫で手掛ける作業を減らした。
「ボランティアはいいよなあ、いつでも辞められる」。何年も前になるが、こう言った人がいた。この言葉、時々に思い出すんだけれど…。

もう残すは十日あまり。この年を送り、新しい春を迎えるために、それぞれに避けては通れない務めがある。最後の一日まで、大切に過ごそう。


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山茶花明かり

2019年12月18日 | 日々の暮らしの中で

夕暮れどきの境内の一隅に明かりが点ったように山茶花が咲きついでいる。
「山茶花列島」という言葉が使われていたのは、増田れい子さんのエッセイの中ではなかったか。冬の初め、あちこちに紅や白、薄紅、斑入りの白(紅)などの色で、八重あり一重ありと、その姿を見る。冬を迎える花として今、列島を飾る花。

午後も3時を過ぎて、ようやく雲間から日が漏れるような一日だった。
白居易の詩「晩秋閑居」に倣えば「初冬閑居」。折よく訪れる人もなく、なんとなく山茶花を眺め歩く。

昨夜就寝中から微妙に喉が痛くて、困ったことだと焦りを感じている。早く治すために即、薬を服用すべきか、明日までもうちょっと様子を見たものかと迷うところだ。
結局、暗くなってドラッグストアに走った。一緒に買ってきたのど飴を舐めたところ、痛みが嘘のように消えた。
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文章の顔と素顔

2019年12月16日 | 日々の暮らしの中で

シンポジウム「かたりのチカラ ―社会を結びほぐす人文学の可能性ー」。
新聞紙上で案内があってすぐ(11/17)に申し込んだ。応募者多数の場合は抽選になるとあるし、締め切りは12月10日だったから結果を待つ間の長かったこと。先週末の土曜日、やっと聴講券が届いた。どちらかというと抽選に弱いようで、早々に申し込んでしまって、私の1名分の名は申込者多数の底の底に葬られてしまうのではという思いもあったから、本当に嬉しいプレゼントをいただいた。

京都市に生まれた澤田瞳子さん(母親は作家の澤田ふじ子さん)。土地に、風土の歴史にえにしのあるお方であるだけに第1部の「歴史の語り方、物語の読み方」と題したトークセッションの企画がとても興味深く思えたのだった。
ところが、です。
文章には文章の顔がある。読者はその顔が好きだったり、馴染めなかったりする。「心の目で見ている文章の顔は肉眼の見る素顔とまずはたいていは食い違っている」と外山滋比古さんは言われていた。だから、作家の素顔をひと目見ようとなどと講演会へ足を運んで幻滅…なんてことがないわけではない、と。



澤田さんは外山氏が「読者に顔を見せないほうが無難」とされる凡庸な著者などではない。ぜひ一度お話をお聞きしたい。ただ、サイン会に並ぶという関心はない。これまでも体験したことがない。
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スクランブル-宗教

2019年12月14日 | 日々の暮らしの中で

車の行き交う道路の狭い歩道スペースに、明らかに年上の先輩僧と小僧さん3人が立ちどまっていた。
白衣に墨染の衣をまとう先輩僧とは異なり3人は、そら色の作務衣?だけをまとう格好で あれって木綿? 足は素足に草鞋がけ。この季節にずいぶんと薄着ではないか。何よりも、すれ違いざまに見かけた彼らが中学生くらいの顔立ちだったことに、何やらハッとする自分がいた…。

ふと托鉢のことを思い出し、10月に購入した『雲水日記』のページを繰った。この本は病を得て47歳でこの世を去った著者が病床にある間に、東福寺での修行体験をもとに書き上げたもので、絵日記風の画文のかたちをとっている。1、6、3、8は托鉢の日だそうだが、この日は1でも6でも3でも8でもないし托鉢の格好でもなかった。
【貧乏してもコジキにはなりたくないという子供のころの夢とは裏腹に、初めて「東福寺僧」と染め抜いた看板袋をかけさせられ、雨雪を問わず素足に草鞋がけ、「ホォー」「ホォー」と連呼しつつ、路地から路地を引き回されて喜捨を求めて歩くことは、まだ生意気盛りの娑婆っ気が抵抗し、はずかしさいっぱいで満足な声は出ぬ。引手に叱られては吼えたてるが、彼らの流暢な追分調とはなんとほど遠い奇声であろう】

         そうなんね…と読み進むと、古参新米の区別なく喜捨を受けていると有り難いもので、【いつかは心は大気のようにさわやかになり、卑下の心も増上慢も地に捨てて托鉢専一となる。・・・ただ合掌。なんのこだわりもなくやがて水の流れる心境になってゆく】と結ばれてあった。そうなんやー。この3人も、いずれそんな体験を重ねていくのかしら。家にいながら「おーっ」「おーっ」って聞こえてくる日がある。

「日天掃除(にってんそうじ)」と呼ぶ屋外の掃除は、雨降りでもない限り絶対欠かさない。世間の単なる労働ではなく、作務を通して「自己心内の無明煩悩の掃除をせよと戒める」「一日作さざれば一日食らわず」、か。それほどの根性を持ち得てない私は、ぼちぼち動かせてもらって正月支度が頭の片隅に…。

娘家族と行うクリスマスのプレゼント交換での品を用意した。どういうわけか、引いた名は2年続きでJessieだった。カーラジオからはクリスマスソングが流れる。孫のTylerは今日、教会のクリスマス会に参加するんだって。
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足して引いて掛けて割って

2019年12月11日 | 日々の暮らしの中で

今朝のテレビ番組で、9歳の少年が数学検定1級に合格したという話題が取り上げられていました。大学レベルだといいます。

幼い頃から数字に親しんできたことが母親の口から語られていましたが、その中で、少年がこんな遊びを教えてくれていました。車のナンバープレートの4桁の数字すべてを使って足したり引いたり掛けたり割ったり(+ - × ÷)して、答えを10に導くというものです。

今日はちょうど車で外出。途中、思い出したこともあって、前を走る車の番号を問題にしてやってみました。これがですねぇ、意外と楽しいのです! 運転中のことで、気を付けないといけませんが。

例えば【 8323 】では、 8+2=10 10×3=30 30÷3=10    でしょ!           
                 
では、【 5470 】だと、5+7=12 12÷4=3 3+5=8 8×5=40 40÷4=10 です。
        あるいは (5+7=12 12÷4=3 3+5=8) 8÷4=2 2×5=10 とでもできました。

繰り返していくと10になるのかしら?

【8323 】 【 2319 】 とか 【885】 3桁でもできました。
【1001】という番号もあって、できる?と考えてるうちに、うちに、ようやく? はたと気づいて、なあんだ、ってわけ。

数字はあまり好きと違いますが、こりゃ面白い。今度、孫たちと遊んでみようと思ったのでした。ただ、小学校2年生は割り算まだだったかもしれません。九九の暗誦をクリアーしたという話を10月に聞いていたので、おそらくまだでしょうか。どうしましょ、できないとすねて姉と喧嘩になります。中学生の姉は弟がまだ2年生であることを無視して応酬…、うるさくてたまりません…。

今夜はまあるいお月さんが出ています。
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プレゼント交換

2019年12月09日 | 日々の暮らしの中で

京野菜の「すぐき」を積んだ軽トラックが止まっていました。畑からの収穫、きれいに積み重ねるものなんだと感心してのぞき込んでしまいました。もっと大きなトラックに山積み状態のものとすれ違うこともあり、とてもお上品な軽トラです。酸味を伴う漬物“すぐき漬け”、古くは上賀茂神社の社家の間で栽培が始まったとか。


先月下旬、娘家族を訪ねた折にクリスマスのプレゼント交換に参加を強要?され、くじ引きに加わりました。
名前を書いた紙をたたんで、順番にひくわけですが、自分が自分の名を引いたらやり直し。決まるまでには結構時間がかかります。誰が誰を引いたかは一切ナイショ。金額の上限を決めてプレゼントを用意します。3歳児Lukasももちろん加わります。が、一人では買いにも行けず母親が変わりを務めます。プレゼント選びのセンスが楽しいことです。

そろそろ腰を上げないと…。これはほんのお楽しみ。クリスマスツリーの周りにプレゼントが広がる夢を見ていますから…。
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親しさの膝を寄せ合う

2019年12月06日 | 日々の暮らしの中で

表はくすんできていても、反面は陽を浴びてまだ美しく輝ける。散るための身ごしらえのひとときにも、まだ情熱を蓄えている。私だって、ですよ。

真宗門徒にとっては、一年で最も大切で中心となる仏事、報恩講。明日からの2日間を大切にお勤めです。
 落ち葉掃く夕べの早さ報恩講    徳本英水
 こんにゃくの煮しめの艶や報恩講   井上雪

明日は朝からご門徒にお手伝いいただき、境内を整えながら幕を張り、内ではお斎の支度に女性陣が活躍してくださいます。

 先走る婆の読経や報恩講   田村公平
 親しさの膝を寄せ合ふ親鸞忌   加藤利尾   

いずれもわかるわかると言いたい。よく耳にする、目にすることです。

師走。報恩講も終われば、師走よりも極月(ごくげつ・ごくづき)か。ようやく一年の締めくくりの感を強くします。
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「お振る舞いは、あまりにも非道」

2019年12月03日 | 映画・観劇

伊集院静氏による新聞の連載小説「いとまの雪ー新説忠臣蔵」が今朝は目に留まった。【土間に両手両膝を突いて座る白髪の老人】。この挿絵、物置に隠れる吉良上野介だと直感した。物語はここまで進んでいるのか、12月だものな、と思いながら初めて280回目を読み通した。

このシーンは有名でもあるし、もうずっと前の前の前のことで誰が演じていたかなどは記憶にないが、NHkの大河ドラマを見ている父の横で私も見ていたことがあった。
【貴殿らの目には、たかだか西國の小藩の主君としか映らなかったのであろうな。吉良上野介、武士の真髄を、大きく見誤りましたな】
無念の思いで腹を召された殿の恥辱をお雪ぎするため、四十七名、参上。


映画「決算!忠臣蔵」を公開日翌日に見た。蕎麦1杯が16文、現在なら480円の貨幣価値だという時代で、支出、必要経費はたちまちはじき出され、スクリーン上に数字が表示される。金、金、金。大石内蔵助は討ち入りまでにかかった費用を一件ずつ墨書して残していた。周到な討ち入り準備にかかる高額な支払いもきちんと済ませ、身辺をきれいにして本懐を遂げようとする。
喜劇仕立てということだから人物像設定については、こんなにおちゃらけだった?という思いは封印した方がいいのかしら…。

領収書もない、明細書もない、関わった参加者名簿も闇の中?? 税金の使途が不透明。こんなまやかしが通用するだろうか。
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山茶花時雨の頃

2019年12月02日 | 日々の暮らしの中で

山茶花の咲くころ…。
小春日だったのが一変し、今日は早朝からの雨が午後遅くまで時雨れて残り、眺めやる木の間はけぶってみえていた。

   聞法に籠る山茶花時雨れかな    石本秋翠 


先日、孫の第3子Lukasが三歳の誕生日を迎えた。時折、自ら♪Happy Birthday to you~ と口ずさむので、すかさずハッピー バースデー ディア る~ちゃん……と和して終わると、「ありがとございます」とにっこりうなづく。
言葉数が増えれば増えるほど、表情豊かになっていくのがわかる。 いろいろな“はなし”もそれなりにできて楽しさも増す。

箸をプレゼントした。この子は教えなくても右で箸を持つ。スプーンでも右手を使うのだから自然の流れだが、姉も兄も、母親も箸を左手で扱う中で、こういうこともあるのだなあと見守った。ただ、サッカーボールなどキックは左が利き足のようで、右足で蹴ることはなく必ず回り込んでいる。三者三様の姿が見てとれるだけで、人間って素晴らしいなあと思えてしまう。

  納豆の空きパックを利用するアイディアをいただき、夏の思い出を額縁に入れてみた。留守を預かり、二人で公園巡りをしていたころ。

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