京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

蓮如上人御影道中

2023年04月17日 | 催しごと・講演・講座
浄土真宗中興の祖・蓮如上人の北陸教化と真宗再興のご遺徳を偲び、吉崎別院では毎年「御忌(ぎょき)法要」が勤まります。

「御影道中」は、御忌法要をお迎えするため蓮如上人が歩んだ東本願寺と福井県の吉崎別院を結ぶ往路(御下向 )約240km、復路(御上洛)約280kmの道程を、上人の御影(ごえい)とともに歩む大切な御仏事で、江戸時代から300年以上続けられ本年が350回目となります。
300年を超えて、この力は何なのか、どこから来るのでしょうか。

今年は親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要をお勤め中の御下向ともなり、しかもコロナ禍で途絶えていた「歩いて」の道中が復活しました。

阿弥陀堂での下向式を終え、蓮如上人の御影が収められた輿をリヤカーに乗せています。

御影堂門を出て北へ


「蓮如上人さまのお通りー」
先触れの声が響きます。輿を乗せたリヤカーを引く歩みはかなりの速さでした。速い! 


式典に参拝し、五条まで共に歩いて、お見送りする機会をいただきました。

下向最大の難所、木ノ芽峠を行く時は、御影を入れたお櫃を背負ってゆくようです。責任の重み、いのちの重みを感じると供奉人の長を勤める方がお話でした。

乱世の時代、対立した比叡山延暦寺の衆徒は本願寺を破壊しつくし、蓮如上人は滋賀県の堅田に移って布教の拠点としましたが宗徒に追われ、やがて越前吉崎へと発ちます。
蓮如上人39歳から始まる五木寛之氏による『蓮如 -我深き淵よりー』(中公文庫)は、上人が吉崎に向けて船出する57歳まで、戯曲で書かれています。

「されば朝には厚顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」(「御文」から)
朝方にはいかに元気であり、明るくふるまっていても、夕方には死んでしまうようなこの身である。「のがれがたきは無常なり」。
無常の苦から救済されるには阿弥陀仏をひたすら頼むことである、お念仏もうしましょう、という信仰が…。

今夜は小関の光徳寺にお泊りでしょうか。由緒あるお寺です。

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