京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

静謐な常照皇寺の桜

2024年04月05日 | こんなところ訪ねて
南北朝争乱の時代。
後醍醐天皇の討幕計画は発覚し、その後北条氏によって擁立されたのが光厳(こうごん)天皇だった。しかしそれも束の間、隠岐を脱出した後醍醐天皇の軍が北条氏を滅ぼし政権を回復したために、光厳天皇は皇位を去った。
政争の渦中に翻弄され、吉野の山中をさまよい歩いたりして周山街道に踏み入って、小さな皇室領を頼ったのか、終焉の地と自ら求めて二度と都に戻ることはなかったという。40歳を過ぎて仏門に入られた。

今は京北町と呼ばれる地にあるここ常照皇寺を終の棲家とされた。



方丈の間に掛けられた肖像画は色白で気品のあるお顔立ち。
〈さよふく窓のともしびつくづくと影もしづけし我もしづけし〉と詠まれている。
きれいなお顔を目の前にして、「墓など作るな。ただ埋めよ。そこに自ずと松柏が育とう」と言い遺し世を去った生涯を、わずかでも想像してみるのだった。



季節を問わず何度も訪れている。人の姿はまばらなときばかり。まだ一度も桜が満開の時期に訪れたことがない。
なんとなく行ってみたくなるのだ。
一つには清滝川に沿って開かれたくねくねと続く周山街道の風景が好きなことがある。
峠を越え、トンネルを抜けて、周山から右折、北國という地を桂川に添うように、さらに20分ほど走った先に寺はある。家から1時間半ほどで着く。

想像通りで、辛抱が足りなかった。



天然記念物の「九重桜」と呼ばれる枝垂桜の巨木が7分、8分咲きのところか。
奥には「左近の桜」があり、方丈前の「お車返しの桜」など、まだまだ蕾もつぼみ。


当然のように人は少ない。そこが好きな理由にもなるのだが、それでもやはり満開は見たい。
考え事したり、鳥の鳴き声を耳に、ただただぼうっとしたままでいたり。
遠方へ旅行をしなくても、少し時間をかけて日常との境目を作る。そしてそこで、静かにひとときを過ごせば、それなりの満足が得られる今。

帰路、すでにミツバツツジが山の斜面を染めているのに気づいた。
西明寺のご住職が、きれいだから見においでなさいと勧めてくれたことがあったのを思いだしたが、あっという間に通り過ぎる。
コメント (8)
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