京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

石が発心、修行!?

2022年05月31日 | 日々の暮らしの中で

蕗やタンポポに仏性がある? 悟りを開く!?

思いだせないことがあってノートをめくっていたら、長田弘さんの著書を読んで書き留めておいたページに、一茶のこの一節があった。

【長々の月日、雪の下にしのびたる蕗・蒲公のたぐひ、やをら春吹風の時を得て、雪間雪間をうれしげに首さしのべて、此世の明り見るやいなや、ぽつりとつみ切らるゝ。草の身になりなば、鷹丸法師の親のごとくかなしざらめや。草木国土悉皆成仏とかや。かれらも仏性得たるものになん】

「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)―草木も国土も悉く皆成仏する。人間と自然の境目がない? あらゆるものに同じ命を見る日本人の感性、精神性としてよく取り上げられるこの言葉。 実は仏教経典にはないのだそうな。

「涅槃経」には「一切衆生悉有仏性」の言葉があるそうで、衆生は“有情”とも訳され、有情は仏性・心の働きをを持つものをいう。“非情”は持たないもので、草木や石などが入る。
となると、山や川や草や木や石が悟りを開くなどということはないはずだ。

ところが、〈非情である草木、石ころが、それ独自で発心、修行をする〉と主張した僧がいたというから、えーっつ! なんで?どうやって!?と尋ねたい。その疑問を解き明かしてくれる本があるというわけ…。トンボも修行する?
読めば「宗教的知性が鍛錬できる」と釈徹宗氏は言われる。ややこしや…ニガテ。さてどうする。
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続くように終わる

2022年05月29日 | こんな本も読んでみた
お参りごともなく、私的な用事もない夏日となった一日。家のなかが一番涼しく過ごせそうで、なんとも気ままな時間が生まれた。

このところ『言葉の園のお菓子番 孤独な月』に『サンカの民と被差別の世界』と『木綿以前の事』(柳田国男)が加わって、それぞれをボチボチ読み進めていた。
『言葉の園の…』で連句会をのぞかせてもらっているとき、縁あって『木綿以前の事』に導かれた。1982年発行で紙は茶っぽく変色、行間狭く、文字は極めて小さい。が、かつての自分を思い出す愛着がある。


もう過去のもの…と思う寂しさがあったが、読みだせば、引かれた線やメモのあと、狭い行間からも、かつて心にとどめた言葉や学びが思い起こされる。
若い頃よりむしろ実感として捉えられ、理解もする。長い日々の積み重ねに少々の知識も身につけ、曲がりなりにも働きかけてくるものを味わえる厚みが自身に生まれたせいだと思う。

読み終わりは〈終わり〉ではなく、次へと続く始まりともなる。その先の扉が開かれ、世界を広げる。読書に限ることではない。
『言葉の園のお菓子番』を読み終えたが、文中、〈連句での挙句は「穏やかに、続くように終わる」〉という捌きの言葉があった。

〈続くように終わる〉。
余韻は作品に隠された風情によって心が動かされる…という冠句の選者の言葉を記憶している。覚えとこっと。
 
 〈人々の心を照らし月静か〉


二度目のラグビー観戦に大喜び。こんな体験の積み重ねが何かの折の選択肢につながればな…。
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つばな乱れて

2022年05月26日 | 日々の暮らしの中で

点訳の会合に参加のため滋賀県大津市へと向かった車の中で…。

大阪のFM局だったが、「今日もこの曲を」という調子でパーソナリティが紹介し、流れてきた曲の最初の歌詞だけは記憶に残した。
「このごろ平和という文字がおぼろにかすんで見えるんだ」
歌い出したのは桑田佳祐さん(であることは私にもわかる)。曲の紹介がよくつかめなかったので帰宅後ネットで見てみることにした。

タイトルは、5人で結成したグループ名なのかと勘違いした「時代遅れのRock’n’ Roll Band」。
桑田佳祐(作詞作曲)、世良公則、佐野元春、Char、野口五郎さんの5人全員がギターを演奏して歌うチャリティ・ソングだと知った。「No More No War」もう一度聞いてみたい。


縁石沿いに各所に群生する茅花(ツバナ)がトラック通過の風圧で乱れて踊るのだ。めいめいがバラバラに首を振り体をくねらせる。それを見るのが、トラックの後ろを走る私の楽しみだった。
銀色の踊りは美しい。みんな一斉に、同じ振り付けでなくていいのだ。
ひとかたまりのツバナ組。一丸となってバラバラに乱れ乱れてダンス、ダンス、ダンス。

      ('16.5)

孤立せずに生きていく。か…? どこかで耳にしたこの言葉。
                     
                           (写真はLukasが科学館で見た地球)
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映画「山歌」 共に、生きる

2022年05月24日 | 映画・観劇
     映画「山歌(サンカ)」を観た。
時代は、高度成長にわく1965年。
顔に訳ありな傷をつけて祖母が暮らす山奥の田舎にやってきた中学生の則夫。
〈山で偶然サンカの一家(少女ハナ、ハナの父、祖母)と出会う。都会の生活に馴染めず、厳格な父親の下で生きづらさを感じていた則夫は、自然と一体化した彼らに引かれていく〉。山の開発計画を進める父。則夫は、「自分はここで生きる」と宣言し、父に向ってある行動に出る。
ラストシーンには、中学校の制服を着て駆ける二人と思われる後姿があった。

則夫の母は山で死んだ。満天の星を見上げながら、「お母さんも、あの星のどこかに?」とつぶやく則夫に、間をおいてハナのばばが「同じ大地だ」と返した言葉が心に残る。生者も死者も同じ大地で生きて眠る。ばばも山に葬られた。
食べるものがなく空腹だ。川魚を捌いて売りに歩くも邪見に追い返され、山中で地団太を踏み、吠えるハナの父。村人は彼らを「サンジン」「ヤマビト」と呼んだ。

  〈瀬戸内海には「家船(えぶね)漁民とか「家船」衆と呼ばれる“海の漂泊民”が存在した。一方、その海の背後に広がっている中国山地の山中には「サンカ」という“山の漂泊民”が実在していた。彼らの末裔に合うことが旅の目的の一つだった〉と記し、
また、〈異動する人々、流浪の民が現在の日本の体制のなかにどう生きるか〉〈現在の社会体制のなかに後からはいりこむという大きなハンディキャップを、彼らがどう解決していくかという問題。それには相互扶助ということが大事になる〉とも。
家船について最初の論文を書いたのは柳田国男だったとか。柳田国男が把握するサンカの姿を文中に引いている。

「日本人とは何か。日本人の生活は、どういう歴史をたどってきたかを、柳田国男は疑問の根幹として追求し、疑問に答えるのに70年を費やしている。疑問の熟してくるのを気長に待ち、青いうちにもぎ取ろうとは絶対にされなかった」(山本健吉による追悼文より)
それを聞いて…、まだ3分の1ほどだが、時間をかけてでもゆっくりゆっくり読んでいこうっと。


映画のあと京都御苑でひと休み。吹き抜ける風の心地よかったこと。
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山の漂泊民「サンカ」

2022年05月22日 | 日々の暮らしの中で
〈日本にはかつて、財産も戸籍も持たずに全国を渡り歩く漂泊民「サンカ」がいた。彼らの知らざれざる生活や精神性を探る〉、映画「山歌」の案内を新聞で読んだのが今月上旬だったろうか。
「漂泊民」「サンカ」について知らなかった。

映画、見てみようか。そう思って公開日20日を待ったが上映は一日1回10:00からのみ。これが微妙な時間で、せめてもう1時間遅くと願いたいのだ。ほなやめとけ!ということになる…。

今日、立ち寄り先の書店で背表紙を追っているとき「サンカ」という文字に目がとまった。『サンカの民と被差別の世界』五木寛之著。
こういう本があったのか!と少し驚きだった。映画の記事に触れていなければ生涯読む機会はないままで、映画とも縁なく終わったかもしれない。


〈私は隠された歴史のひだをみなければ、“日本人のこころ”を考えたことにはならないと思っています。今回は「家船」漁民という海の漂泊民から「サンカ」という山の漂泊民へ、そして日本人とはなにかという問題まで踏み込むことになりました。それはこれまでに体験したことのなかった新しいことを知り、自分自身も興奮させられる旅でした。〉裏表紙に著者の言葉が記されていた。
映画、見てみようっと。




クワの実が色づきだしている。暑い一日だった。雷が鳴り始めた。激しい雨まで。
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言葉も花のようなものかも

2022年05月20日 | こんな本も読んでみた
ほしおさなえさんの著書では『活版印刷三日月堂』シリーズ(全6)を娘とも共有したが、先日『言葉の園のお菓子番』シリーズ2冊を手にいれた。AUSで暮らす娘のもとへ送る前にと読み始めたのだった。


4年間勤めていた書店が閉店することになって実家に戻った26歳の一葉が主人公。亡き祖母が参加していた連句の会に参加し始めた。新たな仕事を模索しながら、書店員時代のポップづくりの経験を活かす場も踏みつつ、月1の会へ。

連歌から芭蕉の俳諧連歌へ。これをもとに連句が生まれ、…とまではいいとして、
私も一葉と同じで句の付け合いのルールさえ知らず、また連句の席がどういうものかもわからない。
そこを〈捌(さば)き〉と呼ぶ進行役の案内を得て少しずつ楽しさを感じる入り口に立てるまでになって、シリーズ1巻目を読み終わってみると、あたかも同席しているような感覚が記憶になって残った。

発句、脇、第三と続き六句までが〈表六句〉。そのあと〈裏〉が十二句連なる。そのあと…は置いといて、夏の終わりの連句の日の〈裏〉からここに引いてみる。

  ただえんえんと窓磨く人      鈴代
 病床の我が手を照らす冬の月     萌
  鍋を囲んで語り明かした      蛍
 シベリアのタイガを走る犬の群れ   陽一
  老夫たたずむ廃線の駅       直也
 見える花見えない花を浴びてをり   一葉
  遠い岸辺に揺れる糸遊       航人

句だけを見た人にはわからないが、「句と句の間に集った人の想いが滲んでいる」。句を通して心を記す。ひそむ想いを読み取る。人の心の深いところで触れ合っている楽しさを感じ始める一葉(私も)。


亀みたいに向かい合ってジーッとではなく、チラ見程度がいいようだ。

世代も経歴も異なる小さな集団に、「通常ならぬ相互の理解があり、…最も容易なる共同感銘」(柳田國男)がある。
個の文学である俳句のように独創的なものを競って出すのではなく、全体の構成、調和を考えて〈歌仙を巻く〉。知らなかった世界に、ちょいと気持ちが動いてしまった。

書かれた言葉は読み手との間でイメージが作られる。そこに他者を理解するための想像力を働かせ、深くもあたたかな眼差しを持ち合わせて合評会に臨みたいと思い新たにした。
2巻目の展開はいかに。
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一日がんばって一年

2022年05月18日 | 日々の暮らしの中で
一日がんばれば一年使える、と。

時間は少し小分けして、1週間前に続き今日は2回目。実山椒の冷凍保存のためにがんばった。
買い求めた実山椒。小枝から実を外して細かい枝も極力きれいにして(ここまでが手間)、ゆでて、水にさらして、水気を切ってのち小分けして保存する。


この山で350g。実を取り分けるのにゆうに3時間はかかった。途中、立ったり座ったりで用を足していくため、どうしても長時間仕事に。さすがに早く終わらないかと先を急ぎたくなるのだが、そこはこの大粒の実ぞろいを前にして、感謝していただかなければと丁寧に実を外す。もうあとちょっと、ほしい。
今がんばれば、1年楽しめるのだから。それに、するのは今だけのこと。この時季を逃せば一年待ちだ。


 
2020年06月、「実山椒の甘だれ」の作り方を知り、冷凍で残っていた分で試してみることにしたのでした。

材料  実山椒(下茹でしたもの) 100g
    酒            200ml
    砂糖           200g
    しょうゆ         200ml

作り方  ①すべてを一つにし、鍋に加え、中弱火で15分加熱する。
     ②煮沸した容器に入れ、粗熱が取れたら冷蔵庫で保存する。
     冷蔵庫で約1ヵ月保存可能。
冷蔵庫保存することでたれにとろみが生まれます。 (記事から引用)


    たれの甘みの中に実山椒の香りがうつり、いいお味。

この年、コロナ禍にあって買い物はメモをもって手早く済ませて引き上げる日々…。気づいたときには実山椒を手に入れる時期を逸していたのでした。
昨年は息子の所へ送っても喜ばれた。だからまずはこれを作るのだ~。

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遠い時代、他者への想像

2022年05月16日 | 日々の暮らしの中で

近鉄奈良駅から奈良国立博物館への道で修学旅行生の一団に出会った(昨日)。何か心に刻んで帰れるだろうか。何十年か前には、私もこうした行列の一員として京都奈良を歩いたのだった。特に何も残さずじまいだったと思う。


文学を通して、社寺仏閣への関心が深まっていった学生時代。信仰なき古寺巡礼者の部類だったが、今や自分の楽しみごとだ。人生の根底に、静かに干上がることもなく脈々と流れ続けてきた関心事。枯らさぬよう…。

早稲田の学生の一人が仏像に懐中電灯をさしむけたとき、彼らを連れていた会津八一氏が「懐中電灯で照らしたって、仏さんはわからないよ」と言われた言葉が忘れられないと山本健吉さん(『万葉大和を行く』)。
「見た」という印象自体を先ず蒐集する心があると指摘する。その口だ(った)。懐中電灯や単眼鏡でこそ覗き見ることはしないが、はっきり見たいと思う心理は強く働く。

一体の仏さまと相対して何を思うかは、その人の人生や生い立ち、趣味や教養、人間関係など様々なものが背景となって、固有の思いが生まれる。
はるか昔の平城京に造営された大安寺は、壮大な規模で伽藍を構えていた。千人にも及ぶだろう国内外の僧侶たちが往来し、ここに集ったという。
諸行無常。かつての繫栄も規模も今はないが、活気に満ちた時代への想像を膨らませてみることを私は愉しいと思えるのだ。


父親に抱っこされた2歳過ぎくらいの女児が、「おこってない おこってない おこってない」と小声で繰り返し口にしていた。
揚柳観音の前で(最前の正面の像)。憤怒の表情なのだが…。哀しみなどを子供はそこに見るのだろうか。
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のちのよのひとのそへたる

2022年05月14日 | 日々の暮らしの中で

雨上がりの川面を渡る風がヒンヤリと心地よい。ただ少し強めで、枝葉の陰でうつむいて咲きだした柿の花を大きく揺する。蕾もいっぱいだし、日を改めて覗いてみよう。
若葉は日に日に濃さを増す。

「どこか行きたいねぇ」。つい口をつく。
朝のテレビ番組「旅サラダ」で賀来千香子さんが奈良へ、大人の修学旅行と称し春日大社・唐招提寺・薬師寺を訪ね歩いていた。真似しいみたいだが、そうだ奈良へ行こう。奈良国立博物館で開催中の「大安寺のすべて」展へと、ようやく気持ちがかたまった。


天皇が創建した初めての寺で、奈良時代前期までは日本一の大寺だった。今に伝わる奈良時代の仏像9体はいずれも腕を失い、修理されて補われた新しい腕を具えているが表面の傷みも激しい。
そんな像の一つ、持国天を見て会津八一が詠んでいる。

    のち の よ の ひと の そへたる ころもで を
              かかげて たたす ぢこくてんわう  

       (「大安寺の仏さま」『語りだす奈良 ふたたび』収 西山厚)
お会いしてきましょか。気分転換が大事。御本尊十一面観音立像も公開とあるし。
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雨だから追悼文など

2022年05月12日 | 日々の暮らしの中で
連休明けから構成など練ってきたが、筆執れば物書かれ…とやらで原稿用紙に向かった。来月初めの寺子屋エッセイサロンに間に合わせたい。

昼から雨だから、『週刊読書人追悼文選 50人の知の巨人に捧ぐ』(「週刊読書人」編集部編)を拾い読み。開けば一人か二人ぐらいずつをよんでいる。

第1章 文豪たちとの別れ 1960年代、 は荷風から広津和郎まで13人。第2章は己の美学を貫く、とした三島由紀夫から中野重治まで1970年代の10人。第3章は戦後社会を穿つ 1980年代。そして第4章 新しい時代に向けて 1990年代、は松本清張から本多秋五まで、…と言った具合での50人。

今日は「吉田健一氏が亡くなった」と書き始まる巖谷大四による追悼文を読んだ。
(1912-1977 評論家、英文学者、小説家 父は元首相の吉田茂)

【酒がまわると、舶来の鬼瓦のような顔をして、隅田川の向こう岸にまで聞こえるような声で笑った。七頭身位の大きな頭の大きな顔の大きな口をクワッと開けて、小鳥が水浴びするときほどのツバをとばし、ワンセンテンスしゃべるたびに「ハハハハハハ…」と笑った。片仮名の「ハ」の字が二、三十連続して、それをくりかえす、「岸打つ波」の如きリズミカルな笑いで、ケンランたる笑いであった】。
「見事な酒飲みであった」

笑いをこのように表現された文章がまたいい。「バッカスの笑いが今も聞こえる」と結ばれる。
さまざまに故人への敬意が滲み、その人らしさを浮かび上がらせる文章に触れ、人物の捉え方、人生の生き方を味わう。

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差出人からのプレゼント

2022年05月10日 | 日々の暮らしの中で

孫たちそれぞれに見繕ったポストカードに一筆を添えて、一つの封筒に納め郵便局に持ち込んだ。

3月14日に出した前便がいつまでたっても着かず、なんてルーズなんや!?と気分を害し、もうどうでもいいとあきらめ半分でいたが、なんとこの2日に送り返されてきた。通りの番号に当たる数字、22とすべきところを12と書き間違えていたのだ。原因は自分にあった事がわかってハンセイ! 人を罵ったり責めるのは簡単だけれど、くるっと方向を変えて思い切りわが身にグサッ! 
その3枚も入れ直したので計6枚、190円だった。


先日読んだ『代筆屋』(辻仁成)。辻氏が吉祥寺駅近くに部屋を借りて住んでいた小説家として駆け出しのころ。小説はさっぱり売れず依頼もないのに、代筆の依頼ばかりが舞い込んで大盛況だったそうだ。その体験がもとになっている『代筆屋』だが、「追伸(あとがきにかえて)」は、心温まるものだった。

「開封した便箋の手触り、文字の人懐っこさ、封書に貼られた切手やスタンプに至るまで、手紙にはそこかしこに、なんとも言えない人間臭さがある」の一文で始まる。何人もの郵便配達人を介して遠方から届けられる嬉しさにも触れている。
郵便局でピカソの切手付き封書百枚セットを購入したそうだが、日本へはプラス40サンチーム(パリ在住)の切手が要る。氏は、この切手を「差出人からのちょっとしたプレゼント」とし、「なんでもない人生の、ささやかな喜びのひとつがある」と言われた。

手持ちにふさわしい切手がなくて、窓口で重さを確かめ必要な金額を払っていたが思いを改めた。
そこで今日はついでに切手を見繕いたいと思っていたのに、ころっと忘れて帰宅してしまった。
                                (絵は辰巳明子さん)

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それでも一人で

2022年05月08日 | 日々の暮らしの中で

天気に恵まれて、長い長い黄金週間も終わる。
遠出といっては湖東三山のうちの二山を巡ったくらいで、近場で人混みを避けて過ごした。

離れて暮らす子供たちから母の日の心遣いを受け取り、感謝感謝。

「私はだんだん生活を簡素にしてゆきたい、そうして年をとったら、鴨長明みたいに方丈の庵に住みたい。などという希望を抱いているのであるが、それでも庭には、枝もたわわに咲く青紫色の紫陽花を植えたい、と思う」  (と田辺聖子さん)
「あんまり細かく気を使ったり、心を労したりしないで、のんびりいく…。」できれば私もそうありたい。

中古書店の100円のコーナーで見つけたので、迷わず手に入れた『方丈の孤月』(梓澤要)。―下鴨神社神職の家に生まれながらも、不運と挫折の連続。人はどこからきてどこへ行くのか。生きる意味を見つめ続けた長明の不器用で懸命な生涯。また一冊、積み上がりました。

その帰りの電車に乗り込んで座ると、杖をつき、腰を大きくかがめた男性が左手には紙袋を下げて乗り込もうとしているのに気づいた。けれど乗ろうとするでもなく間があって、ようやくまず半分ホーム側に飛び出した状態で扉の所に紙袋を置いて、それからやっとこ1,2歩進んで手だけ伸ばして入り口の手すりをもって…。
これは大変!と腰を上げ、「お持ちしますね」と声をかけてから紙袋を持って、肘だったか腕だったかを支えるようにして中へ、そして空いている席へ。紙袋の重かったこと。扉は閉まることはなかったが、身体がすぐ次の動作に移せないのに違いない。そんな状態で一人で外出しなければならない…。

一駅で降りる私に「おおきに」と口にされたが、私が足元付近に置いたあの紙袋、忘れずに無事に降りられただろうか。「お気をつけて」じゃなくて「忘れないでくださいね」というべきだったのかも。
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GO GO 孫まご やってみなはれ

2022年05月05日 | HALL家の話
ラグビーシーズンを迎えたオーストラリアで、孫のTylerは地域のAFL(Australian Football League)チームへの加入を決めた。
昨年5月に帰国。間もない頃に見学はしたが、もう少し英語に慣れてからという本人の思いが強かったのを聞いていた。1年経って、彼の気持ちも変わった。

 

同年齢のチーム。これまでのラグビーとの違いもあり、まだまだこれからだが、とりあえず初めての試合も経験したという。ここからまた何かを得ていくのだろう。

弟のLukasは、父親と兄とブロンコスのユニホームを着てスタジアムデビュー。テレビでしか知らないラグビーの生観戦に「Go BRONCOS~!」の声援を送り続けたらしい。送られた動画で見た開始前のセレモニーの賑やかなこと。花火に煙幕、電飾、音響。


  

翌金曜日、Tylerは学校で授業中にこっくりこっくり。心配して事情を聴いた先生からは「それでは眠くもなるな」といったふうな言葉が戻ってきたとか。ところが、「さあ、サッカーの授業ですよ」となったとたんの覚醒で、みんなに大笑いをされたとさ。これでいい。めでたしめでたし?

Lukasは友達とサッカーに夢中なのだそう。そして、女の子に毎日プロポーズされているんだって。これもまた良し、か。
平素は大笑いなど忘れているところに、愉しい話題を提供してくれている。それだけでもありがたいこと。

「親バカというのは子供の将来についての徹底した楽観論(中略)親バカ精神は教育の基本」といった文言が地元紙の朝刊コラムにあった(5/5付)。江戸時代も現代も変わらずに、家庭教育にこの精神は大賛成。
外部に向けては気恥ずかしくもあるが、ま、子供の日の孫バカぶりを一つ二つ。
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五月は女が生まれかわる月

2022年05月03日 | こんなところ訪ねて
  五月はバラの月、出逢いと別れの月、
  女が生まれかわる月。
  新緑の月。
        (と田辺聖子さん)

いたるところの田に水がはられた涼し気な湖東平野。名神高速道路に沿って北から西明寺(さいみょうじ)・金剛輪寺・百済寺(ひゃくさいじ)と点在する三寺を、湖東三山と言う。いずれも天台宗の古刹で紅葉の名所として名高い。ということは新緑が美しい。というわけで、南から百済寺、真ん中の金剛輪寺をスルーして、北の西明寺の2寺を訪ねた(昨日)。

釈迦山百済寺は1400年ほど前、推古14(606)年に百済博士恵慈の案内でこの地を訪れた聖徳太子が、すでに湖東平野を開拓しつつあった渡来人のために創建したと伝わる近江最古の寺。信長の焼き討ちに合い壊滅的打撃を受けたと。杉木立の中、並ぶ石垣は坊舎の跡地で平地面は300面が残るようで、山中に一千坊とは思い描くだけでも素晴らしい。天下の景観は湖東平野を一望する。安土の方向も。




西明寺も834年の創建と古く、諸堂17、僧坊300を有する大寺院だったようだ。頼朝が戦勝祈願したと伝わる。焼失を免れた本堂は第1号指定の国宝で仏像も多く残る。
30年ほど前のこの季節に、両親の希望で拝観に訪れたことがあった。追善供養をする方もいると僧は話し出されたが、心の中で父や母を思いだしながらのお参りで十分だ。当時、三重塔内部の拝観もさせていただいたが、鎌倉時代に巨勢(こぜ)派の画家が描いたという法華経の世界の壁画が残り、やはり国宝に指定されている。




新緑のエネルギーを浴びて生き返るって感じ。英気を養い、小さな生まれかわりに通じるような?一日を過ごした。何かあってもへこんでも、生きる力を灯すには聖子さん流に「とりあえず…」の才を働かせて気を取り直す、こまめに生まれかわる。いいかもね。


あなはあけたが栞にして大切にしている。
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