京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ひとつひとつ深く心にとどめながら

2024年01月28日 | こんなところ訪ねて

本法寺に長谷川等伯による「佛涅槃図」を拝見しようと出かけたところ、ちょうど春季特別寺宝展が開催されていた。



           
平素は原寸大(縦約10m・横約6m)の複製が展示されているがて、毎年3月14日~4月15日の期間に真筆が拝観できるとのこと。
首を真上に向けて見上げる。でっかい~って感じ。
「一番左の沙羅双樹の根元に座り込み、緑色の僧衣をきて、ほお杖をついている男」を探した。下から見上げ、二階から、半分上を近くに見ることができる。洋犬も探し当てた。
多くの縁者と別れがあった。60歳を過ぎた老境の身での作。

帰り際、誰もいない気楽さから少しお話をさせてもらった。
「そこに白い壁が見えますやろ。等伯さんはそこに住んで本法寺にかよわはったといいます」
拝観受付の窓口で座って指さす先を振り返った。

〈安土桃山文化の芸術担い手となったのは、法華檀信徒だった。狩野元信・永徳、等伯、本阿弥光悦(王林派の祖)。日蓮の革新的性格が伝統様式から解放したのでは〉などと何かで目にしたことがある。光悦と等伯のかかわりも深い本法寺。

カラーでしたつもりなのにごめんなさい、といってくださった。
 

「生き残ったものにできるのは、死んだ者を背負って生きることだけだ」「ひとはそれぞれ重荷を背負いながら、一日一日を懸命に生きている。大切なのはその生き様であって、地位や名誉を手にすることではない」(『等伯』)
『等伯』を読み、五木寛之氏の『百寺巡礼』第9巻の本法寺、能登半島の付け根、羽咋にある妙成寺について第2巻で読むなどして、そして、狩野永徳を主人公にした『花鳥の夢』とも出会い、
「長谷川等伯とは、いったいどんな人生を送った人だったのだろう」と私も関心を寄せた。
自分で史実を調べるということまでには至らないのだけれど…。


2015年に高野山夏季大学でお会いした当時82歳の女性の、「『等伯』を読んでごらんなさい」のひと言が心にとどまり、巡り巡って今に至る、この巡り合わせの不思議を思うばかりだ。

「東福寺の涅槃図には猫が描かれているそうですね」
私は観たことがないと言ってから、こんなふうに添えた。
「猫は明兆さんのお手伝いをよくしたそうですよ。それで、お前も描いておいてやろうって描き足したそうです。エライ先生がおっしゃっていました。ほんとうでしょうかね」
「真如堂の涅槃図にはやはり猫が描かれていました。ガンジス川が流れているのですが、タコやクジラまで描いてありました」

帰りのバスの車内で、こんな会話もしたのだった。面白そうに小さく笑ったのを覚えている。このとき、それまでずっとしていたマスクを外されたから。
彼女は本法寺のこの大きな佛涅槃図は御覧になっていたのだろうか。



妙覚寺で狩野家累代の墓に参った。塀沿いに山梔子の実が生るのが見えた。


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6 コメント

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ご無沙汰でした (うばゆり3)
2024-01-28 14:13:06
こんにちは。

真筆が拝観できただなんて良かったですね。
等伯のものは松林図しか知りませんが、大きな涅槃図も描かれてたんですね。
そして能登出身。

縦約10m・横約6mは大きいですね~
仕上がるまで何年もかかったんでしょうね!?

真筆でご覧になられたって、やっぱりいいですね~
本やレプリカとは全然違いますよね。
真筆は改めて ゆりさん (kei)
2024-01-28 14:49:23
こんにちは。
真筆は公開時期が限定していますので、春季展示の後半に、改めて拝観に行くつもりです。
今回は等伯が七尾出身ということもあって、真筆公開に合わせて
「波龍図」をその間ずっと展示しようとなったそうです。
松林図を描く、晩年の深い思いが今少し描かれていたらなあと思う『等伯』でした。
物語と史実は違うから、と窓口の女性がお話に。
その物語の中であれこれ思い馳せるのが私です。
春季特別寺宝展 (サッ チー)
2024-01-28 16:05:24
Kei様こんにちは。
 家からすぐにお寺に行ける感環境は素晴らしいですね。
 丁度私も「永徳」のことを描いた本を読みましたが随所に考えさせられる言葉がありました。
 絵師としての生き方、人間としての生き方、人をまとめて長として、あの時代の信長や秀吉からの言葉を噛み砕いてゆく生き方にも人間としての品格を
感じていました。
Kei様はお墓参りも出来てよかったですね。
(高野山夏期大学の講義は私の弟も何回か講義をしましたが、その時期か??)


 
 
品格 サッチーさん (kei)
2024-01-28 21:41:00
こんばんは。
適度な広さの市内にあって、交通の便の良さにプラスするフットワークの良さ?
(それでも以前のようにはいかず、休憩も多くなりましたが)
歩いて移動も視野に入れ、よし!と腰が上がります。

当時に君臨する狩野派。一手に要望を引き受け、あれでは身体も持ちますまい。
大きな障塀画、天井画の描き方なども興味深く、知らない用語が多くありました。
一門を率いる立場の人間のすさまじい姿も垣間見ましたね。
「人の世には、花と夢がなくてはかなわぬ」という足利義輝の言葉に、ほんにほんに~と思いました。
物語に浸かって楽しんで、幸せな時間でした。

夏季大学は昨日まで無縁だった人たちと一つ屋根の下で眠り、100人近くが一堂に会して一つ釜の飯をいただくのです。
こんな縁の結び方もあることを、わたしは好ましく感じるほうです。
凡てが関心事というわけにもいかず、こっくりさんのときもあります。
涅槃図 (Rei)
2024-01-30 11:11:33
涅槃図の言葉を知ったのは昔中国ツアー旅行で
同行の男性が行く先々のお寺で探していました。
ごく最近漸く深くは知らないながらもお釈迦さま
臨終の時が描かれているとしりました。

拝観する機会もなく、ネット検索で
名古屋市内某寺に「象と鯨図屏風」がある由、
なんと若冲描くとありました。
東福寺の涅槃図のように有名ではないようですが・・・
行きたいところは多いのですが
足がいうことを聞かないので困ります。
若冲 Reiさん (kei)
2024-01-30 21:48:00
「象と鯨図屏風」
テレビの画面を通じてか紙上でですが、この象の印象は残っています。
仕舞い込んだままの『若冲』も読んでみなくてはなりませんね。
複製と真筆、見分けられないと思うのですが、
巨大なというだけではなく、釈迦の死を悲しむ表情がそれぞれによく見て取れました。
だからこそ「佛涅槃図」言うのでしょうか…。

いろいろな人物が交錯して、想像も楽しいことです。

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