大震災1年目の日。テレビはずっと特集番組が流されている。それで改めて思ったことは、津波と原発に印象が固定化される前の、揺れそのものの大きさと恐怖である。多くの個人映像が残されていて、とんでもない揺れなのだが、同時にビルや家屋の倒壊はほとんどなかった。かなり壊れたり散乱しているけれど。年末にブログに書いたんだけど、このとき福島県須賀川市の藤沼ダムが崩壊し、土石流が集落を襲い8名の犠牲者が出た。このことの続報がぜひ欲しい。全国には、海辺でも原発地区でもないけど、ダムやため池が近くにあるというところが沢山あるはずだ。
ところで、前にも書いたことがあると思うんだけど、僕は重大な出来事があった日の新聞はそのまま(切りぬきではなく)取っておくことにしている。1976年の「田中前首相逮捕」の頃から取ってある。もう去年のは捨ててしまった人も、今日は震災特集だから、是非残しておくといいのではと思う。特に若い人。毎年取っておいて比べると、それが何より「忘れない教訓」につながるのではないか。
で、1年前の新聞を見直してみたい。僕が取ってる朝日新聞。見出しを中心に振り返ってみたい。
12日(土)朝刊 東日本大震災 M8.8世界最大級 大津波
ちょっと驚くのは、大見出しが「東日本大震災」となってることで、もうこの段階でこの言葉が使われていた。また、マグニチュードは当初の発表が8.8だったですね。1面下に「福島原発、放射能放出も」とある。またニュージーランド南島地震に派遣されていた日本の救助隊は奇しくも11日が最後の活動日だった。都内版では「都内で死者3人」と大見出し。11日に石原都知事が4選出馬を表明していたが、扱いが小さくなっている。
12日(土)夕刊 東北沿岸 壊滅的 陸前高田や相馬、街全体が水没
気仙沼の船が流された写真が大きく載っている。原発は最終面(普通はテレビ欄のあるページ)で、「放射能放出 5万人避難」と1面ぶち抜き。実はもうこの時メルトダウンしていたわけだけど。僕は昼ごろようやく帰れて、家ですぐに寝た。
13日(日)朝刊 福島原発で爆発 周辺で90人被曝か 炉心溶融、建屋損傷
水素爆発で原発が1面トップに。後には、「東京電力福島第一原発」とちゃんと言うようになるが、地元は別にして東京では最初「福島原発」と呼んでいた。しかし、「炉心溶融」と大見出しにあった。3面に「危機管理ちぐはぐ」、4面に「原発対応 くすぶる不満」、5面に「原発で爆発 世界緊張」と原発事故対応への批判的な印象である。裏面は「救援阻む泥の海」。社会面は2面ぶち抜きで「人も 町も 消えた ここにいる 助けて」と大きな見出し。ようやく現地入りした記者の報道が載りはじめた。この段階では「死者686 行方不明642」とされている。
13日(日)特別号外 3号機も冷却不全
忘れていたが、日曜日に「特別号外」が出ている。「被曝の不安 刻々拡散」「1万人どこに」「生きてる 声よ届け」。写真も大きく出ている。
14日(月)朝刊 「死者は万人単位」 宮城県知事、見通し
この知事発言は、地元紙河北新報の本を読むと、「死者」と表現することにためらいがあり「犠牲」と表現したとあった。中央紙は「死者」と書いてるけど。「きょうから輪番停電」と1面下に。(ちなみに、このころは1面に広告がない。)
14日(月)夕刊 3号機も水素爆発 福島原発 建屋損壊
原発事故も拡大。計画停電も始まり、この頃から数日が一番恐怖に満ちたころだったと思う。
15日(火)朝刊 高濃度放射能 放出 2号機 炉心溶融
2面に「放射能 高まる緊張」、最終面に「濁流1分 町をのむ」という大見出しで南三陸町の津波の連続写真が掲載されている。今では知られているように、この日に大量の放射性物質が排出された。新聞もその緊張を伝えていた。同時にこの頃から、経済への影響の記事が多くなっている。
15日(火)夕刊 福島第一 制御困難 2号機圧力抑制室損壊か
1面下部には「最悪の事態に備えを」という編集委員の記事が載っている。2面に「危うい危機管理」「首相自ら、東電入り」。いよいよ、あの日である。最終面には「放射線 身を守るには」という解説がある。
16日(水)朝刊 高濃度放射能 復旧阻む 4号機燃料に近づけず
1面下部には「東証暴落 1015円安 世界株安の様相」とある。「死亡 4851人以上」「安否不明 14428人以上」となっている。紙面には放射能とか原発自体の解説が多く載っている。スポーツ欄にはプロ野球開始時期をめぐる問題も出ている。この時期は「セ・リーグ 先行か」という観測も。
16日(水)夕刊 3号機から白煙 正門近く高い放射線
最終面は「原発避難 福島8万人」。この日、死者・行方不明が9000名を超え、阪神大震災を超えたと出ている。
僕が取っておいたのはこの日までである。時々見直してみる必要があるなと思った。
ところで、前にも書いたことがあると思うんだけど、僕は重大な出来事があった日の新聞はそのまま(切りぬきではなく)取っておくことにしている。1976年の「田中前首相逮捕」の頃から取ってある。もう去年のは捨ててしまった人も、今日は震災特集だから、是非残しておくといいのではと思う。特に若い人。毎年取っておいて比べると、それが何より「忘れない教訓」につながるのではないか。
で、1年前の新聞を見直してみたい。僕が取ってる朝日新聞。見出しを中心に振り返ってみたい。
12日(土)朝刊 東日本大震災 M8.8世界最大級 大津波
ちょっと驚くのは、大見出しが「東日本大震災」となってることで、もうこの段階でこの言葉が使われていた。また、マグニチュードは当初の発表が8.8だったですね。1面下に「福島原発、放射能放出も」とある。またニュージーランド南島地震に派遣されていた日本の救助隊は奇しくも11日が最後の活動日だった。都内版では「都内で死者3人」と大見出し。11日に石原都知事が4選出馬を表明していたが、扱いが小さくなっている。
12日(土)夕刊 東北沿岸 壊滅的 陸前高田や相馬、街全体が水没
気仙沼の船が流された写真が大きく載っている。原発は最終面(普通はテレビ欄のあるページ)で、「放射能放出 5万人避難」と1面ぶち抜き。実はもうこの時メルトダウンしていたわけだけど。僕は昼ごろようやく帰れて、家ですぐに寝た。
13日(日)朝刊 福島原発で爆発 周辺で90人被曝か 炉心溶融、建屋損傷
水素爆発で原発が1面トップに。後には、「東京電力福島第一原発」とちゃんと言うようになるが、地元は別にして東京では最初「福島原発」と呼んでいた。しかし、「炉心溶融」と大見出しにあった。3面に「危機管理ちぐはぐ」、4面に「原発対応 くすぶる不満」、5面に「原発で爆発 世界緊張」と原発事故対応への批判的な印象である。裏面は「救援阻む泥の海」。社会面は2面ぶち抜きで「人も 町も 消えた ここにいる 助けて」と大きな見出し。ようやく現地入りした記者の報道が載りはじめた。この段階では「死者686 行方不明642」とされている。
13日(日)特別号外 3号機も冷却不全
忘れていたが、日曜日に「特別号外」が出ている。「被曝の不安 刻々拡散」「1万人どこに」「生きてる 声よ届け」。写真も大きく出ている。
14日(月)朝刊 「死者は万人単位」 宮城県知事、見通し
この知事発言は、地元紙河北新報の本を読むと、「死者」と表現することにためらいがあり「犠牲」と表現したとあった。中央紙は「死者」と書いてるけど。「きょうから輪番停電」と1面下に。(ちなみに、このころは1面に広告がない。)
14日(月)夕刊 3号機も水素爆発 福島原発 建屋損壊
原発事故も拡大。計画停電も始まり、この頃から数日が一番恐怖に満ちたころだったと思う。
15日(火)朝刊 高濃度放射能 放出 2号機 炉心溶融
2面に「放射能 高まる緊張」、最終面に「濁流1分 町をのむ」という大見出しで南三陸町の津波の連続写真が掲載されている。今では知られているように、この日に大量の放射性物質が排出された。新聞もその緊張を伝えていた。同時にこの頃から、経済への影響の記事が多くなっている。
15日(火)夕刊 福島第一 制御困難 2号機圧力抑制室損壊か
1面下部には「最悪の事態に備えを」という編集委員の記事が載っている。2面に「危うい危機管理」「首相自ら、東電入り」。いよいよ、あの日である。最終面には「放射線 身を守るには」という解説がある。
16日(水)朝刊 高濃度放射能 復旧阻む 4号機燃料に近づけず
1面下部には「東証暴落 1015円安 世界株安の様相」とある。「死亡 4851人以上」「安否不明 14428人以上」となっている。紙面には放射能とか原発自体の解説が多く載っている。スポーツ欄にはプロ野球開始時期をめぐる問題も出ている。この時期は「セ・リーグ 先行か」という観測も。
16日(水)夕刊 3号機から白煙 正門近く高い放射線
最終面は「原発避難 福島8万人」。この日、死者・行方不明が9000名を超え、阪神大震災を超えたと出ている。
僕が取っておいたのはこの日までである。時々見直してみる必要があるなと思った。
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