尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「トランプ反革命」にどう対応するか

2017年01月12日 23時16分35秒 |  〃  (国際問題)
 「トランプ反革命」と表題に書いたけど、それは何のことだろうか。某雑誌に「トランプ革命」とあったんだけど、それを見て僕が思ったのは、むしろ「反革命」じゃないだろうかという思いである。もっとも、「革命」という熟語は元々は中国の「天命が革(あらた)まる」こと、つまり王朝が変わることである。その意味からすると、大統領選挙の結果は「一種の革命」と言ってもいいのかもしれない。(福田赳夫元首相の名(迷)言にある「天の声にも変な声がある」というのに近いかもしれないが。)

 だけど、近代の革命史では「社会主義革命」というのがあり、マルクス主義では「階級闘争により革命が起きるのが歴史的必然」と考えた。まあ、今じゃそんなことを信じている人はほとんどいないと思うけど、「革命が起きるのが必然」なら、歴史の流れに掉さすことが革命的だということになった。(ちなみに「流れに掉さす」を「流れに反対する」意味に思っている人が時々いるが、正しい意味は「流れに乗る」である。)そして、必然的に起きるはずの革命にあえて抵抗するのが「反革命」になった。

 そういう意味で「反革命」を使うなら、そもそもまず先に「革命」がなければならない。日本の安倍政権は「日本を取り戻す」など、トランプのようなスローガンを掲げているが、でも「伝統的保守」ではあっても、「反革命」の狂熱や高揚はないだろう。日本の民主党政権は、「革命的変化」を日本にもたらさなかった。ほとんど内部分裂で自滅したから、自民党としては従来の利益誘導型の伝統的保守票をまとめれば政権復帰できた。だから、「反革命」として登場したのではなく、まさに「復帰」した。

 一方、アメリカの民主党オバマ政権は、ブッシュ政権時のイラク戦争とリーマンショックからの「チェンジ」への期待を背負って誕生した。しかし、当初期待したリベラル層も、案外「チェンジ」できなかったことにガッカリした人が多いだろう。アメリカ国民は(オバマ政権途中で)、共和党に下院の多数を与えたのだから、チェンジが不十分だったのもやむを得ない。だけど、アメリカ内ではオバマ政権誕生すぐから、「ティーパーティ」(茶会)など過激な政治運動が盛んになっていった。

 このことは、一方から見ると不十分でしかないオバマ政権の「チェンジ」であっても、反対派からすると「許しがたい米国の伝統からの逸脱」に見えることを示すのではないか。「オバマケア」(かなり不十分だと思うが)、「同性婚」「銃規制強化」などは、伝統的キリスト教的世界観への冒涜や、個人の領域に対する国家の侵犯(「大きな国家」への強い反対)として、強固な反対を呼び起こす。それらを進める「オバマ・チェンジ」への強い反対という意味で、「反革命」と言えるような側面があると思う。

 そのような「焦りにも似た怒り」がトランプ陣営にあったのかと思う。大統領就任後に、オバマ時代のレガシーをどんどんひっくり返すと言っているのも、まさにそのような「反革命」的な情熱から来るのではないか。しかし、そうやってひっくり返したものは、その後どうなってしまうのだろう。「歴史の流れ」というものがあるとするなら、トランプ政権が何をしようが、それは一時の停滞にすぎず、いずれはまた元の流れに戻るはずである。そのことを考えてみたい。

 歴史というものは、そもそも「ジグザグ」に進む(イランの映画監督アッバス・キアロスタミの作る映画に出てくる道のような)ものだろう。それに歴史には「正しい流れ」があって、どんな社会、どんな文明も同じように進展するという考えは、僕は取らない。だけど、いくつかの分野では、「歴史は不可逆的に進む」のではないだろうか。一つは人権意識のレベルである。もう一つが産業上の新しい段階である。

 人権問題に関していえば、例えば選挙権を見れば判る。ある時期までは専制政治であり、その後選挙が始まるが、最初は有力男性のみが選挙に参加できた。次第にすべての男性に、そしてすべての女性に、すべての人種にと広がっていった。それを求める長くて厳しい運動があり、全人民による選挙が勝ち取られた。これは不可逆だろう。いったん与えられた選挙権が、その後取り上げられることは絶対にないだろう。だから、いまはまだ選挙に制限のある国でも、いずれは自由選挙が実施される日が来るんだと思う。それはもちろん、他の人権問題にも言えることだろう。

 もう一つ、例えば産業革命も不可逆的な歴史だろう。電車や自動車があるのに、人力車の時代には戻らない。無声映画、白黒発声映画、カラー発声映画、デジタル映画という流れも不可逆である。もちろん、あえて擬古的効果を狙って、今でも無声映画を作ることはできる。(数年前に「アーティスト」という映画が評判になった。)電話が発明され、ほとんどの人に電話が行き渡る。やがてポケットベルができ、携帯電話が普及し、スマートフォンが出てくる。使ってない人もいるだろうが、流れ自体は不可逆だ。

 さて、そういう風に考えてみると、重厚長大産業の生産地が先進国から新興工業国に移っていくのも、ある意味では不可逆なんじゃないだろうか。もちろん、大企業は労働者や地域社会に責任がある。安易に工場を閉鎖して外国に移ることは許されない。だが、大きな流れで見れば、工業の中心地は歴史的に移り変わっていくものだ。それなのに、経営者が政権の顔をうかがうことに時間を取られていては、企業の競争力を削ぐのではないか。企業の経営体力をかえって奪うし、アメリカの消費者の利益にもならない。トランプ政権がアメリカ衰退を決定的にしたと将来の歴史家は書くのではないか。

 フォードのメキシコ工場がなくなって、ではそこで働くはずのメキシコ人はどうすればいいのか。アメリカに移民せよというのか。でも、それは「壁」を作るんだという。要するに、アメリカ人は豊かになるけど、メキシコ人は貧しいままでガマンせよというのか。それこそが移民を生む考えだろう。移民をなくしたいというなら、メキシコで生きていける雇用が必要である。トランプがやっていることは、むしろ移民増加策である。むしろ重厚長大産業が外国に移っても、新しい産業を起こしていく(手助けをする)のが、政治の役割ではないだろうか。

 僕たちは確かにフォードやゼネラルモーターズという会社があることを知っている。20世紀の歴史を作った大工業時代を代表する会社である。だけど、日本で周囲にアメリカ車に乗ってる人はほとんどいないだろう。では、アメリカとは無縁の生活をしているのか。そうではない。今パソコンに書き込んでいるわけだが、マイクロソフトのOSを使用している。グーグルフェイスブックも今日利用している。さらに、アップルやアマゾンやツイッター…などが、今のアメリカを代表する企業ではないのだろうか。

 そして、もう一つがエネルギー問題である。地球温暖化問題に関して、パリ協定から脱退するのではないかと言われている。アメリカはブッシュ政権が京都議定書を脱退した「前科」もある。しかし、そんなことを行ったら、まさに「反革命」そのものである。化石燃料中心の時代から、自然エネルギーへという流れも「不可逆」なのではないだろうか。そうすると、トランプ政権が旧来型重工業を重視して、ITや新エネルギーを軽視することは、長期的にアメリカの経済成長を大きく損なうことになるはずだ。

 人権問題はそもそも、法が整備されただけではすべてが解決されることはない。どんな時も「不断の努力」で勝ち取っていくべきものだ。もしトランプ政権で逆風が起きたとしても、だからこそ人権運動の重要性を人々が再認識するはずだ。日本でもそう思って、共にエールを送るということである。

 一方、エネルギー問題などに関しては、本来今こそ原発からフェードアウトしていき、新技術の開発に全力を注入するべき時だ。アメリカがモタモタしているうちに、むしろ日本が世界の先頭に立つチャンスのはずだ。このトランプ政権成立におたおたせず、むしろアメリカ企業の体力低下を見越し(トランプに配慮して雇用を優先すれば、新技術開発に回す金が減らされるはずだ)、日本企業が新しい技術を開発する契機にするべきだと思う。
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