尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ルキノ・ヴィスコンティ、ブーム再び?-イタリア映画の巨匠②

2016年11月28日 21時30分55秒 |  〃 (世界の映画監督)
 イタリアの巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ(1906~1976)は、今年が生誕110年、没後40年である。もう高い評価と人気はゆるぎなく、毎年どこかで何かをやっている。「山猫」「ルードヴィヒ」などは昨年公開されたと思う。今後、12月末から「若者のすべて」「郵便配達は二度ベルを鳴らす」「揺れる大地」が新宿武蔵野館で連続上映される。そして、もう40年も前になるが、日本のヴィスコンティ再評価とブームをもたらした「家族の肖像」(デジタル完全修復版)が、岩波ホールでリバイバルされる。

 いまヴィスコンティのフィルモグラフィを見ると、長編映画は生涯に14本しか作っていない。案外少ないのに驚くが、僕は全部見ている。1969年の「地獄に堕ちた勇者ども」以後はリアルタイムで見ているが、その時点では日本未公開作品作品も多かった。1971年の「ベニスに死す」がベストワンになったものの商業的には惨敗だったことから、しばらくヴィスコンティは公開されなくなった。岩波ホールが「家族の肖像」をヒットさせてから、ミニシアターブームに乗ってヴィスコンティ映画が公開されるようになった。

 ヴィスコンティはよく「赤い貴族」と言われるが、まぎれもなく貴族の家系である。ルネサンス期の歴史書を読むとよく出てくるミラノのヴィスコンティ家だが、さすがに本家ではなくて傍流らしい。それでも父は公爵で、お城で育ったという。そうした育ちからも来る、壮麗な映像世界、ヨーロッパのホンモノを知っているぞというような映画が、ちょうどヨーロッパ旅行なんかに出かけられるようになった日本人に受けたのかもしれない。だから、日本のヴィスコンティ受容は、「後期の大作」中心になったきらいがある。

 一方、ルキノ・ヴィスコンティは、戦時中の1942年に「郵便配達は二度ベルを鳴らす」でデビューした「戦中派」で、「ネオ・リアリスモ」の元祖だった。イタリア共産党に入党し、「赤い貴族」の映画作家だったわけである。そういう苛烈なまでの「リアリズム作家」という面を忘れてはいけないと思う。特に1948年の「揺れる大地」はシチリア島の漁村に密着ロケしたリアリズム映画の最高傑作で、世界映画史に残る大傑作である。とにかくすごい迫力で、圧倒されること請け合い。日本公開は遅れたが、フィルムセンターにフィルムがあって昔に2回見た。今回デジタル版で公開されるのが楽しみ。
 (揺れる大地)
 今回シネマヴェーラ渋谷でやったのは、「ベリッシマ」(1951)という第3作である。これは確か「俳優座シネマテン」で見たと思う。六本木の俳優座劇場で、演劇公演が終わった後の夜10時から映画を上映するという企画があったのである。1981年と記録にある。時間的に見るのが大変だが、若いから見に行った。そして、ずいぶんあきれ返って辟易(へきえき)した記憶がよみがえってきた。
 (ベリッシマ)
 ベリッシマというのは「最も美しい女」ということで、映画出演のための「美少女コンテスト」に娘を出そうと走り回る母親アンナ・マニャーニが凄すぎる。「無防備都市」で注目され、1955年には「バラの刺青」でアカデミー主演女優賞を取った女優である。取りつかれたように娘の売り出しに奔走する貧しい母親を全身で演じている。それは凄いが、見てる方が付いてけないぐらい。トンデモ映画に入れた方がいいけど、あくまでもリアリズムというところが凄いのである。後に活躍するフランチェスコ・ロージとフランコ・ゼッフィレリが助監督を務めている。日本にもこういう親はいそうだな。

 1960年の「若者のすべて」はアラン・ドロン主演の大作だけど、中身は厳しいリアリズムの青春映画。ここまでが「現実を描くリアリズム作家」だった。次の「山猫」(1963)から「歴史絵巻」路線が始まる。もっとも「熊座の淡き星影」(1965)や「異邦人」(1967)は位置づけが難しい。「山猫」から「ベニスに死す」までを「文芸名作路線」とするべきかもしれない。
 (若者のすべて)
 ところで、多分上映権が切れて以来、映画館でやってないと思うのが、「地獄に堕ちた野郎ども」(1969)である。これこそ退廃の極致で、ナチスの実態を暴露するとともに、美と退廃と抵抗の狭間に生きる人間の姿を描いた傑作である。アメリカ資本で作られたから権利関係が難しいのかもしれないが、これこそリバイバルを待ち望む映画である。これに比べれば、世にあまたあるナチス映画やホラー映画など、すぐに忘れてしまうような薄い映画としか思えない。そして、遺作となった「イノセント」(1976)。僕が一番好きなヴィスコンティ映画で、典雅な恋愛映画にしてトラウマ必至の怪作でもある。とにかく、ルキノ・ヴィスコンティに比べれば、最近の映画は薄っぺらで見るに堪えないと思ってしまう。若いうちに見ておかないと。(それはフェリーニも同様だけど。)
コメント
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