尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「女中っ子」と「陽のあたる坂道」ー田坂具隆監督の映画

2015年10月29日 00時04分23秒 |  〃  (日本の映画監督)
 田坂具隆(たさか・ともたか 1902~1974)監督の映画を続けて見た。池袋の新文芸坐で、長編映画の特集上映をやっていて、いずれも長い映画である。27日に「はだかっ子」と「女中っ子」を見て、28日に「陽のあたる坂道」を見た。どれも前に見ているが、見たのは1970年代後半のことで、30数年ぶりである。田坂監督は70年代にフィルムセンターで特集上映があり、その時にかなり見たが、監督歴も長いし、上映時間も長い映画が多い。今も俳優の特集などでは時々上映されていると思うけど、監督の名前はよほど映画史にくわしい人でなければ、もう忘れられているだろう。

 映画の中身自体もそうだし、監督本人の人柄もそうだったようだが、「誠実」で「やさしい」世界をじっくり描く映画が多い。手法的にも奇をてらった演出や凝った映像などはなく、主人公のドラマを正攻法で演出して、クローズアップで感情移入させる。映画内世界に没入している場合は、登場人物の葛藤や悲しい運命に音楽がかぶさると感動する。だけど、リズムがゆったりで、余計な描写を省いてもっと短くしてくれと思う時も多い。テーマも今では時代離れしているものもあるし、感傷的で古い感じもつきまとう。昔から嫌いな監督ではないんだけど。では何が代表作かというと、僕も迷ってしまう。

 監督のキャリアは非常に古く、1926年に日活で昇進した時はまだ無声映画時代だった。1931年には入江たか子主演、菊地寛原作の「心の日月」がヒットしベストテン2位になった。これはフィルムセンターにもなく、失われてしまった。1938年には、「五人の斥候兵」「路傍の石」でベストテンの1位、2位を独占した。(1954年の「二十四の瞳」「女の園」の木下恵介しか、他にそういう人はいない。)翌1939年にも「土と兵隊」(2位)、「爆音」(8位)の2作が選出された。この時代が最初のピーク。「路傍の石」は山本有三原作の児童文学の正統的な映画化で、1937年には「真実一路」も映画化した。子どもを描いて丁寧な感動作に仕上げた点で、戦後の「女中っ子」「はだかっ子」と同じである。

 一方、「五人の斥候兵」は日中戦争で、「誠実」で「やさしい」マジメな部隊長を描く戦争映画。ファシズム下イタリアで開かれたヴェネツィア映画祭で受賞したことで知られる。また「土と兵隊」は火野葦平の大ベストセラーの映画化で、中国大陸をひたすら行軍する兵士を映し続けた映画。その間に多少の兵士の交流が描かれるが、今見ると「退屈」であり、早く終わって欲しいとひたすら願う映画である。どっちも他の田坂映画と似ていて、誠実な人間像をうたいあげるが、軍隊内の私刑や日本軍の残虐行為などは描かない。もちろん描きたくても描けないのだが、それと別に「苦闘する」主人公に誠実に同化していく田坂映画が「他者」を必要としないという本質とも関わっていると思う。

 田坂監督は戦争末期に召集され、郷里の広島で入営中に原爆に被爆した。助かったものの体調不良の時期が長かった。戦後初めてベストテンに入ったのは、1955年の「女中っ子」(8位)だった。芥川賞作家由起しげ子とのベストセラーの映画化。秋田から出てきた初(左幸子)が世田谷で「女中」として働き始める様子を描く。次男はいつも母(轟夕起子)に叱られていて、疎まれている。
(「女中っ子」)
 次男は母の嫌いな犬をひそかに飼っているが、初のとりなしで認められる。学校から呼ばれても母はいやがるので、代わりに初が行くので、「女中っ子」とからかわれる。初が旧正月に秋田に帰っている時に、犬が母の草履を噛んでダメにして、怒った母は捨ててしまう。探しても見つからない次男は、秋田にいる初に会いたいと思って家出する…。始めはなじめなかった次男が、犬をきっかけにだんだん初に懐いていく。ラストは子どもの罪を背負って初が去るという感涙シーン。子どもと犬には勝てませんという映画だ。左幸子がものすごく魅力的で、庶民的な顔立ちと秋田弁が生きている。

 その後、石坂洋次郎原作、石原裕次郎主演の「乳母車」「陽のあたる坂道」「若い川の流れ」を作る。これが第2のピークである。裕次郎に「根は素直だが、ちょっと影のある青年」という性格俳優的な側面を与えた意味は大きい。「陽のあたる坂道」(1958)は、3時間45分もある長大な映画で、なかなか再見する機会がなかった。石原裕次郎と北原三枝のカップル共演作はいろいろあるが、これが最高傑作だと思う。北原三枝がものすごく魅力的に描かれている。佐藤勝の音楽もいいし、木村威夫の美術も素晴らしい。主人公たちの住む洋館は、田園調布という設定らしいが、ロケは横浜の鶴見にあった家で行った。そこは一時「陽のあたる坂道」というレストランだったが、今は解体されている由。
 (「陽のあたる坂道」)
 物語の設定はかなり変である。アジア出版社長の田代家に、家庭教師を頼まれた倉本たか子(北原三枝)が訪れると、次男の田代信次(石原裕次郎)と出会う。田代家は兄雄吉(小高雄二)、妹くみ子(芦川いづみ)、母みどり(轟夕起子)、父玉吉(千田是也)が住んでいる。しかし、この家には秘密があった。信次は母の実子ではなかったのである。皆そのことに気づきながら、知らないふりをしている。ところで、倉本たか子が住むアパートには元芸者の高木トミ子(山根壽子)が住んでいて、たか子と親しくしている。そこには息子民夫(川地民夫)もいて、若きジャズ歌手として人気がある。くみ子がたか子をジャズ喫茶に連れて行き、ジミー小池のファンだというと、それが民夫だった。ところで、このトミ子こそが信次の実の母で、民夫は信次の弟だったのである。

 という大衆芸術には許される(というか必須の)「驚くべき偶然」によって、登場人物は運命的に関わっている。これだけ書くと、人間関係ドロドロのメロドラマに思えるが、見ている時の感じはちょっと違う。それは登場人物たちが、みな「言語」によって、問題を表現していくという特異な構成だからである。まさに「戦後民主主義的」な「言語への信頼」に覆われている。一家が勢ぞろいした場面で、父は信次の出生を明かすが、母も信次も理性的に受け入れ、家族はその後皆で賛美歌を歌う。いつも皆が集まると合唱するらしいけど、この場面の空々しさは今見ると痛々しいまでである。

 それでも所々で、往々にして信次によって引き起こされる「ホンネの発現としての暴力」が見られ、それが物語を推進していく。(その意味でジェームズ・ディーンなどと同時代の、一種の「肉体の復権」という文化史的な文脈に位置づけ可能である。)この家にはもう一つの秘密がある。それはくみ子の足のケガは誰のせいかという問題である。それが雄吉をダメにして、一家の偽善の底にあることが次第に分かってくる。それらを基本的にはすべて言語で登場人物が説明していくんだから、長くなるはずである。それはうっとうしいようでいて、登場人物の魅力で見せていく。そこまで素直な演技を若いスターたちに指導した監督の力が実感できる。結局は、信次とたか子、くみ子と民夫のカップルが成立して、見るものを幸せにする。なんだか時代が変わったことを実感させる映画だが、モノクロ映像の美しさで捉えられた東京風景などが魅力的だった。

 その後田坂監督は東映に招かれ、中村錦之介の歴史劇(「親鸞」など)、三田佳子の時代劇(「冷や飯とおさんとちゃん」などを作るが、何と言っても佐久間良子主演、水上勉原作の「五番町夕霧楼」(1963)と「湖の琴」(1966)という切なさの極まる女性映画を作った。これが最後のピーク。遺作は松竹の「スクラップ集団」(1968)という怪作で、渥美清、三木のり平、小沢昭一等の名優を使って、ゴミまみれの映画を作った。ある意味で時代を先取りしているが、日本映画史に残る異様なコメディである。今見ると田坂監督の映画は、かなり古いのは確かだが、素直な感動を誘う作品が多い。そういう映画が求められた時代があったのである。
コメント (3)
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